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有限と微小のパン / 森博嗣
シリーズ完結作です。 あの惨劇から3年半。 そうか、1作目と10作目・・つまり最初と最後に、偉大な知性の持ち主である真賀田四季博士を配する構想だったんですねー。
このシリーズ、“理系ミステリ”と称されますが、思想哲学、生物学、民俗学など、いろんなエッセンスが配合されていて、けっこう文系ホイホイ的な読み物に仕上がっていたと思うんです。 自分のハマり方から逆算して。 考えてみたら犀川先生の専攻する建築学って、理系にも芸術にも踏み込み易い位置にある分野ですし、建築から館、さらには密室という命題へと容易に連想の及ぶ構図がしっかりと踏まえられていたんですよね。
日本最大のコンピュータ・ソフトメーカーが経営する巨大テーマパーク(モデルはハウステンボスのようです)を舞台に、“印象派の絵画をそのまま立体造形したかのような”イミテーションの町で繰り広げられる連続殺人事件。 装飾過多、超自然的な演出たっぷりで、天才の影によって歪んで見える時空が、場所と連動してバーチャル感を掻き立てます。 物語の進行自体がRPGのダンジョン仕立てのようで、まるで「殺人事件ツアーのアトラクションに登場人物たちが参加」しているみたい。 これも、作者の思惑なんですけど。
すみません。うっかり喋り過ぎたので反転しておきます>< でも読んでて誰もが普通に抱く感想なんだよね・・ それが大ヒントという・・
犀川先生が何時になく本気モードだし、満を持してのラスボス対決を初っ端から予感させる緊迫感があっで、森作品には珍しく(?)ワクワクドキドキのリーダビリティ。
シリーズの幕引きとしては、そこをほったらかすかよ! みたいな確信犯的肩透かしが実に森さんらしいというか、意地悪だなーと(笑) 後になって思えば、萌絵に対するあのつれなさは、犀川先生が孤城落日を認める直前の、なけなしのプライドだったかも・・と、思わないでもないんですが、萌絵に代わって抗議するぞっ! とか、まずはそんな軽薄な感想しか浮かばなかった自分・・orz でもね、時間が経つに連れてラストシーンの余白の周りをわらわらと気持ちが駆け廻って、ほんのりと満たされていきました。
萌絵が真賀田博士と犀川先生を両極に置いて、死と生を隔離していたように、犀川先生もまた、真賀田博士に象徴される、完璧で自己完結した静かな内なる理想世界と、萌絵に象徴される・・何といったらいいか、意志ではコントロールできない不確定さを孕んだ、外気に曝された有機的な現実世界とを相容れないものとして認識していたところがあるんだが、その相容れなさを許容する矛盾という概念の美しさに目覚めていくんだよね。 ぶっちゃけた話、本能を封じ込めることが究極の人間性だと確信していた学者が恋をしてしまった・・そのパラドックスからの脱出が犀川先生の物語だったんだろうね。
あの暗闇の中で、萌絵は両親の事故死以来、初めて自分と向き合い、死を、孤独を受け入れたのだと思います。 犀川先生の問いに対する答えが、萌絵の中の“全て”ではなく“大部分”であるというところに、一種の防衛本能であった犀川先生に対する盲目的な信奉というか、自分自身にかけ続けた麻酔を払拭した心の解放をみる想いがしました。
そんな2人の精神に侵入することのできる真賀田博士が、サジェスチョンを与える存在として、導き手として、ずっと中核にあって役割を担っていたような・・まぁ、そんな幻想に浸ってしまうのです。 3年半のプロローグを費やして、一片のパンに辿り着いた2人の本当の恋愛は、ここからスタートするのですね。きっと。
真賀田博士の背中が・・ そんなはずはないのにね、何故かどうしようもなく寂しそうで。 犀川先生が見送ってあげて本当によかったと、訳もなく泣けてきてしまった・・ってどういうこと? なんかね、萌絵と犀川先生、そして真賀田博士の3人は、切り離せない表裏だったのではないかという想いにふと囚われる。 これは明らかに飛躍のし過ぎなんだけど、真賀田博士は萌絵と犀川先生の人格の中の一部であり、彼らの中の“パン”に背馳する象徴だったんじゃないかって・・ まるで、萌絵と犀川先生の“その”部分をそっくり引き受けて去って行こうとしているみたいな後ろ姿に見えたんだと思う。 更に妄想すれば、萌絵と犀川先生もまた、僅か残された“パン”に繋がる真賀田博士の一人格だったのかなと。 パンと決別する博士の哀愁が、“一口だけかじられた”中に凝集されていた気がして、切なかったのです。たぶん。
はぁー、終わっちゃったー。 最近、年のせいか、心理描写に触れた時の感情過多になりがちな自分を嫌がる傾向にあるので、クールでドライでさらさらした物語の感触を好もしく受け止めて読みました。 思考の中に滑り込もうとする欺瞞や偽善や感傷を監視していて、その侵入を徹底的に許さないような潔癖さには少々疲れを感じましたが^^;
森さんは人間の知性に対してとても肯定的。 少なくともこのシリーズでは一貫してそうでした。 人間の脳の特殊性に価値を見出し、その可能性を信じている人だなぁーと感じました。 それだけに、頭脳をフル回転させて初めて到達できる、生命を切り捨てるまでの静寂の世界を知る人でなければ読み込めない境地が、森作品にはあるのでしょうねぇ。


