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Invitation / アンソロジー
“八人のミューズがささやく八つの物語”と銘打たれた、女性作家8名(豪華っ!)による絶品短篇小説館への誘い。 繊細でありながら容赦なく。 各々の作家さんの個性(いっそ灰汁)が濃厚で、胸苦しいくらい美味でした。
女特有のドグマがゾゾっと怖い作品が多くて、それが如実に表れていた気がしたのが江國さんの「蛾」と林さんの「リハーサル」。 作品の雰囲気としては真逆といえるほどかけ離れているのに(江國さんが幻視的でセレブリティなら林さんはリアルで通俗的)、防衛本能によって自壊していく憐れさの中に、女の業の最たるものを見る思いがして、不思議な共通性を感じました。 歪んだ牙城に立て篭もることしか選択肢にない切実で頑なな姿は、愚かしいばかりでなく、もう、何かを突き抜けてしまっていて、その純度が怖くて美しいのかもしれない。
わたし好みの“怖さ”の一押しはやはり江國さん、そして“甘美さ”の一押しは小川さんだったかな。 小川さんの「巨人の接待」は、小国の地域語でしか話さない作家と通訳の女性の密やかな交感が無性に愛おしくなる一篇で、絶滅した鳥たちのメリーゴランドという慈しみと哀しみのモニュメントが忘れられなくなる珠玉の名品。
ミステリ(風味)小説として飛切り面白く読んだのは高木さんの「夕陽と珊瑚」。 小池さんの「捨てる」は、ならではのムードが良い香りなんですが、このラインナップにあってはちょっと恰好よすぎたかなぁ。
桐野さんの「告白」は時代物でした。びっくり。 ただ、老人の述懐が作中人物のヤジローにではなくて読者(現代人)に向けられている(ように感じられた)分、凄みが半減してしまっているのが残念です。
川上さんの「天にまします吾らが父ヨ、世界人類ガ、幸福デ、ありますヨウニ」は、妄想の余地をふんだんに残した若かりし日の淡い恋に、歳を重ねてから滋養をもらっている中年作家の女性をユーモラスに描いた作品で、痛さを剥奪されているところに少しばかり哀愁を感じました。
高村さんの「カワイイ、アナタ」は、淫靡でミステリアス。 詳細な部分と曖昧な部分との混在が、物語に掴みどころのない気持ちの悪さを生じさせている。 実は、この一篇をお目当てに手に取った次第です。 合田雄一郎が出てくるって小耳に挟んだもので^^; 正確には、“そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない”という程度でした。 そこの曖昧さも謎めいた肌触りの一要素であるのかも。 高村さんの硬質な文章はやっぱり素敵です。

収録作品
蛾 / 江國香織
巨人の接待 / 小川洋子
天にまします吾らが父ヨ、世界人類ガ、幸福デ、ありますヨウニ / 川上弘美
告白 / 桐野夏生
捨てる / 小池真理子
夕陽と珊瑚 / 高樹のぶ子
カワイイ、アナタ / 高村薫
リハーサル / 林真理子


Invitation
アンソロジー
文藝春秋 2010-01 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人 / 倉阪鬼一郎
三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人
倉阪 鬼一郎
講談社 2009-09
(新書)


