スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - |
四季 冬 / 森博嗣
四季シリーズ完結編は、がらっとSFチックになっていて虚を衝かれました。 これは・・百年シリーズの序章ですね! いろんなことが意味ありげに明かされていますが、ますますわからないことがいっぱい。 GシリーズやXシリーズを読めばパズルのピースが埋まるんでしょうか? 埋まるといいな。
現実と、肉体から離れた精神が見る幻影のような世界とが、目まぐるしく入れ替わり立ち替わる構成。 はっきり言って読みづらいです;; 以下、ネタバレ振り撒いてますのでご注意ください。
現実パート(と思われる)では、マノ・キョーヤの連続殺人事件が起きた年が描かれているので、すでに22世紀(2113年の数年前?)に飛翔しているようです。
四季が一番やりたかったことは、“肉体という柵から精神を解放する”ことだったと思うんだけど、これはもう既に達成されてるよね?
もう普段はバーチャルの中で生きてるようだし。 よくわからないのが、現実世界と物理的に接触しなくてはならない時の対処法で、ウォーカロンに何らかの形で自分の思考をトレースして動かしてるの? あるいは、自分の精神が作った虚構世界へ生身の人間を引き入れることもできるの?
四季の“身体”はどうなってるんだろう? 低温睡眠だってそうそう若さを保持できるとも思えないし(単純計算で140歳は越えてるはず・・)、クローンという手段を使ってるなら、身体と精神を分離させた状態でどう活用しているのか全く理解不能だし、そもそも、そこまで彼女が身体に拘る理由がわからないし、もうとっくに身体は消滅してると考える方がすっきりするんだけどな。 あれ、今ふと思ったけど、四季ってめちゃめちゃ身体に執着してないか? だって老いた身体を人に見せたくないんだから。 見限ったはずの身体なのに。
身体を低温睡眠させてる時、精神はどうなってるの? 身体と分離していても精神(って脳機能のことでしょ?)はやっぱり年を取るんだよね? それとも身体を切り捨てることで永遠の自意識を手に入れたということ? 頭おかしくなりそう><
ドクター・スワニィは低温睡眠による延命技術で四季の協力者だったことがわかった。 そして、久慈昌山博士が四季に依頼されてミチルの再生(細胞から人間を作る)に携わったこともわかったけど、これは四季の直接的な探求活動ではなく、もっと突発的で感情的な因子が作用していたとみるのが妥当かなと。
もうやりたいことをやってしまって、四季ともあろう人が倦怠感らしきものを漂わせているような。 機械の人間化を突き詰めるという意味で“人間が人間を作る”ことにやや好奇心が向いてはいるみたいだけど。 自分が神になろうとか(周りがどう考えようが)そういうタイプじゃないし、純粋にエンジニアとしての興味なんだろう。 この過程で四季は初めて人間を知るのかな・・と勝手に想像しているんだけど甘い? 紅子さんの人格がキーになることが仄めかされていたから。 四季が自らの中に取り込むことを拒絶した紅子さんの・・
バーチャルのパートは、目まぐるしい観念的思索と過去の追懐で構成されている感じ。 思ったより未練たらたらでビックリした。 天才の皮を剥げば、人として成長できなかった子供なんだなぁーというのが痛いくらい伝わってくる。 それが天才性の宿命というものか。 メンタリティを詮索してみたり、暗号を残して気を引いてみたり、殺してみたり・・そんなかたちでしか好きな人とかかわることができなくて、でも独りは寂しくて、いつまでも別人格の優しいキシオを手放せないでいたり、記憶の中のお気に入りさんたちを再生して矯めつ眇めつしてみたり。
でも、思ったのは、百年かけてやっと大人になりかけてるのかなーってこと。 これは喪失感? 弱ってるんだもん。 あの四季が・・
それにしても、呪われた青い血にもほどがある;; いとこ同士の間に生れたのが四季で、その四季と叔父の間に生れた娘(≒ミチル)は、四季(≒デボウ)と結ばれてしまうのだろうか。 性別の辻褄はよくわからんので保留。
生命体は異分子を取り込みながら進化してきたというのに、なんかもう、遺伝子の欲求に逆行しているとしか思えなくなってる展開だけど大丈夫なの? でも肉体の価値が無くなりつつある世界だから、そういうのはもう無問題なのかな・・
そうか、あるいは、四季の非凡性こそが突然変異的な異分子なのだから、それを取り込むことを遺伝子が欲しているという逆説も考えられてしまう。 四季の存在さえもが人間の進化のプロセスに予め組み込まれているプログラムなのだとしたら・・ 人類ってどこまで行くんだろう。
「秋」を読んでから四季に対する拒否反応が悪化していますが、彼女の自意識に触れていると、こんなに肥大化していたら辛かろうなぁーと、またぞろ幾ばくかの同情が再燃してしまう。 異物を拒絶したい気持ちと、未知なるものを理解したい気持ち、その狭間で揺れるアンビバレンス・・ あーこれって、まるで萌絵の心境かも;;
森さんが創造した真賀田四季という人物に接する時、わたしは心底戸惑いを抱きます。 こういう読書体験は初めてかもしれない。 異端を異端としてではなく、あたかも異端を正当化して描いたような思想観。 それが言い過ぎなら、神とも悪魔ともつかぬ曖昧な造形を意図的に与えた人物を中心に据えて物語世界が構築されているというか。 そこへ引き摺られていく感覚がどんどん怖くなってきて・・ いかん、ちゃんと自分で考えなくては! って気持ちに嫌でもさせられる、させてくれるところに森さんの力量を感じずにはいられません。


