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クレィドゥ・ザ・スカイ / 森博嗣
前作でストーリーに新たな動きを感じて、俄かに色めき立っていた自分が憐れ。 生半可な覚悟で本シリーズを攻略しようとするのは正気の沙汰じゃなかった・・と今更悟った完結巻でした。
病院を脱走し、娼婦の“彼女”を頼るパイロットの“僕”。 2人の逃避行で始まる序盤はまるで、前作のクリタと地続きの物語であるかのよう。 その印象に少しずつ狂いが生じ始めるや、読者はみるみる煙に巻かれていくことに。 混濁した記憶を彷徨い、半ば幻覚の中に生きる“僕”とはいったい誰なのか・・?
クリタ、クサナギ、カンナミ。 三者の心と体の在処を、どう辻褄合わせしたらいいか・・ 三者が実体を伴って同フィールドに存在する以上、なにかしらエネルギー移動の公式が成立するのかもしれませんが、完全に白旗です。
ただ漠然とですが、上澄みとなって空へ向かうカンナミと、沈殿物となって地上に残る新クサナギとに分離して、旧クサナギ(≒クリタ)は消滅・・みたいな構図が、もやもやとした観念として脳内を駆け廻るのです。 空と地上の狭間で、引き裂かれるほど軋んでいたクサナギの自家撞着は、ここに帰結するほかなかったのかもしれないと思うと複雑な想いに苛まれる。
あっさりと地上を切り捨て、無心に空へと飛翔するカンナミには、魂を持っていかれそうなくらいゾクっとくるけれど、それはもはや、人間性を限界まで削ぎ落とした異形の美しさなのだと思いました。
わたしは体温が愛おしい。 捻くれ者なのかもしれないけれど、キルドレたちが捨てきれなかった人間味の欠片の方へと心が傾斜していくのを止められなかった。 ティーチャに憧れ、ササクラに甘えたあの日のクサナギを抱きしめたくなる・・
まるで百年シリーズと表裏を成すように、人の尊厳という遠大な哲学を位相を変えて描いておられる・・そんな印象を受けたシリーズでした。 精神と肉体、生と死というテーマを与えられながら、潔癖な空での崇高な死を希求するキルドレたちと、地上の穢れの中で生を滾らせる傷だらけのミチルは真逆なのに、張り詰めたいたいけな輝きが何処か似ている。

<後日付記>
三者を同一個体内の人格として捉えると、わかり易くはないだろうか。 結局クサナギは「スカイ・クロラ」のラストで、自分の中の重荷を圧殺し、完全に地上からの離脱を遂げたということではないのか・・そんな構図が見えるような。
と、「四季 春」を読んだ後に、はたと思い至りました。 だとすると、旧クサナギがクリタと中間クサナギに分離し(この時はまだ不完全)、両者それぞれが更にカンナミと新クサナギに進化して完全なる分離を果たしたということ・・か? いわゆるスペキュラティヴなSFだったというオチ?
クサナギと真賀田四季に触れるとやはり、位相を変えて同じテーマを描いているんだなーと感じずにはいられないです。 人間というカリキュラムから脱却した者の美しさや畏れ、そこはかとない哀しさ・・