招待状を手に、黒鳥館、白鳥館にやってくる東亜学芸大学ファインアート研究会の面々が、飛んで火に入る夏の虫さながら次々ぶっ殺されて・・という常套を辿り、館のトリック、犯行のトリック、更なる謎解き、もう一つの謎解きへとまっしぐらにバカミス街道を突き進む館ミステリ。
つい出歯亀根性で手を出しました。 期待に違わぬ偏執的珍品。 あくまでもディープニッチ(?)な領域なので、読者を選ぶこと間違いありません。 こんなにバカ過ぎていいのか・・と半ば面食らい頬を引きつらせつつも、才能の無駄遣いといっても過言ではないイカレ(?)っぷりに、こんなにも疼いてしまう自分を再認識していてヤバい。
これって文庫化完全放棄ってこと? 身を挺してノベルズに捧げちゃっていますか? 禁欲的というか酔狂というか取り憑かれてるというか・・ マックスに超絶技巧のバカミスなんだけども、この生温かぁ〜い脱力と共に訪れる(織り込み済みの)報われなさがなんとも・・いい。
戦闘的精神を忘れずに書きました。自分がいったい何と戦っているのかときどきわからなくなってしまうのですが、悶絶しながら書いた作品です。
とは著者の弁。 いけ図々しくも眼前にぶら下げられた伏線におちょくられ続けたその挙句、気分は上々、まんざらでもないというね 笑;;
これ以上はヤメテェ〜〜ってギリギリ露出のチラ見せが炸裂してまして、更にはこれでもか〜とアクロバティックにたたみ掛ける責め苦(じゃなくて仕掛け)のバリエーションに、こちらこそ悶絶させていただきました。
様々なご苦労が偲ばれるのに、初歩的な小技の部分でアレなんですが、わたし的には館の大広間で供される“ウェルカム・ドリンク”と、ダイイング・メッセージの“ロリン”が大ヒット♪ 思い出す度ニヤケる。
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不思議を売る男 / ジェラルディン・マコーリアン
[金原瑞人 訳] ポーベイ夫人とエイルサは母と娘の二人暮らし。 或る日図書館で、エイルサが出会った風変わりな男は、そのままポーベイ夫人が営む冴えない古道具店に居着いてしまうことになり・・
MCCと名乗り、“本の国”から来たとうそぶく胡散臭い男によって語(騙)られる、古道具に纏わるまことしやかな由来や因縁話の数々。 店を訪れた一見客たちは、その話に耳を傾けるうちにあれよあれよと惹き込まれ、お目当ての家具や調度品の虜になってしまうのです。 その顛末を連作形式で綴りつつ、一つ屋根の下に暮らす3人の微妙な均衡もさり気なく織り込んでいく。
“物語の力”という付加価値によって、魔法を掛けられたように命を吹き込まれていく古ぼけた品々。 嘘か実かではなくて、夢を見させてほしい・・ そう願わずにはいられない人々の急所に付け入って、易々とペテンにかけて(?)しまう華麗なお手並み。
MCCは、店の売り物としてしこたま買い付けてきた古本から話のヒントを仕入れているらしいんですが、どうもそればかりでは片付けられない不思議が残る・・ この辺が最後に明かされる素性の秘密に関わる伏線にもなってるんですねぇ。 飛切り腕利きの語り部の、はたしてその正体は・・
一篇ごとの騙り(?)がめっぽう楽しかったー♪ 虚栄心や迷信深さや癇癪持ちに絡めた手痛い教訓話から、誇りや信頼や愛情といった美徳を描いた趣深い名品まで。 ヴィクトリア朝ロンドン、植民地時代のインド、アイルランドの田舎町、海賊船、古城、晩餐会・・と、舞台も華やかだし、ロマンス趣味、本格ミステリ趣味、怪奇趣味といった装いも上手い!
YAコーナーの本なのですが、けっこうな毒が効いております。 真相と最終局面の展開って;; あの仄暗〜いキモさ(そう読み取ってしまいました・・)は自分としては好きなんだが、少年少女に読ませていいのかー? と、ちょっとドギマギするよ^^; でもその分、子供騙し感がないです。 舐めてない。 単純に感動!みたいな話も全然なくて。 ゾッとするけど痛々しいとか、心が洗われるけど物悲しいとか、不気味だけど面白いとか・・
20世紀半ば頃のロンドンの地下鉄の不快指数の凄まじさとか、飽食に塗れた貴族たちの憐れな醜悪さとか、小悪魔に魅入られたような高慢な小娘の毒づきとか、大人も痺れさせる場面場面の描写が精彩に富んでいる点も特筆に値します。


