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乾山晩愁 / 葉室麟
乾山晩愁
葉室 麟
角川グループパブリッシング 2008-12
(文庫)
★★★★★

室町末期から元禄の頃を生きた絵師たちの片影を描く5篇の作品集。 時の権力の陰で、自らの芸術に迷い、また、時代を見極めながら名声や地位を守る道を模索し苦悩する姿が鮮鋭に、そして滋味深く掬い取られています。
それぞれの短篇は少しずつ地続きになっていて、時代の流れと共に日本画の歴史を俯瞰できるような構成にも唸らされます。 特に狩野派の流れを肌で感じ取ることができたのが思わぬ収穫。
日本絵画史上に名を残す、あの絵やこの絵が描かれた背景なども垣間見え、ネットで検索しながら読むと感慨もひとしおでした。 千利休、松尾芭蕉、井原西鶴らが彩りを添えています。
長谷川等伯は、新内裏の障壁画制作をめぐり狩野永徳と争って敗れるものの、永徳亡き後は一時代を築き、狩野派に苦杯をなめさせます。 しかし期待していた嫡男の久蔵の夭折によって夢は破れ、再び時代を狩野派に譲り、永徳の孫の探幽が時の寵児に。 探幽を超えたいという野心を作品へと昇華させる尾形光琳、探幽の秘蔵っ子であった女絵師、清原雪信の兄で狩野派の問題児だった彦十郎(主役ではないけど忘れられない!)と、英一蝶との思わぬ接触・・といった感じで、登場人物がリンクしています。 以下、各章寸感です。

【乾山晩愁】 華やかな画才を京、江戸で花開かせた尾形光琳亡き後、その弟の尾形乾山が陶工として、一歩一歩踏みしめるように人生を送る晩年。 天才の名に相応しい美しくも非情な光琳画にはない、洗練された風情の中に素朴な味わいを残す自身の境地に辿り着くまで。 光琳に絡んだ忠臣蔵秘話も。 朝幕間の緊張関係が影を落とします。
【永徳翔天】 狩野派の隆盛の基礎を築いた元信の孫で、画壇の中心としての狩野家の地位を固めた狩野永徳。 狩野家と土佐家による御用絵師としての勢力争いを勝ち抜き、次々と移ろう戦国の権力者に近侍して名声を欲しいままにする。 信長の下で独創的な画才を開花させ、芸術的精神、美の感覚を君主と共有できた得難い体験を熱く胸に秘めつつ、芸術を解さない秀吉に対する失望を権力への固執へと転嫁させていく・・
【等伯慕影】 能登の七尾に生まれ、仏絵師として才覚を表わしていた長谷川等伯。 武田信玄の肖像画制作に抜擢されたことを足がかりに、絵師としての頂点を目指し出世の鬼と化す修羅の道行きの末に、豊臣天下の元で狩野家を押しのけ画業を称えられるに至るも、未来を託した息子の久蔵の早すぎる死。 廻る因果を噛み締めるかのような最晩年の姿が深く沁みます。
【雪信花匂】 江戸期を通して御用絵師の名門として繁栄する狩野派。 その立役者である探幽の姪の娘に当たる閨秀画家の清原雪信(狩野探幽門下の四天王に数えられた久隅守景の娘)は、画才を認められて探幽の直弟子となる。 狩野派内部の派閥争いに巻き込まれながら、絵師としての矜持を捨てず、恋を貫く生き様が活写されると同時に、一大画派の業苦が渦を巻きます。
【一蝶幻景】 狩野派を破門された放蕩者であったが、和歌から俳諧への変遷期、風雅の道に才を発揮し、また、浮世絵の初動期にあって都市風俗画で人気を博したという英一蝶。 絵師として飛躍する契機にもなった島流しに至る経緯が、大奥を舞台とした幕府と禁裏の軋轢や忠臣蔵ミステリと絡めて仕立てられているところが巧者です。
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裁縫師 / 小池昌代
裁縫師
小池 昌代
角川書店 2007-06
(単行本)
★★★

