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原稿零枚日記 / 小川洋子
余計なことを考えている暇はないのに、つい考えてしまう。 そんな四方山事の詰まった日記を追いながら、遅々として原稿の進まないとある小説家の女性の1年の消息が物語られてゆきます。
かつては文学賞応募作品の下読みをして、あらすじを添付する仕事に携わっていた主人公。 作品の底から一粒の結晶のようにあらすじを掬い上げる才能は、文壇の伝説といわれたほどでした。
テキストとなる本が存在しなくてもあらすじを語りたい・・ やがて芽生えた欲求のままに小説家の道へ。 それって作家の本懐なんじゃないかしら。 凄く幸福な出発点に思えるんだけど、彼女のベクトルがあまりに内向きで内向きで・・ 心象風景に寄り添っていると、気持ちがしんとしてきて淋しくなってしまいます。
でもほら、どうでしょう! “原稿零枚日記”を集めたら一冊の本ができてしまったではありませんか。 清々しく凛呼とした魂を輝かせる正のポテンシャルが物語の底に潜んでいたんじゃないかなって漠然とした感懐も覚えるのでした。
小説家が主人公ということで、ずっと前に読んだ「偶然の祝福」を思い出しました。 確かその時は、一瞬、疑似エッセイ?って思っちゃったくらいこちら側に比重を置いたゾーンで話が進行していたように記憶してるんですが(定かじゃありません;;)、今回は、主人公のフェチぶりや妄想狂ぶりがグレードアップしていたというか、そうとうにトリップ感漂わせつつ(でもだからこそ、ほらね、こんな芳醇な物語が既にここに!)、そのくせして、人に迷惑をかけてはいないか極端に怯え、自らに課した枠の内に頑ななまでにひっそり留まり、留り続けているうちに置き去りにされてしまう内気な幽霊のような、いつも小心な傍観者・・ 外向きにはどこまでも人畜無害な存在の主人公なのです。 そのギャップの妙味というのが小川さんらしくて好き。
生活改善課のRさんに見せる卑屈さが、ふふ、何とも可愛らしくてユーモラスなんだ。 盗作のことで悩まなくても大丈夫。 あれはきっと小説の神様の仕業だから。 メスの体の一部になっていくオスの深海魚の気持ちは、絶望じゃなくて、おそらくは恍惚だとわたしは思うのだ。 だからきっと痛くないよって、彼女にそう伝えたくて・・
何かこう、ミクロがマクロを覆い尽くし、マクロがミクロに宿る物語宇宙に、有機体たちの溜息がそっと静かに舞っているような・・ 神秘を感じる物語だったなぁ。


原稿零枚日記
小川 洋子
集英社 2010-08 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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招かれざる客たちのビュッフェ / クリスチアナ・ブランド
[深町眞理子 他訳] ビュッフェコース風オリジナル料理に見立てた洒落た構成の傑作短篇集。 シャープな毒と得も言われぬクラシカルな香気に満ちた贅沢な品揃え。 雰囲気の何かが恩田ミステリに通ずるような印象が・・どことなく。 (恩田さんはここまで緻密にプロット練りはしないけど)
この前「あなたならどうしますか?」を読んだ時、ブランドが非常識を非常識に書く作家だとすれば、アームストロングは非常識な物語を常識を持って書く作家だといわれている・・云々と、解説の中で対比されていたのが記憶に残っているんですが、なるほど、言い得ています。 あの時、心理系は苦手・・などとほざきましたが、舌の根も乾かぬうちに撤回しなければなりません。 どうも、非常識な心理系なら大好物らしいです、わたし。
16篇中4篇は、著者のシリーズキャラクターであるコックリル首席警部(小柄で鳥そっくり・・)が腕を振っています。 まず、コックリル警部が登場した初めての短篇「事件のあとに」が供されて、もうこの1篇でロックオン状態になりました。 こう来るのか! と。 心してかかるべし! と。
