スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - |
竜岩石とただならぬ娘 / 勝山海百合
古今の中国や日本の民俗的な土壌を中心に、東南アジアやインドの微風さえ香るアジアン・テイストな怪異譚20篇。
ずっと気にかけていた短篇集でした。 ただ、内容紹介の“中国志怪風”の一語にけつまづいていて(なぜなら知らないからです)、原典に明るくないと楽しめないんじゃ・・と、いつもの悪い癖で悶々としていたのですが、全くの杞憂でしたねぇ。 読み始めたらするすると惹き込まれて、雑念はすっかり霧散していました。
民話調ダークファンタジーの基調を押さえつつも、素材や脚色が多彩です。 どこかで聞いたことがあるような・・的な昔話の素朴さを引き立たせる、さり気ない洗練さ。 民俗的・古典的バックボーンとなる深い素養が創作の淵源にあるのでしょうねぇ。 ご活躍が楽しみな作家さん。
わたしとしては、人の念が絡んだり、暗い叙情が介在する話より、「竜岩石」「山のあやかし」「馬の医者」「媚珠」のような、妖かしや竜や狐が鷹揚と息づくお伽噺風の物語が肌に馴染みました。 もう吸い付く感じ。 フラットでかさついた余韻が逆に滋味深くて・・ 特に『幽』怪談文学賞受賞作の「竜岩石」は、人を喰ったような飄々とした可笑しみを湛えた、なんとも愛嬌のある朗作です。
一方では、陰と陽、湿と乾の風合いが相補的に凝集することで、“東洋的アニミズムの豊かな宇宙観”が陰翳を深めているようでもあり、だからこそ構成としてどの一篇も外せないんじゃないかって気持ちにもなってきたりして。
「猫と万年青」「石に迷う」「竹園」などは、“小説”としての完成度が高く、味わいある作品に仕上げるテクニックを心得ていらっしゃるなぁ〜と思った。 特に「竹園」が好き。 故事の活かされ方なんかにもグッときました。 そして、たった二頁の掌編「白桃村」のなんと美しいこと・・ あとね。 確か「流刑」だったかな。 纏足を広めたのが化けるのに未熟な若い雌狐たちだったって発想にピンポイントで過剰反応^^


竜岩石とただならぬ娘
勝山 海百合
メディアファクトリー 2008-08 (文庫)
関連作品いろいろ

| comments(2) | trackbacks(0) |
変身のためのオピウム / 多和田葉子
ギリシア・ローマ神話に登場する女神やニンフに因んだ22人の“わたし”の分身たちの物語(だと思いました)。
内面に渦巻く想念を22人の女性に注ぎ込んで、どんどん自身は薄くなり最後に消滅しますので、分身といってもコピーではなく(エネルギーの)移動といった方がいいと思うんですが、(勝手な思い込みだったらお許しを)作家が作品を生み出す行為を体現したメタフィクション小説っぽい印象を強く受けました。
“わたし”ことリアル作家(もしくは多和田葉子)の地下トンネル(無意識)に被せられた長い蓋である通り(意識)を抜けて、迷宮の町(脳)から22人の女性たち(作品)を解き放つために、どんだけ脳内麻薬を精製すれば気がお済みになるのですか・・ 所有するものを突き崩し、自身を自身の人生から独立せしめるという一流の陶酔状態を、束の間、追体験させてもらえたような・・ たとえ感応までは無理でも興奮を覚えました。
時空の歪んだ現代ドイツを舞台に、骨董品を売るスキラ、語学教師のクリメネ、踊り子のテティス、詩人のコロニス、デザイナーのゼメレ、美容師のティスベ・・ 22人の女性たちによって徐々に編み上げられていく、極めて輪郭の曖昧な、それでいて精緻で、加えて毒々しいまでに挑戦的で、なのに狂おしいほど詩的な世界の中で、人間や社会の実相と真理の隔たりを圧倒的な感度で哲学してるのです。
後半になるほど(徐々に慣れていったせいかもしれませんが)、元ネタの人物像やメインモチーフが巧みに仕込まれていることに気付かされ、心躍りました。 嫉妬という芸術に熟達しているユノーとか、白いスカートの少女を卒業できないサルマシスとかね。 ゼメレなんて逸話がまんまアレンジされてます。 テティスがイオのベッドで夢中になって読んでいたオウィディウスの「変身物語」が激しく読みたいです。