不安と快感の狭間の揺らぎ・・そんなイメージを呼び起こされた5篇の短篇集。 詩人の描く小説宇宙に魅了される今日この頃。 小池昌代さん初体験でしたが、追いかけたい作家さんがまた一人。
老女の回想で綴られる表題作の「裁縫師」は、今年読んだベスト短篇かなって思えるくらいに好きでした。 色彩と匂い、そしてスカートの生地と裁縫師の指先が素肌に触れる感覚だけが極まり過ぎて、まるで無声映画のフィルムのような、硬質な静物画のような・・ 研ぎ澄まされた官能の帳が下りて朦朧としてくる心地でした。 温度も湿度も感じさせない無機的な身ごなしの中で、濃密さを増していく淫らな情感。 そこから燃え立つ確かな生命の一瞬に身体の芯を焦がされる。 これは語り手が強く念じた幻影なのではないかと、ふとそんな想いに駆られるのはどうしてだろう。 鮮烈過ぎて、美しすぎて、あまりに儚い・・
でも、たとえ幻影であったとしても、それは紛れもない記憶の一部。 ねじれたり淀んだり、ふわりと浮いたり、入り組んだり・・ 人は何時だって少しズレた不確かな記憶を生きていくことしかできない。 けれどそこにこそ、人生の実相を彩る奥深い襞や折り代があるのかもしれません。
「女神」の停滞と官能は東直子さんの「薬屋のタバサ」と、死の淵での一瞬を濃く引き延ばす「左腕」は松浦寿輝さんの「あやめ」と、自分の中では近しいフィーリングでした。 どちらも読んでから時間が経つほど輝きを増しそうな(得体のしれない影となって心を揺さふりそうな)作品で、他の2作も含め詩情を湛えた静謐さが忘れ難い佳作揃いです。
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三悪人 / 田牧大和
三悪人
田牧 大和
講談社 2009-01
(単行本)


用心棒をしながら蕎麦屋の二階をねぐらに放蕩中の遠山金四郎、無役の普請組だった頃の鳥居耀蔵、寺社奉行時代の水野忠邦。 後に歴史に名を残す若き日の三人の御仁が、目黒祐天寺の火事を契機に繰り広げる知恵比べロマン。
忠邦につけ入って出世の足場を固めようと奸計を巡らす金四郎と耀蔵を同時に手玉にとって弄ぼうとする忠邦・・ 乱暴にいったらこんな構図なんですけど、金四郎は実は男気のある本領を隠し持っていたり、耀蔵は耀蔵で忠邦に対して屈折した憧れを抱いていたりと、ちゃんと後々の布石が敷かれています。
悪といっても三者三様。 忠邦は冷酷で狡猾で、どこか危うい傲慢さを湛えた白皙の美貌の持ち主。 か黒い悪を幽気のようにまとっております。 金四郎はイナセで無頼で遊び人風情の野趣があり、粋を絵に描いたような漢っぷり。 同時に抜け目なさを秘めた皮肉屋ですが悪というより正義といった方が通りがよさそうな・・
この御二方の間で、些か軽んじて見られている向きの耀蔵は、まだ掴みどころがなく、一見図太く無神経に見えて鋭い直感を覗かせたり、力に餓えているような末恐ろしさを垣間見せるものの、狛犬のごとき異相といい、野暮天さといい、思わぬ人の良さといい、なんともいえない愛嬌を振り撒きます。
それぞれの思惑で優位に立とうとする腹の探り合い、駆け引きの妙味に加え、着想そのものが魅力的なのですが、行動原理が今一つ空回りしているようなしっくり来ないものを感じてしまったのと、ピカレスクになりきれない中途半端な甘さが、ちょっと馴染めなかったんです。
でも将来像がそのまま思い描けそうな金四郎と忠邦に対して、妖怪変化(笑)する前の、まだ悪を開花させていないウブな耀蔵キャラにプチ萌えました。 こんな耀蔵に出逢えただけでも吉♪ って力の入れどころを間違えてるかもしれません;;
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世界の日本人ジョーク集 / 早坂隆
世界の日本人ジョーク集
早坂 隆
中央公論新社 2006-01
(新書)


