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ダリの繭 / 有栖川有栖
− 新版 −
ダリの繭

有栖川 有栖
角川書店 1999-12
(単行本)


作家アリスシリーズ2作目ですが、1993年刊行の書きおろし文庫版に加筆し、単行本化した方の“新版”を読みました。 どの辺がどう加筆されているのかは全くわかりませんが。 ペダンティズムと気負った風な青さが香ばしかったです。 好意的に読んだんですが、どうかなーとちょっと微妙な感触も残ります。
シュルレアリスムの巨匠で、宝飾デザインも手掛けたサルバドール・ダリの心酔者として知られる日本有数の宝石チェーン店のオーナー社長が、週末を過ごす六甲山の別邸で殺害されます。 フロートカプセルという現代的な瞑想器械に浮かんで発見された死体には、彼のトレードマークであった“ダリ髭”(蝋で固めて両端がピンと跳ね上がった鼻の下の髭)がない・・ 警察から助言、協力を求められた火村助教授(とその助手として同行する推理作家のアリス)が捜査の現場に臨みます。
詰め込みすぎかなーと思えるような、取りとめのない散漫さもあるのです。 でも、奇妙に錯綜していく状況に加え、様々な概念的モチーフが乱反射しているようなイメージは、なんとも思索的で、瞑想的で、形而上学的で。 気持ちを内奥へと向かわせる吸引力があります。 作品そのものがシュールレアリスムを体現しているかに思える世界観と、プロットに反映されたダリの思想や人生や作品の奇警な彩り、熱病のような好景気の余韻を滲ませた1992年頃の金満国日本の遊惰で虚ろな空気が、よい親和性を感じさせてくれています。
結局、ミステリパートがあんま自分好みではなかったんかな。 論理の脆弱点を補うための後づけなのかな? 依って立つ理屈が如何にもこじ付け的に感じられて若干気になる箇所があったんだけど・・ あと、ちょっと細部の詰めが甘いというか、目を開けてるのに“安らかな”死顔とか、脱衣籠が伏せてあるのに“空っぽ”とか表現している人がいて、何かあるぞ! と無用に勘繰ってしまった。
自叙伝「わが秘められた生涯」の中で、ダリは誕生以前に体験した子宮内の記憶を楽園のように幻視しているらしいのですが、ダリの心酔者であった被害者が愛好していたフロートカプセルは、まさにこの子宮のイメージとクロスオーバーして描かれています。 傷つきやすい自我を防衛するための繭のような避難所は、形は違えど誰もが必要とする拠りどころなのかもしれない。 そしてこの“繭”は使い方次第で、その人にとってプラスにもマイナスにも揺れる大きな振り幅を見せるんだろう。 繭の中で人は、いろんなもを変容させ、いろんなものを形作っていく・・ そんな一つの“繭”から生れた物語、というわけなんですね。
登場人物たちのそれぞれの繭が描かれ、高校時代のアリスが体験した悲恋物語の遠い記憶が、その延長線上に浮かび上がってきたり。 繭を紡いで胸を刺す痛みを小説に昇華させたアリスだから、真野早織さんのようなご褒美が人生の先で微笑んでいたのかな・・とか、アリスの存在が火村先生にとっての繭だったりするのかな・・とか。 なんか、そんな風に思いたくなった。
被害者の弟がフロートカプセルの中で見た悪夢。 あれ、凄く印象的だったなー。 三人の異母兄弟間に伏在する眼に見えないどんな抑圧が、姿を変えて意識下に現れたのか・・ これだけでちょっとシュールな佳品だと思ったほど。 気づけてないだけだったらごめんなさいですが、欲を言えば、この悪夢が陰画となって真相と深いところで連動してたら最高だったのに、と思ったり。
あとね。 本筋とは無関係なんですが文句がある カナリアに一日餌をあげてないことに捜査行の途中で気づくアリスが、気づいておきながらなかなか家へ帰らない 早く早く〜! 帰ったげて〜!! と気が気じゃなくて集中力を欠いてしまった 結局何事もなくカナリアはスルーなんだよね;; だったらあの一言いらなくね? それか、ちゃんと餌をあげる場面を挿入して安堵させて
