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封印再度 / 森博嗣
萌絵、学部3年生のクリスマスから、晴れて正式に犀川研の一員となる4年生春まで・・って、これはバックグラウンド・ストーリーのハナシですが、この5作目で一つの山場というか区切りを迎えた感が濃厚で、がっつり喰いつかせていただきました。
失うということは、失うことを得るということなのですよね。 今回、犀川先生の鎧が外れて、先生的にはバグってしまった格好ですが、バランスを崩すところに美があり、そこにもっと崇高なバランスが存在する。 完璧になれるのに一部だけ欠けた、その微小な破壊行為がより完璧な美を造形する・・そんな日本的美意識に取材したテーマ性と相俟ってか、犀川先生の不安定さがとっても美しかったのです。 こんな・・幼気で純情でプリミティブなハート。 プロテクトせずには生きてこれなかったよね。 図らずも犀川先生の真心が剥き出しになった愛おしい一冊。
コントロールできない未知の情動に隷属する畏れの中の恍惚のようなものを先生は・・ちょっと味わってしまったかもしれない。 最も深いところに押し込めた感情があまりに綺麗だったから。 矛盾を許容できることが優しさなのだとしたら、犀川先生は少し・・優しくなったんじゃないだろうか。 この、らしくない不合理な優しさの作用で幕引きされる事件。 これは犀川先生の劣化ではなく成熟なのだとわたしは思いたいです。熱烈に。
どっちかが優位に立つと、また覆され・・みたいに一作一作、まるで切磋琢磨(?)するかのごとく犀川先生と萌絵の関係が進展していくのが非常に楽しみなシリーズ。 今回はわたし好みの萌絵優位バージョン(の極み)でした。 打てば響く萌絵を打って響かせる犀川先生。 その逆もまた然り。
言葉の綾取りのような2人の掛け合いがますます冴えてきて、2人にしか醸し出せない絶妙のハーモニーを奏でています。
↓この会話が好き。 “ラッコが持つ貝殻のような”犀川先生のプライドが滲み出ていてキュンとなる。
犀川 「うん・・・。美味しいけど、これ、見かけは悪いね」
萌絵 「そういうときは、見かけは悪いけど美味しいね、って言うものよ」
ミステリパートにもお義理程度に触れておきますと、由緒ある純和風の旧家で起こる不可解な密室刺殺事件と、代々伝わる2つの家宝、壺と鍵箱の秘密。
やっと気づいてきたんですが、“森ミス”というのは、いわゆる本格ミステリとはどこか・・一線を画するものがありますね。 本格でいうところのトリックというよりはレトリック的な・・ちょっとずるぅ〜いという印象が紛れ込むのが森ミスクオリティ。 正真正銘の“意外性”を発揮している作品が多いんですが、ミステリの読者は本格の秩序を逸脱しない範疇の意外性しか求めないので、好みが分かれるんだろうなぁ。
本作も、なんというか肩透かしの連続なのだけれども、そこには意味深な作為が顔を覗かせているから面白い。 全ての核心である壺と鍵箱のメカニズムが解き明かされる時、2人にこんな遣り取りをさせているんです。 まんま作者と読者にスライドできそうでニヤッとなります。
犀川 「でも、君は知らないかもしれない。たとえ知らなかった場合も、怒っちゃだめだよ」
萌絵 「どうして私が怒るんです?」
犀川 「さあね・・・、それは永遠の謎だ」
で、ホントのとこ、やはりこれって森さんのオリジナルなのですよね? 愛知・岐阜地方はからくり工芸の宝庫であるらしく、もしやこんな手妻というのか小細工の伝統が残っていたりする・・? 元ネタがあったりするのかしら? なんて夢が膨らんで、いったいどっちなんだろう〜と、ワクワク、ゾクゾクしてしまいました。 怒る気など毛頭ございません。
鼻を雪だらけにしてラッセル車ごっこする“四輪駆動”のトーマ可愛ゆっ♪


