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理由 / 宮部みゆき
理由
宮部 みゆき
朝日新聞社 2002-08
(文庫)
★★

再読。 宮部作品の中のお気に入りの一冊。 作者の一歩引いたような距離感が好き。
嵐の夜、バブルの遺物のような超高層巨大億ションの一室で起こった一家惨殺事件をドキュメントノベル風?に描いた作品。
事件を俯瞰する視点の地の文と、関係者たちが残した証言(後にジャーナリストが著した手記?)の体裁を融合した形式の独特なテクスチャー。 多視点的に肉付けされて徐々に事件の輪郭が浮かび上がっていく仕掛けが秀逸。
関係者たちの肉声という多角的に張り巡らせた様々な“主観”から、事件の全貌という“客観”を導き出す試みを体現していると言ってもいいと思う。
競売不動産の執行妨害に端を発する凶悪事件を紐解いていくと、人々の思惑、感情、言い分が錯綜し、人生がさざめくように交差していた。
誰の言葉が正しいというのではなく、見る人の心次第で、立場次第で、如何様にも様変わりする風景。 様々な家族のカタチの中に、心をざわつかせるような真実味が垣間見えたり、一種の群像劇のような様相なのが面白かった。
心象描写のない犯人の人物像、その闇深き描き方がズシンとした余韻となる。 バブル崩壊後の漠とした不安感が揺蕩うような作品だ。
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短篇ベストコレクション 現代の小説2004 / アンソロジー
短篇ベストコレクション
−現代の小説 2004−

アンソロジー
徳間書店 2004-06
(文庫)


