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幻想運河 / 有栖川有栖
幻想運河
有栖 川有栖
講談社 2001-01
(文庫)


有栖川作品の“裏ミステリ・ベスト1”と評されていて、どういう意味?と思って読んだけど、想像以上に難解で、ミステリの極北とでもいうべき異色作だった。 確かに“ミステリをひっくり返した”感はあったかも。
シナリオライター志望の日本人青年が、“書を捨て旅に出た”先のアムステルダムで、バラバラ殺人事件に巻き込まれる。 “運河の街”という共通項でアムステルダムと大阪を語り、二都の親和性を舞台装置として機能させた街小説の側面も感じられた。
ストーリーの中心にドラッグがあるので、主人公の幻覚と現実をどう受け止めたらいいのか戸惑ったり、謎解きもなされ、真相も提示はされているものの、どこか曖昧模糊としていて、ずっと薄靄の中にいるみたいな読み心地だった。
でもなんだろう、逆に、この動機を完全に否定もできないところに危うい怖さがあり、犯人の行動の抽象論に幾許かの慰みの余地さえ生まれ得る。 確かなことは何もわからなかったというより、提示された可能性があったと読みたい・・かな。
ソフトドラッグが合法化されている国のスタイルに準じているのか、ドラッグから連想されるような退廃的な雰囲気はまるでなかった。 むしろ青春小説に属する色合い。 主人公が参加するドラッグパーティーもアットホームなサロンのようで、心理学や文化芸術論などの談義が交わされたり、主人公の内面描写もなかなかに思弁的で、全体として衒学チックな印象も。
作中、トリップした主人公作の幻想推理譚が挿入されているのだが、これが理路整然とおぞましくて怖かったなぁ。 あの入れ子作品によって幻想味の奥行きが一段と増しているのだけど、現実パートへの何かしらの暗示だったのか、そこまでは読み解けず歯痒い。
ミステリアスな構想と異国の街の風情が相まって雰囲気はめちゃめちゃよかった。 読み解けなくても全然苦じゃなかったし、むしろ好きな部類。 漠とした不条理感と悲恋の抒情が漂い、薄ら恐ろしいような・・ でも淋しいような・・ あまり感じたことのない稀有な読後感。
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高慢と偏見とゾンビ / セス・グレアム=スミス
[安原和見 訳] なにこれw どんなセンスよっ! タイトルは「『高慢と偏見』とゾンビ」ですね^^ 紳士と淑女とゾンビ・・ですからね。 あの名作にオプションでゾンビを放り込んでみましたの巻。 放胆なw まさしくキ印認定級の珍品なんですが、にもかかわらず、全米では誰も予想だにしない(笑)ミリオンセラーを達成。 やだ、需要あり過ぎ♪
オースティンの描いた「高慢と偏見」の舞台である18世紀末頃のイギリスは、神に見捨てられた世紀末世界と化していて、感染するとゾンビ化する奇病が蔓延し、ゾンビがうようよしています。 結婚だの財産だの下世話な処世にかまける傍ら、脳味噌が大好物な生ける屍どもの襲撃に備えるべく、武術の稽古に精進するベネット家の五人姉妹・・そんな(どんなw)御時世なのです。
グロあり、ヴァイオレンスあり、戦闘シーンあり、ちょいちょい際どい下ネタありと、本来の典雅で長閑な物語背景とは全く相容れない装飾が施されていますが、登場人物の人間性は変質していません。 だから少しもイヤにならなかったのかも。
途中で脱線していくこともなく・・徹頭徹尾、オースティンの敷いたレールを忠実に走り抜けつつ、全成分がネタで出来た着せ替えレベルのコンテクストマジックが炸裂しています。 もうね、そのパロ加減が半端なくて。 こういうの、正確にはマッシュアップ小説というらしいです。
作者は日本人じゃないからあり得ないんだけど、あたかも“舞踏”が“武道”に、“紳士”が“戦士”に掛かっちゃったりしてるんじゃないのかと勘繰りたくなりました。 センテンス単位でゾンビ仕様の台詞に置き換えられていたりもするから、原典と逐一読み比べできれば、ニヤニヤが何倍増しになるか計り知れない。
例えば、片田舎ロングボーンの社交生活を自慢するベネット夫人の痛い件は・・
【原作】(阿部知二 訳)
「わたしたちは、二十四もの家族と食事をともにするのですもの」
 ↓
【ゾンビバージョン】
「お食事をごいっしょするお宅が二十四軒もあるのよ。いえ、いまは二十三軒だったわね――ミセス・ロングもお気の毒に」
威圧的なお節介が鬱陶しいレディ・キャサリンに、エリザベスが品定めされる件は・・
【原作】(阿部知二 訳)
「わたしがあなたのお母さまを知っていたとすれば、家庭教師をつけることをぜひともすすめたでしょう」
 ↓
【ゾンビバージョン】
「あなたのお母さまを知っていたら、ぜひともニンジャを何人かお抱えなさいと、強くお勧めしたところですよ」
ダーシーの尽力をエリザベスに打ち明けるガードナー夫人の手紙では・・
【原作】(阿部知二 訳)
買収でもして軟化させないことには、彼女は信頼した人を裏切るようなことはしなかったのだろうと、わたしは想像します。
 ↓
【ゾンビバージョン】
顔や首のあたりに強烈にこぶしをお見舞いしなかったら、この女性が秘密を漏らすことはなかっただろうと思います。
といった具合。
エリザベスは中国で少林拳の師匠について修行したカンフーの達人なんだけど、それは邪道だとレディ・キャサリンは馬鹿にしてるんだよね。 日本のキョートで武士道の修業を積まないと一流じゃないんだって^^; その甥っ子のダーシーも日本武術の使い手で、かつてはキョートに留学してたらしいよ。 へぇー、あのダーシー卿が日本にねぇ♪ ま、その、いろんな誤解はあれど、オタク系欧米人の東洋趣味的な・・その辺の感覚がムズムズと楽しかったです。
枠組み、筋立ては、これ見よがしな程いじられてないんですが、小さな間違い探しは随所に散見され、幾分か、原作を逸脱する個所もあって、そんな中に、ひときわ疑問を抱く場面が二つ。
コリンズ氏はどうしてシャーロットの変容に気がつかないんだろう? リディアはどうしてウィカムとの結婚に満悦でいられるの? 自分の見たいものを見たいようにしか見ようとしない心の在り様が、オースティンが描いた“愚行の絡み合う喜劇”を通り越して、狂気じみて見えてくるのです。
真面目な感想を書くと、恐怖と隣り合わせの日常なのに、社交界のことで頭をいっぱいにしたり、平和主義を逃げ口実にゾンビのことは見て見ぬふりしたい人たち・・ 風穴を忌み嫌う、抑圧された旧弊社会の雁字搦めの停滞感というか、18世紀末イギリスの底部に巣食う退廃の象徴ででもあるかのようなゾンビ・・
なにはともあれ、原作を容赦なく逸脱するのは、詐欺師でジゴロなウィカムと卑屈な自信家コリンズ氏の境遇でしょうねぇ。 ビングリー嬢やレディ・キャサリンと違って報いを受けないから憎さ百倍キャラなんですが、この度のゾンビバージョンで、原作ファンの留飲も下がる・・どころか若干引いてしまうくらいの制裁が加えられておりまして、個人的にはやり過ぎじゃねーかと;; ま、B級だからいいのか。
ビングリーとベネット氏の“この秋最初のゾンビ撃ち”(原作では猟)がツボです。 餌にカリフラワーを置いて罠を仕掛けてました^^ “訳者あとがき”によると、本書へのもっぱらの不満の声は“ゾンビが足りない”だったらしい。 欧米人ってどんだけゾンビ好きなのーw


