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怪奇な話 / 吉田健一
著者最晩年の短篇集。 「生き屏風」を読んだ時に解説の東雅夫さんが、確か、同じ係累の作品に挙げておられた本なので、期待値がん上がりで手に取りました。 東さん・・うらめしや。
挫折しそうになりながら、執念で通読しました。 今、気持ち的にテンパッていて集中しきれなかったからなのか(言い訳臭い)、文章が咀嚼できなくて辛かった。
こういう表現が適切かどうかも不明ですが、手強い仏文学の訳書でも読んでるみたいな文体なのです。 微妙に崩れた(と感じさせる)回りくどい長文の高説に悪酔いして、想念の海の真ん中で沈没した短篇もあったし、馴染みのない受動と能動の言い回しや、指示代名詞の氾濫に殺意をおぼ(ry・・ いや、あの、比喩的にそのくらい苦痛な短篇もあったり;; でもそこを耐えて読んでいると、不思議なもので、この慣れない“真性インテリジェンスな味”に、少ぉーしだけフフンって思える瞬間が訪れたりもして・・ 文体に馴染めれば、相性そう悪くない気もするんだけど。
内容としては、不可思議な事象に遭遇したり、化かされたり、魅せられたり。 まさしく“怪奇な話”が9篇収められています。
常識として怖いということになっている未知なるもの(こと)に対峙した時の主人公たちには、酔狂でそれらと交歓してしまうくらいの余裕があります。 一見、淡々と飄々と、何食わぬ素振りで描かれていきますが、実は強いメッセージ性を秘めてる感じ。 無知がもたらす闇の恐怖からの脱却・・みたいな。 呑まれるのではなく、あくまでも対等に怪奇を享受する精神。 知れば知るほど知り得ないことの多さを知る・・その先の怪奇こそが高尚なる怪奇というものだ・・的な。
比較的読みやすかった「山運び」が一番好きです。 どこか英国風ユーモアが漂っていて、魔法使いも召使の小悪魔もチャーミングだったし、人が(傍から見て)意味のないことに心血を注ぐ時、その内面にうねる小宇宙の美風を垣間見せてくれて。
「化けもの屋敷」も好み。なんて逆説的なタイトル。 あと、北陸の宿屋で、女の幽霊としっぽり酌み交わす男の内面を追っていく「幽霊」もよかったな。 あるかなしかのとぼけた風情が何とも言えず。 ある意味アンチ怪談話。
いってみれば、どの短篇も従来の怪談話を裏返してしまうような色合いがあります。 抒情とか鳴り物とか先入観の一切合財を遮断し、誰とも共有し難い、主人公だけの熟成された精神からこぼれ落ちた観念の発露であるかのような怪奇として描かれています。 それは、拡がった我が身の一部に属するものであり、怪奇にして怪奇にあらず。 誰にも確かめようがないのだから・・
バタ臭くエスプリの効いた70年代頃の文学の香りが濃厚なので、素養がある方には、逆に凄くフィットするかもしれないです。 結局のところ、作品に鑑みて、あまりにわたしが不案内に過ぎたということに尽きるのですが、いい経験になりました。