世界で楽しまれている日本や日本人をネタにしたジョーク、小咄の数々について、ルポライターの著者がちょっとした解説や滞在地でのエピソードを交えながら紹介する知的娯楽本。
対象読者となる日本人が読んで、神経を逆撫でされるような不快な部分は慎重に避けられていますし、凄く気を遣ってフォローされていたように感じました。 暇つぶしに手に取って気軽に楽しめる健康的な趣きですので、当然ながら毒は薄め。 この領域は踏み込むとおっかなそうですが、ちょっとヌルめ甘め加減で読み口よく仕上げられています。
必ずしも日本人がオチになってるものばかりではないのですが、“世界の眼”として読むエスニックジョークの数々、様々な国の国民性やその比較が素直に面白かったし興味深かったです。
勤勉、ジョークが通じない、技術立国、お金持ち、曖昧、集団主義、英語下手・・などなど。 日本人の見られ方は概ね想像通り(一昔前的)ですが、こんな風に笑いの材料となって料理されるのかーと、感心しちゃうような出来栄えもちらほら。
日本人落ちで上手いなぁーと思ったのが“死刑執行”。 “豪華客船”は最後のフランス人と日本人の対比が笑えます。 出色なのが“スープの中の蠅”で、どこの国も万遍なくそれぞれ面白いのが凄い。 特にアイルランド人が可愛い過ぎです〜。 “魔法の湖”のベルギー人も〜♪
日本人の几帳面さと引き合いに出されるせいか、ロシア人の粗野な部分が笑いとして起用されてるネタが結構あって、なんと愛すべきオチかと他国の人間としては軽率に和んでしまうんですが、非常にセンシティブなものを孕んでいることを忘れずにいたいし、変な勘違い優越感が自分の中に紛れ込んだらいやだなと思う。
日本人のモノづくり気質の原点が江戸時代にあるというのが頷けるところでした。 資源のない状況下で、知恵と工夫の粋を凝らして国産化社会に対応してのけた気概が、国民性の中に今も培われているのだとしたら嬉しいです。 遺産を食いつぶすだけであってはいけないと、背筋を正したくなるような気持ちにもなりました。
江戸好きとしてはそんなところにツボっておりましたが、“日本人って悪くないじゃん”って思えるようなポジティブな読後感は万人受けしそうです。
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生き屏風 / 田辺青蛙
生き屏風
田辺 青蛙
角川グループパブリッシング 2008-10
(文庫)
★★★★

日本ホラー小説大賞の短篇賞を射止めた表題作に、書き下ろしの二篇を加えた幻妖譚です。 人里に棲む妖たちと人間が一定の隔たりを置いて共存し調和する日常の情景をたおやかに描いた連作集。
解説の東雅夫さんが同じ系譜の作品として川上弘美さんの「神様」、梨木香歩さんの「家守綺譚」をあげておられた通り、ホラーというよりは自浄作用のある民話ファンタジーのような趣き。 ぐりんぐりんにお気に入りの世界観でした。 微かに香る耽美な妖しさとノスタルジックな湿潤さ、晴朗で伸びやかな愛らしさのブレンドが絶妙で、ずっと浸っていたくなる・・
江戸の情趣と、道師が力を宿していた古代や中世を感じさせる日本古来の地盤に、ほんのり中華の香りを滲ませたワンダーランド的舞台背景(3話目なんて仄かに西洋の魔女を想わせるほどだった・・)に魅了されます。
前髪の下には小さな自慢の角を持ち、淡い緑色の眼をした鬼の子の皐月は、村はずれで県境を守る道祖神(?)のような役目を担う朴訥な妖鬼。 布団という名の愛馬の首を寝床にして人馬一体で棲息しています。 とぼけた愛敬と謎めいた一面を併せ持つ猫の化生の妖や、徒っぽい妖艶さを振り撒く狐妖、菊の花精の姉妹や冬の山の神、そして里に暮らす常民たちが繋がり合い、交差し、四季を彩る風趣と共にしっとりと息衝いています。
人より遥かに永い寿命を与えられた妖鬼たちと、人間の短い一生との束の間の邂逅は、宝石のような輝きを放っていて、ハートを鷲掴みにされてしまいます。 妖たちがほろ酔い気分の戯れに語る思い出話は、物悲しくも甘やかな郷愁となって作品世界を優しく包み込むのでした。

