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オリーヴ・キタリッジの生活 / エリザベス・ストラウト
[小川高義 訳] ニューイングランドの海辺に位置する架空の田舎町、クロズビーを舞台に、そこに暮らす人々の生き様に触れる連作短篇集。 町そのものに、こぢんまりとした美しさ、静けさが感じられるし、登場人物も中高年世代が多く、一見、長閑で穏やかな印象を落とす生活風景なのですが、ここに描かれているのは、他ならぬ、生きる激しさでした。
達観や諦観をまとった老成タイプの中高年は、読んでいて心地が良いものですが、そういった人物は殆ど登場しません。 愛を模索し、孤独に怯え、みんな切実で必死です。 老いてなお、人は飢えている・・ そんなことをふと思う読後感。 錆びついた後悔や濁った執着に押し潰されそうになりながら、居場所があり、必要とされることを我武者羅に求めずにはいられない。 前に向いて伸びている時間の短さにたじろぐ日々の浮き沈みの中で、時には、裂けた破片のような痛みが身体を刺し貫ぬき、生々しい傷痕を残してもいくし、千々に心は乱れても、移ろいゆく時を止めることはできないという鈍い疼きに絶え間なく押し包まれてもいる。
町の中学校で数学を教えていたオリーヴ・キタリッジという、気性の激しい女性が13篇全てに登場しますが、彼女が主役の時も、脇役の時も、噂にのぼる程度の時もあります。 中年期から老年期のオリーヴを追う時間軸と、オリーヴを様々な方向から切り取った多視点軸の相乗効果なのか、徐々にクロズビーという町の一体感が醸し出され、人々の営みに奥行きが生じ、読み終えてみれば長編小説のような充足感が得られます。
愛の関係があるから人は沈まずにいられる。 そこにはしかし、うっかりすると足を取られそうな底流もある・・ 人間模様は起承転結で語ることなどできないこと、人は百パーセントで繋がり合うことなどできないこと、そして、身体に沁み込んで、沁み込み過ぎて、もう、一定の成分だけを分離、抽出できないような深い懊悩を見事に描出した作品だったと感じました。
わたしは3作目の「ピアノ弾き」が好きで、アンジーの弾くカクテル・ミュージックに、いつまでも心の底の静かな水面を揺らされていたいような心地でした。 ことのほか抒情的な作品で、哀しみに寄り添い易かったからかな。 単に波長が合ってしまっただけなのかもしれないけど・・お気に入りの一篇です。


オリーヴ・キタリッジの生活
エリザベス ストラウト
早川書房 2010-10 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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丸太町ルヴォワール / 円居挽
プリズム模様のようにギミックが詰まっているので、全てを堪能できた自信はないのだけれど、面白かったですっ! こういう比較は野暮かもしれないが、京都ならではの非日常へのインデックスを巧妙に物語に取り入れ、見事に世界観を構築しているという意味で、万城目さんや森見さんが描いた京都モノの、がちんこミステリバージョンみたいな印象。 強いて言うなら、ちょっとデカダンで厭世的で衒学的な雰囲気が特徴かな・・言葉のセンスもいいし、すっごく好み。
渦中の人物を御贖(被告)として立て、青龍師(弁護士)と黄龍師(検事)が御贖を挟んで舌鋒戦を繰り広げる“双龍会”は、平安京の貴族社会に由来する私的裁判で、一種の伝統芸能みたいな側面を保ちつつ、現代に継承されているらしいパラレル京都。 双龍会での有罪は尊厳の剥奪に等しく、残酷さと理不尽さに満ちた法廷遊戯が最高級の見世物として、粋狂な群衆(傍聴人)たちを熱狂させている様子。
一族の間で薄汚い解決がなされた過去の事件を蒸し返し、自ら祖父殺しの嫌疑を背負ってまでも双龍会の御贖となる白皙の美少年。 彼の真意は身の潔白を証明することにはなく、事件当日、知性と波長を絡ませ合って甘美な一時を過ごした謎の女性“ルージュ”の消息を探ることにありました。
証拠品のでっち上げ、盗聴、偽の証人・・と、悪魔的な離れ業の応酬で禍々しくも艶やかに演出されるショータイム。 二転、三転、四転、五転・・ケレン味たっぷりな丁々発止のコンゲームは、まるで事件の真相から遠ざかる方向へ爆走しているように思え、途中まで一体どこを目指しているんだろう・・と不安を抱えて読んでいたのですが、徐々に余興の外堀は埋まり、核心部の論理的帰結に向けて収斂させていく手際の確かさ、破綻のなさに痺れているわたしがいました。
意地かロマンか何の因果か、戦いに駆り立てられていく龍師たち。 言の葉を吹いて寿と為す者、言の葉を操って嘘を結実させる者、言の葉を散らして夢を醒まさせる者・・ 祝う、呪う、払う。 三匹の龍が拮抗し、双龍会はまだ見ぬ高みへと翔けあがっていくようでした。
それに引き換え、ギャンビットなみっちゃんのピエロっぷりが泣けるし、和む。 “心に男子中学生を飼っている”熱き凡人のみっちゃん、大好きだよ><