思い込みに固執して盲目的になった少年が登場する「スケープゴート」は、また比較してしまうんですが、シャーロット・アームストロングの「敵」とちょっと取っ掛かりが似ている感があるんですよね。 そしてなんという好対照だろうか・・と思いました。 展開から結末に至る果てしない隔たりといったら。
定評のある「婚姻飛翔」や「ジェミニー・クリケット事件」も然ることながら、絵に描いたような倒叙ミステリ「カップの中の毒」や、ウェールズの小村の閉鎖的な空気が思惑と共鳴していた「もう山査子摘みもおしまい」などが特に好みです。
予め選んでおいたカードをそれとなく登場人物や読者に引き当てさせる奇術師の常套手段にも似た心理的錯覚が冴え冴えと利いていたりするので、やはり結末で生じる落差というのが楽しみどころの一つであるのは間違いなく、考え抜かれた手堅い本格仕様のシーケンスを辿りつつ、急転直下、寒々とした悪夢へと華麗に飛翔する妙技は、まさしくお家芸・・なのでしょうね。
グレイゾーンという安全地帯を計算に入れた狡猾さであったり、芯にさえ本当のことがあれば、たいていの嘘はそのまま信じられてしまうことに付け入った捻じれた知性であったり。 着想そのものに皮肉の棘が塗されているんだけれど、虚栄心や劣等感や自己顕示欲、あるいは無知や無防備さから破傷していく人の憐れ味を、倫理観や感傷などで粉飾することなく、徹底したシビアな観察眼でもって軽やかに突き付けてみせる・・その削ぎ落としたストレートさが痺れるほど美味だったりするんだわ! と思う。 人間関係、人間心理の曖昧さや虚構性が焙り出され暴かれるブラックランドを満喫しました。 長編も読みたくなったー。


招かれざる客たちのビュッフェ
クリスチアナ ブランド
東京創元社 1990-03 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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謎の団十郎 / 南原幹雄
主に技芸や商いの分野に焦点を当てた江戸文化の香り豊かな歴史ミステリの短篇集。 史料上のとある事実に着目し、なぜそこに至ったのかという謎や疑問点を独自の発想で追求しながら時代相を浮き彫りにしていくスタイルが鮮やかに花開いています。
東西の二大歌舞伎や物資の流通上の対立をめぐり、江戸と大坂、双方の意趣が錯綜したり、絵師や地本問屋の貪欲で阿漕な生きっぷりと、モデルとなったことで翻弄される芸者や町娘の身過ぎ・・ その核に歴史秘話をさり気なく嵌め込みつつ、物語として深い味わいを醸す腕前が見事。
前半の3篇は江戸末期(嘉永6〜7年)を舞台にした団十郎絡みの連作仕立て。 1話目の「初代団十郎暗殺事件」では、元禄17年、役者の生島半六に舞台上で刺されて非業の死を遂げた初代団十郎の追善興行を企画する八代目が探偵役となって、様々に取り沙汰されるも決定的な説を持たない初代暗殺の謎に迫るという趣向。 その八代目自身にもまた、迫りよる死の足音・・ 第1話と第2話を、3話目の伏線のようにそつなく機能させている辺りに擽られてしまいます。
2話目の「死絵六枚揃」は、視点を変えた団十郎ものといいましょうか。 人気絶頂での突然の死を悼み、300種以上(普通の役者なら10種そこそこ)が版行されたという八代目の死絵(とむらい絵)。 その先陣を切って売りだされた六枚揃いの竹半版が群画を圧して売れまくった経緯を、当の死絵で懐を潤した絵師を主人公に描いています。 死絵から離れられない苦悩が遣る瀬無く沁みる妙品で、わたしはこれが一番好きかなぁ。
3話目の「油地獄団十郎殺し」は、江戸歌舞伎の最大の謎とされる八代目の死(一般的には自殺とされているが動機は諸説いろいろ)を、江戸と大坂の油問屋の対立という切り口から解明しようとした作品。 油相場の駆け引きなどは頗る面白く読んだんだけど、死の真相としてはちょっとなぁ。 あれだけ完膚なきまでに出し抜いておきながら・・了見が狭かぁないかい? 粋が泣くぜ江戸っ子よ。 痛み分ける度量はないのか。 という気持ちになってしまい・・ まぁそれだけ江戸と上方の遺恨は深いということなのかもしれないが。