<おまけ>
本作自体は特に神話中の変身譚を下敷にしているわけではないのですが、変身譚に関係する人物が象徴的に選ばれている感じだったので、原典でどんな風に変身と係わっているのか気になって、各章の主人公22人、ざっと調べてみました。
【レダ】 白鳥に身を変えたゼウスと交わる
【ガランティス】 ヘラの意を汲むエイレイテュイアにイタチに変えられる
【ダフネ】 ペネイオスに願って月桂樹に変えてもらう
【ラトナ(レト)】 里人をカエルに変える
【スキラ(スキュラ)】 魔女キルケに怪物に変えられ、最期は岩と化す
【サルマシス(サルマキス)】 ヘルマフロディトスと一体化して両性具有に転じさせ、自らは消滅
【コロニス】 コロニスの死の原因となったカラスは、アポロンによって羽毛を白から黒に変えられる
【クリメネ(クリュメネ)】 パエトンの母? アトラスやプロメテウスの母? いずれにしても変身譚不明
【イオ】 ゼウスに牝牛に変えられ、後に元の姿に戻してもらう
【テティス】 猛獣や怪物、炎や水に変身してペレウスから逃れようとする
【リムナエア(リムナイエ?)】 ニンフの一人? 変身譚不明
【ニオベ】 ゼウスに願い石と化す
【イフィス(イピス)】 イシスの慈悲で女性から男性へ変身する
【ゼメレ(セメレ)】 乳母に身を変えたヘラに唆される
【セレス(デメテル)】 老女に身を変え放浪する
【ポモナ】 老婆に身を変えたウェルトゥムヌスに口説かれる
【エコー】 自ら声だけの木霊になる
【ティスベ】 死後、ピュラモスと共に桑の木に記標を留める
【ユノー(ヘラ)】 カリストを熊に変える(一説にはアルテミスによる)など
【アリアドネ】 死後、ヘパイストスによってかんむり座に
【オーキュロエ(オキュロエ)】 予言の途中、神々によって牝馬にされる
【ディアナ(アルテミス)】 オクタイオンを牡鹿に変えるなど


変身のためのオピウム
多和田 葉子
講談社 2001-10 (単行本)
関連作品いろいろ

| comments(4) | trackbacks(0) |
園芸家12カ月 / カレル・チャペック
[小松太郎 訳] 1918年から1938年の20年間は、チェコ文学の最も華やかな時代だったそうです。 当時を代表する文化の第一人者であった著者の珠玉作。
ページを閉じてしまいたくなくて・・ いつまでもいつまでも慈しんでいたいような・・ なんかもう、宝物の一冊。
園芸マニアの貪欲で懲りない(しかし愛すべき)生態を諧謔たっぷりに描いた歳時記。 植え付け、植え替え、剪定、苗選び、暑さ寒さや雨風や日射し対策、病気予防や虫退治、土壌の改良・・と、全く気を抜く暇のない一年なのです。
四季は廻り、命は循環し、ゴールというものがありませんが、報われないことだらけでもなんのその。 土いじりへの飽くなき情熱に身を捧げてしまう哀しき性分よ。
花を愛でたり、果実を収穫することが目的というより、そこに至るための苦心惨憺、一喜一憂のプロセスが楽しくて仕方ないみたい。 とっても幸せそうなんですもん^^
もし園芸家がエデンの園にいたら、知恵の木の果実を食べることも忘れ、神様の目を盗んで地面の素晴らしい堆肥をちょろまかせないものかと考えるんです! もし園芸家が自然淘汰で進化していたとしたら、背中を曲げるのは難儀なので無脊椎動物になっていたに違いないし、置き場がなくて足が邪魔にならないように翅が生えていたに違いないのです! もし園芸家が次の世に生まれ変わったら、花の香に酔う蝶ではなくて、大地の珍味を求めて土の中を這いまわるミミズになります!
変化と活気のある創造的な計画でいっぱいの12カ月は、詩情溢れる世界と地続きになっていて、春のオーケストラは芽の行進曲を奏で、雨は銀の鈴を鳴らし、散り残った一葉は戦地に翻る歴戦の旗となって風にふるえ、ダリアの聖人は聖人伝の中で輝いている・・ さざめく自然は空想の翼に乗って軽やかに舞い、小さな庭は瞬く間に魔法の花園へ・・
押しつけがましさのないポジティブ・シンキングが読んでいて心地よいです。 一見、休息や後退のようであっても、それはもっと大きな前進の中に組み込まれた大事な役割の一部であるのだと。 求め続けていられることが命の美しさなのだと・・ 園芸家を通して人生の素晴らしさや、根源的な労働のよろこびを、まるで鼻歌のように謳ってくれているようで・・
生涯の協力者であったというヨゼフお兄さんの挿画と息がぴったり! 更にいえば訳者の小松太郎さんも含めて、なんなんでしょう。 この一体感は!