[日本文芸家協会 編] 2003年発表の最優秀作品を厳選したアンソロジー。 今回は時代ものが混ざっていたのが嬉しかった。 前回より幾分エンタメ度が高く、食傷気味にならずに読み進め易かった。 以下、寸感です。
「切符」は、東京オリンピックを間近に控えた昭和39年の恵比寿に暮らす少年の心模様。 浮かれる世間から少し距離のある、うら寂しい世相風景がしみじみと描かれる。 安定の浅田節に涙腺決壊。
「えへんの守」は、呉服屋と紋章絵師のやりとりから唐突に展開する大道奇術師の話が、こう繋がるのか!と。 現代の都会の片隅に、そっと熱を帯び骨董のように息づく風情。 しっぽりとした情緒が心に沁みる。
「光の王」は、平凡なサラリーマンの日常が暗転していくダーク・ファンタジー。 イラク戦争から喚起されたであろうSFチックな作品で、意識の深層を浮遊するような手触りと、茫漠とした真っ白な闇のごとき終末観の描出が印象深い。
「声を探しに」は、零細企業に勤めるアラサーOLの自分探し、再生の物語。 社会の中で何気なくも切実なストレスや不安に晒され、無意識に自己を抑圧してしまいがちな現代人へのエールのよう。
「玉手箱」は、安政の大火と大地震を逞しく生き抜く丁稚奉公の少年を描いた時代もの。 不運が幸運へと変容する奇譚のような風合いがあり、全体を覆う恬淡とした明るさと清々しさがいいなぁ。
「迷子」は、バツイチの中年男が、軽薄そうに見えた大学生とのコミュニケーションを通して、意外にも停滞した自己を見つめ直す契機を得る話。 タイトルの仄かなダブル・ミーニング感がよい。
「桜舞」は、夫に去られた過去を忘れようと独り静かに暮らす小学校教師の女性につきまとう因縁を、サイコ・ホラーの趣向で描いた作品。 常軌を逸した領域に踏み迷っていくのか・・ ギリギリの心象と、闇に舞う桜のイメージが呼応するラストが妖美。
「やわらかなボール」は、権力の座から失墜し、初めての挫折を味わった熟年の男が、天草の風土と土地の女の大らかな情味に癒されていく、これも再生テーマの話。 奇しくも「桜舞」の女性と立場を逆にする女性側からの述懐があって興味深い。 みかんの香に込められたラストの余韻が秀逸。
「誰よりも妻を」は、混沌極まる屋内の様子と、恐妻家の夫から見た妻の生態が、リズミカルな羅列的叙述に乗って怒涛の如く描写されていく。 さながらマイホームツアーのような流れの中に、連れ添った夫婦の歳月そのものが格納されていて圧巻。
「そこなう」は、長年の不倫の末に、晴れて愛する男性を独占できる身になった妙齢の女性の心模様。 手に入れるとは、それと引き換えに何かを損なってしまう、或いは損なう予兆を自ずと孕んでしまう・・ ふと、そんな想いに襲われた。 鋭利な感覚的作品。
「サイガイホテル」は、故郷を逃れ放浪し、異国の安宿で暮らす女性の心模様。 東南アジアとおぼしき街の雑駁で無規律な情景と、根無草のように浮遊する現代人の漠とした虚無感や閉塞感が交錯し、稀有な奥行きをみせる。
「眺めのいい場所」は、転校してきたばかりの中学生の少年と、別室登校をしている少女との交流を描く思春期小説。 少年の寛容性が少女の頑なな心を解きほぐしていく、清々しい温もりと青春前期の眩しさが光る。
「嫌な女を語る素敵な言葉」は、殺人事件の被害者と加害者になった二人の女性を知る複数の人物の証言によって構成される作品で、事件の意外な心理的背景を浮き彫りにする緻密な人間洞察の妙味。
「作り話」は、父親と4歳の息子の親子小説なのだが、子育て論的なニュアンスもあったかも。 クリスマス・ファンタジーのわざとらしい茶番は、果たして子供のために有益なのかと悩む父親像にシンパシーを感じた。 ラストでみせる息子の情緒的豊かさは、サンタを信じた賜物なのか、危険なまやかしなのか。
「キルトの模様」は、妻を支配し一存でがむしゃらに突き進んで生きてきた初老の男が、会社も家も失い初めて踏み入る境地。 負けるということの穏やかな受容も、一つの再生のかたちであるかもしれない。 これも自己を見つめ直すテーマの作品。
「磯笛の島」は、妻の死に責任を感じ、トラウマを抱えながら生きる男の、これも再生の物語なのだが、昭和30年代の土着的な海人文化の世界が和風幻想譚めいていて美しい。 通過儀礼的な体験を経て、懊悩からの脱却と浄化の時の訪れが印象深い筆致で描かれている。
「空中喫煙者」は、ヘビースモーカーの自虐ネタというかブラックユーモアというか。 爺さんの一人称で語られる珍騒動。 のっけから人を食ったような設定のバカバカしさに笑かされた。 すっとぼけて飄々としながら、幾ばくかの哀愁も漂わせるナンセンスの佳品。
「三センチ四方の絆」は、「迷子」同様に世代間ギャップを乗り越えた友情ものというべき作品で、「迷子」とは逆に、初老の男の感化によって軽薄げな若者が成長していく物語。 というかカッコいい熟年ものというべきかも。 短篇ながら展開力があり、ストーリーの醍醐味を感じた。
「セキュリティ・プロフェッショナル」は、失業中の冴えない西洋人男が、人材派遣センターに経歴を詐称して登録したら、なんちゃって江戸時代に召喚されてしまう異世界系(?)SF。 ネットワーク事情の齟齬が滑稽味を醸す比喩的世界で四苦八苦するも、ラストのどんでん返しが痛快!
「えいっ」は、特別感のある小道具の使い方が巧み。 小学生時代のセルロイドの裁縫箱を物語の中心に据え、二人の娘のなんでもないような、かけがえのない友情を織り上げていく。 ほっこりとして少し変てこな、ならではの空間が紡ぎ出されていて、その佇まいの健やかさが好き。
今回の特にお気に入りは、「切符」「玉手箱」「やわらかなボール」「空中喫煙者」辺り。

収録作品
切符/ 浅田次郎
えへんの守 / 泡坂妻夫
光の王 / 森岡浩之
声を探しに / 石田衣良
玉手箱 / 出久根達郎
迷子 / 永嶋恵美
桜舞 / 唯川恵
やわらかなボール / 伊集院静
誰よりも妻を / 野坂昭如
そこなう / 江國香織
サイガイホテル / 角田光代
眺めのいい場所 / 瀬尾まいこ
嫌な女を語る素敵な言葉 / 岩井志麻子
作り話 / 東直己
キルトの模様 / 内海隆一郎
磯笛の島 / 熊谷達也
空中喫煙者 / 筒井康隆
三センチ四方の絆 / 池永陽
セキュリティ・プロフェッショナル / 草上仁
えいっ / 川上弘美
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短篇ベストコレクション 現代の小説2003 / アンソロジー
短篇ベストコレクション
−現代の小説 2003−

アンソロジー
徳間書店 2003-06
(文庫)