6篇全部、歴代団十郎モチーフなのかと思っていたら後半3篇はまた別の話。 で、期待と違ったものだから一瞬落胆しかけたんですが、前半に勝るとも劣らぬ佳品揃いで堪能させてまらいました。
南原さんは大坂の豪商、鴻池一族の野望を描いた長編を何作かお書きになっているそうなのですが、4話目の「長州を破った男」は、そこからスピンオフしたかのような一篇で、商業資本と武士階級の対立を描いた力作。 大坂の豪商というキーワードは八代目の死の謎と微かにリンクし、構図の奥行きを深めています。
5話目の「伝説歌まくら」と6話目の「北国五色墨」は、歌麿が残した一枚の美人画に触発され、その背景にキラッと光る物語をでっちあげた浮世絵秘話で、大好きな趣向です。 絵師としての無心さと裏腹の情け深さを持った厄介な歌麿像が、小品ながら巧妙に描出されているのが心憎い。 絵の中にモデルは今も燦然と生きている。 それが絵師から娘たちへの唯一の真心であるのだろう。


謎の団十郎
南原 幹雄
徳間書店 1998-02 (文庫)
南原幹雄さんの作品いろいろ
★★
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ヨーロッパ物語紀行 / 松本侑子
著者が少女時代から愛読してきた物語を訪ね歩く文学紀行。 そのヨーロッパ(大陸)編です。 南は地中海沿岸から北は北海、バルト海沿岸まで。 イタリア、ベルギー、スペイン、ドイツの四ヶ国、八つの街の九つの物語で編まれていて、作品の梗概、作者の境遇、町の景観や風情と共に所縁の場所を紹介し、国や土地の歴史に照らして物語を紐解き、また、作家の内面がどのように反映されているのか考察するなど、興味深い一冊に仕上がっています。
ヨーロッパ諸国は地続きなだけに、日本人にはちょっと想像し難いくらい、国と国の権力争いに明け暮れた歴史があって、文学もその荒波に揉まれるようにして生み出されてきたのだなぁ〜と、厳粛な気持ちにさせられます。
松本さんはロマンチック好き&ヒューマンなスタンスをお持ちで、衒いのない率直な感想は(該博な知識がおありなのに)読者の目線に近い位置で発せられている気がして親しみの持てる良き案内人だと思いました。
何か一つでも物語に夢中になった経験があるなら、その舞台だったというだけで、何の変哲もない場所がかけがえのない“夢の王国”に変貌することを知っているものです。 だから、その場所に立った時の感激や、虚構と現実の接点を見出した時の高揚感、小さな発見から物語や作家への理解を深めていける喜び、その一つ一つを追体験するように楽しませてもらいました。
必ずしも作家がその国の人物ではなかったりもして、「カルメン」や「フランダースの犬」など、色眼鏡的な偏向によって、地元の人には(ちょっと蟠りの残る程度に)微妙なニュアンスで受け止められていたりするのも興味深く、一つの作品を多面的に眺めることの大切さを感じさせられました。
一番心惹かれたのは「ロミオとジュリエット」。 松本さんの誘いで古典音痴のわたしがシェイクスピアを読んでみたくて堪らなくなったからなぁ。 古くから伝わる民話(ギリシア神話にも確か似た話があったような)に、中世ヴェローナの皇帝派vs教皇派の政治権力争いをめぐる名家の対立(“モンテッキ家”と“カッペレッティ家”の対立は史実!)という(当時の)今めかしい素材を組み入れて作られたですねぇ。 それとおぼしき家まで残っているなんて・・ロマンです。
アン王女の道行きを辿った銀幕のローマ廻りも(ミーハーっぽくて)楽しかったな。 そして最後は本当の作者にまつわる秘められた真実にじーんとなって・・