園芸家12カ月
カレル チャペック
中央公論社 1996-03 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
まほろ駅前番外地 / 三浦しをん
東京南西部のまほろ市駅前で、多田便利軒を営む多田と行天コンビの共同生活2年目の日々。 彼らを軸に、前作の登場人物や、新たな依頼人など、周辺の人間模様を織り交ぜつつ、若干スピンオフしながらの続編です。
まほろという街の魅力と個性的なキャラたちが描き出す、愉快でじんわりと沁みる日常。 勘所の掴みが上手いですねー。 まさに笑いとペーソスの黄金比。
ただ、非常に面白く読めるんだけど呆気なく忘れそうでもあるのが玉に瑕。 更なる続編の腹案をお持ちと見ましたので、非常に忘れたくないです。 小技が多いだけに、こんまいことを憶えているほどニヤニヤできるのが嬉しくもあり悔しくもあり。
行天の奇行と、それに対する多田のツッコミ的独語とか、何事も考え過ぎる鈍チン性分な多田と、考えなしの野生的直感を閃かせる行天の夫婦漫才なみの珍風景が、相変わらず冴えに冴えていて楽しかった辺りは言うに及ばず、今回、ヤクザな星くんの一人称が覗けてほくそ笑みました。 規則正しく裏街道を邁進するイチローも真っ青なルーチンワークっぷり。 多田と星くんは相方の愚痴(てか自慢)で、飲み明かせそうな気がしてならない。 実は類友じゃねーかよw
昔はちょっとしたまほろ小町だったらしい曽根田のばあちゃんと、行天と啓介(多田のファーストネームですw)との三角関係。 ばあちゃんの甘くほろ苦いロマンスは、“コーヒーの神殿 アポロン”が、“カフェー アポロン”だった時代のお話です。
なけなしの休日を行天に振り回されることになった由良公憐れ。 生意気小学生男子の大人びた切なさや、ちゃんと子供なところや、いい子だね由良公・・ってところが満遍なく伝わってきます。
前作でわたしがツボっていた頑迷な岡老人は、今回、夫人の目を通して描かれていました。 男女や夫婦や家族という言葉を超えてしまった同居人愛のような“とても低音だがしぶとく持続する、静かな祈りにも似た境地”。 長年連れ添った岡夫妻の醸し出す機微が素敵でした。 岡の爺さんと行天の掴み合いの喧嘩が笑える。 おまえらも類友w
ルルとハイシー(&チワワ)も健在。 あと外食チェーン店“キッチンまほろ”グループの社長にして妙齢の未亡人である柏木亜沙子さんが初登場。 訳あって要チェック人物です。 ねっ多田くん♪
野郎2人の引き摺る影の部分を、しをんさんは今後どう料理していくんでしょうか。 行天の闇は深そうで気になります・・ でも、岡夫人には“少年時代よりもいまのほうが、ずっと幸せそうに見える”そうですし、きっと、2年前よりもいまのほうが、ずっと・・ なのではないかしら? だといいなーと願います。
ほとんど次回忘れないための備忘録ですね。 これくらいにしとこか。