[日本文藝家協会 編] 2002年に発表された日本作家の短篇小説から選りすぐり20作品を集めて編んだアンソロジー。 この叢書、食わず嫌いをなくそう企画で前年版から読み始めています。
発表順に並べられているみたいなんだけど、気のせいなのかな、不思議と流れを感じることができます。 例えば全く毛色は違うけど「火の川」を読んだ後、「空色の自転車」の隅田川の光景が、なにか無性に感慨深いものに思えたり・・ 以下、寸感です。
「海の中道」は、幻夢的な体験とカルタゴの古代遺跡ロマンが溶け合うダーク・ファンタジー。 甘やかな憂愁が心の空洞を静かに埋めるかのよう。 旅情豊かな作品。
「満ち足りた廃墟」は、惓んだような渇いたような・・ ズキズキする少女もの。 廃墟が過去や未来ではなく、今現在そのものになってる感が途方もない病理にも思え、無常を生きる哀しい命の聖歌にも思えた。
「闇が蠢いた日」は、著者の回想記なのか虚実入り混ざっているのか・・ 昭和30年代の大阪、飛田遊郭近辺のうらぶれた暗がりに、濃密な時代の気配が立ち込めている。 今は性質を変えた情や筋、あるいはその熱度が、時を超えて染み込んでくる。
「各駅停車」は、中年サラリーマンの目を通した現代の諸相のような。 老いと若さの狭間に漂う人生半ばの逡巡と社会の停滞感が、否応無しにクロスしている。
「熊穴いぶし」は、これも長引く不況下に生きる都会の中年サラリーマンもの。 故郷の山村で過ごした少年時代への、眩しいようなひと時の沈降と、ほろ苦い現実への帰還。
「ゲルマ」は、少年の友情を描いた思春期小説。 傷つきやすい心、不器用な心、チグハグな思い・・ それでも人は繋がれるのだと、ゲルマニウムラジオから聴こえてくる話し声や音楽に、一筋の希望の光を見出すラスト、そのキュンと切ない透明感。
「ハラビィ」は、擬似エッセイなんだろうか? もしそうじゃなかったらと一瞬でも思わせるその怖さ。 過激な思想や主義、暴力へと安易に傾倒していくことの危うさを、かつてアフガンに渡った経験を持つ主人公が静かに警告している。 ソ連のアフガン侵攻時にルポライターだった著者のリアリティが半端ない・・
「火の川 法昌寺百話」は、これも戦時の回想もの。 死の淵を強烈に意識させられる。 川の彼岸だろうが此岸だろうが流されていようが、人はいつもどこかにはいる。 東京大空襲を経験した境地が、草木国土悉皆成仏の思想の中で静かに救済されるかのよう。
「空色の自転車」は、中学生の少年たち4人グループの友情を描いた青春小説。 家庭内暴力や少年犯罪に目を向けながら、キラキラとした純心さが直球で描かれていて、青空を吹き抜ける一陣の風のように爽やか。
「接吻」は、中年から熟年に差し掛かり、閑職への左遷と離婚を経験した男の束の間の情熱。 受容なのか諦念なのか。 緩やかな時間の流れは遣る瀬なくも滋味深く、恬淡とした悲哀が漂う。
「言葉のない海」は、不妊治療技術の過渡期の悲劇を扱う近未来SF。 とてもナイーブでセンチメンタルな恋愛ドラマ。 なんでこの未来は体外受精児をわざわざ区別して変なアイデンティティを持たせているんだろう。
「借りた明日」は、明治半ば、開拓時代の北海道を舞台にしたハードボイルド小説。 なにこれ西部劇みたい! ザ・定番といった感じでそこがいい。 別れの切なさと孤独な男のカッコよさに痺れよ。
「声にしてごらん」は、“虫の知らせ”を材にしたミステリ仕立てのホラー。 妙にしっぽりしていて、さらっとユーモアも漂わせながら、しっかりゾクっとさせられもする。 雰囲気が格別。
「電獄仏法本線毒特急じぐり326号の殺人」は、鉄道ミステリをパロったスペースオペラ。 メタでスペキュラティブなぶっ飛び世界観にワクワクが止まらなかった。 ちゃんとテキスト上に伏線を持つ推理小説の形態まで模してるところが凄い。
「夜汽車」は、少年の心象風景のような・・ 孤独と喪失感が仄暗く立ち込める幻想小説。 靄に閉ざされたような寂寥と、彼岸に惹かれながら此岸に踏み止まっているギリギリの相克が、どこか甘美。
「前進、もしくは前進のように思われるもの」は、“わかろう”とすることは前進なのか? 夫との言い知れないズレを意識する女性の心模様。 停滞する思いがふとした刺激で揺れ動く瞬間を切り取って鮮烈な印象を残す。 いつでも幸福にも不幸にも向かう予感を孕みながら致命傷にはならない“揺れ”の中に生きている日常、その深淵に触れるような感覚。
「百日紅」は、都会に出て専門医の道を進んだ息子が、地方の小村で総合医として生きた父の葬儀の日、その人生に対峙する。 昨今の医療事情を重ねながら描かれる、亡き父への追慕が胸に迫る珠玉の親子小説。
「余部さん」は、どこかニューロティックで民話チックでもあるナンセンスもの。 神経衰弱気味の作家を語り部とした“余部(あまりべ)さん”の話。 原稿用紙の最後を余らせると怒って現れるという“余部さん”は作家の強迫観念から生まれた妖怪婆のよう。 シュールで遁走的で悪夢めいたキッチュな世界。
「秋のひまわり」は、少年と母親の家族小説。 本来の居場所ではないような、或いは取り残されたような感覚であったり、ぎこちなくもそれらしく咲こうとしている哀れさであったり・・ 少年の心象と響き合うタイトル。 ラストは寂しくも爽やか。
「日曜日の新郎たち」は、妻を亡くした父と、恋人を亡くした息子の親子小説。 つらつらと瞬いていく息子の想いのあれこれに重なって、二人の心の静かな交感が描かれていくかのよう。 忘れられないことの辛さ、忘れることの哀しさ・・ 他愛もなくささやかで愛おしくなる。
今回のお気に入りは、「電獄仏法本線毒特急じぐり326号の殺人」「日曜日の新郎たち」あたり。 ユーモア路線がもうちょっと欲しいけど、無理だろうなぁ。