封印再度
森 博嗣
講談社 2000-03 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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詩的私的ジャック / 森博嗣
シリーズ4作目。 正論と生きていくことは遠く無縁のものであり、純粋さや潔癖さは社会秩序と相容れない現実。 理数系の研究者たちはその狭間にいるのだなぁ〜という、そんなテーマ性を感じるシリーズのように思えてきました。 やっぱ本質的に「スカイ・クロラ」シリーズと似てるなーと。
あるロック歌手の熱狂的ファンが狙われるという猟奇的な女子大生連続殺人事件が起こり、やがてN大学工学部の実験棟もその舞台の一部となってしまいます。 密室ものです。 が、しかし、絶対に読者は見破れません! と断言したくなるガッチガチにマニアックな物理トリック(工学トリック?)の連打は、言ってみれば余興に過ぎず、(まぁ、犯人は誰か?というのはありますが)密室を作ったのは何故か? というアングルに焦点が絞られていく趣向です。 ある意味、前作の「笑わない数学者」同様に、ミステリのお約束を逆手に取った皮肉さも盛ってあるでしょう。
そういえば今回も“黄色いドアの部屋”でした。 これで4作全て疑惑の部屋のドアが黄色なのです。 このドアの色はいったい何の符丁? 凄く気になります。 意味なしジョークだったら怒りますよ。
思いもよらない表現で繰り出される感覚の違う言葉の数々。 その新鮮さに惹かれてついつい読み耽ってしまう森作品ですが、今回は内容柄でしょうか、形容や比喩の詩的表現に磨きがかかっていたし、会話のテンポなんかも軽快で筆運びがノッてる感じがしました。 “酸化すると言うよりは錆びると言った方がずいぶんロマンチックだろう?”なぁんて犀川先生も言っちゃってます。
「冷たい密室と博士たち」のようにプライベート場面が充実していて嬉しかった。 三色トーマが憩いです♪ 飼い主目線で脚色されたようなところがなくて、平凡な普通の犬であることが何故こんなにも可愛いんだろう。
萌絵に変化の兆しが見えます。 3年生になって課題が忙しくなり、進路に悩み、犀川先生との距離を自覚して愁いに沈み・・ 心を壊してしまうほどの哀しみを封印するために、感情を一瞬で遮断したり、意図的にアウトプットを抑制する術を身につけて生きてきた萌絵ですが、今思うと、それが犀川色に染ることとイコールに近かったのかもしれないね。 でもここへ来て、少しずつ綻びかけている。 完璧にプロテクトできていた“怖い”という感情が、意志に反して心の表層へと浮かび上がってくることに戸惑う萌絵。 特筆すべきは(本来の犀川好みではないはずなのに)犀川先生が、そんな萌絵の変化に対して決して否定的ではない点かなぁ。
ちょっと犀川先生ねぇ。ドSっぽいんですけどw 素知らぬ顔してるけどさ、何気に萌絵を育ててるでしょ。 一作一作、2人の関係が微妙に変化している気がするんだけど、今回はそこはかとなくSMチックなニオイを嗅ぎとりましたよワタシ。 S&Mってそっちかよ!(嘘) ある意味、ターニングポイントに差し掛かっている萌絵を、ここはしっかりサポートしなきゃと思ったのかもしれないね。 おそらくは想像以上にお互い特別で複雑な存在なのかも・・
この度のマイ犀川語録はこれで。 “研究ってね。何かに興味があるから出来るというものじゃないんだよ。研究そのものが面白いんだ。目的を見失うのが研究の心髄なんだ” ・・相変わらずイッちゃってますがw