有限と微小のパン
森 博嗣
講談社 2001-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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数奇にして模型 / 森博嗣
前作、前々作と変則気味の作品が続きましたが、シリーズも佳境に入り、本来の軌道へ戻ってきました。 キャスト的にもレギュラーメンバー総出演に近く(更なる新キャラも投入されて)、いよいよ宴もたけなわの9作目。
模型の展示交換会イベント会場の舞台裏で起こった奇怪な猟奇殺人事件。 コスプレモデルの首なし死体の横で昏倒していた模型マニアに嫌疑がかかります。 近接した大学の研究室では相前後して女子学院生の扼殺死体が発見されて・・ 例によってキーワードは密室です。
90年代後半というと、模型の一分野としてのフィギュアが脚光を浴び始めた頃なんですね。 サブカル系というか、ずばりアキバ系が市民権を得ていくプロセスの黎明期といえるのでしょうか。 アブノーマルとトレンドが不思議なバランスで共存しているような・・仄暗い熱気を帯びた、どこか混沌とした空気感が伝わってきます。
森ミスでは度々“犯人の思考の特異性”が提示されますが、今回はそのキワモノ具合がなかなかにディープです。 ミステリの法則性を逆手に取るような“本格マニア泣かせの真相”的スピリットも健在で、そこに繊細で鋭敏なリアリズムが漂うのです。 森さんは本格を書いているようで、実は同時にアンチ本格を書いているような気がして、そんな矛盾をそっくり格納する世界観に吸い寄せられてしまうわたし。
レプリカとモデルの違い・・ 人間や動物を模すのが“人形”であり、人間が作ったものを模すのが“模型”である、という考察に、なるほど! と思う。
残るのは“形”だけであり、形を作った意志である“型”は失われてゆく。 形だけではなく、保存の効かない形と実体との関係性にまで踏み込んで初めて“型を模す”ことができる・・ これって歌舞伎とかも同じなんじゃ?
そんな職人肌のモデラの模型哲学は、森さんの想いを代弁していたのかな。 ちょっと熱く響きました。 破滅的なまでに“形”に執着した犯人は、真のモデラたり得なかったことが暗示されていたのではなかったか・・なんてふと思うのです。
異常と正常の違いとは何か? とか、何を“一個”と考えるか? とか。 人が便意的に無理やり生み出した“境界”という概念を模索するような思考の断片が散在していた印象。 国枝先生のこんな台詞をチョイスしたくなる。 (国枝先生いいなぁーどんどんよくなるー!)
カモノハシが、自分の位置するところが中途半端で気持ちが悪いから、もうちょっと鳥っぽくなろうなんて思わないでしょう?
このシリーズ、暴走の挙句、ピンチに陥る萌絵を危機一髪、犀川先生が助け出すの図がデフォでありまして、今回は特に犀川先生の、らしからぬ(笑)ハードボイルドっぷりが観賞できるのがマニア(何のw)には垂涎かなと。
相変わらず萌絵の直球アプローチをフェイントでかわすかの如きポーズを取っちゃってますけど、んもぉーどんだけ萌絵のこと好きなんよ先生w とツンツンしたい。 それよりなにより、どんなに報われなくても絶対にディフェンスを下げない萌絵のチャレンジャーシップに乾杯! ・・の巻かなこれ。
いやいや金子くん大活躍の巻と言ってあげなくてはいけないね。 順当に言って。 萌絵が自分自身も、他人も拒絶し、そこに何かが触れることを警戒し抜いて生きてきた部分を激しく揺すぶった金子くん・・ また一つ、萌絵の密室の鍵がカチリと外れる予感。

