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半七捕物帳 四 / 岡本綺堂
第四巻には十一篇収められています。 筋書きがやや複雑になってきてるかな・・ 一篇一篇がこれまでより若干長めの作りになってる模様。
綺堂が長患いの床にあった時、通読したという“江戸名所図会”。 頭の中に焼き付けた在りし日の江戸の地理を作中に展開させていく作法は、筆の隅々まで行き届いたものであり、明治の世に江戸を懐古しつつ、同時にその明治をも懐古するスタイルからは、風物や風景の移りゆく世の姿が、さばさばとした無常観のような音色を伴って響いてくる心地がします。 と、同時に・・
「わたくしなぞは昔者ですから、ランプが流行っても、電灯が出来ても、なんだか人間の家に蝋燭は絶やされないような気がして、いつでも貯えて置くんですよ」
ふた口目にはむかし者というが、明治三十年前後の此の時代に、普通の住宅で電灯を使用しているのはむしろ新しい方であった。現にわたしの家などでは、この頃もまだランプをとぼしていたのである。新しい電灯を用いて、旧い蝋燭を捨てず、そこに半七老人の性格があらわれているように思われた。
こんなしなやかさに物語全体が包まれている気がしてならない。
綺堂が訪ねて行くと、大仕掛けな詐欺事件の新聞記事を読んでいた半七老人が、昔の悪党は小さなもので・・ と、語り始めた「仮面」などは、呆気ない部類ですが、こんな感じの話が何気に好き。 怪談仕立ての狂言が粋であった「むらさき鯉」もよかったな。 そして、綺麗にミステリの手順が踏まれていた「三つの声」が、ちょっと変わり種ながらお気に入りです。
江戸市中の怪異ゾーンとして実在したスポットが舞台になっている話としては、「柳原堤の女」の“清水山”や、「むらさき鯉」の“蚊帳ヶ淵”、「大森の鶏」「妖狐伝」の“鈴ヶ森”など、その由来や、“江戸名所図会”仕込みの仔細な解説など聞いていると、古地図を手元に置きたくなってくる始末です。
また、この巻には、「大阪屋花鳥」の“大坂屋花鳥”や、「ズウフラ怪談」の“ズウフラ”など、落語や戯作に登場する逸話に肖った話や、「金の蝋燭」の“御金蔵破り”など実在する事件と絡むような話も少なくなかったかと思います。
因みに、かの有名な江戸城本丸の御金蔵破り事件(江戸中の御用聞きが総がかりで動いたらしい・・)を追う最中に出くわした別件が「金の蝋燭」で描かれているんですが、本命の捕物には“運がないのか、知恵がないのか”一切係り合えなかったと述懐しているのが御愛嬌です♪ 「大阪屋花鳥」の時の半七は、吉五郎親分の手先として“尻ッ端折で駈けずり廻っていた”駈け出しの十九歳。 手だれの悪党に舐められてしまう不甲斐ない場面もあってレアです^^
解説の石沢英太郎さんは、半七を読むのに注釈はいらない。 ゆっくりと平明に開けていくなめらかな語りに酔えばいい。 とおっしゃりつつも、(心なしご満悦気に)それぞれの短篇を年代順で並ぺてみたりしている^^ その気持ちが痛いほどわかります。 順不同に書き進めながら、完璧といっていいほど時代考証がキチっとしているから、ほら、並べ直してごらん・・と、囁かれているような気になってしまう。 そんな誘惑が頁の其処彼処に潜んでいて、データベースを作りたくてむずむずしてくるんですよ。 わたしが作るとしたら、和暦、季節とその風物詩、場所とその景観(欲を言えば今の何処に当たるのか)、半七の歳、相棒の子分、史実や伝説との関連、ここら辺は絶対外せない。 綺堂が狙っていたとも思わないけど、無性にマニア心擽り系なのも「半七」の秘かな魅力だと思うのだ。

第四巻収録作品(十一篇)
「仮面」「柳原堤の女」「むらさき鯉」「三つの声」「十五夜御用心」「金の蝋燭」「ズウフラ怪談」「大阪屋花鳥」「正雪の絵馬」「大森の鶏」「妖狐伝」

<後日付記>
最終巻(第六巻)の末尾に、岡本経一氏(綺堂の養嗣子で青蛙房の先代主人)によるファン垂涎の作品年表が付載されていました!