四季 冬
森 博嗣
講談社 2006-12 (文庫)
関連作品いろいろ

| comments(0) | trackbacks(0) |
四季 秋 / 森博嗣
“四季”というより “四季以外”みたいな様相を呈しています。 周辺の人々が四季の消息や、彼女が仕掛けた謎の真意を求め躍起になって奔走していて、なんだかまるで四季の反射光を見ているようなイメージでした。 もう本人は出てきませんが強烈な存在感です。 21世紀からは、このままフェイドアウトなんでしょうか。 なんかみんな四季に取り憑かれちゃってるみたい・・
両親殺害事件前までの四季は、彼女なりに人間社会に根を下ろすことを模索していたようにも感じられて、その不器用さが哀しくもあったんですが、もうこの時期の四季は完全に人間社会と決別し、狂気の世界へ、異端サイドへ旅立ってしまったように思えます。
背景は2000年前後かな。 萌絵視点でいうと、大学院のM1からD1まで。 すっかりお姉さん格になってます。 犀川先生&萌絵パートに、保呂草&亜樹良パートが絡んでくる展開に心が躍りました。 そして、ラストでは遂に待望の、あの2人の対面が果たされるのです。 S&MとVが融合を遂げる象徴的クライマックスシーンです。 この日を見届けられてよかったー。 もう、ドキドキしちゃったよ^^; 
一方の保呂草たちは保呂草たちで、いい歳して(笑)シリアスなハードボイルドしてるし;; でも結構さまになってるよー。 頑張れー。 なんかこの2人、わたしの脳内でジョンとヨーコのビジュアルで再生されて困る^^;
S&Mシリーズのボーナストラックみたいに楽しめたし、これから読むGシリーズやXシリーズの序章と捉えてもいいのかな? 「捩れ屋敷の利鈍」と、短篇「いつ入れ替わった?」の後日談でもあり、シリーズを越えてあちこち張られてきた些細な伏線が実を結ぶような・・ 読者は幾ばくかの報われた感を味わえるかもしれません。
ただ・・ ここからはちょっとマイナス評価。 「すべてがFになる」の真相としては強引な気がしたなぁ。 まぁ、こうしないと、百年シリーズに繋がらないわけではあるのだが。 うーん、歪んだ母性、歪んでも母性・・なのかもしれないけど。 自分の中では真賀田四季の株が暴落しました。
自殺したくなるような育てられ方をされ、今度は無理やり生き返させられ・・ ここまで我が子の命の尊厳を踏みにじり、搾取する母親のどこに母性を感じたらいいのか、わたしにはわからなかったし、正直、吐き気がするほどの嫌悪感しか湧かないのに、萌絵が同情の気配を見せるんだよ・・
“子供は親を越えていくもの、親は子供を産んだら不要になる”という観念に囚われて、子供に殺されようと思ったけれど、子供は親を殺すことができない優しい子だったので、親を越えられない凡人と判断し逆に子供を殺した・・という前説の方がマシというもの。
そして、犀川先生まで・・ “人が人を殺してはいけない”という概念は、人間が歴史の中から学び取った“モラル”が全て? もっと本能的な・・種の保存のために組み込まれている遺伝子のコマンドは無視するの?
自由な思考のためにモラルから脱却する。 これはいいと思う。 でもモラルそのものの定義を読み誤っていたら本末転倒ではない? 遺伝子の欲求に反逆することが自由へのイニシエーションなのだと言われてしまえばそれまでだけど。 偏った意志が捏造するまやかしにしかわたしには思えなくて、この期に及んでまだ四季を肯定的に評価し、憧れさえ抱いている犀川先生にもついていけそうになくなって悲しくなった。
なんでもかんでも、感情を否定して、理屈だけ尊んでいたら大きな落とし穴に落ちそうでとても怖くなった。 こんな感懐さえ、まだまだ思考を縛り、自分を制限している所作なのかもしれないけど・・