収録作品
海の中道 / 阿刀田高
満ち足りた廃墟 / 岩井志麻子
闇が蠢いた日 / 黒岩重吾
各駅停車 / 常盤新平
熊穴いぶし / 西木正明
ゲルマ / 重松清
ハラビィ / 東郷隆
火の川 法昌寺百話 / 立松和平
空色の自転車 / 石田衣良
接吻 / 赤瀬川隼
言葉のない海 / 菅浩江
借りた明日 / 佐々木譲
声にしてごらん / 高橋克彦
電獄仏法本線毒特急じぐり326号の殺人 / 牧野修
夜汽車 / 安東能明
前進、もしくは前進のように思われるもの / 江國香織
百日紅 / 帚木蓬生
余部さん / 筒井康隆
秋のひまわり / 角田光代
日曜日の新郎たち / 吉田修一
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生半可な学者 / 柴田元幸
'90年前後に雑誌連載されたエッセイをまとめた、たぶん初エッセイ集。 “どこかで英語に繋がっている”っぽい雑話が採り揃えられていて、ゆるゆると小気味良い生半可テイスト(?)が癖になりそう。
“駆け出しの翻訳者”(ご本人曰く)であり、30代前半だったりする柴田さんの初々しさが垣間見れるかもぉ〜ぐふふ。なんていう助平ぇ心はぎゃふんって感じで。 高い視点から常に全体を見回しながら、嬉々として細部を語るという、憎らしいほどエレガントな、あの一流の、人を食った(ような)やる気なさげな風格が、既に完成されている気配。
まずは基本なところで、言葉のチョイスや文章の組み立て方の的確さに惚れ惚れ・・しているようでは失礼かもしれないですが;; そして内容もまた、わたしの心を擽る話材がザックザク♪
ことわざや比喩、行動パターンにみる日米比較や、日常的な事物をめぐる意識の変遷といった文化の今昔、英語に定着した外国語の傾向から見えてくる国民性、致命的な誤植によって彩られた悪しき聖書のあれこれ、言い間違いが異彩を放っている街中の看板や貼り紙、表現の由来についての眉唾な珍説、大真面目な書物ならではの止むに止まれぬ可笑しさ、和製英語の変てこな楽さ・・
これらはあくまで“面白きことは善きことなり”に徹した視座から、時には辛辣なユーモアを覗かせながら、素知らぬ顔で縷々語られていくのです。
“この上もなく強靭な思考力が、もしかしたら何の役にも立たないかもしれない主題のために惜し気もなく浪費される眺めの壮観さ”というものを柴田さんはこよなく愛しておられるようなのですが、まさに、この本がそれを体現しているといってもいいのではないかしら? 乱暴を承知で言えば、形式上の遊びの要素をふんだんに取り入れたポストモダン文学って、この考えの延長線上にあるような気がしてくるのです。 わたし自身、かの文学のそこに愛着を感じるんじゃないかと気付いた。
抽象と具体、冷静と情熱のバランス感覚が尋常じゃないです・・柴田さん。 根本的に隔たった世界観や哲学の間で、原概念を普遍的なかたちに変換して共有させることの難しさと快感。 そういうものに取り憑かれてしまった人達なんだろうなぁ。翻訳家って。 と、これまた乱暴なんだけど、そんなことも思ったりして。