不思議を売る男
ジェラルディン マコーリアン
偕成社 1998-06 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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源内万華鏡 / 清水義範
清水さんは源内がお好きなんだなぁーと^^ その熱い想いが(ちょっと可愛らしいくらいに)伝わってきます。 講釈師のような軽妙な語りで紐解かれる源内の万華鏡人生。 作者の想像と史実を明確に書き分けない技法を採用した、エッセイと小説の中間くらいに位置する評伝作品なので、個人的にはやや混乱する部分もあったんですが、科学の胎動を感じさせる時代の申し子のような・・ 平賀源内その人の異彩溢れる息吹きをガッツリとキャッチさせていただきました。 源内入門書としてお手頃な良書です。
高松藩との間に生じた、男女の仲を想わせるほどに悩ましい軋轢が、源内の人生プランを大きく狂わせてしまったのかもしれないけれど、高松藩に縛られることによって、逆に全てのことから自由であれと強いられた皮肉な運命が、源内の生き様を形づくっている辺りからしてドラマ性に満ちている・・
人生半ばで諦めなくてはならなくなった地位も、山っ気を出して一攫千金の夢を見た金銀も、全ては心置きなく学問を行い、実社会に役立つように応用化する愉しみのため、更にはその成果によって齎される名声のための道具のように考えていたといっていいかも。 人をあっと言わせたくて仕方ない漢なのです。
杉田玄白×源内がよいです♪ 玄白は、源内の善き理解者だったんだろうなぁ。 せっかちな源内があっさり「コロイトボック」の邦訳を断念してしまうのに対して、しぶとく地道な努力を積み重ねて仲間と共に「ターヘル・アナトミア」の邦訳という偉業を達成する玄白。 この時とばかりに誇ってもよさそうなものなのに、源内から受けた精神的な恩恵に想いを馳せずにはいられないのだ。 源内から影響、感化を受けて遊戯的文学に目覚めたくせに、源内が残した俳諧人としての結果だけを忖度する大田南畝には、思わず玄白との度量の違いを感じて笑ってしまうんだけども、癪に障るから口外しなかっただけで、内心ではまた、違う思いがあったかもしれない。
源内は話が面白くて厭味がなく、茶目っ気があって可愛げがある半面、相当に気分屋だったり、自惚れ屋だったり、くわせ者だったりしたわけなので、関わった数多の知識人たちとの相性を探っていくと、さぞや面白かろうとニヤニヤしてしまったり。
アンテナが多く、動けば必ず何かに引っ掛かる道草人生。 やりたいことだらけで執着心が薄い分、一つのことにしくじっても何らへこたれない。 そこからアイデアを得て横道に逸れた何処かで、柔軟性、合理性豊かな天性の直観力でもってチャチャッと意外な布石を打ってしまったり・・
様々な分野を股にかけ、歩いた跡に振り撒かれた有形無形の種が発芽して、どれだけ多くの花を咲かせ、実を成らせたことかと。 人生そのものがどこか・・錬金術師めいてもいるし、それよりなにより本草学者の面目躍如ではないか。まるで。
でも、そういうことは時代を下らないと可視化されないわけで。 同時代人にとってはまさに“学問芸人”の粋たる存在以外の何ものでもなかったんだろうね。 その精神は言ってみれば一発屋。 源内の比類のなさの一端は、一発屋的瞬発力で何百発もの花火を打ち上げ続けたところにあったと思う。 したれば拭いきれない一発屋臭が付き纏うんだけど、そのケレン味やフェイクな感じといい、終生野に在り異端を極めた怪人っぷり(器用貧乏めいたチャーミングさも含めて)は、清々しいまでに格好いいではないか。
本人がどの程度まで自覚していたかは分からないけど、結果論として、“科学と産業の振興による国益”という時代を先取りした発想の持ち主だった源内。 彼が落した沢山の置き土産が、後世に開封され、熱い視線を投げかけられていることを知ったら、さぞかし鼻高々だろうなぁ。 そんな面影を想像しながら、源内を偲びたくなるのでした。