丸太町ルヴォワール
円居 挽
講談社 2009-11 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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箱庭図書館 / 乙一
乙一さんが一般の素人さんからボツ原稿を募り、その中から6篇をチョイスしてリメイクした短編集。 こう書くと身も蓋もない気がしてきますが、“オツイチ小説再生工場”という読者参加型の企画ものなのだそうで、ファンにしてみたら、これメチャメチャ美味しい企画ですよね。 嬉し恥ずかしコラボ作ですから!
これぞ究極のファンサービスと言えなくもないですし、タブーを逆手にとったようなふてぶてしさ(?)がいいじゃないですか^^ 一回くらいは。 投稿者のオリジナル版はこちらで読むことができます。
一篇一篇の出所が違うわけですから、もともと全く関連性のない単品だったはずが、架空の“文善寺町”を舞台にした連作短編集の体裁に整えられ、街角小説的な息吹きが吹き込まれています。
私立図書館のあるこの小さな町のキャッチコピーは“物語を紡ぐ町”。 一つの町、一つの箱庭を作っているような気持ちで執筆したとご本人が語られているだけあって、きらきらした物語がいっぱい眠っていそうな、ちょっぴり不思議テイストな・・ それぞれの短篇の相乗効果で“文善寺町”が魅力的に感じられました。
無類の本好きで、地元では伝説的存在になりつつある私立図書館勤務の山里潮音さんが全篇に渡りキーパーソンのように存在感を漂わせつつ、その弟の若き小説家や、潮音さんに三万円の借金がある後輩や、風船のような丸いお腹の警官、コンビニ強盗、殺人鬼、ぽっちな小学生、自意識持て余し文芸部員、暇な大学院生、川沿いの廃屋、黄色い王冠のマーク・・などなと。 あっ、あの時の! みたいな仕掛けでしみじみさせてもらえる場面がいい。
思うに、自分にない個性を作品に反映させてみたいという実験的な試みだったのかな・・と。 着想やディティルやテイストが多彩でマンネリ感がなく、逆にファンとしては乙一色が足りない気がしたのは確かなんですが、全体に甘酸っぱく、ほろ苦い青春系で綺麗なまとまりを見せていて、読み終えれば、やっぱり乙一だったなーという奇妙な感慨。
最終話の「ホワイトステップ」は、ラインナップの中で最も長い100頁余りの中篇で、わたしはこれが抜きん出てよかったです。 典型的な白乙一もの。 自分の書くものに近すぎて、当初、あまり触手が動かなかったと告白されているのですが、手掛ければこの完成度。 乙一さんの王道と言ってしまえばそれまでですが・・ やっぱり、“っぽさ”というのか、ワールドを求めたいなぁーと、これを読むと素直に思う。


箱庭図書館
乙 一
集英社 2011-03 (単行本)
関連作品いろいろ

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夢違 / 恩田陸
フロイトが「夢判断」を執筆してから一世紀余り、夢そのものを映像データとして保存する“夢札”という技術が開発され、肉眼で夢を視る、本物の“夢判断”が行わるようになったパラレル現代(ちょっと近未来?)の物語。
“夢を目で見る”という新しい共通認識が出来た子供世代の間で多発する集団白昼夢や集団神隠しなどの不可解な現象はいったい何の兆しなのか。
究極のプライバシーである夢札を“視て”夢の解析を行う“夢判断”を生業とする野田浩章は、図書館の渡り廊下で見かけた死んだはずの女性の面影に突き動かされ、狂言回しさながら、これら無意識をめぐる事件の追跡者となるのですが、その最中、職業病である“夢札酔い”に襲れ、微妙にずれつつ重なり合う現実と幻覚の狭間を彷徨うような・・奇異な感覚に苛まれていきます。
“夢は外からやってくる”。 自分が誰かを好きだからその人の夢を見るのではなく、自分のことを好きな誰かが夢の中にやってくると考えた古代の日本人。 夢そのものを依り代として“何か”がやってきて、また帰っていく・・ 能を想わせるような夢思想が、ミルク色の濃霧に包まれた奈良の都の中で瘴気のように妖しさを際立たせています。 小さな迷宮のような古い集落、満開の桜に覆われた吉野の山肌、春日大社の若宮おん祭、蔵王堂、法隆寺の夢殿・・を巡り歩く、ひんやり湿った旅情。 そこに立ち込める魔都的な風情が芳しい都市綺譚です。
夢とは本来、忘れることでその役割を果たしているだろうに・・ それを無理やり可視化したら、イケナイものまで暴いて、いかにも“何か”を呼び起こしてしまいそうで怖いです。 人間の意識下に蠢く、理解の範疇を超えた“何か”が、個々の内側から離れ、人類全体を覆う巨大な集団的無意識として外側に蔓延してしまった世界というのは想像するだけで恐ろしい。
でも、一昔前までは少数派や通人の特権だったことが“次の世代になるとみんなできる”という現象を、生きていれば知らず知らず目の当たりにしていることに、ふと気づかされます。 夢の可視化というのは途方もない例だけど、世の中が、あらゆるものを可視化する方向へ押し流されていることは確か。
ネットの中の情報の洪水、宇宙の仕組みや素粒子の発見、街の中の無数のレンズ・・ それらが次世代の共通認識をどのように変容させ、どんな影響を与えていくのか、その評価はずっと未来に委ねなければならないのかもしれなせん。 ちょっと警鐘めいたものも嗅ぎとれるSFチックなサスペンスでした。