<付記>
話中で触れられていた本のうち、読みたくなった興味津々の5冊。
「文章教室」 金井美恵子
「外人処世訓」 ジョージ・ミケシュ
「道具づくし」 別役実
「中二階」 ニコルソン・ベイカー
「舞踏会へ向かう三人の農夫」 リチャード・パワーズ


生半可な学者
柴田 元幸
白水社 1996-03 (新書)
関連作品いろいろ
★★★
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つづきの図書館 / 柏葉幸子
蔦の絡んだサイコロのような、石造りの二階建て。 どこか古めかしい“四方山市立図書館下町別館”は、新しい図書館に連れて行ってもらえなかった、置いてきぼりの本たちに囲まれているような、ちょっぴりさびしい図書館です。
40歳を過ぎて生まれ故郷に戻り、杏おばさんの看病の傍ら、司書見習いとして下町別館に勤め始めた桃さんが遭遇する不思議な体験。
ほんの束の間借りられていって、一緒に過ごした子供のことが忘れられずに、その子の“つづきが知りたい”と言って、絵本から飛び出してくる王様や狼、あまのじゃくや幽霊のために、桃さんは、早苗ちゃんや順一くんの消息を探るお手伝いをしてあげることになってしまいます。 なんて愉快な発想の転換でしょう!
章毎に小さな解決を迎えながら、ストーリー全体がラストへ向けて収斂されていく構成の妙。 ガジェットや伏線の操り方が滑らかで、むしろテクニックを先走りさせない洗練さ。 連作長編の鏡のような骨格の美しさを備えつつ、その内側に宿る物語の輝きもまた、強い。 母と子の愛情や、血の繋がりを越えた想いの周辺で傷つき、愁い、迷う、繊細な心模様を、朴訥とした茶目っ気でふんわりコーティングしたような温もりが堪らなくいい。
あまのじゃくが自転車の荷台に飛び乗った時、桃さんが抱いたあの想い・・ わたしの意識の表面を擽っていった何気ないシーンが、読み終えてからフラッシュバックのように蘇った時、この物語の大ファンになってしまいました。 いろんなものを呑み込んで、一生懸命生きてきた人が、優しさに包まれる幸せを、なんかもう、一体となって噛みしめさせてもらいました。
殆ど語られない桃さんと杏おばさんの胸裏や思い出が、現在進行形のいろんな一コマから透けて見え隠れするような・・ そして、あの一コマもこの一コマも、桃さんの心の奥にそっと働きかけ続けていたんだろうなって思えてくるのです。 ストーリーの深さに、うっかりしてやられた感アリアリの、心躍る読書タイムでした。
誰かを心配するということは、祈ることに近いような想いなのかもしれません。 今まで出会った本たちが愛しくて堪らなくなる素敵な余韻です。


つづきの図書館
柏葉 幸子
講談社 2010-01 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★★
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月桃夜 / 遠田潤子
南の海を漂泊する少女のカヤックへ舞い降りた隻眼の大鷲。 大鷲の昔語りを聞くうちに、海に判決を委ね、魂を手放しかけた虚ろな少女が、欺瞞を剥ぎ取り、自身と対峙する気概を育て始める過程を描く、優美にして重厚な佇まいの極上ファンタジーでした。
大鷲が追懐するのは江戸末期の奄美。 砂糖黍という土地の恵みが不幸にして悲惨な歴史を縁取った、その一ページです。 搾取と屈従の連鎖の最下層で喘ぐヤンチュ(債務奴隷)たちの苛酷な生活を浮き彫りにしながら、冴え冴えと綴られていく哀恋歌、といえるのですが、神聖なる兄妹の誓いの奥底に抑圧した解放できない恋情によって、自縄自縛に陥り、やがて自壊の歯止めが効かなくなっていく少年ヤンチュの追い詰められようは、島の冷厳な美しさと昏い歴史観の上でこそ、水際立って生彩を放つライセンスを有しているかのよう。
序盤でズキッと悲しい予感に突き刺されたまま、一直線に焦熱の悲壮美を堪能させてもらいました。 でも、儚くあえかな物語とは一線を画します。 いわば、タナトスに昇華しようとする目論見とは対極へ向かうくらいのベクトルが宿す、力強さ、敬虔さを焼きつけられた気がする。
あの世というのは、所詮はこの世(この世界)の範疇に過ぎないのだから、この世の理から解かれた場所でしか救済されない魂に、あの世という安息の逃げ場はないのですね。 そのかわりに彼らは、この世の終末までの永劫の時を漂流しながら、癒えない苦しみという幸福を甘受する巡礼者になるのです。 その、途轍もなく厳かな満身創痍の魂は、滾る坩堝を焼け爛れて這いずりながら、愚かに無様に現し世と切り結び続けた誇り高き証し。
守り合って互いのために生きようとする魔法の輪に閉ざされた2人の世界で、想いが募れば募るほど、自己犠牲の愉悦は強くなるのに反比例して、相手の同じ気持ちへの理解が欠落していくジレンマ・・ これって自己犠牲の魔性だなぁ・・