四季 秋
森 博嗣
講談社 2006-12 (文庫)
関連作品いろいろ

| comments(0) | trackbacks(0) |
四季 夏 / 森博嗣
シリーズ2作目で描かれるのは13歳から14歳の四季。 恋の季節・・なのですが、普通の女の子のようにはいかない天才ゆえの苦悩が・・
本作はS&Mシリーズの1作目「すべてがFになる」の序章に当たる作品で、四季のために用意された妃真加島の研究所の建設が進み、やがて完成する時期(70年代の終わり頃)が背景にあります。
最後の晩餐・・あのカタストロフへの助走を遣り切れない気持ちで追体験させられると同時に、Vシリーズの4〜5年後に当たる後日談的要素も盛り込まれていて、こちらの方は清々しいというか、遠景ではあるのですが、みんな素敵に年を重ねてるなぁーというのが窺い知れて、ちょっとハッピーな気持ちにさせてもらえます。
離れて見ると、保呂草も紅子さんも(林までも!)こんなにかっこよかったんだなーと、つい惚れ直したくなります。 カップルに変装した保呂草と亜樹良が七夏の手前でクルっとUターンするシーンがコメディタッチで再生されて和んだり、高校生の犀川先生と13歳の四季がすれ違うさり気ないシーンにドキッとしたり。もうバレバレなんだけど、犀川先生=へっ君なのが証明される記述をあえて絶対書かない徹底ぶりが心憎いですw
四季は・・可哀想な人だなぁというのが正直な感想でした。 非常に痛々しくて・・ タイプは違うけど、わたしの中ではクサナギスイトと重なるものがありました。 勿論これは個人的な“主観”に過ぎず、天才の境地を理解できないわたしが可哀想なのかもしれないけども。 こんな俗っぽい言い方が適当とも思えませんが、典型的な“頭でっかち”という言葉が浮かんでしまった。
大天才であることに本人も周囲も比重を置きすぎて、子供であること、乙女であることが置き去りにされ続けた結果、一人の人間としてぎくしゃくとアンバランスです。 そして今にも壊れてしまいそうな四季。
Vシリーズの人たちが醸し出していたどっち着かずの停滞感、そのしなやかな強さが今にして心に沁みます。 “保留”しておけない潔癖さ、生硬さ・・ 破滅的なまでに犀利な四季の感覚があまりに幼気で。
感情をコントロールするとは、決着のつけられない曖昧な要素を常に抱えていることを自覚し、折り合いをつけながら、その状況と付き合っていくことであって、決してシャットダウンすることではないはずです。 不確定さと向き合うことを不毛な作業と一蹴し、完璧に排除してきた天才性ゆえに、恋のように不意を衝かれる感情にまるで免疫がなかった四季。 そういう意味で四季はむしろ、感情をコントロールすることから最も遠いところにいる存在のようにすら思えてしまいます。 遮蔽するということは抑圧することに似ている。 抑圧の反動として決壊に帰結するのは自明の理ではなかったろうか・・
N大学の図書館のロビーで再会した時、もしかすると四季の微かな一部分は、紅子さんに敗北した(と感じた)のではなかったかと、そんな想像をしてみたくなります。 あの剥き出しの対抗意識は、どんなに理論付けを試みたところで劣等感にしか見えなかったから。
四季は認めないだろうけど・・ 矛盾を受け入れて生きている自然体の紅子さんに触発されて、紅子さんに憧れて、彼女なりに茫洋とした未知数の世界の扉を開けようと懸命に試みたのではなかったかと、わたしは思いました。 “思いたかった”にすぎないのかもしれませんが。
そこにはまるで“矛盾”を体験するために感情的になることを自分に強いて実験でもしているみたいな・・ アンドロイドが人間になろうと模索して空回りしているみたいなぎこちなさがあって。 それはとても切実で滑稽で、哀しく映るのでした。
特殊な環境だったことには違いないけど・・ ふと、へっ君は幸せ者だなぁーという感慨が。 子供時代、紅子さんや保呂草や練無や紫子ちゃんが傍にいたんだもん。 弾力のある心を持った大人が一人でもいいから、四季の身近にもいてあげられたらよかったのに。 なんて思うのは、四季を無理やり人間のカリキュラムの中へ押し込めて安心したいだけなのかな。 保呂草に子供扱いされて楽しそうにしてる姿や、へっ君のお父さんに負んぶされて歩くシーンがわけもなく切なくて忘れられなくて。 あれは四季が“こちら側”に残した“一欠片のパン”のような記憶なのかな。