<余談>
“求めるものは創る行為そのものであって創られた物質ではない”的な模型創作論からスライドして“作家が小説を書く”という行為についての見解が、登場人物である作家の言葉として示されているのが興味深いです。 きっと森さんの本音なんだろうなと思う。
一見、小説家としてはボコられそうな発想なんだが、決して間違ってないと言いたい。 どっちかというと純文学の姿勢だよね。 一方、読者へのサービスを重視するのがエンターテインメントかな。 好きな方(或いは好きな配分)を選んで読めばいい。 だけど波長が合ってしまった時の混じり気のない前者ほど震えるものはない・・とわたしは思っているのです。 そのかわり波長が合わなかった時は悲惨・・orz


数奇にして模型
森 博嗣
講談社 2001-07 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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今はもうない / 森博嗣
「夏のレプリカ」が異色作なら、こちらは異端作といったところでしょうか。 なんと文系じゃねーかミステリ! 非常に感想が書きにくいのですが、8作目は、シリーズにメリハリを与えるロマンティックが止まらない名品です。
この1作によって小説フィールドに立体感というのか、奥行きが生じ、より一層の愛着を誘発させる策略が心憎いほどに巧みです。 その分、単品で読んだのでは、このアクセントの妙味を堪能するのは難しいかもしれません。 シリーズ読者への御褒美的な旨味に舌鼓を打つのが吉でしょう。
“嵐の山荘”での美女姉妹密室殺人事件を回想する、とある一人称の手記(本篇)と、西之園家の別荘へ向かう遠乗りドライブの最中、その回想録の詳細を萌絵が犀川先生に語って聞かせているという場面(幕間)とを交互に描く構成。 アンティークな舞台演出や、密室トリック解明の思考錯誤が面白くて夢中になっていたもので、(絶えまなく違和感につきまとわれながらも)ここまで華やかなトラップにまんまと嵌ったのは幸せというものです。 そして密室の解がまた、パラドックスを操る森さんらしいことこの上ない・・
手記を綴る一人称がいい味出てます。 (世間の価値観から乖離した観念的な思考パターンに意外と共通項が多いと見受けましたが)頭脳明晰で完璧主義者で(実は)ビビリの犀川先生とは対照的で、回転が遅く、のらりくらりと図々しい鈍感力を発揮する“頭の中が発砲スチロール”気味な憎めない人物造形。 でも深読みすればこの愛嬌、どこまでがフェイクだかわらかない食わせ者加減も見え隠れしていて、底知れない打たれ強さが犀川先生にはない魅力。 (後でわかることですが)職業的な対比としても興味深いなぁ。
犀川先生と萌絵のシャープな掛け合いも深奥を究めてきましたね。 意味なしジョークの斜め上をいく“スーパー・ヘテロダイン・ジョーク”まで飛ばし始めた犀川先生の御守りは、萌絵じゃなきゃ無理ですw 表層的には萌絵が一方的に犀川先生に対して、かまってちょーだいビームを浴びせているわけですが、案外真相はその逆なんじゃないかと思うこの頃。 犀川先生の童心を包み込む萌絵の母性を感知する瞬間が多くなったよ。 2人のリレーションシップの軌跡がとても素敵。
最適でないことを許すことが洗練・・そんな洗練さを暗黙で共有できるまでに同調している大人になった2人を一抹の寂しさとともに噛みしめつつ、人里離れた山奥でひっそりと自然に還りつつある森林鉄道の、廃線跡の朽ちた美しさと甘やかな郷愁・・その残影が読後いつまでも目蓋の裏に残るようでした。