高慢と偏見とゾンビ
セス グレアム=スミス
二見書房 2010-01 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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恐怖 / 筒井康隆
地方都市の閑静な準高級住宅地で、閨秀画家、建築評論家と、相次いで文化人が狙われる殺人事件が発生。 最初の事件の第一発見者となった村田勘市は、離婚して3年、独身生活を送るそこそこに名の売れた作家。 見えない殺人者に怯え、次は我が身・・と恐怖を増幅させていく一作家と、その周辺の文化人たちの狼狽えぶりをフィーチャーし、諷刺的に描かいた狂想曲のような作品です。 事件の背景も含めて“文化人”なる生態の厭世的なひ弱さが突きつけられていますが、少しばかり哀愁の色も滲み、いい感じの滑稽劇になっています。
そもそも恐怖とは何か? なんて考えてる場合じゃないのに、恐怖を払拭するためにその根源を喝破しなければという妄念に駆られて、哲学や生理学で蘊蓄を捏ね繰り回してみたり、恐怖を分類整理してその場かぎりの満悦感を得てみたところで、解剖された恐怖は、リアルな本質からどんどん乖離していくばかりでなんの解決にもならないし、はたまた、事件の真相を求めてミステリのアイデアにのめり込み、執着し、熱中することで、気持ちを紛らわせようにも、思考のお化けを生み出すばかりで、ますます神経症的暴走を加速させてしまうという^^; 作家という人種の悲哀が戯画化されていて非常に面白い。
本編を真っすぐミステリとして読むと、あっと驚くことはなにもないのですが、“しかし現実はいたって普通なのだ”という皮肉オチが盛ってあったかな? どうだろう。 ※クリスティーの「そして誰もいなくなった」ネタバレ注意。


恐怖
筒井 康隆
文藝春秋 2004-02 (文庫)
関連作品いろいろ

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告白 / 湊かなえ
第一章だけで完結していたような。 あるいは第一章だけなら切れ味よいミステリ短篇の傑作だったかも。 長篇となると、どこがどうミステリなのか・・ 少なくとも真犯人云々、事件の真相云々といった展開を期待して読んだら肩透かし。 一人称多視点もので、登場人物たちの多面性が少しは描かれているのだが、あえてこの技法を使う意味もよくわからない。
自分の思い込みを主張し、正当化し、相手に押し付けるタイプの人間ばかりが登場人物として陳列され、本音とされる部分をただただ露悪的に暴露している。 マウンティングの取り合いしてるみたいで、結局は論破して相手を見下した者がクール!的なノリなんだよな。 真のコミュニケーションといえるパーツが成立していないのが特徴的なのだけど、そういった風潮の問題提起ではなく、趣向としてカッコよくデモンストレーションされている。 一回り外側から見れば、作者の今ウケ風視点も含めて現代社会のヤバさが漂ってる気がした。 そこまで織り込み済みというのなら凄いんだけど。
お手軽に読める娯楽小説ではあると思うけど、それだけの作品なのに深刻なテーマに手を出して社会派っぽく煽ってる感がキツくて罪深いと思ってしまった。

<追記>
ミステリの賞を受賞したのは短篇としての第一章だったことを後で知りましたm(__)m 納得です。


告白
湊 かなえ
双葉社 2010-04
(文庫)





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