月桃夜
遠田 潤子
新潮社 2009-11 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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球形の荒野 / 松本清張
鮮やかな解決をみない有耶無耶感や収まりの悪さにこそ、執筆当時(昭和30年代半ば)の生の空気であろうものが滲み出ていたのだと思う。 そんな現在進行形の同時代性、未完成さが際立っている。
時事的な背景が排除されているせいか、暗示的にならざるを得なかったせいか、不思議と靄の中の出来事というか、ここではないどこか感が漂っている夢のような雰囲気があるのだけども、戦争の総括がまだできない時代の剣呑さが靄の奥に揺曳しているのだった。
ほんとに清張?ってくらい心が洗われるような善良で節度ある人たちで構成されていて、古き良き言葉遣いや所作、その初々しさや真摯さにキュッと胸がときめいてしまうシーンがたくさんあった。
戦争末期から戦後へと連なる政治情勢、社会情勢に切り込むスケールを秘めてはいるのだが、あくまで理想化された人間ドラマなので政治小説のようなものを求めて読むと少々肩透かしかもしれない。
自分は昭和ノスタルジー感覚で読んでしまいましたが、そんな読書を求めている人にこそおススメしたくなります。 上品でしっとりとしていて、優しく切なくロマンチックな作品。 旅情も素敵でした!


球形の荒野 上
松本清張
文藝春秋 2010-01 (文庫)