怪奇な話
吉田 健一
中央公論新社 1982-01 (文庫)
関連作品いろいろ

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セロ弾きのゴーシュ / 宮沢賢治
生前に新聞・雑誌に発表された作品を網羅しつつ、数少ない未発表完成作といわれる「セロ弾きのゴーシュ」を加えて編纂された11篇。 更に「グスコーブドリの伝記」の草稿的作品2篇が付録として収められています。
注文の多い料理店」収録の9篇と合わせて、賢治の意志で公表された童話はこれでもう全部なのですね・・
オールタイムズ・マイベストの「やまなし」を始め、大好きな「雪渡り」と「シグナルとシグナレス」が入ってました♪ 初めて読んだ中では、「北守将軍と三人兄弟の医者」と「朝に就いての童話的構図」というマイ宝石を発掘。
川の底から見上げる透き通った水面に青白く燃える波と、差し零れる月光の揺らぎ。 乳色にけむる霧や露の飛礫、植物の忙しない呼吸音をミクロの眼差しで感受する苔むす林の朝。 木や電柱の肌をかすめる風のそよぎや、銀の百合のように雪の地面に咲く木漏れ日・・
死んだらイーハトーヴに行きたい・・と、ふと思い廻らしている自分がいる。 わたしの中で賢治はもはや宗教のようになっちゃってるのかもしれないんだけれど。 彼の愚直なまでの理想主義は、どこまでも現世の寒村に対してロックオンされていたのだということに、切々と打ちのめされる。
言葉が見つからないんだけれど、社会生活で当然の如くに抑制している自分の中のラディカルな一面がピカッと目覚めてしまう感覚とでもいったらいいのか。 だからわたしは賢治を読むと癒されるというより、熱くなって苦しくなって泣きたくなって、いてもたってもいられないような激しさに突き動かされてしまうらしくて・・やばい。


セロ弾きのゴーシュ
宮沢 賢治
角川書店 1996-05 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★★
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かのこちゃんとマドレーヌ夫人 / 万城目学
ティーンズ系(?)の新書レーベルから刊行された万城目本ということで意表を突かれましたが、大いに満足を得た一冊です♪ 子供に楽しんで読んでもらいたいし、密かにやさぐれハートに効くね。これは。 大人に奨励したくなるなー。
日々のささやかでかけがえのない出会いと交流と別れの感光がギュッと詰まったファンタジック・ストーリー。 こんなキラキラした欠片の一粒一粒を心に蓄えながら、かのこちゃんは素敵な大人になっていくんだろうなぁ。
有閑猫たちの集会風景で始まるプロローグを読んでいると、微妙に意味不明な記述に出くわします。 猫にとっての“外国語”? マドレーヌ夫人の“ご主人”? ふふ。読み進めるとすぐに謎が解けるんですが、やはり策士ですねー。 もうこの時点で掴みはオッケー。
親指のおしゃぶりを卒業し“知恵が啓かれ”始めた小学校一年生のかのこちゃんと、ゲリラ豪雨の最中にやってきて、かのこちゃんの家に住み着いたアカトラ猫のマドレーヌ夫人を軸に、“刎頸の友”となった同級生のすずちゃんや老柴犬の玄三郎を交え、さらに身近の人々や犬猫が輪を成すように繋がり合って、微笑ましくも、思い返せばしみじみと噛みしめてしまいそうな・・ 小さな日常が刻まれていくのです。
タイトルロールにもなっている一人と一匹の関係性をことさらに描かないところがいいんだなー。 べとつかない距離感と気遣い合う優しさのバランスが心地よいの。 生活の中に和っぽい渋さが何気に溶け込んでる感じもよいし、細目描写の端々に散りばめられたユーモアや可愛らしい仕草から引き出される生き生きとした光景にキュン!となる。
成長物語、友情物語、異種婚姻譚、報恩譚・・ 様々な要素が愛というキーワードで手を取り合っているのに、気負いを感じさせない軽やかな息遣いが好き。
そそ、かのこちゃんのお父さんはアレと話をしたことがあるらしいし、亡くなったお祖母さんの枕元にはアレが立ったことがあるらしいです♪ 万城目ワールドは地続きなんですね。きっと^^