半七捕物帳 四
岡本 綺堂
光文社 2001-12 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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『秘密の花園』ノート / 梨木香歩
バーネットの傑作、「秘密の花園」の大人向けガイドブックです。 自然観とヒューマニズムが分ち難く融け合った慈しみ深い作品であることは、多くの読み手が感じるところだと思いますが、そこから一歩も二歩も踏み込んで、暗示的な領域を凝望した深い洞察がなされていて、逆立ちしても自力では惟みることのできない梨木色のパノラマに、ただもう、唸らされ、称嘆の溜息がもれるばかり・・ 最近、読書がちっちゃくなりがちなんで^^; 梨木さんのナビゲートは、わたしの“屋敷の奥”あるいは“秘密の庭”に、“ムアの風”を吹き込んでくれる連続で、よき刺激をもらいました。
ご本人も語られているように、果たしてバーネットがどこまで意図を潜ませていたかなんて、もう誰にもわかりません。 共振音を内在させる作品がある、それだけていいのです。 作者の手を離れた物語が、時代や場所を問わずにダイナミックに受容され、読者の奔放な想像力で、様々な解釈が見出されていくことは、まさに本と読者の幸福な関係の裏付けと言えるのではないでしょうか。
心の変化と季節の変化、屋敷と庭・・ 内と外の美しいシンメトリーを象っている作品だなーと、大人になってから一度読み返しているのですが、自分が感じ取れたのはそこまででした。 以下、ほぼ備忘録です。 忘れたくないので要点を書き散らしています。 未読の方はご注意ください。
本書を読んで一番穿たれたのは、メアリは屋敷という自身の内奥をさ迷い歩き、その深淵にコリンという本当の自分を見つけたのだという捉え方、また、メアリとコリンという個人の再生の物語であると同時に、古い家に象徴される幾世代も続く結ぼれのような頑なさを宿した一族の再生の物語であるという捉え方、その二点を踏まえると、メアリにとってコリン(その逆も然り)は分身、あるいは同一体のような存在と置き換えられるため、後半に向かって、主人公だと思っていたメアリからコリンの物語へとシフトしていく不自然さ(弱点のようにさえ言われている構成)が逆に揺るぎのない必然性を帯びて見えてくるという魔法・・ ゾクッとしました。
屋敷内でメアリが出逢う小動物が、彼女の心象世界を表わすように、生命力を取り戻していく過程で変化していくこと、暖炉の火の手入れをするマーサには、メアリの寒い“部屋”を温める役割が与えられていること、外界へ開かれる明るい兆しとともに聞こえはじめたコリンの泣き声は、メアリ自身の内なる叫びに他ならないこと、ディコン(あるいはその一族)は、冷暗所に置かれた種だったメアリ(あるいはその一族)が芽吹くために必要な光の使徒であること、大切な領域で行われる命の法則に基づいたデリケートな行程には、秘密(神秘)が不可欠の条件となること、看護婦は、場面を離れた神の視点的なアクセントとして配置されていること、最低限の庭の生命線を保ち続けていた庭師のベンもまた、メアリ(あるいはその一族)の分身であること、亡きクレイヴン夫人とディコンの母のスーザンという二つの母性は、それぞれが穢れない空と懐深い大地に象徴されていること、メアリの父親の描写が排除されていることで逆に、好むと好まざるとに関わらず、子は親から有形無形の、正負の遺産を受け継ぐ定めなのだという(もう一つの)メインテーマを通奏低音のように響かせていること・・等々。
自分が孤独であることにすら気づいていない初期の段階から、初めて他者への関心を示し、そのフィードバックによって自身を客観視できるようになっていく蘇生への道筋を、散りばめられた様々なメタファとともに辿る新体験。 ハッとするような示唆に富んだ道案内でした。