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嵐が丘 / エミリー・ブロンテ
[鴻巣友季子 訳] 30歳で早逝した女性アマチュア作家エミリー・ブロンテが、その前年(1847年)に出版した生涯唯一の長篇小説。 ブロンテ一家が暮らしていたウェスト・ヨークシャーの町ハワースの荒野に実在する廃墟“トップ・ウィゼンズ”がアーンショー家の嵐が丘屋敷のモデルなのだそうです。 (すると吹きさらしの丘に佇むこの廃墟に思いを馳せて物語が紡がれた?)
神話のように清冽な観念性、ゴシック小説のような背徳の香り、少女小説のような人間ドラマ・・ 一言で語り尽くせぬ作品なのだけど、まるでケルト版マジックレアリズム小説みたい・・との思いが心を占めてしまいました。 異界の扉の前に立ち、魂だけの存在に漸近していくヒースクリフが、生死を超越した普遍概念に行き着き、森羅万象に霊が宿るとするケルト的世界観の中に自身の憎悪を浄化させていくような気配があって。 謎めき過ぎていて全く掴み取れないなりに発狂という一語では言い尽くせない色合いを帯びて感じられた終局。
十八世紀後半から十九世紀初頭、湿原の広がる高地の田舎を舞台に、土地の名士二家の家系図を複雑に縺れさせる二代の物語が、入り組んだ時間構造を背後に展開します。 その両家に仕えた奉公人ネリーの回想を都会からやってきた紳士ロックウッド氏が聞き語るという独特なスタイル。 この二重に施された“語り”の曖昧性が大きな魅力となっている点は言わずもがななのですが、その手法は最後の最後まで読者を魅了し、ロックウッド氏が寂れた墓畔を歩くラストシーンの、小説を締めくくる大事な台詞にまで及んでいたのではなかったでしょうか。 一見キリスト教的な然るべき死生観に帰結するよう見せかけてはいるが、隠遁生活に憧れたものの田舎に馴染めず、都会へ戻ろうとする似非厭世家のごとき善良なキリスト教徒ロックウッド氏の感慨は、果たして作者の心象とイコールで結ばれているのだろうか? と訝しみたくなる余地をそこはかとなく残すのです。 “静穏の奥に不穏を漂わせながら幕を閉じる”と評した訳者の言葉は的確で、ロックウッド氏の感慨とは裏腹に(安らかな眠りを抜け出して)ムーアの澄んだ空気の中に漂いざわめく霊魂の存在を諾うものであるかのよう。
“主人公二人(母キャサリンとヒースクリフ)の愛はあまりに抽象的で肉体を欠いている”と、同時代人に批判されたそうなのだけど、いみじくも本質を突いていると思えるのです。 個人の魂は階級や財産や教育や保護者の愛など“生まれと育ち”という世俗の桎梏に絡めとられるものであり、純然たる魂だけで生きようとすれば死や狂気と相まみえる他ないのだと・・ そんな現実の条理を痛切に響かせる交響詩のような物語だったなぁ。
登場人物は巨大な運命を託された無力な人形のようでありながら、全知の語り手の不在と相俟ってその造形は驚くほどに揺らぎを秘め多面的。 勧善懲悪要素がどこにも見当たらず、紙一重の欠点と美点、いとも容易く同居する憎らしさと不憫さと可笑しさ、傷つきやすさと残酷さが、作品の陰影をどれだけ豊かにしていただろう。 娘キャサリンやヘアトンだけではない、ヒースクリフも、母キャサリンも、ヒンドリーも、リントン・ヒースクリフでさえも、ネリーに世話をされ、見守られ、彼女を頼った幼き日の瞬間があり、その記憶は読者の心の襞に深く深く染み込むのです。 ネリーという一本の魔法の糸に手繰り寄せられらようにして、透明な心ゆるせる何かを手にして本を閉じているのでした。
どこから来たかもわからない悪魔の子たるヒースクリフに正当な子孫が排除されお家が乗っ取られる・・的な意味合いにおいて、ちょっとだけケルトの民間伝承“取り替え子”モチーフを連想したり。 訳者が示してくれたようにキャサリンで辿ると非常にわかりやすいのだけど、キャサリン・アーンショーはキャサリン・リントンになり、その娘はキャサリン・ヒースクリフになり、最後にはキャサリン・アーンショーに回帰するのだよね。 嵐が吹き荒れ、一循環して元の鞘へ・・ 数式のような家系図の展開を辿り、運命悲劇が一抹の喜劇に転じる神の遊戯のごときプロットには、おとぎ話的ウィットが感じられもして。
どこまでも独善的な信心深さを発揮する狂信者のごとき奉公人のジョウゼフ爺さんが、何かにつけネリーの天敵としてコミックリリーフ的な役割を果たしているのですが、親世代が子供の頃から子世代が大人になるまで悪魔に魂売ったみたいに(笑)ずっと変わらず、一向死にそうにない糞爺さんっぷりで、何気にいい味なのだ。 家人と奉公人の間の不躾で大らかな関係性には、伯爵家のカントリー・ハウスとは別種の土着的な肌合いがあり、その濃厚な風趣に暫し心を遊ばせました。


嵐が丘
エミリー ブロンテ
新潮社 2003-06 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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短篇ベストコレクション 現代の小説2002 / アンソロジー
短篇ベストコレクション
−現代の小説 2002−

アンソロジー
徳間書店 2002-05
(文庫)