まほろ駅前番外地
三浦 しをん
文藝春秋 2009-10 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
六枚のとんかつ / 蘇部健一
保険調査員の小野由一が、業務で遭遇した驚くべき難事件の数々を一つの記録に纏めた事件ファイル形式の連作B級ミステリ。 友人で推理作家の古藤に対しては助手役、部下の早乙女に対しては探偵役となって立ち回る自称“社のエース”を軸に繰り広げられる謎解き珍プレー好プレー集。 噂に違わぬ低俗っぷりに感激。 いやほんと、黙殺したい短篇目白押し。(心なし褒めてます)
バカミスという言葉が蔑称ではないように、蘇部さんはこの作品によって、ゴミミスという言葉にある種の市民権を与えた感があります。 はっきり言って玉石混淆なんですが、そんなところも、もしや狙い? って思えるくらい得体のしれないオーラを放っていそうな、いなさそうな。 一種の美学さえ感じたくなりそうな、ならなさそうな。
コスチュームを上手に纏っておられるなぁーと思うのです。 メフィスト賞受賞当時、袋叩きにされたらしいですが、この作品にとってはそれも勲章ではないかと。 ただなー。何かがあと一歩! あと一歩なのよね。 そこを超えたら化けそうなんだけど。 田中啓文さんの「蹴りたい田中」のように。
わたしにとっての一番の玉は「しおかぜ17号四十九分の壁」。 すんごい違和感あったのに、まんまと思い込まされたんだよね・・orz 引っ掛からない(恐らく)多数派にはゴミ以下かもしらんけれども、自分の愚かさに今回ばかりは幸せを感じた。
かなり好きなのが「音の気がかり」と「桂男爵の舞踏会」。 ミステリとしては駄作めながら、バカ過ぎる迷走っぷりに悩殺されました。 で、なまじ冴えた名推理なんか開陳されると、逆に凡作に感じちゃうのは困ったところですが、そんな愁いを突き抜けるように「五枚のとんかつ」と「六枚のとんかつ」の詭計は桁違いに堪能できました。 島田荘司さんの某名作のロジックを踏まえていることを明かした上で、そこに新しい息吹を加えたバリエーションはそれぞれに秀逸。
ってこれ、もう3作目まで出てるんですね。 ゴミミス道を邁進してくれているのか気になります。 自分としては迷走路線強化を望みたい・・


六枚のとんかつ
蘇部 健一
講談社 2002-01 (文庫)
関連作品いろいろ

| comments(0) | trackbacks(0) |
雪だるまの雪子ちゃん / 江國香織
ある吹雪の日、雪ひらに混じって空から降ってきた野生の雪だるまの雪子ちゃんは、雪深い静かな村の外れのごきげんな物置小屋で暮らし始めます。 ちょっぴり怖がり屋さん(野生動物の本能です!)で、頗るおしゃまな雪子ちゃんの他愛ない日々の暮らしの生き生きとした輝きの中には、ほっとするような温もりと凛とした美しさがいっぱい詰まっています。
隣人の百合子さんの家で、そのお友達のたるさんと3人一緒に過ごす夜のひと時、雪と氷をいっぱい入れたたらいの中(指定席!)で、すやすやと寝入ってしまったり、気が向いた時だけ通う小学校のエミラ先生は雪子ちゃんの専用席を用意してくれているし、子供たちと一緒になわとびや雪合戦を初体験したり、覚えたてのひらがなを拾いながら読書(の気分)に浸ってみたり、人間の作った人工雪だるまに驚かされたり、雪ひらのように空を舞う夜更かしのモモンガにシンパシーを感じてみたり、小屋に先住していたねずみたちにビスケットを振舞う気配りをみせたり、休眠中(夏の間は眠って過ごすのです)の雪子ちゃんを心配してそっと覗きに来る百合子さんや、次の目覚めの季節に発見する夏から届けられた贈り物・・
鈍色の空、ひんやりとした月明かり、瑞々しい雪のにおい、凍れる滝、しんと佇む森の樹木・・ 自然界の深遠さと調和し、知らない動物たち(人間という動物も含まれます!)と遭遇しながら、地上に生まれ落ちたことの素晴らしさを小さな体全身で伝えてくれるのです。 生きとし生けるものたちの“今”この瞬間の命が、無性に愛おしくて堪らなくなって、鼻の奥がジンとしてきちゃう。
何気ない会話や小さな仕草のひとつひとつに、江國さんらしい澄まし顔した洗練さが丁寧に織り込まれていて、ハートを擽られまくりでした。 このシーン大好き! の連続です。 単純な“可愛らしさ”だけでは表現しえない山本容子さんの銅版画が、イメージをグンと膨らませてくれます。