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46番目の密室 / 有栖川有栖
46番目の密室
有栖川 有栖
講談社 1995-03
(文庫)
★★

国名シリーズだけ拾い読んでいましたが、“作家アリスシリーズ”全部読む気になって引き返して参りました。 結局こうなるわけね;; シリーズ一作目の長編です。
好きだなー。これ。 まだ推理作家として駆け出しだった有栖川さんの、所信表明にも似た息吹きが感じられて。 クールで洗練されたメタ的新味の中に、本格ミステリや密室トリックに対する熱い想いを(剥き出しに投げ込むのではなく)巧妙に溶かし込んでおられて、この頃から暑苦しさや野暮ったさは皆無。
日本のディクスン・カーの称号を持つ密室の巨匠は、目下、46番目の密室トリックを盛り込んだ長編を執筆中。 クリスマスに北軽井沢の巨匠の邸宅“星火荘”に招かれた、担当編集者や親しい作家たちを待ち受ける惨事。
パーティ、悪戯騒動、殺人事件と、徐々にディープな階層へ転び入る物語の構図には、クローズド・サークル、密室、暗号解読、犯罪論やミステリ談義、そして、クィーンの「最後の一撃」へのオマージュのようなミッシング・リンクなど、本格ミステリを彩る重要モチーフが具備されていて、盛り過ぎかというと全くそんな印象はなくて。
“地上の推理小説”と“天上の推理小説”という相反するアプローチを両輪に、密室トリックこそが本格ミステリの象徴であると位置付ける姿勢がくっきりと浮き彫りにされていて、それはもう、清々しいまでの読み心地でした。
メインの密室トリックは華麗じゃないし、全体的に哀愁さえ漂うくらい泥臭い理屈が採用されている。 生真面目に堅牢なプロットを遵守しきった“地上の推理小説”を敢えてお書きになった気概に惚れてしまうのである。 と同時に、トリックの限界を超えたいと希求するキラキラとした眼差し、見果てぬ夢を追い続ける推理作家としての覚悟や矜持といった秘めたる想いが限りなく響いている。
暗い夢がこの世の外へ向けて矢のような光を放つ・・ 密室の息の根を止める幾何学のファンタジーを、有栖川さんは何時か見せてくれるのかしら・・ アンチの向こうに広がる宇宙に連れて行ってくれるのかしら・・ そんなロマンに魅せられたなら、どうしてファンにならずにおれようか。
いきなり冒頭で、犯罪社会学者たる火村助教授の講義の場面が拝めて、おぉ! ってなったり、火村とアリスのファースト・コンタクトとなったエピソードが披露されていたり、英都大の学生である“僕”(有栖川有栖)が語り手になっている“学生アリスシリーズ”との奇妙な繋がりが明かされていたり、マニアック・ポイントも充実していましたし、ファンにはロンドン名所の一つだった(今はネット専門店になってしまったと小耳に挟みました・・)チャリング・クロス街(ロンドンの神保町)の推理小説専門書店“Murder One”の話題や、熱狂的な密室小説愛好家のロバート・エイディによる密室トリックコレクション「Lockd Loom Murders」の解説など、ミステリ・トリビアも興味津々でした。 余談ですが、バリー・ペロウンの短篇、「穴のあいた記憶」とやらが無性に読みたくなった。
適度なミスディレンションのおかげで、自分もアリス同様、真実の斜め周辺(笑)をうろうろさ迷ったわけですが、自分にはあんな暴走はできません 完全に振り切られましたw 彼が終盤で開陳する道化っぷりにはニヤニヤ笑いが止まらんかった。 火村先生の探偵譚をネタにしているわけではなく、オリジナルの推理小説を創案し、発表しているアリスが名探偵にはなれないんですよねぇ 紙の上ではいい線いくのにねぇ。 こんなパラドックス的な皮肉によって発電される茶目っ気さえ技巧的で抜かりがないです。