<余談>
“馬の血肉の中で眠る”というモチーフは「中国の神話」の中に出てきた記憶が微かにあったのですが、やはり起源は中国の古典にあるそうです。 やがて日本各地に伝わり、特に東北地方に流布する馬娘婚姻譚(オシラサマの起源)として根付いたのだとか。 そういえば「遠野物語」にも入ってましたね。
火の山の麓に棲む火食い虫というのも、脳内では中国と関連付けて記憶されているのですが根拠は皆目不明;;
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訪問者 / 恩田陸
訪問者
恩田 陸
祥伝社 2009-05
(単行本)


山奥の湖畔に佇む古い洋館に、渦中の一族と、一人また一人とベルを鳴らす来客たちが集い、嵐に閉ざされた恐怖の数日間の火蓋が切られます。
若くして急死した映画監督の遺言書、一族の長子であった女性実業家の不審な死の謎、“訪問者に気をつけろ”という差出人不明の警告文、玄関に残された木彫りの象、戸外に放置された見知らぬ男の死体、先代の隠し遺産、故人の亡霊といった誘因が出揃い、外部と遮断された緊張感と不穏な気配の張り詰める中、クラシカルな推理劇が展開されていきます。
作中にも象徴的に折り込まれている“群盲、象を撫でる”の故事のように、断片的な推理を手探りでつつき回しながらも、終盤にはおぼろに全体像へと結集していくこの感じ・・ミステリの枠で括れるようなもやもや感のなさは久しぶりだったかな。
筋書きとしては至極オーソドックスですし、小ぢんまりとライトにまとめ上げる終盤は随分とお手柔らかではあるんですが、芝居がかった舞台設定やいわくありげな登場人物といったムード作り、舞台脚本を読んでいるような戯曲めいたシチュエーションに惹き込まれてしまいます。
疑心暗鬼に陥りながら互いに牽制し合いつつ、少しずつ手持ちのカードを切っていくような、それでいて一種独特の運命共同体的な連帯感といったクローズドでの奇妙な均衡を描かせたらやっぱり天下一品で、この現実味を削ぐ演出によって、ならではの恩田色に染め上げられています。
恩田さんはスタイルが確立されてますから、自分の場合は良くも悪くも作品に入っていく脳内回路が出来ちゃってる感じで、最近はどう評価していいのかよくわからなくなってます。 もう、好きなのだとしか言えないなぁ。
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六つのルンペルシュティルツキン物語 / ヴィヴィアン・ヴァンデ・ヴェルデ
六つのルンペルシュティルツキン物語
ヴィヴィアン ヴァンデ ヴェルデ
東京創元社 2005-02
(単行本)
★★

[斎藤倫子 訳] タイトルも作者名も舌が縺れそう グリム童話の「ルンペルシュティルツキン」をもとにした六つのパロディ作品集です。 著者によるまえがきで本書の執筆動機やコンセプトに関連して、原作の要点を解説してくれているので、グリム版を未読でも大丈夫なくらいの親切さがあります。
完全に余談ですけど、原作の筋書きを検索中に、昔のラジオ放送劇を聴いちゃいました。 幻想的な演出効果も手伝ってか、原作は原作で、シュールな不条理感がそこはかとなくよかったなぁ・・
で。 こちらは、何でそんな行動とっちゃうわけ? 的なツッコミどころ満載の原作にパッサパッサと斬り込みまくってて楽しい〜 きちんと下敷きとなるストーリーを踏まえた上で、心の動きを現代人が納得できるような筋立てとして織り込んで、辻褄が合うように語り直されています。 機知に富んだキュートな童話集です。
ルンペルシュティルツキン。 デフォは小人なんですけど、一話毎に全く違った属性が与えられていて、他の登場人物(粉屋の父娘と王様)も、みんな順繰りに善人になったり悪人になったりと、幾つものバリエーションが用意されていて、依怙贔屓がないのも素敵なところ。
特にお気に入りは「ドモヴォイ」と「ミズ・ルンペルシュティルツキン」かな。 ロシアの幸運を呼ぶ家の妖精ドモヴォイとして登場するルンペルシュティルツキンのトホホ加減や、オヤジと間違われてしまう魔女ルンペルシュティルツキンのへそ曲り具合が好き パパ・ルンペルシュティルツキン・・あなたのことも忘れませんw なんかもう、みんな憎めないの! 邪悪なトロルのルンペルシュティルツキンでさえ可愛いのです。 人間の赤んぼうを食べる気満々で首にナプキン巻いちゃってる姿とか笑っちゃうんだよね。 因業&煩悩の底に滑稽あり、ほろ苦さあり・・みたいなところが秀逸なのです。 そんな中でずば抜けて美しい話だったのが「藁を金に」。 青年エルフのルンペルシュティルツキン、かこいかったなぁ〜
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黒百合 / 多島斗志之
黒百合
多島 斗志之
東京創元社 2008-10
(単行本)
★★★