かのこちゃんとマドレーヌ夫人
万城目 学
筑摩書房 2010-01 (新書)
関連作品いろいろ
★★
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狂った旋律 / パオロ・マウレンシグ
[大久保昭男 訳] ロンドンの楽器オークションで、17世紀の名工の手になるヴァイオリンを落札した第一の語り手のもとを唐突に訪れた音楽愛好家は、思い詰めた面持ちで、落札品を言い値で譲って貰えないかと持ちかけます。 そして問われるままに、当の名器の持ち主だったという流れのヴァイオリン弾きと出逢った、一年前のウィーンでの不思議な体験を語り始めます。 話しはやがて、音楽愛好家が聞き継いだヴァイオリン弾きの身の上話へと移行し、物語はいよいよ真打ちの語り手へとパトンパスされて・・
一人称の入れ子構造によって、話者を転じながら階層を深部へと遡行し、1930年代のウィーンで、ヴァイオリニストを志した青年の数奇にして過酷な運命に行き着いたところで根幹を形成し、終盤で再び表層へと浮かび上がってくる構成が光ります(カノンの様式をイメージしているらしい)。 久しぶりに物語小説の旨味を存分に味わった気分。 軍靴の足音に逼塞する音楽の都の、陰翳に富んだ時空を描き出す繊細な筆致に満ち足りた思いです・・とても。
以下、未読の方はご注意を! 自分は若干の予備知識持ちだったせいか、ミステリ風の技巧的な仕掛けには、途中で(期待を込めて!)想像が及んでしまったんだけど、そのために作品が貶められることなど全くなかったです。 圧殺された感情の渦。そこに刻印された悲壮な狂気と、ロマン的ペーソスに突き動かされ、きりきりと疼き、泣けてきてどうしようもなかった。
とても気になる一点において、その核心が明かされることはないのですが、霧の中の薄明かりを頼りに、秘密めいた観念の残り香と謎を咀嚼し、あてどない思索に耽る余韻のひと時がまた格別でした。
演奏が終わる度に、一曲一曲は儚く消え去ってしまうけれど、その一方で、永遠の不滅をも想起させる音楽という芸術に、重ね合わされる人生の本質とはいったいどんなものなのか。 血統によって永世を得ようとする精神の高揚と破綻・・ この物語のカインが背負った十字架には、どこか・・ナチズムの潮流が投影されているようで、胸が締めつけられた。 あー、この表紙、釘づけになる・・


狂った旋律
パオロ マウレンシグ
草思社 1998-12 (単行本)
大久保昭男さんの翻訳本などいろいろ
★★★
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交換殺人には向かない夜 / 東川篤哉
関東の某所に確かに(笑)存在する町、烏賊川市を舞台にしたユーモア本格ミステリのシリーズ4作目。 といっても今回は、隣接する猪鹿村山中の豪邸と、奥床市の高原の別荘地と、二手に分かれた探偵チームが、縄張り外(?)でそれぞれ事件に遭遇。 はたまた刑事チームは、烏賊川市内のシャッター商店街の片隅で起こった刺殺事件を追っています・・ふふ。 タイトルにもなっている“交換殺人”がメインモチーフですからね。ふふ。
今回のトリックは、論理というより意外性寄りかなー。 一家言持った純粋主義者さんには、物申されそうなギリギリ感のあるほにゃららマジック。 その分、シリーズ中ピカイチで華があったと思う。 単なる山勘なんだけど、序盤で薄々感づいてしまったんだよね。へへ。 そしたら見事にその上をいかれた・・orz 自分はこういうサプライズ系も好きです♪
ドタバタ劇さながらのクライマックスから、パタパタパタパターって、風呂敷を畳む軽快な音が木霊するような終盤の解決篇が小気味よい。 エピローグで披露されるそれぞれの落とし処がまた憎いっ!
密室の鍵貸します」を読んでたら、戸村くんの推理にニヤっとする場面もあるよ^^ しばらく映画ネタから離れ気味かなーと感じてた(気付いてないだけ?)けど、ヒッチコックの某サスペンスをパロった筋立ても楽しかったです。
“貧困なる生活と豊かなる推理のコラボレーション”をモットーに、心から依頼をお待ち申し上げている私立探偵・鵜飼杜夫を筆頭とした探偵チームが賑やかになってます。 2作目で麗風(!)を振り撒いていったさくらお嬢さんが再登場してたし、今後、準レギュラーに昇格しそうな新キャラもw お陰で(というか何というか)、探偵も刑事もチビッと霞んでますけど、ま、こんなバージョンもアリかなって^^ 若干のシリーズ比はあるけど“真相の看破にしくじる迷探偵”風味が時々混ざるのがこのシリーズの肝だと思ってるからねw 鵜飼探偵の真似っ子して、無暗に期待値上げすぎるのもどうかと思うので、この辺にしとこか(関西風に)。