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スウェーデン館の謎 / 有栖川有栖
スウェーデン館の謎
有栖川 有栖
講談社 1998-05
(文庫)


作家アリスシリーズの5作目。 国名シリーズとしては2作目に当たる作品。 長編です・・でした。 国名シリーズって、息抜き的な連作短篇のシリーズなのかと勝手に勘違い;; なら、作家アリスシリーズ、順番に読めばよかった。 ま、いいんだけど。
アリスは取材旅行で雪深い磐梯高原を訪れます。 滞在中のペンションの隣家、童話作家の一家が暮らすオーセンティックなログ・ハウス、通称“スウェーデン館”へお茶に招かれたアリスが遭遇する惨劇。
五色沼や磐梯三湖の玄妙な佇まい、民謡に唄われた宝の山の、ごつごつと烟る荒々しい稜線・・ 裏磐梯の雄大な自然が、哀しい物語を懐深く抱きとめて慰撫してくれているかのよう。
“雪の密室”とでも言えそうな、雪上の足跡ものです。 ストーリーは想像を超えるという感じではなかったですが、簡潔で綺麗なトリックが印象に残る作品・・ という自分の中での位置づけを認識して読了したところ、宮部みゆきさんの解説を読んで、修行がたらんなーと嘆息してしまいました。 火村が時折漂わせる深刻なトラウマ持ちらしき気配が、アリスの思考を通して伝わってくるので、読んでいて気掛かりなのは事実なんですが、自分が読むのが2作目だったことを言い訳にすれば、それほどの思い入れもなかったのに、気掛かり具合に拍車をかけさせるような名解説
このシリーズで扱われる事件が“男女や親子の愛憎を元とし、しばしばホームドラマの様相を呈する”のは、それ相応の必然性があるからなのだという指摘に触れて、火村の“探偵する理由”を探るシリーズという長いスパンでの物語性への関心が、自分の中で急浮上してきました。 お気楽そうな国名シリーズだけ気分転換にちびちび読もうかとデレっと構えていたのに、宮部さんのせいで、作家アリスシリーズ全部、固め読みしたくなっちゃったよ んもぉ〜憎い仕事をなさいます
有栖川さんって、ガチの本格ミステリ作家さんっぽくない(と云っては語弊があるかもしれませんが;;)、小説家チックといいましょうか、繊細で端麗な文章を書かれるんです。 筆先に滲ませるちょっと古めな美文調(?)が、理知的でありながら抒情的で・・ なんか雰囲気あるんだよなー。
あっ、でもこれって、作中の“私”こと推理作家の有栖川有栖の一人称(正確には“学生アリスシリーズ”の有栖川有栖が書いてるという設定)だから、彼のセンスを反映させてるという趣向なのかな? うん、きっとそうだ。
スウェーデントリビアが、程よいさじ加減でプロットの彩りに貢献しているし、 読者をもてなしてくれるサービス精神も嬉しい。 家庭で作る生姜風味のクッキー“ペッパァルカーカ”(それを食べると誰もが親切な人になれると言い伝えられている)や、夏の風物詩のザリガニパーティ、冬至の日の宗教行事であるルシア祭などなと。 暗く長い冬を心地よく快適に過ごすために培われてきた習慣が、北欧の傑出した家具調度や児童文学のベースにあるんだなーと、心にストンと落ちるものがありましたし、スウェーデン人の人生観や自然観からフィードバックして、日本の慣れ親しんだ自然の美しさを再認識させてもらえるような遣り取りなども粋な計らいに思えました。
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真珠の耳飾りの少女 / トレイシー・シュヴァリエ
[木下哲夫 訳] オランダ絵画黄金期を代表する画家であるフェルメールの、最も有名な作品「真珠の耳飾りの少女」(今、来日中ですね?タイムリーな読書となりました!)のモデルとなった娘の眼を通して、17世紀オランダ庶民の生活風景が活写され、名画の背後に眠るストーリーが紡がれていきます。 モデルの素性については、確実な根拠を持つ答えが未だ出ていないので、無論、著者が創造した架空の物語ということになります。