雪だるまの雪子ちゃん
江國 香織
偕成社 2009-09 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
ナイフ投げ師 / スティーヴン・ミルハウザー
[柴田元幸 訳] 第3短篇集で、90年代の作品を中心にしたラインナップ。 ミルハウザー的マニアックさが濃厚です。 あとがきで柴田さんが吸血鬼に噛まれることに喩えておられたけれど、いけないものに魅入られてしまうような、ちょっぴり後ろ暗い中毒性に御用心。(逆に全く受け付けないって人も多いかも)
定義を逃れ、制約を解き放ち、安全の境界線を越え、禁じられた領域へと踏み入ることへの畏怖、憧憬、快感、嫌悪・・その狭間のアンビバレンス。 もうそれに尽きる気がします。
ストイックな芸術家が、破滅の暗い恍惚に行き着くまで己の道を突き詰めてしまうようなコンテクストの中で、重きが置かれるのはむしろ“私たち”ギャラリーの心理。 安堵や失望や健全や退屈と、不安や危険や興奮や悦楽を秤にかけ、不穏な苛立ち、秘かな動揺に掻き乱されながら、どこまで異端を許容するか悪魔に試されているみたいな蠱惑に満ち、さらにそこへ、レトロなアバンギャルドへの郷愁めいた、そこはかとないロマンがひたひたと香るのが至妙の芸。
幼年期や思春期の煌めきを掬い取った「空飛ぶ絨毯」や「月の光」のような甘酸っぱい夢想もよかったし、ゴールドラッシュの狂乱の最中の伝説の遊園地を描いた「パラダイス・パーク」(一瞬「マーティン・ドレスラーの夢」の後日談かと思った)のような、くらくらするほどの奇想の立体図を脳内で構築していく愉楽が病みつきになる作品や、からくり芸術の極致を描いた「新自動人形劇場」は圧巻でした。
でも一番のお気に入りはラストの「私たちの町の地下室の下」。 境界のあちらとこちらが、明確な自己の二面性として描かれていて、ここでの解釈は再三提示され続けたアンビバレンスに対する一つの答えかなって思いました。 戻ることの高揚・・それは凡人に授けられた素晴らしい特権なのかも。 生き物のように変容している立体地下迷路を彷徨う人々、小さな町の佇まい、しっとりとした空気の肌合い・・ 恩田陸さんがリスペクトものでも書いてくれそうな魅惑のシチュエーションに首ったけです。


ナイフ投げ師
スティーヴン ミルハウザー
白水社 2008-01 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
山伏地蔵坊の放浪 / 有栖川有栖
山伏地蔵坊の放浪
有栖川 有栖
東京創元社 2002-07
(文庫)
★★

“地蔵坊”と名乗る謎の山伏の探偵譚をお目当てに、スナック“えいぷりる”の土曜の夜の恒例会に集う常連たち。 山伏十二道具を揃えた正装姿の地蔵坊先生が、日本各地を放浪していて実際に遭遇した(という触れ込みの)殺人事件の見聞を、一夜に一話ずつ披露していく連作ミステリ。
シチュエーションとしては「黒後家蜘蛛の会」を連想するんですが、メンバーたちによる談義形式ではなく、殆ど名探偵による独り語りなので、“騙り”の妙味が見え隠れするのが面白いのです。
法螺貝を腰にぶら下げた法螺吹きによる法螺話・・的な眉唾臭をプンプン漂わせているけれど、そこに触れてはならないのが暗黙のルール。 真偽ではなく物語を堪能しようという純心ロマンの気風によって支えられたサンクチュアリ。
因みに地蔵坊先生はダンヒルの煙草と“さすらい人の夢(ボヘミアン・ドリーム)”というカクテルを御所望になるのがお決まり(スタイル重視派ですw)で、常連たちから“寄席の木戸銭”感覚で毎度ゴチられています
初出を見ると90〜93年頃の短篇群。 かなり初期めの作品だったんですねー。 一作目の「ローカル線とシンデレラ」は商業誌に発表した初めての短篇なのだとか。 で、自分はこれが一番好きだったかも。 トリックも手掛かりも舞台背景も、構図がシンプルで綺麗て既に完璧だと思った。
出題編と解答編の間のインターバルのようなかたちで、常連の面々による茶々入れ的な余興が必ず交るんだけど、最終話の「天馬博士の昇天」だけは、「黒後家蜘蛛の会」張りの推理合戦に発展していくサービスが嬉しい。 フェア精神と澄ましたユーモアとファンタジックな余韻に擽られつつ、他愛のない小品に滲み出る作者の力量を見た思い。
| comments(0) | - |
毒入りチョコレート事件 / アントニイ・バークリー
[高橋泰邦 訳] だいぶ以前、貫井徳郎さんの「プリズム」を読んで以来、そのルーツ的作品として忘れ難く脳内にインプリンティングされていて、ずっと心の中で熟成させていた本です。 新装版を図書館で見つけて喜び勇んで借りてきました。
これねー。 未読の方は予備知識なしで読むことをお勧めしたいです。 以下、内容に触れるのでご注意ください。
ロジャー・シュリンガムが主催する“犯罪研究会”の知名の士たちが、スコットランド・ヤードの手に余った難事件の謎解きに挑みます。 一人また一人と6人が順番に自説を披露しては覆されながら、甲論乙駁の推理ゲームが繰り広げられます。
昔気質の弁護士、女性ドラマチスト、皮肉屋の推理小説家、理知的な閨秀作家・・と、探偵志願者たち各々に色付けされた個性によって、論拠の全く異なる6通りの立論と仮説の証明が展開され、何を以って裏付けとするのか? 自論に合わせて証拠事実を歪めてはいないか? 等々、検証眼のスイッチは常にオン。
輪郭線を引いては消し、組み立てては壊しを交互にめぐる道楽者たちの知的推理演習。 成果の実をもぎ取ることよりも、技巧的で多彩な工程を愉しむことに特化した名作古典。
どうやらバークリーは古式ゆかしい探偵小説に限界を感じ、云わば皮肉な意味合いを込めて上梓した節があるようなんですが、アンチ本格というよりは超本格というか・・ 離れ業をやってのけ、逆に新たな道を切り開いたメルクマール的作品として、今も燦然と輝いちゃってるところが皮肉の微笑み返しのようです^^
全然、時間に汚されてないです。 わたしなんか6人の推理のプレゼンに毎回聞き惚れ、会員たちの駄目出しにその都度唸ってました;; 段取りがまた、計算し尽くされているんだよねぇ。 何を誇張し何を隠蔽するかという選択一つで思いのままの説得力が引き出せるって、ミステリに限ったことではなく、奥深くて怖いです。 そこに無防備でありたくはないなと思うのでした。