<ネタバレな呟き>
わたしの最大の違和感は、一人称人物と西之園嬢が一緒に“熱いコーヒー”を飲むシーンだったかなぁ。 性格や趣味は変質しても体質はなかなか・・ねぇ。

<後日付記>
幼少の萌絵と一緒に西之園家の別荘でサッカーボールを蹴って遊んでいた萌絵より“数歳年上の2人の男の子”は、大御坊さんの“年の離れた2人の弟”に違いない! のか?


今はもうない
森 博嗣
講談社 2001-03 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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夏のレプリカ / 森博嗣
シリーズ7作目は、前作の「幻惑の死と使途」と同時進行で起こったもう一つの事件。 こちらは偶数章のみのパート。 小説内の時間進行が執筆速度に追いつかない状況だったであろう当時の速筆多産ぶりを思うとニヤリな妙策ですねぇ。
読者は事件単位で奇数章と偶数章の2冊に分離してもらえてますけど、時間軸の中にいる登場人物たちにとっては、“2つのパズルが混ざり合っている”状況なんですよね。 萌絵でさえ(!)こんがらがってやる気が出ないらしく、マジシャンの事件の方で手いっぱいとみえます。 犀川先生はマルチCPUなので無問題(笑)
よって今作は事件の当事者である簑沢杜萌が中心人物としてクローズアップされた格好です。 彼女は萌絵の高校時代の親友で、2人は第1章(前作)にて久々の再会を果たしています。 喫茶店でのエアチェス対局の場面は、こちらの結末への布石だったんですねー。
簑沢家を襲った奇怪な誘拐事件と、盲目の詩人であった杜萌の兄の失踪事件。 洋館、拳銃、仮面、血の繋がらない美しいお兄様・・と、ゴシックな湿り気といいましょうか、噎せるような香り高さと陽炎のような儚さと、そして内へ内へと向かうベクトルの息苦しさとが混じり合い、ダイナミックでセンセーショナルで超然とした前作の“裏で起こった”と形容するに相応しいもんやりとした陰鬱さがあって、これはちょっと異色作だなぁーという印象でした。
表裏となる2作の間にはもっと具象的な絡みが存在するのかと想像していたのですが、その辺はやはり森さん流儀の(?)意地悪な肩透かしで、深読みしなければテーマの関連性に気づかせてもらえない。 で、わたしはというと、その御褒美にはありつけなかった・・orz もやもやっとは来てるんだけど、端的に表現できない感じです。 更に、章の順序で読んでいない自分には、この2作を総括して語ることに躊躇いがあります。 思いがけない伏線や醍醐味を見落としてる自信があり過ぎて・・
犀川先生はもう完結してる感じがあるし、今、振り返っても5作目が明らかにターニングポイントだったんだよね。 それ以降は出番が限定的で、特に今回はすっかり名誉顧問的なポジションに退いてます。 それにも拘わらず、萌絵にとって犀川先生がどんなに大きな存在であるかをズシンと再認識せずにはいられなかった。 消化できずにいる恐れや怯えが発する警告、それらに対する意識、無意識の抵抗が、萌絵と杜萌とではまるで表裏のように思えて・・ そういう意味でも“描かないことによって描いている”部分が非常に多い作品であったように感じています。 この1作で萌絵はグンと大人になりましたね。 逆に言えば萌絵の経験値を上げるために避けて通れなかったであろうマストな1作・・かな。

<追記>
調べてみましたら、どうやら共通のテーマはズバリ“名前”であるようで・・単語が頻出していましたもんね。 うーん;;抽象的。 幻惑〜のテーマとしては大賛成なんですが、本作のテーマとしてはあまりピンと来なかったなぁ。 むしろ“仮面”の方がしっくりくる気がしたんだけど。