詩的私的ジャック
森 博嗣
講談社 1999-11 (文庫)
関連作品いろいろ

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笑わない数学者 / 森博嗣
相変わらず厭世的で低体温で、超越っぷり半端ない理系人間まみれで楽しいです。 犀川先生が建築学科なだけあって、本来、館チックなシリーズなのですが、中でも一段とその特質を生かした作品になっておりました。
天王寺家のクリスマス・パーティーに招かれ“三ツ星館”を訪れた犀川&萌絵。 天才建築家の手になる“三ツ星館”は、オリオン座を模した配置で設計されていて、長方形の敷地の四隅にミナレットが光り、中央には斜めにライトアップされた三つのドームが並ぶという意匠。 霧に閉ざされた聖夜に、館の主である伝説的数学者、天王寺博士が仕掛けたオリオン像消失のマジックとは? そして翌朝、再びオリオン像が現れた時、そこに死体が・・
いやーこれはねぇ。 早い段階でかなり正確に看破しました。 殺人事件はオリオン像消失のメカニズムを証明する根拠として機能しています。 社会通念へのアンチテーゼをシンボライズした禅問答のような哲学遊戯パートが、まんま伏線といっても過言ではなく・・ちょっと親切過ぎやしませんかねぇ。 でもラストが森さんらしく訳わからんくて素敵でした。 余韻が半端なくて。
時系列的には前作から半年・・でいいのかな? 犀川先生、鎧がレベルアップしてますね。 実はウブな本性がもう少し見え隠れしていたのに。 萌絵の挑発的な精神攻撃でタジタジになってた姿が可愛かったのに。 確実に学習していますね。
間違えることの、愚かしいことの愛おしさってあるだろうに。 恋を分析してしまうような犀川先生には、もしかして恋はできないのかなぁーと思うと哀しい・・大きなお世話だろうけど。 硝子のハートの持ち主過ぎて感情という分析不能な未知数のものに身を委ねることができないのではなかろうか。 理論武装で完璧にプロテクトして自分の弱さに怯える心を制圧し克服しようとしたところに顕在化するエレガントさ、スマートさ。 人格の何かがその・・致命的に壊れているというかね、極端なのだけれども、そこにキュンさせられるような放っておけなさがあって、萌絵は無意識裡にそれを感じ取っていたりするのかな。 憧れると同時に犀川先生の人間的な感情を呼び戻そうとでもしているかのような辺りがちょっと切ない。 そういう萌絵自身もまた、犀川先生への想い一色に心を染めることで、封印した傷に触れることから逃避して生きている。 そのことに犀川先生は気付いている・・そんな関係。
今回のお気に入り犀川語録を一つ。 “煙草には時間を少しだけ呼び戻す効果がある。喫煙者の寿命が短いという事実があるならば、それは多分、そのプレイバックの時間のためであろう”

<追記>
遅ればせながら“逆トリック”なる作者の意図を知りました。 すっかり目が眩んでおりました。 したり顔をしてニヤけておりました。 恥ずかしくて居たたまれません。 なるほど〜そうなのか〜。 “神のトリック”とは、“そっち”にも掛っていたわけなのですねぇ。 哲学問答の中にも綺羅星のごとく伏線があるではないか・・ メタミステリを超えてポストモダン的ニオイがする。 うぁぁーこれは魂胆が深い。 ノベルズ版の北村薫解説を読んでみたいです><。
そしてそして、ミステリ的にも舐めている場合ではなかった、余韻に浸っていてはいかんかったのだよ、浅はかな自分・・orz タイトルに隠された鍵にすら気付けなかったなんて・・泣けてくる。


笑わない数学者
森 博嗣
講談社 1999-07 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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冷たい密室と博士たち / 森博嗣
シリーズ2作目ですが、実質的にはこれが処女作らしい。 「すべてがFになる」はいろんな意味で超人的であり、浮世離れしていましたが、打って変わって現実的背景がくっきり浮かび上がる作品でした。 へぇ、森さんがこんな俗っぽい(貶してない)ミステリを書くのか・・と意外な発見でもあった一冊。
舞台も孤島からN大学内へ。 犀川先生の友人である土木工学科の喜多助教授が所属する研究施設の低温実験室で起こる殺人事件。 密室のメカニズム自体がITネタから解放されていたせいか、オーソドックスな本格ミステリとして普通に読み易かったです。 あれ? 真賀田博士ってもう出てこないのかな。 シリーズに絡んでくるのかと勝手に勘違いしてました;;
“さて、ここでマクロに全体的な境界条件を整理してみましょう”なんて名探偵の台詞、理系ミステリならではですねっ! ほんと、犀川語録集作りたくなるくらい(ちょっと尖んがった)名言がいっぱいあるんだよねぇ。 “人間の感情を言葉で表現すること自体、円周率の小数点以下を四捨五入するみたいで気持ちのいいものではありません”とか、“もっとも役に立たないということが、数学が一番人間的で純粋な学問である証拠です”などなど。
犀川先生と萌絵の関係性の描写が凄く好き。 こういう恋人未満の微妙さに一番萌えるんだ。 婉曲的な思考から相手への好意を表現する繊細なニュアンスが天才的に巧い。 森さんってやっぱ天性の詩人だなーと思う。
犀川先生の凡俗なるものへの嫌悪というか、屈折加減というか、デリケートさというか・・ 大人としてどうなのよ? と、最初こそ冷めてたとこあったんだけど、やばい、どんどん癖になる・・orz だってこの面倒くささが可愛いったらないんだもん。 超スマートで超偏屈という歪な魅力が堪らない。 意味のないのが高級なジョークという自論を実行に移し、洒落(のつもり)を言って黙殺されてたり、無口で無愛想な国枝助手の結婚報告を聞いて、俗世のことなど我関せずとばかり飄々としているだろうと思いきや、度肝を抜かれて動揺しまくってたり、喜多先生を“悪友”という言葉を使って紹介して萌絵に笑われてたり・・ 久々、擽ってくれる登場人物に出逢えて、わたし今、時めいてます。 それからトーマ!三色のトーマ!
余談です。 ノベルズの解説の太田忠司さんが、「すべてがFになる」の解に至る手掛かりとして“動機を変数にぶち込んでやればあっさり解は得られる”などとのたまっておられるのですがキャパを超えているので泣く泣くスルーしました・・orz 文系脳にわかるように誰か説明して!