あと、第一次大戦後からナチス台頭までの短かったワイマール共和国という古き良き時代の息吹きを自由闊達に描いたケストナーの児童文学が心に響きます。 ベルリンの華やかなりし都市文化の光と影・・ この時代、ちょうど日本は昭和初期なんですよね。 国の境遇が似ていて切なくなりました。
あ、余談になりますが。 煙草は聞いたことがあったけど、トマトまで大航海時代に中南米から持ち帰ったものだったとは。 オリーヴのように地中海地方の地生えなのかと思っていたら。 なんか・・今やちゃっかり地中海顔してるよね。トマトって^^;

備忘録がてら、ざっとメモ。 タイトル&舞台となった場所と時代。
「ロミオとジュリエット」/ ヴェローナ(中世)
「ローマの休日」/ ローマ(20世紀半ば)
「フランダースの犬」/ アントワープ(19世紀半ば)
「カルメン」/ セビーリャ(19世紀半ば)
「エル・シードの歌」/ バレンシア(中世)
「みずうみ」/ フーズム(19世紀半ば)
「エーミールと探偵たち」/ ベルリン(20世紀前半)
「点子ちゃんとアントン」/ ベルリン(20世紀前半)
「エーミールと三人のふたご」/ ヴァルデミュンデ(20世紀前半)



ヨーロッパ物語紀行
松本 侑子
幻冬舎 2005-11 (単行本)
松本侑子さんの作品いろいろ
★★
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あなたならどうしますか? / シャーロット・アームストロング
[白石朗 他訳] 1957年刊行の第一短篇集の完訳版。 正義漢の若き弁護士、マイク・ラッセルもの3作を含む中短篇10作品で構成されています。 サスペンスの巨匠といわれる著者ですが、意外と短篇は、わたし好みの謎解き的な作法を踏まえた作品が多くて嬉しかったです。
なんだか、主人公たちの境遇に気持ちを揺さぶられ続けて、とてもとても読み応えを感じました。 全篇通して“あなたならどうしますか?”と絶え間なく問いかけられているような感覚に囚われました。 意表を突くスリルや技ありの仕掛けは、読者に考える手掛かりを提供するための巧妙な装置として遺憾なく作動していたといったらいいか。 なので愉しむというより、どちらかというと思いに沈むといった心境に近かったかなぁ・・わたしは。 心理系って、本来やや苦手とする分野なんですが、こうも質が高いと苦手もへったくれもありませんな。
怒りにまかせて冷静さを失ったり、思い込みというエゴに盲目的になったり。 物事の真意を見極められない精神的未熟さが引き起こすリスクを見据え、果敢にメスを振って警鐘を鳴らしている・・そんな健全さに貫かれているので、ちょっぴり持ち重りしてくる嫌いもあるんですが、突拍子もないストーリーの糸口を掴んだが最後、するするっと巻き取られるようにのめり込んでいける佳作揃い。 憶測を好まず、証拠に根ざした公平さを重んじる本格ミステリの鉄則が、作品の趣旨に活かされ、響き合っているのが素晴らしい。
ラッセル弁護士は、子供、或いは大人になれない若者の善き導き手という印象でした。 黄色と赤のド派手な格子縞のソックスが何気にツボ♪ ラッセル3作の中では中二病真っ只中の少女が事件に首を突っ込んでいく「生垣を隔てて」がよかったな。 心理の綾の見事さに加え、運びが巧い! あと、判断力を試される厳しさと見守る温かさが、この作品集を総括しているようであった表題作の「あなたならどうしますか?」も好きですし、自ら創造した名探偵に成りきって自信満々事件解決に乗り出す推理作家の生態にニヤニヤしてしまう「ポーキングホーン氏の十の手がかり」がお気に入りです。 唯一これだけ息が抜けました^^;
一番印象深かったのは殆ど長編の「あほうどり」。 原題の「The Albatross」のイメージが;; うぅぅ><。 白でも黒でもない、一面のグレイに圧し掛かられる中盤までの、形として捉えられないサイコホラー的怖さ・・ 許しを与えられるという重荷に心が疲弊し苛まれていく過程の息苦しさが絶品。


あなたならどうしますか?