終戦からの復興を遂げつつある昭和27年、六甲山麓の避暑地で一夏を過ごす二人の少年と一人の少女の瑞々しい初恋物語がベースになっていて、目が眩むほどの甘酸っぱさに胸をキュンキュンさせながらページを捲る手が止まらなくなってしまうのですが、この“白百合”のように目映く清純な表舞台の裏に貼りつくようにして、もう一つの物語が巧みに仕舞いこまれているのです。
一見ミステリなんか書いてないよって風情でしれっとしてる感じ。 実際、とびきり上質な青春小説としてぐいぐい読ませるわけですから。 で、その実、何食わぬ顔して精緻なミステリしてるところが小憎らしいほどに知的で優雅。
手法としては「イニシエーション・ラブ」を思い出すんですけど、白が黒にひっくり返されるという感じではなくて、白と黒が溶け合うような深い陰影と芳醇な余韻をもたらす読後感です。 まさに“文芸とミステリの融合”という言葉に相応しい秀作。
てか、実はこれ2回読みました。 意表を突かれ過ぎて消化しきれなかったので;; 散りばめられた伏線を回収しながら、過剰なまでのミスリードの周到さに舌を巻き、そしてやはり、時代風俗がトラップとして二重三重に活用されている巧妙さに唸らされるのでした。
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明治風物誌 / 柴田宵曲
明治風物誌
柴田 宵曲
筑摩書房 2007-08
(文庫)
★★★★