冷たい密室と博士たち
森 博嗣
講談社 1999-03-12 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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すべてがFになる / 森博嗣
百年シリーズ、スカイ・クロラシリーズがよかったので、今更ながらこちらに流れて来ました。 新参者です。 だから真賀田四季博士が(百年の)あの人らしいという情報も小耳に挟んでいるし、“ミチル”という名前に過剰反応してしまう自分もいるし・・ なかなかまっさらな気持ちでページを繰るのは難しいのですが、所詮ちっぽけな脳細胞でもやもや考えたところで埒が明かないのだし(スカイ・クロラシリーズで懲りてますから;;)、独立したミステリ作品として純粋に一作一作楽しんでいきたいものです。
密室、孤島、犯人の狡知と探偵の叡智・・という点では古典的な様式に則りながら、コンピュータ・プログラム技を炸裂させる、いわゆるサイバーな“理系ミステリ”。
N大学工学部建築学科の犀川助教授と、お嬢様学生の西之園萌絵コンビが活躍するS&Mシリーズと呼ばれる著者のファースト・シリーズの記念すべき一作目。 (執筆順としては4作目だったらしいですが)森さんのデビュー作です。 時代背景がパソコン黎明期(?)ごろなので、難解ながら微妙に懐かしい香り。 ちょっと古いワンボックスのマッキントッシュSEが可愛くて手放せないとか!
噂に名高い(?)西之園萌絵ちゃんとはこんな子なのかーって。 記憶さえ封印してしまうほどの辛い過去を経験していたのね。 表面的な奇抜さや大胆さや無謀さは、深い痛みに対する反動というのか、無意識の防衛だったりするのかもしれない。 真賀田博士と萌絵は、どこかでシンクロしている。 真賀田博士は、別の選択肢を生きたかもしれないもう一人の自分を萌絵に託そうとしてるみたいで・・わからないなりに、なんだか切なかったのです。
しかし、なんといいますか、百年シリーズ(2作)から逆読みしているわたしには、最初から真賀田博士のサイコっぷりが、遠大なる構想と深遠なる条理に裏打ちされたものであるに違いないという先入観というか・・ 期待感(と裏腹の懐疑心)のようなものがどうにもこうにも貼り付いちゃってるんだよね。良くも悪くも。 そうか、そうなのか、こうして始まったのか・・と。 一見、whyを切り捨てている素振りをしているのが、いっそ癪であるよなぁ〜などと。
で、やっぱ森さんの世界観でしたー。圧倒的に。 システマチックなクールさと、フラジャイルな詩情とが共鳴し合った哲学的ライトノベル・・風。 犀川助教授が抱く煩雑で不純な現実社会への反発心や諦念、無心さへの郷愁は、やがてスカイ・クロラシリーズに引き継がれて結晶化されたといってもいいかもしれませんね。 深い感懐を抱きつつ・・ あ〜、先が長くて楽しみっ♪


すベてがFになる
森 博嗣
講談社 1998-12 (文庫)
関連作品いろいろ

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