夏のレプリカ
森 博嗣
講談社 2000-11 (文庫)
関連作品いろいろ

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幻惑の死と使途 / 森博嗣
シリーズ6作目。 まずページを開くと、奇数章しかないことに気付きます。 これは同時進行で起こる別の事件を扱った次作「夏のレプリカ」に偶数章が当てられているためであるらしい。 つまり時系列順に並べることで目次が補完され、2冊で1作品になるという試みのようです。 こちらだけ読んだのでは、まだ何も見えてきませんが、おーっ! となるようなリンクが隠されていたりするのでしょうか・・
さて、本作はというと、箱抜けイリュージョンの本番に舞台上で殺害され、さらには遺体となってまでも前代未聞のミラクル・エスケープでセンセーションを巻き起こした天才奇術師の物語。 そう“物語”と形容したくなるような・・
人間の認識というものの曖昧さ、その本質に切り込むという意味で、「笑わない数学者」を彷彿とさせるほどに哲学指向の強い作品だと感じました。 最後のトリッキーなどんでん返しの余韻が、堪らなくわたしは好きです。 胡蝶の夢のような幻惑感が・・ (喋りすぎだったら申し訳ない;;)
森さんは一見すると動機軽視主義のように映るかもしれないけど、わたしは逆に拘り抜いてるんじゃないかという気がしてきた今日この頃。 「冷たい密室と博士たち」以外と言わなくてはならないが、常軌を逸した、俗っぽさの欠片もない犯人が、凡人の理屈では考え及ばぬような動機によって人を殺害するに至る行動の所在をきちんと描こうとしていると思えるから。
行動には理屈がある。 ただし誰にでも簡単に理解できるような理屈など存在しない。 人の心は割り切れないものだから・・ そういう指向性から導き出された犯人像がこのシリーズに象徴されているんじゃないのかと・・
で、何が言いたいかというと、まるで神秘の法則を探るような感触を楽しみつつも、やっぱり自分は凡人なので易々と犯人にシンパシーを感じるまでには至れなかったわけなのだが、今回ね、何と言うか・・今までの中で一番、その動機に琴線の糸が反応した犯人像だったかもしれない。 クライマックスシーンで、犀川先生が犯人に対して起こす“とあるアクション”がヤバいです。 あー、こんちくそー、優しくなりやがって! ちょっと感傷的かもしれないが自分はこのくらいがちょうどいい。 このシリーズ初めて、泣・い・た。
ミステリ的には箱からの脱出を扱った“密室”モノというわけですが、種も仕掛けもあるマジックショーという舞台装置そのものが、犯罪トリックのミスディレクションになっているというレトリックが光る点が森さんらしい。
両親の事故死以来、死を怖がったり恐れたりするセンサを鈍化させて生きてきた萌絵。 夢中になれるエキサイティングな刺激を追い求めるように殺人事件にのめり込んでいく姿勢は、まるで直視できないダメージから必死で逃れるための代償行為でてもあるかのようで痛々しい気持ちにもなるのだけれど、密室のキーを一つ開ける毎に、開けられた部屋から得る思いがけない価値を吸収しながら、彼女が少しずつ変化しているのを感じることができます。
犀川先生と萌絵は、似た者同士なのですよね。 意識的、無意識的の違いはあれど、2人ともコントロールできない未知の感情を封印して生きている。 影響を与え合うことで、そのバリアがお互い脆くなりかけていて、前回わたし、凡人の思考でこれは吉兆だと思ったのですが、ちょっと自信が持てなくなってきた。 内側の犀川先生がチラリチラリと覗くようになって、その人格は微笑ましくもあり、そして少しばかり、ゾクっと怖くもあるから。
(わたしの中での)今作の犀川先生の名シーンはここ♪
「なんだ、眠っていたんじゃないのかい?」 犀川はトーマに言った。
トーマに話しかけたーwww 焼きの回った犀川先生ステキ過ぎ!!
おまけ。 犀川先生の愛車がぽんこつシビックから芥子色のルノーへ。 萌絵が携帯を持ち始める。 犀川先生が萌絵の部屋へ初めて入る。


幻惑の死と使途
森 博嗣
講談社 2000-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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