交換殺人には向かない夜
東川 篤哉
光文社 2005-09 (新書)
関連作品いろいろ
★★
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死者の書 / ジョナサン・キャロル
[浅羽莢子 訳] 有名な映画俳優だった亡父へのコンプレックスから逃れられない高校教師のトーマスと、稀覯本を扱う書店で運命的な出逢いをするマリオネット作りのサクソニー。 児童作家マーシャル・フランスの熱烈な愛読者カップルは、故人である作家が隠棲していたミズーリ州のゲイレンという田舎町に逗留し、宿願だった伝記の執筆のために作家の実像を求め調査を始めます。 平凡な片田舎の閉鎖的な住民たちは異様に親密で、そして明らかに何かがおかしい・・ 謎めいた共同体の恐怖の真相に迫るダーク・ファンタジー。
正直、読み終えた直後は大したオチには思えなかったんだけど、劇薬並みに皮肉の効いた真っ黒さが、じわーっとやってきた^^; そう理解していいのだとすれば。 ただ、サクソニーの解釈は未だ謎の中・・
それにしても、オチ以外の全て丸投げ感というか、委ねられたものが大きくて消化不良ぎみなのは否めません;; つい、そこに至る必然性や寓意性のようなものを求めてネチネチ思い巡らせたくなる悪癖を発動させてしまった。
実際、創作者と創作物の関係性とか、宿命論的な命題や死生観とか、その辺に何かしらテーマが潜んでそうな気配をムンムン漂わせつつも、掴めそうで掴めず仕舞いなのがもどかしい。
そんな泥臭い詮索なんてどこ吹く風とばかり、しれっと釣れない佇まいなのがかえって後を引くというか、意外と悪くないというか。 恩田作品みたいに一度脳内回路ができてしまうと中毒に侵されそうな危険なタイプかもしれないと思った。
物語の根幹を成す着想もプロセスも素晴らしいんだけど、いかんせん、追従作が多すぎるので損してるかなぁーという気がしないでもなかった。 雰囲気で牽引する力量には掛け値なしに驚倒しました。 ノーマン・ロックウェルの絵のような生活感溢れる軽快な日常をぐにゃりと歪ませる不吉な影、煌めく幸福とカタストロフィのコントラストが圧巻です。 日本語に変換されると、ホットなアメリカンジョーク(?)が空回りしてるのが不憫。 そこは如何ともしがたいんだろうなぁ。


死者の書
ジョナサン キャロル
東京創元社 1988-07 (文庫)
関連作品いろいろ

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ぶたぶた / 矢崎存美
名前は“山崎ぶたぶた”。 バレーボール大のピンク色したぶたのぬいぐるみ・・のおっさんです。 ちょっと離れた黒ビーズの点目、大きな耳の内側と手足の先には濃いピンク布が貼ってあり、突き出た鼻の先をもくもく動かして話すのと、右耳が少しそっくり返っているのがチャームポイント♪
ある時はベビーシッター、そしてまたある時はタクシードライバー、放浪者、おもちゃ屋の店員、フレンチレストランのシェフ、記憶喪失者・・と次々属性を変えながら、ささくれ立った人々の心を癒して回る傷だらけの天使なのかい?君は。 殺伐とした都会砂漠に舞い降りた・・
鼻の先を地面にくっつけながら、小さな身体を丸めてハーブ畑の草むしりをしたり、駅の売店で倒れそうなくらい身体を仰け反らせて牛乳を飲んだり・・ ぽてぽてもふもふ動き回る一挙手一投足が、もうやめてー(嘘)ってくらい鮮やかに像を結ぶ。 変わり様のないはずの表情の底から感情が滲み出してくるぶたぶたマジックに、わたしも掛かってしまったみたい。
ぶたぶたに遭遇する幸運を射止めた主人公たちは最初、ギョっとなって、何故ぬいぐるみが?! といった当然の疑問の渦中に置き去りにされてしまい、確かにぶたのぬいぐるみが喋って動いてますけどそれが何かぁ〜? 的な周囲の動じなさにたじろいじゃったりするんだけども、そんな共有できない感覚の持ち主であることが、まるでぶたぶたに呼ばれた証し(?)なんじゃないかと思えてくる。 ぶたぶたと一緒に理不尽を脱ぎ捨てていく、主人公たちの自己回復の物語でもあったりするから。
ほのぼの&ジーンの相乗効果で、温かな余韻を心に落としていってくれるのと同時に、どこか都市伝説めいたシュールな雰囲気も隠し味になってる気がする。 私立探偵に尾行されちゃうサラリーマンバージョンが好きッ♪