“一つの仮説”と言っても過言ではないくらい、美術史に違反しないよう、入念な考証がなされているのを感じ、とても真摯な印象を持ちました。 その一方では、史実と史実の隙間のエアポケットを独自の女性らしい感性で存分に埋め尽くしていて、この、色彩や匂いや皮膚感覚を総動員するような埋め尽くしっぷりが、わたしの琴線に触れまくりでした。
デルフトのアウデ・ランゲンデイク街にあるフェルメール家に女中として住み込み奉公することになった利発な少女、フリートは、細心の注意を払わなければならないアトリエの掃除で画家の信頼を勝ち得て、徐々に顔料の洗泥や絵具の下拵えを任される助手のような立場に取り立てられていきます。
旦那様である画家に寄せるフリートの儚い想いは、まるで「人魚姫」のように清冽で甘美。 画家の啓蒙に導かれ、世界を取り巻く色彩の豊かさに気づいていく“光”と、芸術家特有の悪意のない残酷さに自己犠牲の精神で隷従する“影”とが、物語全体を表裏のように覆っていて、そのコントラストが実に絵画的。
家中の女性たちの嫉妬や憎しみを掻い潜りなから、画家をサポートする秘密の時間は、静謐なのに濃密で、ピュアなのに艶めいて、神聖なのにエロティックで・・ 溜息が洩れるくらい美味な質感を纏っています。
フリートは、16歳から18歳という、少女が大人になる時期を画家に仕えて過ごしますが、これは、フェルメールがとりわけ多くの優れた作品を残している1660年代の一時期(1664年〜1666年)と一致していて、この間、フリートは、幾つかの名画の制作現場に立ち会うことになります。
「真珠の首飾りの女」の背景に描かれていた地図を消した経緯が、カメラ・オブスクラ(暗箱)を制作の一助として用いたエピソードとともに明かされたり、「窓辺で水差しを持つ女」で顕著に見られる光彩の透明感(何を引き金にインスパイアされたか)の秘話が明かされたり、「手紙を書く女」の青いテーブルクロスの襞の、計算された構図がどのように生れたかが明かされたり・・
そして遂に、「真珠の耳飾りの少女」で、フリート自身がモデルを務める時が訪れます。 娘と画家の密やかな交感は、うたかたの夢のような敢え無さを織り込んで、激しく静かなクライマックスシーンを迎えます。
ターバンから零れさせた一筋の髪は、画家が自制した想いの丈の発露であるかのようですし、更に踏み込めば、右の耳朶を貫く針の痛みと破瓜の痛みを重ね合わせて読んでしまうのでした。 燃えるように狂おしい2人だけの特別な儀式のようで・・ ふぅ。 右側の見えない耳飾りに与えられた“影”の役割によって、“左右二つの耳飾り”に名画の光と影が象徴的に投射されるのを感じずにはいられない。
かつて胸を焦がした慕情を、終章で“固い肉の蕾”に変容させる手腕が憎らしいほど光ります。 頭巾(ターバン)もそうですが、特に絵画の重要なモチーフである真珠の耳飾りが、物語の中心的な道具立てとして見事な輝きを放っていることに感嘆。 作品の中にだけ、その一瞬の真実が焼きついている・・ そんなことを揺ら揺らと思いめぐらせながら、気がつけば表紙に釘付けになっている。 そしてまた溜息。


真珠の耳飾りの少女
トレイシー シュヴァリエ
白水社 2004-03 (新書)
関連作品いろいろ
★★★
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オリーブも含めて / アンドレア・ヴィターリ
[久保耕司 訳] 第二次大戦が間近に迫るファシズム時代。イタリア北部のコモ湖畔の町、ベッラーノで繰り広げられるドタバタストーリー。 著者のヴィターリは、故郷のベッラーノを舞台にした小説を書き続けているのだそうです。 本書はイタリアでベストセラーになったらしい。