四季 夏
森 博嗣
講談社 2006-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
四季 春 / 森博嗣
四季シリーズ一作目は、真賀田四季が5歳から8歳頃の幼少期の物語です。 プロローグでは、その後の12歳までのキャリアが駆け足で語られるので、時代背景は概ね70年代と捉えていいでしょう。
Vシリーズで描かれていた紅子との印象深い邂逅シーンが、四季側からの鏡像として裏打ちされていたり、西之園恭介博士に連れられたチビ萌絵が13歳直前の四季に対峙する可愛らしい場面が挿入されていたり、保呂草と知り合う前の各務亜樹良が、エージェントとして四季の周辺で暗躍していたり・・ シリーズを越えて、どんどん世界がでっかくなっていきます。
少女と言ったって、それは外見だけの話。 5歳の時点で既に大学の図書館の本を読み漁っている四季。 別人格に他人(大学関係者など)と議論をさせながら、同時に中心人格もそれを聞いていて、肝心なところで議論に参加し示唆を与えるなどする間も、ずっと中心人格は読書という名の超高速スキャニングを続けている・・と、そんな日常風景だったりします^^; 周りの大人たちが全く子供として扱っていないので、脳内で5歳の少女を再生しながら読むと、ある種、滑稽劇のようなシュールささえ漂うほど、異質というか異形です・・四季少女。
それでも、この時期に四季が重用していた別人格は、まるで大切なお姫様を守ろうとするナイトのように優しいお兄ちゃんの人格です。 裏を返せば、この別人格を必要として作り上げたのは他ならぬ四季自身。 それを思うと、四季の未完成さが愛おしくもあるのです・・が、しかし、“彼女が完璧なものへと近づくにしたがって僕は薄れていく”と言葉を残しつつ、フェイドアウトしていく別人格の彼が、「すべてがFになる」によれば幽閉中には復活してるんだよね。 あの参事に誘発された不安定さの傍証なのか、それとも何か意図的なフェイクだったのか・・ 結局この別人格の意義がよくわからない。 ま、そもそも四季をわかろうとすることに無理があるんだろうけど;;
本来のミステリからは若干軸足をずらしたでしょうか。 どちらかというとミステリアスで耽美な趣きの作品でした。 この雰囲気けっこう好きかも。 ネタバレありきで書いてしまいます。 語り手の“僕”が複数いるんですが、彼らが実在するのか、幻(別人格)なのか、それなら誰が誰の別人格なのか・・ 倒錯的で眩惑的なジオラマが広がっています。 彼女のルーツには、こんな・・ 人生を黙示するかのような暗い影が落とされていたんですね。
今更なんですがわたし、これを読んでいてスカイ・クロラシリーズのカラクリがちょっと見えた気がしました。 こんなところで伏線拾うとは・・ 森さんってやっぱり伏線の魔術師なんだと改めて思った。
コンピュータ・サイエンスが席巻する未来を見据えた視線の確かさの中にFへの布石が散見されます。 そして、その先の誰にも見えない遥か彼方を遠望する瞳には、すでに百年シリーズの青写真が映っているのでしょうか。