クレィドゥ・ザ・スカイ
森 博嗣
中央公論新社 2008-04 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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怖い絵 2 / 中野京子
絵画の中に“怖さ”を探る絵画鑑賞の手引本、第二弾です。 採られている20点の中には度々目にする名画も多く含まれているにも係わらず、歯がゆいことに自分独りでは、捉えどころのないモヤモヤ感や言葉にならない感情を持て余すばかりで、漠然と眺めることしかでないのだけれど、それが中野さんのナビゲートによって(あくまで中野色に)一変する瞬間が堪りません。 時代特有の価値観、モチーフに込められた寓意、画家の業・・ 様々な角度からのアプローチで、一枚の絵が忽ち生気を帯びて異様なまでの存在感で迫りくる感覚が病みツキに。
真摯な考察と豊かなインスピレーションや想像力を手掛かりに、絵画への感興を止めどなく膨らませてくれる、この魅惑のシリーズを糸口に、いろんなナビゲーターによる“ひとつの見方”をもっともっと体験してみたいなーとスケベェ心がムクムクと。
一番衝撃的だったのがヴェロッキオの「キリストの洗礼」。 まるで心霊写真のようだ。 絵という舞台の隅に紛れ込んだ本物の天使は、人間の演じる天使に何を囁いているんだろう。
大地に根差した清貧さに魂が浄化されるようなミレーの「晩鐘」。 この絵の何処に何故、ダリはいったい恐怖を誘発されたのだろうか。 おそらく誰にも未来永劫わかり得ない感覚だけに、“情動反応を惹き起こさせる何が”が底知れず怖い。
西洋の歴史、文化史的な興味も尽きません。 ジェラールの「レカミエ夫人の肖像」からは、革命を境に激変したフランス女性のファッションが訴えかけてくる声にならない抑圧の実相、レンブラントの「シュルツ博士の解剖学実習」からは、医学の進歩という人類にとっての明光の裏に張りつく闇の深さ・・など、踏みにじられてきた人間の尊厳が、様々な形で絵の中に宿り、残されていて、それらが語りかけてくる言葉に耳を傾けるような思索、論考の根幹には、熱いヒューマニズムを感じます。
ハントの「シャロットの乙女」、ルーベンスの「パリスの審判」は、どちらも神話(伝説)を題材にしていますが、世界が変貌するまたとない瞬間を捉えていて強く惹かれます。 個人的にはこの部類が好きっぽい。 ベックリンの「死の島」も好き。 どの絵が好きか(飾りたいか)と問われれば、怖さの中にもロマンを感じさせてくれるものしか挙げられないけれど、人間が地球に刻んできた足跡の途方もなさを理非を超えて噛みしめてしまう充実と虚脱の読後感。 その中で、我関せずとばかりに飄々と異次元を独走するエッシャーの無機的な質感にゾクっとしたり。 表紙は一度見たら忘れなれないアルノルフィニ氏。


怖い絵 2
中野 京子
朝日出版社 2008-04 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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ヒストリー・オブ・ラヴ / ニコール・クラウス
[村松潔 訳] 一篇の物語が時空を経て人々の魂の遍歴をめぐり、やがてそれら人生が交差し、響き合っていく・・ 愛と生命へのイノセントな賛歌だなぁーと感じました。 こんなにストレートに謳いあげていても気恥ずかしさを超越して様になってしまうところが凄いというかなんというか。 翻訳ものならではの洗練されたウィットが良いフックになってくれて、作品を愛らしく凛々しく躍動させていたような印象。
ナチスのポーランド侵攻を逃れてアメリカに渡り、人生の最晩年を迎えている老人のレオ・グルスキ。 同じく南米に渡ったポーランド移民で、“愛の歴史”という一冊の本を世に残したツヴィ・リトヴィノフ。 そして、その“愛の歴史”の作中に登場する女性に因んで名付けられたアルマ・シンガーという14歳の少女。 三つの独立したストーリーが並走しながら徐々に収束し、全体の輪郭がくっきりと像を結んでいく構成も非常に吟味されていてそつがなく、ストーリーがギアチェンジを始め、ドラマの奔流へと漕ぎ出す終盤はページを繰る手が止まらなくなりました。
アルマ・シンガーのようなオマセな小娘って、江國香織さんの小説に出てきそうだなぁーと思っていたら、訳者の村松さんが解説で「地下鉄のザジ」をあげてらして、そか、(もしかすると江國さんも含めて)原点はそこなのかも・・と感じ入ったり。
アルマは母と弟と3人家族なのですが、病気で命を落とした夫であり父親である人物の不在に、三者三様の流儀で絡め取られて生きていて、「神様のボート」のような空気感なんです。 夫の思い出の中で完結して生きているお母さんは、もうすでに静かな狂気の世界の住人なのですが、確固たる何かを求めるかのように自分のルーツに拘ろうとするアルマや、偉大な父の息子であろうとするあまり、自身をユダヤの救世主と考える弟のバードには、懸命にこちら側で生きようとする張り詰めたバイタリティが漲っているかのようです。
そして、アスファルトの下に埋もれた土のにおいへの郷愁のような・・グルスキ老人の泥臭く滑稽な悲傷と、塗り固められた凄絶な孤独、死を覚悟してなお繋がりを希求して止まない命の血潮を描く筆致もまた素晴らしかったです。
彼ら彼女らがラストに見せてくれる絶品のハーモニーと、喪失の痛みに優しく降り注ぐ奇跡の中の魂の輝きに、怯まず素直に酔うことができました。