シャーロット アームストロング
東京創元社 1995-04 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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滝沢馬琴 / 杉本苑子
江戸後期の著名な戯作者であり、狷介孤高の居士として名を残す滝沢馬琴の晩年です。 後年広く流布し、いみじくも本書のタイトルに冠せられた“滝沢馬琴”とは、本名(滝沢解)と、筆名(曲亭馬琴)を混ぜこぜにした、おそらく馬琴が聞いたならば卒倒するほど嫌忌する呼称かもしれないけれど、この名こそが、馬琴が生涯苦しみ抜いた業の象徴のようにも映り、読み終えて表紙の文字を見返した時、思わぬ感懐に揺さぶられました。
自尊心とコンプレックスの狭間で今にも引き裂かれそうな戯作者としての懊悩と、武士に名を連ねる滝沢家再興の本懐と引き換えに背負わざるを得ない家計不如意の辛酸や家族縁者への骨折りなど、家長としての絶え間ない煩労・・
語弊があるかもしれないけれども“愚かしく、間違ってるけど恰好いい”的な江戸っ子たちの粋に対して、“理屈には、かなっているけど腹が立つ”的な野暮ったさとでもいったらいいでしょうか。 心の持ち方一つで安泰に暮らせそうなものなのに、適切かどうかではなくて正しいかどうかに常に拘らずにはいられない融通の利かなさが苦労性の端緒となって何処までも付き纏う馬琴の、悪意ではなく人間味の底から滲み出る始末の悪い憎らしさといったら(笑)
もし馬琴が自分の父親だったら思春期に絶対グレるなぁ〜と惟みつつ、それなのにそのはずなのに。 大人になった時、性質は性質のまま、老いてなお意固地な後姿をどうしようもなく労わりを込めて見つめる日が到来るであろうことを予見してしまう・・ そんな気持ちに駆り立てられる馬琴像が心に沁て沁みて泣きたくなりました。  
代表作「南総里見八犬伝」の制作は、文化11年から天保12年の28年に及びますが、本編は、天保4年に右目の視力を失い、その後徐々に左目の視力を失う中で執筆活動を継続し、やがて盲目となってからは、亡息の嫁のお路という口述筆記役を得て、もはや妄執と化していた八犬伝の大団円に向けて漕ぎ出し、漕ぎ着き、命の灯を燃え尽きさせるまでの十年余りが舞台に採られています。 仏頂面を突き合わせて机上に向かう、不器用な馬琴とお路の、言葉を超越した火の玉のような一体感が激しく静かに胸を打ちます。
北斎と娘のお栄、山東京山、為永春水、柳亭種彦、また、渡辺崋山や矢部定謙など、時に馬琴と対比的に、時に時代を映す鏡のように配置される歴史上の人物たちによって、多角的に世相風俗が織り込まれているのも特徴的です。 杉本さんらしく、登場人物は冷静に客体化されているのですが、お路が渡辺崋山に寄せる秘めた恋心が物語に仄かな抒情を添えているのが何とも切なく胸に残ります。 蛮社の獄や天保の改革を通して描かれる、蘭学の台頭や頽廃した町人文化への脅威を腕力で捩じ伏せようと喘ぐ末期的な幕藩体制を象徴する不穏な時代背景が、儒教道徳に雁字搦めになりながらも自己矛盾と戦い続けて揺れる馬琴の生き様に投影されていたのではなかったか・・そんな余韻に耽ります。


滝沢馬琴 上
杉本 苑子
講談社 1989-11 (文庫)
杉本苑子さんの作品いろいろ
★★★★
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