ぶたぶた
矢崎 存美
徳間書店 2001-04 (文庫)
関連作品いろいろ

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偽のデュー警部 / ピーター・ラヴゼイ
[中村保男 訳] (↓序盤の展開にもろ触れてますのでお気をつけ下さい↓)
1921年、英国からニューヨークへと大西洋を横断する大豪華客船の船上で怪死事件が発生。 偶然にも(!)乗り合わせていた元スコットランドヤードのデュー警部に犯人検挙の期待が集まります。 図らずも調査の指揮を任されることになってしまった彼、実は“訳あって”偽名を使って乗船した別人だったのです・・
因みにデュー警部は実在の人物で、英国犯罪史上に名を残す“クリッペン(妻を殺害し愛人と逃避行を企てたとされ船上で逮捕された医師)事件”で武勲をたてた伝説の警部。 ハーレクイン病な愛人に唆され、妻を葬り去るべく、クリッペン博士さながらの悪計をめぐらせてモーリタニア号に乗船した我らが偽のデュー警部は、むしろ探偵というよりお尋ね者の分際で、ミイラがミイラ取り(?)よろしく、なんとも喜劇じみて皮肉めいた立場に仕立てられてしまいます。
でもこれがね。 我儘な妻に鍛えられた持ち前の聞き上手な性分や妙な順応性や折り目正しいお人好しぶりを発揮して、のらりくらりと名探偵しちゃってる危なっかしさが読んでいて楽しいったらないの^^ 
ってなわけで、序盤は変則気味の倒叙ミステリを思わせる滑り出しなのですが、いやいや・・さに非ず! 逃げ道のない船上に閉じ込められて、顔の見えない犯人の存在に恐怖する船客や船員と、読者もすぐに一体化させられてしまいます。 そしてエンディングのどんでん返しが小気味良くて好きだー。
妻と愛人・・無敵にDQNな二人の女性にへしゃげられながら、何気にしぶとく立ち回る“偽のデュー警部”を筆頭に、様々な思惑を抱えた登場人物たちが粒揃い♪
9年間の滞米を経てロンドンに凱旋帰国するチャップリンと、第一次大戦中に魚雷を受けて沈んだルシタニア号。 冒頭に披露される二つの挿話が、どんな風に物語に絡んでくるのかこないのか、ぐいぐい引っ張られてしまいます。
狂騒の時代に沸くアメリカ新世界と、未だ栄華の名残り褪めやらぬ大英帝国の力学が、目映いばかりの洋上に集約されているような香気を満喫。 辛辣な皮肉を何食わぬ顔で上質なユーモアに昇華させてしまう、このクールなお手並みといったら! だから英国ミステリは止められないんだ・・と思わせてくれる逸品でした。