四季 春
森 博嗣
講談社 2006-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
どちらかが魔女 / 森博嗣
[副題:森博嗣シリーズ短編集] シリーズの食べ残しを拾おうかなってくらいで、そんなに期待値も高くなかったんですが、美味しい美味しいっ♪ 既刊の短編集に散在しているシリーズ短篇を一冊に再編したスペシャル連作集です。 ご自身がセレクトされた選りすぐり8篇。 どうせなら全部読ませて頂戴なーとか、ガツガツ思ったことを謝りたい・・orz
時系列順に並べられたストーリーの展開も美しいし、一話目と最終話を照応させる仕掛けも鮮やかだし、とても“寄せ集め”とは思えない首尾。 一篇一篇が最初からこの一冊のために書かれたかのような完璧な調和に驚倒させられます。
以下、ネタバレご注意ください。 紹介文に“S&Mシリーズ豪華短編集”とあるんですが、そう、敢えてこの表現が意味深?! と言えなくもない。 一番心惹かれたのは、やはり“捩れ屋敷”に迷い込んだような酩酊感を伴う時空マジックです。 一話目と二話目の流れるような連続性が心憎い。 Vシリーズを読んでいる者にとっては、フランソワが誰なのか、薄々見当はつくものの釈然としないまま読み進めるほかないんですが、全篇に渡ってサブリミナルのように彼女を登場させているのも効果的で、最終話の種明かしには快哉を叫びたくなりました。 明確な答えを手渡してもらえるなんて思ってなかったから。 しかも、練無と紫子ちゃん、えぇぇぇーー! そういうことになったん? きゃー! のオマケ付き。
最高の一篇をあげるなら「双頭の鷲の旗の下に」。 森さんにここまで気持ち良く騙してもらえるとは思わなかった。 キャラへの思い入れの深さを逆手に取られた格好なのが悔しくもあり、恥ずかしくもあり、嬉しくもあり。 しかも国枝先生の秘蔵お宝名珍場面が拝めます。
まるで「黒後家蜘蛛の会」へのオマージュのような諏訪野三部作(?)もよかったです。 ヘンリーの華麗さとは一味も二味も違う諏訪野老人らしさがそれぞれに滲み出ていて^^ 特に「石塔の屋根飾り」のオチが微笑ましかったなー。
そして、やはり萌絵と犀川先生の軌跡をこんなに胸キュンのアングルで辿らせてもらえたことが幸せ。 んもぉー、先生ったらどんだけクリスタル・ハートなのぉー。 中坊なみにおぼこい犀川先生から指輪をせしめた萌絵に乾杯!
森さんは意地悪だとかドSだとか悪し様に言ったことを許して欲しい・・短篇でとびきりのファンサービスしてくれてたんですねぇ。 ありがとう〜!


どちらかが魔女
森 博嗣
講談社 2009-07 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
六とん2 / 蘇部健一
市立図書館になかったのでリクエストしました。 手続きの時、司書さんに“「六とん2」ですね?”と復唱されて、とても恥ずかしかったです・・orz
前作「六枚のとんかつ」でフルボッコされた蘇部さんですが、“六とん”売れてますから! で、第2弾の運び。 うーん、どうかなぁー。 前作は玉石混淆だったけど、地均しされて普通っぽくなっちゃったかも。 それでも面白かったです♪
前作の続編に当たるのは“グループA”の3作のみ。 探偵役の古藤さんと主人公の小野さんの身の上の急展開が、一頁足らずで要約されていて吹きますw “グループB”は、「動かぬ証拠」という作品に登場していたらしい半下石警部モノ。 倒叙ミステリの4作。 “グループC”は、ノン・シリーズ、ノン・ミステリの4作。 笑い、脱力、下品に加え、今回、悲哀と感動が紛れ込んでまして、いっそうバラエティに富んだと言うか、はっきり言ってとっ散らかってます。 でも、こんな無節操っぷりもまた蘇部さんらしい・・のか? 一枚の絵をオチに使う手口がかなりな確率で混ざっております。 先にパラパラ見ちゃうと致命的ですので要注意。
一番好きなのは、「三色パンの秘密」。 スマートな本格です。 このラインナップでは出色だと思いました。 あと、打って変わって「最後の事件」がナイス! たぶん、慣れた頃に読んだら蔑みの眼差しを向けていたかもしれないけど、これを初っ端に持って来たのが成功してると思いました。 蘇部健一の何たるかを忘れていたところに、そうそう、こういうゴミクズなことをしれっとやらかしてくれるんだったよね!って思い出させてくれて嬉しかったよ。
「叶わぬ想い」が酷い・・(褒めてます) これも絵オチなんですが、一瞬、ん?? その直後に、ぎゃ〜〜〜となった;; このお下劣さは、まさに宇宙消滅レベルw 自分は未読なんですが、評判が最悪だったらしい「届かぬ想い」という既刊本の別バージョンみたいです。 蘇部さんは、感動的な話を期待して読みはじめた読者をラストに引かせてしまったのが敗因だったと分析し、今回リベンジを試みられた模様。 だとしたら全く功を奏していません・・返り討ちもんです。 藪蛇です。 というか、嫌がらせです。 おそらく“読者が引いてしまった”部分をわざと誤認して狙い澄まして誤手を打ったでしょw そこがステキ! これぞ蘇部クオリティと誇りたい^^;
伏線ないからアンフェア疑惑の「読めない局面」は、わたしの場合、森博嗣さんの「幻惑の死と使途」の第一章が頭を過ぎったので、当たらずしも遠からずながら看破しました(ドヤっ。
落魄れた小野さんの身の振り方も気になるところですし、「六枚のとんかつ」の正規の続編、絶やして欲しくないよー。 実は早乙女くん、気に入ってたので復活させて欲しいなー、とか希望してます。


六とん2
蘇部 健一
講談社 2008-08 (文庫)
関連作品いろいろ

| comments(0) | trackbacks(0) |