時代背景や因習を旨味にした小ネタなどは、隅から隅までわからないけど何となくノリはわかる・・みたいな。 おそらくイタリア人ならもっともっと楽しめるんだろうなーと思うと、やはりちょっと口惜しいものの、そこを差し引いても十分に面白かったです。
1936年末、年老いた未亡人の死体発見から物語は転がり始め、 いろんなことに少しずつ微妙な狂いが生じて、それが連鎖反応を起こしていくかのように、その後の数年間に渡り続発する厄介事が狂想曲の態で描かれていきます。 カラビニエーリ(治安警察官)准尉、行政長官(ポデスタ)、主任司祭、町医者、ファシスト党の支部書記、王立郵便局長、食料雑貨屋、猟師、商売女、占い師、不良グループ、猫、鳩・・等々、 突拍子もなくエキセントリックな(そして当人たちにとっては切実な)瑣事(失礼;;)に、右往左往する住人たちの暮らしぶり・・ 1人1人の頑迷さが網の目のように関わり合って、絡み合って、こんがらがっていく様子には、田舎町ならではのコージー滑稽劇のような可笑しみが滲みます。
短い章立てでクルクルと場面が転換し、あれよあれよと脱線していくというか、ボタンを掛け違っていくというか。 ページを繰れば繰るほど話の軸が何処にあるのかわからなくなる一方なので、読書中はちょっともどかしいような、心許ないような奇妙な気分なんだけど、一度このテンポに呑まれちゃったら途中下車できません。
時期的に当然ながら随所にファシズム党支配の影が落ちています。 でも、暗いことは描かないぞ!という作者の気概を感じるのでした。 むしろ、こんな閉塞的な時代でも人々は バカバカしい空騒ぎ(失礼;;)に血道をあげて、エネルギッシュに生きている・・ そんな姿が、どことなく健気に響いてきたり、なんのかんのと辺境の小さな町で、みんなが一つの家族みたいなんだよね。 “うまくいかないこと”や“心休まらないこと”で出来上がってるかのような物語なのに、一陣の風が吹き抜ける爽やかな印象を残すのです。 そして後戻りできない暗い時代に属してしまう前の、最後の輝きのような・・ そんな眩しさも。
大戦時代をすっぽり飛び抜けてのエピローグでは、お騒がせな輩の消息も窺い知れて、空白の時間をきっとそれぞれに逞しく過ごしたのだろうなぁーと想像し、なぜかしら情感に満たされてしまいました。
表紙・・orz これ、小咄からヒントを得て生れた物語らしいです。 どんな小咄なのか詳細が知りた過ぎる。 このタイトルがクセモノ(笑)なわけですが、途中で判明する例のアレはフェイク的な余興で、実は最後の最後で(タイトルに掛けて)落としてるのが本命? そう解釈したいところなんだけど、それにしてはオチがわからない;; もしかして訳者さんもわかってなかったりする? と不心得なこと書いちゃいたいくらいわからない・・っていうか、わからなくても何か絶対オチていて欲しい・・そんなラストなのでした^^; わかる方、教えてください><


オリーブも含めて
アンドレア ヴィターリ
シーライトパブリッシング 2011-08 (単行本)
関連作品いろいろ

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半七捕物帳 一 / 岡本綺堂
いわずもがな捕物帳の元祖。 北村さんと宮部さんがセレクトされた傑作選集を本屋さんでぱらばら捲っていたら、全部読まなきゃいかん! という気持ちがムクムクしてきて、急きょ、こちらに切り替えました。 全部読みます!
大正六年から昭和十一年にかけて発表された、全六十八篇のうち、この第一巻には最初の十四篇が収められています。 明治の半ば当時、若い新聞記者であった“わたし”が、隠居暮らしの半七老人から二十六年間に渡った岡っ引き稼業での手柄話、探偵談を聞いて、記録したメモ帳を元に、後に(つまりは、今、このように)読み物として体裁を整えて発表している、という趣向です。
これって・・ 明治半ばから大正初期まで、新聞記者として過ごした著者自身を“わたし”に見立てているのでしょうか? 