『秘密の花園』ノート
梨木 香歩
岩波書店 2010-01 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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新編 物いう小箱 / 森銑三
[小出昌洋 編] 柴田宵曲さんの盟友であり、近世学芸史家として多大な功績を残した著者が、研究や論述の傍ら、資料を離れ、筆を遊ばせた再話風小品集。 “八雲に聴かせたい”との思いで書き綴った・・ と紹介されています。
小品選集「物いう小箱」としては改編を経て三度目の編纂となる本書。 四十四篇を収める増補版です。 初出まで辿ると実に大正後期から昭和五十年代に渡っていて、長い歳月の裡で途切れることなく書き続けて来られたのだなぁーと。 碩学のもう一つの顔を垣間見るような心持ちがします。
江戸時代の随筆に材を得た本朝編(第一部)と、「太平広記」などの漢籍を自由に訳したという中国編(第二部)と、どちらも素朴な風情の昔話です。
本朝篇は、江戸時代の怪異談、ちょっとした逸話や頓知話が収められています。 今、「半七捕物帳」を読んでいる途中なのですが、江戸情緒に精通した人の書くもの特有の、恬淡としていて真っすぐで、馥郁とした品のある肌触りがとても近しいものに感じられます。
途中でふっと途切れてしまったような“呆気ない”話も多いのですが、なんだろう・・どこか俳諧に通ずるような。 一瞬を捉える詩趣に溢れています。 特に、1ページ余りの最も短い「春の日」がマイベスト。 お婆さんと老猫のちょっと奇妙な一風景が、長閑な春の日和に溶け込んでいて泣きそうになりました。 あと、喋る猫繋がりで「猫」が好き。 ふふ。 可愛げないところが可笑しくて和む。やばいw ほんと江戸と猫はよく似合うなぁ。
ちょっとユーモラスなところでは、本所七不思議の“送り提燈”のマイナーチェンジバージョンのような「提燈小僧」もよいし、お化け屋敷の仕掛け人さながらエンターテナーのような、やんちゃな妖怪たちが、客人を驚かせようと嬉々として芸(笑)を披露する「妖怪断章」に愛着が湧きます。 「稲生物怪録」が下地にあるのではないでしょうか。 頬擦りしたいくらい大好きです! この辺は、小品というより、もはや「遠野物語」のようなスタイルです。
「気のぬけた話」もよかったなー。 赤穂浪士討入り当時の市井のひとこまが軽快な遣り取りの中に冴え冴えと活写されていて、ふとその場の空気を吸っているような心地がして、こんな事が実際あったんだろうなーなんて思えてきて、なんとも滋味深いのです。
情趣漂う話では「仕舞扇」や「朝顔」などの佳品を差し置いて、特に心惹かれたのが「見物」で、抒情というには些か淡泊なところが逆に切なさを呼び起こすのか・・ どうしたものか胸がキュンとなるのでした。 唐突なラストが一番奇妙でちょっと不気味な「物いう小箱」もお気に入りです。
中国編は殆ど全部が怪異譚。 暮色に押し抱かれたような愁然とした佇まいがあって、此の世と彼の世の一期一会の交わり・・ そんな幽玄チックな美しさが全篇に漂っていたように感じられました。 不思議な丸薬や霊力のある桃、深山の奥の幻の小庵や古寺や妖しい宴といったモチーフが中華の風合いを醸し出していて、やっぱり江戸とは趣きが全然違うんですよねぇ。 「竹の杖」や「再会」のような神仙と篤実な人間とが束の間の邂逅を果たす話が、自分は特に好きだったなー。
竹の杖に跨って月夜の空を翔け、死者の国の宮殿に妻を訪ねていく「夢」などは、すっごく既視感のある話で、「聊斎志異」辺りにも似た話があったんじゃないかな。
「衝立の女」「不思議な絵筆」「竹林絵図」のような、衝立や画幅の絵の中に出入りする話は、日本でも様々なバリエーションで取り入れられていますよね。 梨木香歩さんの「家守綺譚」の高堂や、畠中恵さんの“屏風のぞき”が、読みながらサッと脳裡を掠めました。
「弟子」は、妖術使いの鹿が少年に化けて、寺に弟子入りを志願する話で、森福都さんの「狐弟子」を思い起こします。 僧侶や隠者や道士が、時に食わせ者だったり、時に仙人や神様だったりする話も多いのですが、そんな中で「居酒屋」は、ほっこり笑えるような茶目っ気があって、これもよかったですー。
無欲で簡潔な小品たちに触れていると、洗練とはこういうことなのではなかろうかと思う・・ そして、一篇一篇の眼に見えない連鎖なのか、読み終えた時、懐かしい親しみが心いっぱいに繁茂し、やおら満たされているのでした。


新編 物いう小箱
森 銑三
講談社 2005-03 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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