偽のデュー警部
ピーター ラヴゼイ
早川書房 1983-01 (文庫)
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★★★
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小さな男*静かな声 / 吉田篤弘
百貨店に勤務する“小さな男”と、深夜ラジオのパーソナリティを担当する“静かな声”の女性。 都会の片隅の慎ましやかな男女の日常を、卓上灯のようにそっと照らし、憂愁や倦怠や空虚や希望の入り混じった二人の主人公のロンリー・ハーツな思惟の行く立てを、交互に辿っていく二本立ての物語。
心のモラトリアム地帯に身を置いて、危険を避けつつ控えめに生き延びているような毎日。 こぢんまりと親密なメランコリーに埋没し、自身の弱点の内部にしっぽりと安らぐことは、それはそれで美味なのだけれども、停滞が過ぎれば自家中毒を起こして倦んでしまうことだって無きにしも非ず。
物語が佳境に入ると、ひとつ処に留まっていた二人の精神が、前進と変革を求めて、殻を破って動き出す情景をしなやかに浮き上がらせてゆきます。 いざその時に糧となるのは、コツコツと脈々と刻んできた生真面目でささやかな繰り返しの積み重ねなのかもしれない。 扉を開き、窓の外を覗き見て、自己と世界の境界線を踏み越える確かな足音が聞こえてきそうな展開がしみじみと素敵。
共通の知人のミヤトウさんを媒体として、二人の人生が働きかけ合う顛末が微笑ましかったです^^ たとえ実感は持てなくても、こんな風に見ず知らずの人と気脈が通じていたりすることが本当にありそうに思えてきて、繋がっていないようで繋がっている現し世の不思議に想いを馳せたくなりました。
物語を彩る細部の意匠とでもいいましょうか。 味気ない日常の数多の断面に、ホログラムのように詰め込まれた感性の閃きを堪能。
お気に入りは、ひとつひとつ街灯に明かりを灯していく“点燈夫”の話(ミルハウザーの「私たちの町の地下室の下」を思い出したなー)や、デパートの舞台裏に広がる従業員専用通路の迷宮や、お揃いのムンクの叫びネクタイを締めたミステリアスな男たちとか、数学教師のようにあらゆる角度から乗り換えの数列組み合わせを提示する車掌さんのアナウンスとか・・♪ それとなく地面数センチくらいを浮遊しているような肌触りが快感です。


小さな男*静かな声
吉田 篤弘
マガジンハウス 2008-11 (単行本)
関連作品いろいろ

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抱擁 / 辻原登
昭和十二年の東京・駒場。 鬱蒼とした森の中に広がる東洋一の邸宅、前田侯爵邸へ小間使いとして奉公にあがった十八歳の“わたし”が、お邸での謎めいた体験を後に検事に供述するというスタイルの作品で、これはわたし好みの信用ならざる独白系? と思いきや、一筋縄ではいかないところに、むしろ惚れました。
五歳の令嬢、緑子の視線の先にある見えない何か。 その不確かな存在に呼応するように少女の虜になっていく“わたし”。 幽霊の気配が隠微に揺らめくゴージャスな洋館では、微量の嘘や作為やまやかしによって、不穏な緊張感が醸成されているように思えてならないのですが、それがどこに依拠したものなのか最後まで明かされることはありません。 どの事象が真実で、どこからが誰の描いた虚構なのか・・ 相互に入り組んだ“胡蝶の夢”のような物語に眩惑されながら、ゴシックロマンと隠秘趣味が濃厚に香る舞台に身を沈めました。
そこを敢えて強引に心理劇として深読みしてみたくなる誘惑にどうしても抗えない・・そんな魔術的誘引力もまた、この物語の魅力だったりするかもしれない。
で、野暮を承知でつっついてしまうんですけれども。 様々な解釈が可能なのは当然のこととして、わたしの脳裡には(以下妄想)「自分の僕に相応しいかどうか、緑子は“わたし”をずっと試していたのではなかったろうか・・という緑子小悪魔説」が過ぎっています。 知らず知らずに操られて踏み迷っていくのは“わたし”。 妄念に取り憑かれながら高揚感を募らせていくクライマックスシーンの“わたし”の蹶起は、二・二六事件の青年将校たちの不遜な決意と、どこか二重映しのように描かれています。 陛下の聖断を夢想して果てた将校たちに対して、“善し”の言葉を最後に賜わることを“わたし”は許される。
衝撃のラストは、“わたし”が緑子に初めて認められた瞬間であり、契りの世界への扉の鍵を手渡されたと同時に、それと引き換えにして訪れた別れの時でもあり・・ 蠱惑的な狂おしさと覚醒した静けさが、まるで“あちら側”と“こちら側”が一期一会に交錯する刹那のように美しく烟っているイメージだったのです。 終幕の二粒の言葉が、それを端的に言い表しているようにも思えてきて鳥肌が立ちました。 言うまでもなく滑稽千万な鳥肌の可能性も(爆) ま、それでもいいんだ。


抱擁
辻原 登
新潮社 2009-12 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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