97のトピックに因んで語られる希代の明治居士による明治の話題。 同時代の小説、俳句や詩歌、随筆などの材料として欠かすことのできない世相風俗を紐解き、作中から明治の風物詩を点出、検証。 市井風景に新趣味を添えた開明の時代の片影が垣間見える・・
と同時に、正岡子規、夏目漱石、森鴎外、尾崎紅葉、樋口一葉、北原白秋、泉鏡花、斎藤緑雨、岡本綺堂といった数多の文人の境涯に触れながら、その面影を生き生きと今に伝える名著です。
予め、ある程度の素養レベルが要求されている(ように思えた)ので、奥が深くて触ることのできないもどかしい部分も残りましたし、ややハイブローではあるかもですが(自分が不勉強なだけ;;)、厳しくも思慮深く端然とした宵曲居士の執筆姿勢は胸に心地よく、私的な感傷や功名心を排することに徹した筆致は、深山の奥の泉のような滋味があって・・ ついていきたい一念で夢中で食いついていました。
維新後、西洋文化が滔々と流れ込むことで新たに加わった語彙のいろいろ。 今とは微妙に異なる用いられ方をした言葉たち。 ハイカラの徒に重用されたステッキや葉巻やハンケチ。 毛筆からペン、万年筆へ、黒い郵便箱から赤いポストへ、煙管からパイプへ、行燈からランプへの変遷。 人力車や凌雲閣やデヤボロのように一時代にパッと咲いて散っていったランドマークや産業、諸道具があれば、石鹸や珈琲や街路樹のように暮らしにするりと溶け込んで定着していったものと様々。
ラムネの壜の形状について、今の人は知らないだろうからと詳しく説明されていたのが意外で、本編が執筆された昭和中期頃(?)に比べると逆に今の方がレトロ・コスチュームを纏った明治のモダーンなかれこれに触れられ易くなってるのかな・・と感興をそそられたり。
コックリさんって渡来ものだったのですねぇ。知らなかったー(そういえば降霊会っぽいよね)。 それに半熟玉子も西洋伝来なんですね。 江戸っ子は半熟の味に目覚めなかったのかー! って辺りでテンション上がっちゃったりして
底に流れる江戸文学の匂いは他に類を見ないと著者に言わせ、お伽噺が童話に代わる直前の、その掉尾を飾る巌谷小波のお伽噺集。 読んでみたいです・・
明治の巡査と言えば屈折していて威圧的で・・みたいなイメージがついてまわるけど、侍から士族に成り立ての一世代目の巡査を“世界で一番完全な警官”と評した八雲の言葉、ペスト菌の犠牲になって殺された鼠の供養のために鼠塚をつくったり・・ 宵曲居士の筆は抑制が完璧で、何かに肩入れするようなところが一切ないのに、なんだか世の中が日進月歩で欧化し、日本古来の様式美が次々と敗北していく中でのささやかな江戸懐古の部分に勝手にピンポイントで過剰反応してたかも;; 文豪たちの愛敬ある逸話や武勇伝のツボりどころは数知れず・・というのはいわずもがなですが。
時代の試練に揉まれて忘れ去られてしまうであろう瑣事に過ぎない風俗の一片を丁寧に拾って気負いなく綴る筆趣、過渡期ならではの珍事や、都人士の耳目を驚かせた新風景のあれこれ、頭を垂れたくなるほどの造詣の深さと卓識で綴られる明治の消息が、ひとつひとつ灯をともすかのように刻まれています。
町 の 柳 十 本 毎 に 灯 を と も す (子規)
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魔法 / クリストファー・プリースト
魔法
クリストファー プリースト
早川書房 2005-01
(文庫)
★★

爆弾事故に巻きこまれて、その直前の記憶を失った主人公の前に、恋人だったと名乗る女性が現れて物語が動き出します。 やがて2人の間に第三者の影がちらつき始め、閉塞的な三角関係がじわじわと陰翳を増していく中、徐々にストーリーは思わぬ方向へ変容を見せ、読者を眩惑の渦に呑み込んでいきます。
メタ小説的な手の込んだ仕掛けを堪能。 全6部のうち、誰がどの語り手(騙り手)になっているかに着目した途端、眩暈と共に物語の深みへと落ちていく感じです。
視覚的関心にはヒエラルキーがあって、見えやすい人と見えにくい人が存在し、うっかり気がつかないなんてことはごく自然な現象なのだと説明されると、もっともな気になってしまいます。 決して見えないけれど確かに存在している“不可視人”とはその究極的な人たちであり、更には周囲の人々を無意識のうちに催眠にかけ自分を見えなくする術を心得ているのだとか。 もしや妖精なんかもこの手合いかしらん。
また、記憶不全を補うために説明のつかないことを説明づけようと、無意識の深い溝から心に投影された断片的アイテムを駆使して作話することで、常に記憶の補完作業を行っているのが人間である・・的な論理は俄かに真実味を帯びて浮かび上がってくるのです。
不可視性には麻薬のような作用があって、この快楽的な刺激感を覚えると真実の自己を見えないように囲い込む行為に陶酔し、その影響力の呪縛から逃れられなくなる・・それは、見たくないものに対して自身を盲目にし、都合のよい、理解しやすいフィクションに書き換えようとする記憶操作にも似ているのだと。
記憶の曖昧さと不可視性をテーマに、“忘れる”ことが“見えない”ことの近似値として作用し始め、重なり合い、存在の不確かさがシュールな幻影のように瞬きます。
秘かな暗示に満ち、技巧的に洗練された物語空間の中で、恋の始まりの高揚感と、恋の終わりの索漠とした心象風景が、傑出した存在感を見せて描かれていたのが印象的でした。
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