源内万華鏡
清水 義範
講談社 2001-10 (文庫)
清水義範さんの作品いろいろ

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綺羅星波止場 / 長野まゆみ
夜のお話が多いせいか、全体的に青(碧)のイメージが広がります。 そこに明滅するアーク燈、珠を繋ぐ水銀燈、玻璃製の卵、ラヂオの雑音のような微かな雨音、銀紙にくるんだ薄荷糖、凍りついた金魚、緋褪色の古書、紅玉色の柘榴の実・・
それはそれはノスタルジックで透明感のある掌編集。 月、星、埠頭、鉱石、植物、猫、路面電車、少年・・ 賢治と足穂のエッセンスに、細やかな意匠を散りばめた紗をあしらってラッピングしたような。
ヤバイくらいの居心地のよさです。 好きすぎて蕩けてしまいそう。 空間演出にとことん拘る分、そこに配置される人物は何処か希薄で、情理に淡い(淡すぎる)余白がある。 このバランスが長野さんなんだよなぁ。
他愛のない中に、少年×少年の不可侵性が際立っていた「綺羅星波止場」と「雨の午后三時」では、灯影と垂氷が誘われる束の間の不思議体験が描かれています。 異空とのあえかな交響がキラリと眩しい。
本作品集の中では最も長い「銀色と黒蜜糖」は、長野さん曰く、“例によって「野ばら」ができあがるまでの過程で生まれてしまった、亜流のようなもの”なのだとか。 未読なので全く把握できていないんですが、ちょっと調べてみた限りでは、「夏至祭」もそのお仲間のようですね。 賢治が「グスコーブドリの伝記」に至る亜流を沢山書き残していたことと、なんとなく重ね合わせてしまったりして。
「耳猫風信社」の灰色猫や、「黄金の釦」の銀灰猫の、底意のない取り澄ましっぷりが可愛くて可愛くて・・ふふ。 こういう一揺れの波動しか残さない、埋もれてしまいそうな掌編が無性に愛おしくなることがある。
洞窟の中で、水滴の刻む音が絶対的な時間を掌握するように、暗幕に閉ざされた舞台という小宇宙では、綺羅星の如きイミテーションの耀きが、儚くも鮮明な唯一無二の実になる。 そんな魔法をかけられる。
お気に入りの止まり木的小品に寄り添って小閑を得ることの幸せといったら。 帰る場所はここっ♪ とか勝手に思い定めたいくらい、憩いをもらえるわたしの理想郷。
でも、長野作品(特に初期)は中毒性が強いので、時々しか読んじゃだめよと自分を戒めたくもなる。 健康にいい気はあんまりしないんだよね。 波長が合いすぎて魂を抜かれそうで^^;


綺羅星波止場
長野 まゆみ
河出書房新社 1995-08 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
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ゴルゴン―幻獣夜話 / タニス・リー
[木村由利子・佐田千織 訳] “現代のシェヘラザード姫”と称されるリーの、大人ビターなファンタジィ短篇集。 ゴルゴン、人狼、猫、人魚、猿、ユニコーン、兎、ドラゴン、海豹、カラス・・と、獣や幻獣のモチーフで統一された短篇群は、古代や中世、近代、現代、未来SF世界と、時空を縦横に駆け廻り、尚且つ多彩なテイストによってお色直しを繰り返しながらも、遍くリー色に染め上げられていました。 色や材質を表現する言葉の拘り、特に目や髪の質感を描出させる比喩表現の流麗さは、さながら魔術師のよう。
一概にファンタジィと形容するには躊躇われるような短篇もあって。 特に世界幻想文学大賞を受賞した表題作の「ゴルゴン」は、上質な心理ホラー・・を通り越して、もはや凛然とした文学作品といった趣き。
かと思えば、「猿のよろめき」などは、言葉遊びがフックになったユーモラスな妙品で、ちょっとイギリス人的な・・皮肉の効いた自虐テイストが美味。
獣や幻獣の中で、わたしが一番印象に残ったのは「シリアムニス」の淫靡な野兎かな。 古代ギリシャ・ローマ風の香り豊かな背景と相俟って、とても好きな一篇。
「狩猟、あるいは死―ユニコーン」のキリスト教チックな象徴が刻印された幻想的な寓話美もよかったし、逆に現代という額縁の中でシュールさを底光りさせる「マグリットの秘密諜報員」も絶佳。
余談なんですけど、「にゃ〜お」や「ナゴじるし」にみられるような、忌々しい猫どもめ(笑)に翻弄される憐れな人間の図がわたしのツボでした。 このシニカルな機微は、愛猫に骨抜きにされた経験値がなければ決して繰り出せない技だと思った。 猫め(笑)への崇拝に近いほどの愛が芬々と香るんだよなぁ。
「ドラコ、ドラコ」や「白の王妃」は、従来の冒険ファンタジィやお伽噺を逆手にとったようなブラックな味付けと、それだけに留まらないホロ苦い滋味によって、一段と濃度を増していく物語世界を堪能できます。