ヒストリー・オブ・ラヴ
ニコール クラウス
新潮社 2006-12 (単行本)
関連作品いろいろ

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きりきり舞い / 諸田玲子
小町娘と持てはやされてきた十返舎一九の娘の舞も、気付けば婚活ラストスパート(?)なお年頃。 嫁き遅れてなるものかとばかりに虎視眈眈と玉の輿を狙っているのですが、思わぬ茶々や横槍が入って難行苦行。 さてその前路は如何に。
大ヒット作「東海道中膝栗毛」で一躍名を挙げてから書きに書きまくり、江戸で唯一の専業作家となった当代人気戯作者の十返舎一九ではありますが、一家は銭に窮する貧乏暮らし。 そこへ婚家を飛び出した北斎の娘のお栄が転がり込み、得体のしれない浪人者が居候し、我が物顔でのさばり始める始末。
長年の大酒が祟ってそろそろ身体に支障を来たし、偏屈や癇癪持ちに磨きのかかる一九を筆頭に、さながら奇人屋敷の様相を呈する我が家で、舞の過ごす“きりきり舞い”の日々。 パワフルで朗らかで気軽に楽しめるサクサク本。
常人離れした絵師も戯作者も、身内にとっては厄介な生き物に他なりませんが、そこを超越した家族や父娘の慈しみが、湿っぽくならずにサラッと温かく描かれていて、筆にも安定感があって、良質だと思いました。
筋立ての中で一九の前半生や出自の謎が紐解かれていくのですが、小田切土佐守との関係が 「そろそろ旅に」とは、また違った説を採っていて興味深いです。
そういえば、北斎が吉良家の剣客であった小林平八郎の子孫だと自分で(笑)言い触らしていた史実に絡んだ小粋な怪談話が盛り込まれているのが高ポイント♪ (希代の引っ越し魔で居所知れずの北斎は、影や噂だけで実際には登場しなかったのがちょっと淋しい・・)
ただね。個人的にはキャラが微妙。 お栄に萎えてしまったのが痛かった。 いや、これはこれでありなんだと思うんだけど。 杉浦日向子さんや山本昌代さんの洗礼を浴びた身には、プシュ〜っといろんなもの(あからさまなファザコンぶりや、子供じみた意固地さ、いぢましさとか・・)が滲み出し過ぎるのが気に障ってしまいました。
秘めた情熱の凄まじい抑圧によって、不細工でも底知れない色香が漂う、徒で伝法で投げ遣りなお栄ちゃんに恋しているので・・


きりきり舞い
諸田 玲子
光文社 2009-09 (単行本)
関連作品いろいろ

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小川洋子の偏愛短篇箱 / アンソロジー
奇・幻・凄・彗の4つにカテゴライズされた小川洋子セレクト16品が仕舞われた収集箱・・というより、まるで秘蔵の標本箱。 息を止めるほどの繊細さでそっと引き出しを開けて、仕切りの中に一つ一つ謹直な面持ちで並んでいる品々を、特別に矯めつ眇めつさせてもらったような・・ちょっぴりvipな気分に浸っています。
少年・少女、臓器・臓物、昆虫・動物、小部屋といった、長年拘り続けてきたキーワードが散りばめられている、と仰るとおり、小川さんの醸し出す空気の端緒が、匂やかに揺蕩っていたり、ドキっとする形で潜んでいたり。 不安定で歪なのに、奇跡的な均衡を保って凛と佇んでいるような・・そんな孤高の気配も、どこか小川作品と共鳴しているように感じられるのでした。
数少ない既読作品のうちの一作「件」が何をおいても好きです。 読めば読むほど好きになってしまいます。 今回初めて出逢った多くの作品も、時間を置いて再読したら、もっと好きになってる予感がしてならない。
心静かに打ち震えた「二人の天使」、じんわり変容していく不条理に恐怖した「お供え」、心の深部の壊れやすい領域を間断なく射抜かれた気がした「兎」、苦悶の表情に刻印された無常観に胸を締めつけられる思いがした「押絵と旅する男」など、特に強く魅せられました。
一篇ごとに小川さんによる解説エッセイが付載されているのがまた美味で。 興を削ぐようなぶしつけものではなく、イメージの喚起を促してくれる深みのあるナビゲート。 小川流の個性的な目のつけどころにも唸らされます。 上手く掴めなかった「花ある写真」は、解説エッセイを読んでから再読してみると、小説世界の異様な鮮烈さに眩暈を覚えたし、「雪の降るまで」は、自分の読み込みの浅さ(というか尻の青さ)に涙したくなりました。 でも感動的な経験。