毒入りチョコレート事件
アントニイ バークリー
東京創元社 2009-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
天才までの距離 / 門井慶喜
天才たちの値段」の嬉しい続編。 美術鑑定ミステリの連作集です。 主役というか、狂言回しとなるアシスト役の佐々木先生が関西の美大に准教授の職を得たことで、東京で活躍する天才美術コンサルタントの神永とは離れ離れになってしまい、もっか“遠距離敬愛”中です。
神永への絶対的な信頼と尊敬が、依存心へと変わってしまうことを恐れつつ、悶々と距離感を模索している佐々木先生の独り相撲的イジマシさに比べると、常に凪のように優雅でニュートラルなイメージの神永ではありますが、わたし前回、美術品の良否・真贋を見さだめる天性の“審美舌”は、実は彼流のハッタリなんじゃないかと勘繰ったことをお詫びします。 誤読でした。 明らかに戦略の一部として役立てることもあるんですが、まずは本当に異才ありきだったんですねー。(だから最初からそう言ってるってばっ!)
舌に甘みを感じながらもその拠りどころが分からずに苦悩する顛末が、今回、描かれていて、しかも経験によって練磨されていく発展途上の能力であるらしいのです。 何を以て価値とするのか、そこにこのシリーズの深いテーマが一貫して流れているのかもしれません。
岡倉天心の直筆画との触れ込みの救世観音図、平福百穂(岩波文庫の表紙デザインで有名な画家)の手になると思しき切り絵、謎多き西洋アンティークの柱時計、牧谿の贋作と目されている水墨画、レンブラントの代表作“テュルプ博士の解剖学講義”の模写絵など。 今回も多彩なモチーフから、それぞれの美術品の存在証明と背景との関係証明という手順を踏んだ推理・鑑定が展開されていきます。 その合間にも、大阪の景観に関する文化的・美術的考察や、紙の発明と伝来についてなど、蘊蓄密度が飽和寸前くらいにてんこ盛りなんですけれど、キャラクターが押し並べてほっこりしているからなのか、論法がすっきりしているからなのか、アイデアの妙味に絆されるからなのか、わたしは凄く居心地がよくて、このシリーズ大好きなんです。 ただ、美術的コア領域以外が大胆に削ぎ落とされているというか、そこが弱いと感じる向きもあると思うので、好みは分かれるかなー。


天才までの距離
門井 慶喜
文藝春秋 2009-12 (単行本)
門井慶喜さんの作品いろいろ
★★★
| comments(2) | trackbacks(0) |