ゴルゴン―幻獣夜話
タニス リー
早川書房 1996-03 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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琉璃玉の耳輪 / 津原泰水
[副題:尾崎翠 原案] 生前未発表であった尾崎翠の映画脚本原稿に大胆な改変を施し小説化した作品。 伝奇風味の娯楽小説というアクセントが、新しい息吹きとして注入されているのは想像に難くないのですが、あいにく原作、それどころか尾崎翠を未読なもので;; どの辺のエッセンスに感応したらいいのか・・ 気持ちを高鳴らせるまでに至れないもどかしさが募りました。
兎も角も。 並み居る昭和初期の探偵モノを凌駕する(というより別次元だよなぁ)魔都東京の圧巻の背徳美と、登場人物たちの仄暗い喜劇性が小説の奥行きをそこはかとなく深めていたのではないかと。 ただね。津原さんがエンタメ性重視で再生しているせいか、後半がちょっとヌルくなってしまうんだよなぁ。 なんというか、相容れないものを無理やり合体させてしまったような違和感が少しばかり。
舞台は昭和三年。 ベールの貴婦人の依頼を受けた閨秀探偵を狂言回しに展開される“瑠璃玉の耳輪”をした三姉妹の捕獲大作戦。 人智を超えた運命的必然が作用する舞台狂言の絵空事、泥臭くも華々しい一世一代の乱痴気レビュー。
そんな劇場張りの空間演出に拍手喝采を送りつつ、頽廃的な風俗が織り成す百花繚乱絵巻の底に蔓延る虚無感や抑圧や歪んだ懸命さが捉えようもなくざわざわと不気味。 境界を踏み越えるゾクっとするほどの身の軽さとでもいうのか、リスキーな行動原理が一段と時代の香りを濃厚にする。
社会が急速に複雑化することで齎される漠とした不安感や、新しい秩序を求めて激しくのたうっているが如き狂騒。 その最中に蠢々と咲き誇る徒花のような物語世界。 そこから零れる息遣いは毒々しくも蠱惑的で、途方もなく遣る瀬無い・・ ところにもってきて、終盤の健全なドラマチック志向に腰を折られてしまうような;;
失礼千万なんですが、どうしてもそんな印象を抱いてしまいました。 要はそこを差し引いても有り余る(これまた失礼な)魅力を湛えた作品だったと強調したいのですが言葉が追いつかず。


琉璃玉の耳輪
津原 泰水
河出書房新社 2010-09 (単行本)
関連作品いろいろ

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OZの迷宮 / 柄刀一
[副題:ケンタウロスの殺人] 南美希風シリーズ1作目。 長編仕立ての連作ミステリです。 “南美希風シリーズ”ってことはアレか。 あの人の×××って趣向で続いていくシリーズになるのかしら?
非常に感想が書き辛いです。 以下、未読の方はご注意を。 作者に愛されてるとも思えない超メタボ型のおっさんがするすると事件を解決していくのが、正直、は? ってな感じの滑り出し。 うぅ、こんな名探偵はイヤだ・・と、半ば渋々読み進めていくと、3話目で虚を衝かれ、5話目で更に撹乱される展開が待っているのでした♪ 2度に渡るイレギュラーなギアチェンジっぷりに舌を巻き、弥が上にも心は躍り出し、どうしようもなく期待値が跳ね上がる・・
で、跳ね上がり過ぎてしまったせいか、ラストの大仕掛けは、どうも、個人的には微妙でした。 付け焼刃感が透けて見えてしまったようで。
“名探偵は生き方ではなく、宿命である”という、冒頭に掲げられた一文に重きが置かれているのは明白なのですが、 名探偵たるカリスマ性の拠りどころを論究するような志向ではなくて、シンボリックに、暗示的に盛り上げて手っ取り早く神秘性を煽っちゃえ・・みたいな感触が、う〜ん;;; せっかく魅惑の三段構えを踏んだのだから、もう一歩ガツンとくるような探偵論領域へ切り込んで欲しかったって思うのは欲張りなのかなぁ。 柄刀さんのムード嗜好が、ちょっとマイナスな方へ発揮されていたような印象だったんだよねぇ。今回は。
でも、単発の短篇を長編としてアレンジしようと構想する果敢なチャレンジ精神には讃辞を送りたいです。 それに、密室、逆密室、雪上の足跡、ダイイング・メッセージなどなど、不可能犯罪の定番ものを配した一つ一つの短篇はロジック的に高水準を保っていて安定感がありますし、「オズの魔法使い」のモチーフが散りばめられているのも一興で、特に、とある人物3人が臆病なライオン、藁でできた案山子、ブリキの木樵に、直に暗に擬えられているのが面白く、この辺りをもっとテーマ性と結び付けてもいいくらいに思いました。
函館やヴァージニア州やモンタナ州や・・舞台も多彩で、本格ミステリ作家さんらしい豊かなホスピタリティで楽しませてくれました。 なお、“本編必読後のあとがき”は、作品の一部(しかもこれが肝!)なので、先に読んでは完全アウトです。