収録作品
【奇】
件 (内田百けん)
押絵と旅する男 (江戸川乱歩)
こおろぎ嬢 (尾崎翠)
兎 (金井美恵子)
【幻】
風媒結婚 (牧野信一)
過酸化マンガン水の夢 (谷崎潤一郎)
花のある写真 (川端康成)
春は馬車に乗って (横光利一)
【凄】
二人の天使 (森茉莉)
藪塚ヘビセンター (武田百合子)
彼の父は私の父の父 (島尾伸三)
【彗】
耳 (向田邦子)
みのむし (三浦哲郎)
力道山の弟 (宮本輝)
雪の降るまで (田辺聖子)
お供え (吉田知子)


小川洋子の偏愛短篇箱
アンソロジー
河出書房新社 2009-03 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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黄昏たゆたい美術館 / 柄刀一
[副題:絵画修復士御倉瞬介の推理] 「時を巡る肖像」の続編。 しっとりと静かで濃密な雰囲気が継続されていて嬉しいです。 瞬介の身近で起こる剣呑な事件と、絵画ミステリとを有機的に絡めた連作集第二弾。
現実の事件と関連性の深い名画や画家の背景分析を通して、双方の謎が焙り出され、論理的整合性と暗示的な寓意性を以てシンクロしていく過程と、そこから燃え立ち現われる心象風景が、叙情的に収斂していく幕切れの美しさが見事。
そしてやはり、肝である絵画ミステリ部分の大胆な仮説が読ませます。 15世紀に活躍し、絵画に変革をもたらしたといわれる北方フランドルの画家、ヤン・ファン・エイクの野心、“白の時代”から“色彩の時代”を経て最後に遺された2枚の絵に至るユトリロの変化と無変化、ゴッホの耳切り事件と自殺の真相・・など。
精神の深いところでの苦吟、芸術家の魂の震えが幽気となって空気に溶け込んでいるような玄妙さを堪能。 信貴山縁起の“延喜加持の巻”を強く意識した追従的作品として発見されたという想定の“凌・延喜加持の巻”なる巻物に込められた驚くべき真意には鳥肌ものでワクワク♪
愛妻のシモーナを失くして忘れ形見の幼い圭介と暮らす日々・・ この辺が設定オチになってなくて、妻を母を亡くした父子の親密さが引き続き丁寧に織り込まれているのも好感触。 喪失の傷が優しい陰翳のヴェールとなって全篇を覆っているようで、キュンとなっちゃうんです。 ここ、柄刀さんの乙女ポイントです^^