時代の生き証人である半七老人。 江戸末期の世相風俗と、四季の風情・・ その面影が空気に染み渡り、綺堂の創作なのに、神田三河町の半七親分が本当に実在していたかのような心持になってしまいます。 言葉の転がり具合がなんとも粋で、読みながら掛け合いの台詞を追っていくのが愉しくて堪らなかった。
一話目の「お文の魂」は、十四歳の少年だった“わたし”が、半七という江戸末期の岡っ引きに興味を持ったエピソードが披露されていて、言ってみれば前段的な一篇です。 岡っ引き時代の半七を知る“小父さん”によって、半七の外見がこんな風に回想されています。
笑いながら店先へ腰を掛けたのは、四十二、三の痩せぎすの男で、縞の着物に縞の羽織を着て、だれの眼にも生地の堅気と見える町人風であった。色のあさ黒い、鼻の高い、芸人か何ぞのように表情に富んだ眼を持っているのが、彼の細長い顔の著しい特徴であった。
次篇以降は半七自身の回想が元になっているので、容姿や風貌についての客観的な描写(記述)が殆ど見られなくなるのは当然といえば当然なのか・・ その意味でもこの一話目のこの件は貴重かもしれない。
そしてもう一つ、この短篇に愛着を感じずにいられないのは、
彼は江戸時代に於ける隠れたるシャアロック・ホームズであった。
の有名な(!)一文が組み込まれているせいだろうなぁーと思う。 解説で都筑道夫さんも言及されていたけれど、実際、綺堂がリアルタイムでシャーロック・ホームズに触れ、刺激を受けたことで、和製ホームズ、半七親分の謎解きシリーズが生まれたんですよね♪
二話目の「石燈籠」では初手柄をあげ、四話目の「湯屋の二階」では遣り損じに苦笑し・・ 職業的な動作や体つきの特徴などが、当たりをつける時の着目点にしばしばなったりするのですが、この辺にホームズの感触が見え隠れするような^^
人はそうそう悪でもないし、そうそう善でもない・・ 欲深さや見栄や嫉妬が単純な事件を複雑にしたりするのだけれど、それが如何にも小才覚止まりの浅知恵なので、半七親分に見破られてしまうんだよね^^; 江戸末期の刹那的で自棄気味な、でも存外根は素直な江戸っ子庶民の感覚と、半七の気の利いた計らい、幕引きがとてもマッチしていて、宮部さんじゃないけど、そう、この感じ!この感じ! と、胸躍らせてしまいます。
抒情性、ドラマ性をことさらにこってり描かないせいか、飽きが来ないから、ずっと浸っていたくなるし、古くなく、むしろ・・とんでもなくハイセンス!と思いました。 隠居老人の昔語りというスタイルが、惜しみなく機能していて、あっさりと淡泊な・・だからこそ、しみじみと余韻を響かせる後日談が、またよくて。
佳いお茶と旨い菓子を挟んで、浮世を離れた時計のない国の住人のように、日の暮れるまでのんびりと語り続ける老人と、衝動される若者。 きりぎりすの鳴く声をきいて江戸の夏を思い出し、濡縁で小さい三毛猫を膝に乗せる半七老人・・ 時代を下った明治の一風景もまた、年を重ねた“わたし”にとっての甘やかなノスタルジーなのです。

第一巻収録作品(十四篇)
「お文の魂」「石燈籠」「勘平の死」「湯屋の二階」「お化け師匠」「半鐘の怪」「奥女中」「帯取りの池」「春の雪解」「広重と河獺」「朝顔屋敷」「猫騒動」「弁天娘」「山祝いの夜」


半七捕物帳 一
岡本 綺堂
光文社 2001-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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忘れられた花園 / ケイト・モートン
[青木純子 訳] オーストラリア人閨秀作家の手になるミステリ風ゴシック・ロマンス小説。 イギリスの古いお屋敷と、そこに埋もれた秘密に、謎めくお伽噺が絡む・・ 一気に読ませるリーダビリティに富んだ極上の物語小説。 頗る楽しい一時でした♪
第一次大戦前夜の1913年、ヨーロッパからの大型船で賑わうメアリーバラ埠頭に、たった1人で取り残されていた少女はネルと名付けられ、オーストラリア人夫婦の手で育てられました。 時は移り2005年、年老いたネルを看取った孫娘のカサンドラは、祖母から遺贈されたイギリスのコテージへと、祖母のルーツを探る旅に出ます。 かつて海を渡ったネルの唯一の所持品であった小さな白いトランクに仕舞われた一冊のお伽噺の本に導かれるように。