OZの迷宮 −ケンタウロスの殺人−
柄刀 一
光文社 2006-05 (文庫)
関連作品いろいろ

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高慢と偏見 / ジェーン・オースティン
[富田彬 訳] 18世紀末から19世紀初頭頃。 イギリスの長閑な田舎町・ハーフォードシアを舞台に、当時の世相を反映した恋愛、結婚観のもとで繰り広げられる紳士淑女の人間ドラマ。 真摯で晴朗快活な瑞々しさと、アイロニカルな滑稽味が織り成す、日常風景という名の劇場がここに。
乙女の必読本です! と、思わず豪語したくなるほどに。 大いなる美質を備えた永遠の名品。 十代の頃に初めて読んだ時は、恋に恋しているお年頃だったので、キャーキャーのた打ち回るくらいハマった記憶があります。 それが二十代になって再読した時は、主人公のエリザベスの性格が鼻についてちょっとだけ色褪せてしまったトラウマが。 今にして思うと、エリザベスを現代人の価値観の中に押し込めて読んでいたんだろうね。 なので実は恐る恐る手に取ったんですが・・取り越し苦労でした。 色彩が眩しかったです。 そのことが嬉しかったです。
一貫して狂いのない人物描写が、物語を深く深く支えていることは疑いようもありません。 特に今回思ったのは、コリンズ氏の造形が出色であるということ。 ベネット氏の喰えなさもいい。 そして哀れなビングリー嬢に痛いシンパシーを感じてしまう自分がいる。 脇役の一人一人にまで、こんなにも深い人間観察が施されていたのかと、弱冠二十一歳の作者の才気に驚嘆します。
ゾンビ”が読みたいがために再読してみたんですが、ダンボールを引っかき回して探し出した甲斐がありました。 もう当分は仕舞い込みません。

<追記1>
岩波版は訳が不評なんですねぇ。 知らなかった・・orz 自分はコレしか知らないので、全然普通に満足が得られてしまうんですが;; イギリス古典の精緻な味わい(特に皮肉やウィットの機微)を活かすのには欠かせない直訳調の勿体臭い文体で、そしてややぞんざいで素朴なところが読んでいるうちにじわじわ味を増していくような肌触りなんですがねぇ。 読み易さに定評があるらしい新潮版には(レビューを読んだ限りでは)そんなに惹かれないんですが、古風な格調高さで絶賛されている河出版にはそそられるものがあるなぁ。

<追記2>
わ、わたし、典雅でベタなラブコメ小説という固定観念で読んでいました。 高慢とは偏見とは、どのような心の動きによって齎されるものなのか。 軽蔑も愛情も一つの偏見であり、その偏見を導き出す作業には、理性の振りをした感情や隠微な自負心が深く関わっている。 高慢も偏見も取り払われるものではなく、かたちを変えるもの・・ なるほど! そういう読み方ができるのか、この物語は! ふ、深い。。。
某密林レビュアーさんに気付かせてもらいました。 でもそれって作者は自覚的だったんだろうか? だとしたら、そんな素振りは毛ほども見せず、少女漫画の原点と形容したくなるような華やかな薫風を振り撒いて憚らない憎らしさが、いっそ好きだ。


高慢と偏見 上
ジェーン オースティン
岩波書店 1994-07 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
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