黄昏たゆたい美術館
柄刀 一
実業之日本社 2008-07 (単行本)
関連作品いろいろ

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フラッタ・リンツ・ライフ / 森博嗣
前作で幾分気持ちが失速したんですが、ここへ来て、やっと全体像の輪郭(の手掛かり)が見え始め、テンションも上向き。 
一作目の「スカイ・クロラ」でカンナミの前任者として仄かに影をチラつかせていたクリタ・ジンロウが今作での“僕”。 パイロットと指揮官を兼任するクサナギは、空への想いと裏腹に、徐々に地上勤務へと比重を移すことを求められ、ますます心を疲弊させていきます。 追い打ちをかけるように、キルドレの存否に係わる相良博士の発見によって、自己の尊厳を維持するギリギリの領域まで追い詰められていくクサナギ・・
癇の強いクサナギに対して、ギスギスしたところのない育ちの良さを窺わせるクリタ。 でも二人の本質は痛いくらい同じ。 キルドレとしてのアイデンティティを懸命に守ろうとする強い自意識によって、切々と磁石のように惹き合っているような印象を受けるのです。 自意識そのものが希薄なカンナミと、そこが対照的に映る。
クリタとクサナギ、そしてカンナミとの関係性が、暗示的に描かれている気がしてならなかったのですが、核心を掴むことがでぎずにいる感覚がもどかしく、早く次作を読みたくて堪らない。
車、バイク、ラジオ、タバコ・・そしてプロペラ飛行機。 レトロなメカへの愛着ある景観やディテールと、遺伝子操作が誘起するSF的な倫理観。 一見ミスマッチなソフトとハードが独自の親和性をみせるダンディズムと詩情の饗宴・・ 森さんにしか絶対描けないと思わせる渋くて透明な世界にブレはない。


フラッタ・リンツ・ライフ
森 博嗣
中央公論新社 2007-11 (文庫)
関連作品いろいろ

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ジパング島発見記 / 山本兼一
日本におけるイエズス会の布教史「日本史」を残したポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが、正規の記録に書ききれなかった個人的逸話を、執筆欲の趣くままに綴った・・という体裁の銘々伝風連作集。 西洋人の眼に映った16世紀後半の日本ったら、それはそれはエキゾチック! ゾクゾクしました。
種子島に漂着した3人のポルトガル人によって鉄砲が伝来され、同時に西洋人にとって半ば伝説の島であった日本が“発見”されると、以来、大航海時代の気運に乗って、リスボンから出帆した冒険家や商人、宣教師たちが、折しも戦国只中の最果ての島国に降り立ち、足跡を刻みました。
様々な想いを抱え、遥か東方への旅を決意した各章の主人公たち7名の内面の葛藤や、個々に育んだ日本観を追いながら、室町末期から秀吉天下まで、緩やかに時を下ります。 むろんフィクションが存分に配合されているとはいえ、フランシスコ・ザビエルはもとより、脱走兵のゼイモト、冒険商人のピント、南蛮医のアルメイダ、日本布教区責任者のカブラル、東インド巡察師のヴァリニャーノ・・と、みんな実在の人物なのですねー。
広大なユーラシア大陸の西と東。 美意識の違いや、習俗の特異性を目の当たりにしたカルチャーショックたるや・・想像するに難くありません。 “わざとヨーロッパとは反対に発達した文明のよう”に映ったのも無理からぬことだったでしょう。
そんな中、同化主義を重んずる者、頑なにヨーロッパの流儀を守ろうとする者、日本の文化を好意的に捉えようとする者、そのあまり美化する者、下等民族として蔑視する者、性質の違いを在りのままに受け入れようとする者・・ 誰もが、人間の紡ぎ出す虚飾なしの血の通った物語を生きていて、じんわりと胸に落ちます。
狐憑きに聖水をふりかけ、銀の十字架を突きつけて“悪魔払い”を施すというシチュエーションが^^ ジャポン島には最大の悪魔である釈迦を筆頭に、背筋がそそけ立つおぞましさの不動明王や千手観音という悪魔や、そればかりが八百万匹の有象無象の悪魔が跳梁跋扈しているのだから、迷妄の闇は深く、なればこそ神の恩寵を伝えなければ・・と、布教に励む宣教師たちの姿そのものが何気に珍風景ではあるのだけども、信念や価値観と絶えず心の最前線で対峙している、ひとりひとりの純然たる躍動を思い知る・・そんな感慨がありました。