そのプロセスで、カサンドラは、自身が何者であるかを探し求めていた祖母の孤独を知り、およそ百年前に生きた先祖たちの残響を感受し、予期せぬ新しい出逢いを体験し・・ 過去を見つめる旅路は、いつしか未来への懸け橋になっていく。
粗筋としては定番の自分探しモノなんですが、本書の美点は、一つ一つのモチーフとその組み合わせの妙味というかなんというか・・ 宝石のような粒子がいっぱい詰まっていて、それらが時空を駆け巡りながら魔法を掛けられたように響き合い、やがて一つの“壮大なお伽噺”に練り上げられていくさまが美しい。
謎を追う2005年のカサンドラと、1975年のネル、そして謎の原風景となる20世紀初頭、広大な敷地と幾つもの庭園を有したコーンウォールの海辺のブラックハースト荘。 三つの時間軸が、三房の魔法の組み紐さながらに縒り合わされ、奇跡のような物語として読者の前に立ち現れます。
特に、20世紀初頭のロンドンとコーンウォールに魅了されました。 まるでイギリスの児童文学や童話の世界に転げ落ちたような景色が広がっていて、心躍らずにはいられない。 テムズの川沿いを塒にしていた貧民層の暮らし向き、霧に混じって街路に立ち込める臭いや音。 崖の上の壮麗なお屋敷に暮らす浮世離れした(まさにお伽噺から抜け出してきたような!)住人たち、茨の迷路、光と影が織り成す囲み庭園の豊饒な息吹き・・
本書は、子供時代に読書の悦びをもたらしてくれた児童文学作家たちへ捧げる頌歌であると、著者は明かしています。 真っ先に想起されるのはバーネットの「秘密の花園」ですが、グリム童話や「嵐が丘」や「ジェーン・エア」、ディケンズの空気まで香り、もう、ところ狭しとエッセンスが散りばめられている感じ。 訳者のアンテナに引っかかったという、バーバラ・ヴァインの「ステラの遺産」、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」など、また読みたい本が増えました。


忘れられた花園 上
ケイト モートン
東京創元社 2011-02 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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双子幻綺行 / 森福都
[副題:洛陽城推理譚] 長安から洛陽に都が移って8年余り、齢七十を越えた則天武后(聖神皇帝)が君臨する洛陽城中、城下で次々起こる面妖な事件に、宮城に出仕して間もない美貌の双子兄妹が立ち向かいます。
宦官として献上される兄、馮九郎について都に上り、女官として働き始めた妹、馮香蓮。 うら若き少年少女の2人が、互いを頼りに才気と勇気を奮い立たせて、深謀遠慮渦巻く伏魔殿を渡っていく姿・・ この凜乎として健気な双子愛が、結晶のように昇華される歴史秘話物です。
赤く燃え立つ躑躅の季節から翌仲春までの一年、九郎と香蓮、十五歳から十六歳の物語です。 九郎は、一見、柔和で礼儀正しい美少年なんですが、香蓮と二人きりになると途端にぶっきら棒。 肉体的な負い目という屈託を抱える狷介孤高な本性を香蓮にだけ曝け出します。 憎まれ口を叩き合いながらも、兄の唯一無二の理解者であるという矜持が、妹の宮廷での日々を支えているかのよう。 そして、怜悧な少年宦官の秘めたる野心が、妹の眼を通してひたひたと、しかし揺ぎ無い手応えとして窺い知れてくる。
忠臣、寵臣、佞臣、功臣、奸臣・・ 息をつく間もなく仮面を裏返す蹴落とし合い。 いったい誰が味方か敵か・・ 一癖も二癖もある曲者な脇役陣が、それはもう魅力的なのがいい。
洛陽城内の見取り図が付記されているので視覚的にイメージし易かったですし、もう、なんといっても、花の都(中国のロココ時代なんて言い方もされるんですか!)の驕奢な行事や風物詩、その艶めいた描写に酔いしれてしまいました。 洛陽の都そのものが、熟れすぎた桜桃のような、大輪の徒花のような、生温かい繭ような、媚薬が見せる靄のような・・ 雅やかで禍々しい色彩と芳香を放ちながら暗く妖しい熱に浮かされていて、何かこう、ある種の業火を見ているような興趣があります。 そしてこんな背景に、双子の生硬な輝きがよく映える!