夢違
恩田 陸
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-11 (単行本)
関連作品いろいろ

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名画で読み解くハプスブルク家12の物語 / 中野京子
スイスの片田舎の弱小豪族だったハプスブルグ家は、十三世紀初頭に、ハプスブルグ伯ルドルフ一世が棚ボタ式僥倖(笑)で神聖ローマ帝国皇帝の座を射止めて以来、約650年の長きに渡り王朝を維持し続け、ヨーロッパ史の中核的存在として名を馳せました。
“中世最後の騎士”と讃えられたマクシミリアン一世の奮闘、夫の亡骸とともにスペインの荒野をさすらったフアナ、“日の沈むことなき世界帝国”と謳われたスペイン・ハプスブルグ家繁栄の基礎を築いたカルロス一世と、その息子のフェリペ二世が君臨したスペイン黄金時代の光と影、濃縮された“高貴なる青い血”に呪われたハプスブルグ家の闇を象徴するかのようなカルロス二世・・
そして、もう一方のルーツであるオーストリア・ハプスブルグ家もまた、スペイン継承戦争や、三十年戦争でブルボン王朝に敗れ、ヨーロッパの栄華の中心から緩やかに後退していく・・その最中、政治はそっちのけで数寄者の道を邁進して一族最高の変わり者と評されたルドルフ二世、冷徹な政治手腕で斜陽の王朝を持ちこたえさせた女帝マリア・テレジアと、その末娘にして世紀の大悲劇を運命づけられた、偉大なる凡庸のヒロイン・・マリー・アントワネット。
さらに、ナポレオン一世に人身御供として嫁がされた可哀想なはずのマリー・ルイーズの人気のなさ、何時しかその人生に付き纏う空虚に魅了されてしまう皇后エリザベートの美しさ、ゾフィとナポレオン二世との間の不義の子と噂されたマクシミリアンの遣る瀬無い最期・・etc
薄い本なので駆け足ではありますが、一族の主要人物が12枚の絵のうちにざっくり網羅されていたのではないでしょうか。 本書は、絵画をもとに時系列で歴史を辿り、ハプスブルグ家の盛衰の襞で人間絵巻を綾なした王や王妃たちを点描のように掬い取ってみせてくれています。 メイン絵画の他に図版も多く紹介されているので、眼の喜びも一入。
ヨーロッパ中世史の素養がまるでない自分は、絶えまない隣国の脅威、血で血を洗う一族の政争、近親結婚の闇、カトリック宗主国へ吹き荒ぶ宗教改革という逆風・・といった、ハプスブルグ家をめぐる歴史的背景の凄絶さに初めて触れて、その禍々しくも絢爛豪華なドラマ性にブルブル鳥肌立ててた有様だったし、絵画鑑賞そのものにも不慣れであるため、あるいは、中野さんの意図した“絵画で読み解く”という応用レベルまで、経験値が達していなかったかもしれませんが、端的な言葉での心地よいナビゲートに、いつもながら夢中で読みました。
フランシスコ・プラディーリャの「狂女フアナ」、ティツィアーノ・ヴィチェリオの「カール五世騎馬像」「軍服姿のフェリペ皇太子」、ディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」、フランツ・クサーヴァー・ヴィンターヘルターの「エリザベート皇后」などなど。 解説の賜物ではあるのですが、一瞬で遠い過去をこちら側に引き寄せてくれる名画の数々。 物語を知って絵を見ると、感慨深さがいや増して、肖像の奥に、彼ら彼女らの内面が生き生きと脈打っているのを察知せずにはいられなくなる瞬間がヤミツキに。
後世の史家や研究者たちの目の付けどころや感性の閃きにも依るのだろうけれど、歴史とはこれほどまでにドラマチックな眺望を持つものなのかと、改めてゾクゾクしました。 中世王侯貴族ものの大長編を何か読みたくなったなー。


名画で読み解く ハプスブルク家12の物語
中野 京子
光文社 2008-08 (新書)
関連作品いろいろ
★★
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