ジパング島発見記
山本 兼一
集英社 2009-07 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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世界音痴 / 穂村弘
人間が自分可愛さを極限まで突き詰めればどうなるのか、自分を使って人体実験をしている38歳の頃の穂村さん。 本書はその報告書だそうです。
凄いね。自分マニア^^ 大人少年節全開のエッセイです。 社会の中の自然のルールと自意識との間に生じる齟齬を捏ね回す情熱に溢れておりました。
狙いすましてご自身を追い込んだり、作家ですから当然芸達者な部分はあろうかと思うけど、中二の頃の硬度や純度や密度をここまでキープしようとなさるキラキラ信奉っぷりに若干ビビりつつ、自分に熱中するにもほどがある的なエネルギーの使い道に感服しますw それだけ一瞬の感度を大事にされているんだろうなー。
穂村菌の恐るべき感染力の所以が何となくわかったかも。 自己諧謔や自己相対化の武装が完璧なので厭味がないし、自分を弄り倒す一人SMチックなドギマギ感もちらり・・みたいな。 痛いところにすり寄って、擽りのめす術に長けたスマートさと、世界の中心で孤独を叫ぶような青臭さを併せ持つ、歌人らしい感性を迸らせた自意識遊戯の書です。
最初のうちは沸点の低い笑いに結構ツボってたんだけど、すぐにお腹いっぱいになっちゃった。 ちょっと喰いつきそびれたな。わたしは^^; ごめんなさい。媚態を感じちゃうんだよね;; 自分だけはあなたをわかってあげられる! って気にさせられそうなところがジゴロっぽくて。 ま、それも可愛いんだけど。 こういう男はモテるんだ。


世界音痴
穂村 弘
小学館 2009-10 (文庫)
関連作品いろいろ


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ケルト妖精物語 / W・B・イエイツ 編
[井村君江 編・訳] アイルランドの農民や漁夫たちに連綿と受け継がれてきた土着的な民話や、それに基づく伝承物語を、イエイツが蒐集、編纂、大系化してまとめ上げた二冊の書の中から、“妖精譚”を選出。
創世記の戦いに敗れて、海の彼方と地下に逃れたダーナ巨人神族は、次第に敬われなくなり、人々の想像の中で小さくなっていったといいます。 伝承の世界へ移行したそんな異教の神々を、妖精たちの末裔と捉えるのがアイルランド人の妖精観なのだそうですが、同時にキリスト教においては、“救われるほど良くもないが救われぬほど悪くもない堕天使”として位置づけられているのだとか。
本書を読んだ門外漢のわたしの第一印象は、キリスト教の検閲が邪魔臭いなぁ〜というものだったんですけど、考えてみれば当然のことで、排斥を免れ、分ち難く共存してきた奇跡に目を向けることにこそ、意味があるのですよね。
何にせよ、19世紀、文芸復興運動の動力となり、後に陸続と構築されていくケルト民話的世界観に礎石を据えたイエイツの、卓出した仕事に感謝を捧げたい。
概ね、善人には善をもって報い、悪人には悪をもって報いるけれど、非常に気紛れで節操がないのが妖精の特徴的生態。 “群れをなす妖精”と、“一人暮らしの妖精”とに大別されます。
前者の代表格は、茨の茂みや円型土砦(ラース)に棲息し、一般的にシーオークと呼ばれる小妖精と、水の妖精メロウ(いわゆる人魚)。 概して温和なようですが、シーオークは時々、取り替え子(チェンジリング)をやらかす悪癖があったり、雄のメロウは不細工なので、雌のメロウはしばしばハンサムな漁師に恋をするのだそうです。
後者の妖精たちは性悪なのが多いみたい。 片足ばかり作る靴職人のレプラホーン、鳥や獣に変身して酔っ払いにちょっかいを出すのが大好きなプーカ、一族の者の死を悲しんで泣く家付きの妖精バンシーなどなど。
わたしのお気に入りは、“月曜、火曜日〜”と繰り返し歌っていたら、その途切れ目で、“それまた水曜日”と、人間に合いの手を入れられて御満悦になってしまった妖精たち^^ この話、ケルト版「瘤取り爺さん」なのも面白い。 類似といえば、妖精の名を言い当てることがキーとなって幸運を呼び込む糸紡ぎの話があって、グリム童話の「ルンペンシュティルツヒェン」を思い浮かべました。
惜しむらくは、説話風に整えられている部分に気を取られてしまったせいか、本来の民話の持つ、粗削りで残酷な魅力や不条理感が打ち消されているように思えてしまって、期待よりは奥行きを感じ取れなかったんだよね。 いや、でもこうやって生き残ってきたんだなぁ〜としみじみ。 歴史的背景を鑑みれば興味深いし、大変感慨深いのですけれど。


ケルト妖精物語
W・B・イエイツ 編
筑摩書房 1986-04 (文庫)
関連作品いろいろ

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