表紙カバーの折り返し部分に、田中芳樹さんの推薦文が載っているのですが、そこに“主人公兄妹の歴史上の正体も含め、みごとにやられた”との一文があり、これが気になって気になって。 しかしまぁ、いかんせん、中国史の知識を持ち合わせていないもので;; そこのご褒美にあずかることは諦めて読んでいたんですが、でも、この気になり加減が、思いがけず主人公2人の性格描写を丹念に追っていく契機にもなってくれて、特にラスト数行は鳥肌が立つような心地が得られたので、自分なりに満足です。 後でゆっくりネットで調べて余韻に浸ったことは言うまでもなく。


双子幻綺行 −洛陽城推理譚−
森福 都
祥伝社 2001-02 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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アイルランド幻想 / ピーター・トレメイン
[甲斐萬里江 訳] 著者はケルト学者のピーター・ベレスフォード・エリス。 小説執筆時の別名義なのだそうです。 アイルランドの民話や伝承に取材し、それを近代や現代という額縁の中に展開させたアイリッシュ・ホラーの短篇集で、エンターテインメント性を慮って初心者を拒まない作りになっていますが、そのバックボーンとなる作品世界のなんと豊饒なことか。
アイルランドに興味を持つ者、先祖に所縁のある者など、どの物語も英国やアメリカなど外部からやってきた余所者(エアハトラナッハ)が、知らず知らず土着的な呪縛に絡め取られていく感じ。 狙いを定められたら決してキャンセルされないという絶対的破滅性に、首筋がザッと寒くなる場面のクオリティが高いです。 でも、それよりも、人々と神々の受難が共鳴し合う、物悲しい調べの中へ惹き込まれることが、何より得難い体験に感じられました。
12世紀半ば以来、七百年続いた英国による支配の歴史の爪痕が、全篇に渡り沈鬱な翳を落としています。 概ね舞台になるのは国土の西部、荒蕪の岩原や泥炭湿地に覆われた貧しい地域で、この辺りは、英国にとって入植の魅力がなかったため、比較的アングロサクソン化をまぬがれ、ケルト固有の精神風土と分ち難く時が刻まれているようす。 虐げられ続けたアイルランドの農民、漁民たちの慟哭や怨嗟が色濃く根ざした地域であり、皮肉にも“異世界への最前線”として、哀しくも美しい舞台が誂えられてしまったかのように生彩を放っています。
5世紀に聖パトリックによってキリスト教がもたらされて以降、神話の中の古い神々は、妖精に格下げされて丘や川や岩山や海へ追いやられたことが起源となり、今もなお、アイルランドの自然界には沢山の妖精、精霊、妖怪、小悪魔、悪鬼などが棲みついて絶え間なく蠢いている・・ケルトの世界観ってこんな感じでしょうか? ケルト神話というと森の風景が思い浮かぶのですが、物語の中に森はありません。 色彩豊かな地域でも灌木や草原のイメージかな。 植民地時代に完膚なきまでに伐採されてしまった森林にはどんな神々が宿っていたのでしょう。 敗れ去った神々の、追われた場所さえ追われた神々の嘆きや怒り・・そんな色合いもまた、溶け込んでいるように思えるのでした。
ダナーン神族の中の、治療と薬を司る神であったディアンケハトが、フォーモーリィ(ダナーン神族によって追放された邪悪な太古の神々)の国まで旅をして持ち返ったという死の石(ギャラーン・ナ・モリヴ)、西の海に七年に一度浮かび上がり、それを目撃した者は命を落とすと言われる伝説の島、ハイ・ブラシル、ハロウィンのルーツであるサウィン・フェシュの節句、悲しい泣き声で死を予告するバン・シイ、小悪魔のプーカ・・ 古代異教の残滓が誘惑的な幻想ホラーの中へ転生するかのように、滾々と命が吹き込まれてます。 ケルト四大祭日の一つ“ルナサの宵祭り”に現在と過去が交錯する「恋歌」と、スタンリイ・エリンの「パーティーの夜」を連想させる洒脱な幽霊譚「メビウスの館」がお気に入りです。


アイルランド幻想
ピーター トレメイン
光文社 2005-08 (文庫)
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★★
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