[日本文藝家協会 編] この手のアンソロジーでも読まない限り縁遠いままの作家さんも多く、傑作と評されている作品ぐらい読まなきゃ損な気がしてきて、手に取ってみました。 好きな作家さんもちらほらいて、既読も数篇あり、とっつき易そうだったので。
2001年に発表された日本作家の短篇小説の中から選りすぐり20篇を集めた傑作選。 この叢書は2000年の短篇を集めた2001年版からスタートしてるようなのだけど、初年版が図書館になかった;; 順繰りに全部読みたい(目標)のだけど、とりあえず2002年版から読み始めることにしました。 娯楽小説が中心なので読み易い作品が多くて正解だった。 以下、寸感です。
「オデュッセイア」は、恩田作品の中でも大好きな短篇の一つ。 民話のような神話のような叙事詩のような・・短い物語で描き切った壮大なスケールのファンタジー。 悠久の時の流れや、人の歩んだ歴史や、生命体の進化の神秘に想いを馳せて静かに泣きたくなってしまう名品。
「兎を飼う部屋」はグロ。 この上なく気持ち悪くてぶっ飛んでるけど、底の底は索漠としたサイコ・ホラーかも。
「電脳奥様」は秘めたる官能。 携帯メールにハマる主婦の話で、メールやネットというツールがまだ初々しく、時代性を感じます。
「リトル・マーメード」もグロ。 フェティッシュなバイオ・ホラー。 狂想曲めいていて、暗い熱を帯びながら冷たいユーモアがある。
「隠れ里」は遠野を舞台とした民話幻想もの。 プロットが冴え冴えと見事でゾワっと鳥肌が立ちました。 抒情を感じるダークファンタジー。
「握る手」はエロ。 女遍歴を積んだ男の回想もの。 冒頭の小話が作者の手練(笑)を経て、ある種オチへと変容する情愛の機微。
「芸者染香」もエロ。 諦觀と虚しさと孤独のなかに立ち込める女の性と哀れ。 暗く詫びしい場末感が情緒的。
「闇鍋」は「ゾンビ」vs「幽霊」。 落語みたいな落とし話で面白かった! めっちゃ好きです、これ。
「指定席」と「父の恋人」は、奇しくも老いた父を題材にした家族小説。 前者は息子視点で描かれた閉塞感漂うリアル路線のストーリーで、後者は娘視点で描かれた心に染みる幻想ストーリー。 対比的で興味深い。
「一実ちゃんのこと」は、すっとぼけたヘンテコな設定でリアルの向こう側を描きながら、思春期特有のアイデンティティの悩みを深く照らしています。
「天狗の落し文」は、含蓄ありげな?無さげな?超ショートショートが目まぐるしく展開し、まるで遁走曲のよう。 お下劣と黒い嗤いに満ちた映像が、次から次へとコマ落としのように頭を流れていくオフビートな怪作。
「シャンプー」は、大人びた少女の一人称語り。 浮世離れした登場人物たちがやたらお洒落でかっこいい。 言葉の断片に煌きがあって。 あー、感覚を研ぎ澄ませたい!
「瘋癲老人養護ホーム日記」は、辛辣な(殆どグロテスクな)ユーモア小説。 ジジイの食えなさが鬼畜級。 タイトルが谷崎のパロディになってますが、因みに本篇のジジイは息子の嫁が大嫌い(孫も糞食らえ)。
「一角獣」は、抑制の効いた筆致で恋愛の究極の領域を描いている。 怖いほど清冽で甘美で哀しい。 もっとも余韻に包まれた一篇。
「岬」は、認知症の老母の秘めた過去を、老母を見つめる息子の孤愁の思いと重ねて描いた佳品。
「情夜」は、惓んでくすんだ日常に、謎と艶めきの非日常が舞い込む不思議な話。 情景豊かでテンポの良い滑らかな筆致に、心地よく泣かされる。 霞のかかったラストも格別。
「常世の人」は、認知症の祖母を見つめる孫息子の、記憶の底の悔悟の物語。 介護小説ともいうべき家族の情景でもあり、遣る瀬なくも滋味深く、心揺さぶられずにはいられない。
「イザベル」は、一時代前のパリを回想した異邦人もの。 シャンソンの音色、退廃的な街、刹那的な性愛・・ 雰囲気が香り高く、現代人の虚無と渇きが切なく漂います。
「最後のSetission」は、バッハの肖像画にも描かれている“6声の謎カノン”をめぐるSFロマン。 バッハ研究への(小説家からの)アンサーソング。 寂寞とした余韻にいつまでも浸っていたい。
種の進化という宇宙の神秘を扱ったトップとラストの二篇が呼応して、アンソロジーは一つの小世界のように見え始めます。 マイお気に入りは「オデュッセイア」「闇鍋」「一角獣」「情夜」あたり。 ですが、相性の良し悪し含め、想像を遥かに超えて楽しめました。 全ての作家さんに感謝!

収録作品
オデュッセイア / 恩田陸
兎を飼う部屋 / 岩井志麻子
電脳奥様 / 内田春菊
リトル・マーメード / 篠田節子
隠れ里 / 高橋克彦
握る手 / 渡辺淳一
芸者染香 / 加堂秀三
闇鍋 / 森青花
指定席 / 鳴海章
父の恋人 / 内海隆一郎
一実ちゃんのこと / 川上弘美
天狗の落し文 / 筒井康隆
シャンプー / 山田詠美
瘋癲老人養護ホーム日記 / 嵐山光三郎
一角獣 / 小池真理子
岬 / 志水辰夫
情夜 / 浅田次郎
常世の人 / 高山文彦
イザベル / 藤田宜永
最後のSetission / 山之口洋
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