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謎の物語 / アンソロジー
謎の物語
アンソロジー
筑摩書房 1991-03
(単行本)
★★★

[紀田順一郎 編] 文庫版を読んだばかりなので、あちらに入ってなかった六篇を拾い読み、あとはちらほら読みました。
よくよく眼を凝らしてみたら六篇中、「青頭巾」「なぞ」「チョコレット」「おもちゃ」の四篇は既読でした・・が無問題。 ほぼほぼ抜けてるので;; たまにこうして大きいサイクルで読み返すのはいいものだなーと。
こちらの「女か虎か」の訳は中村能三さん(文庫版は紀田順一郎さん)です。 ちょっと古風な感じ。 でも答えを得るための判断に齟齬をきたすような差は両者の訳の間に見受けられなかったように思います。
続編が読めたり、量的にも文庫版の方がお腹いっぱいになれるかもしれませんが、このプリマーブックス版も良質な作品が彩りよく揃えられています。 プリマーブックスって啓蒙的なティーンズ向けの叢書なんだね。
結局、筋書きや語りの巧さがあるからこそ、結末のもやもや感がこんなにも魅力的なんですよねぇ。 あてもない迷路に誘われる楽しさや、とらえどころがないのに強く惹き込まれてしまう不思議さや・・ 謎を謎のままに堪能させてもらえる作品が凝縮しています。 あっ、「ヒギンボタム氏の災難」だけは例外なんですが、この一篇を選出したのには逆説的な意図が込められていたんですか。 魂胆が深いです。
「なにかが起こった」は、後戻りできない焦燥や恐怖を伴う理不尽さが端的で鮮鋭で、「七階」を彷彿させるエクストリーム感が好き・・なんだけど、自分はラストの女性の悲鳴さえなくてもよかった気がするかも。 逆に、濃霧の中にいるように肌寒く物悲しい「なぞ」の静謐な怖さも堪らない。
メルヘンをメルヘンとして気っぷよく描く爽やかさとでもいうのか・・「チョコレット」の空気感が大好き。 忘れてたけどこれって、ほうき星がロビン・グッドフェロウに化けていたのか、ロビン・グッドフェロウがほうき星になりたがっていたのか(どっちみちロビンの言ったことは嘘くさい・・)の二択っぽいリドル・ストーリーになってたんですねぇ。 可愛いなぁ。
最もけつまずいてしまったのが「新月」。 初めから作者が謎の解決を放棄していて、読者にお好きな結末をどうぞ〜と差し出すような、いわゆる純粋なリドル・ストーリーではなく、完全なる推理小説ですよね。 答えは作者の手中にある。 だから解けないのが歯痒くて頭を掻き毟りたくなる。 精神衛生上よくないとはこのことです。 紀田さんの序文の中の“素直に読めばわかる話”というのがヒントでしょうか。 「最後ら辺を読めば(半ば無意識的な)動機」はわかるんです。 「未必の故意」的なことなのかなー。 ←反転させてること自体恥ずかしいわ;; ググってもネタバレしてくださる奇特な方が見つけられず悶々としています・・orz
そういえば、文庫版の解説ではちょっと触れられていた(と思った)けど、名作として定評のあるエリンの「決断の時」や芥川の「藪の中」が、どちらの版にも入ってなかったんですね・・というのが意外といえば意外。 最近読んだ中では、ジャプリゾの「シンデレラの罠」もリドル・ストーリーだったなぁーなどと思い浮かべました。

収録作品
女か虎か / F・R・ストックトン (中村能三 訳)
謎のカード / C・モフェット (深町眞理子 訳)
穴のあいた記憶 / B・ペロウン (稲井嘉正 訳)
なにかが起こった / D・ブッツァーティ (脇功 訳)
茶わんのなか / 小泉八雲 (平井呈一 訳)
ヒギンボタム氏の災難 / N・ホーソーン (竹村和子 訳)
新月 / 木々高太郎
青頭巾 / 上田秋成 (石川淳 訳)
なぞ / W・デ・ラ・メア (紀田順一郎 訳)
チョコレット / 稲垣足穂
おもちゃ / H・ジェイコブズ (荒俣宏 訳)
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謎の物語 / アンソロジー
謎の物語
アンソロジー
筑摩書房 2012-02
(文庫)
★★★

[紀田順一郎 編] 1991年に“ちくまプリマーブックス”の一冊として刊行された「謎の物語」を再編集した文庫版とのこと。 プリマー版も読む予定です。 なぜなら随分と差し替わっているから。
結末が作者によって明かされず、読者の想像に委ねられるスタイルを“リドル・ストーリー”と定義するのであれば、このセレクションは、もうちょっと広義というか・・ ミステリの解答編を描かない“読者への挑戦状”的な作品にとどまらず、答えは語られないが暗に明示されていたり、答えは語られているけれど理屈で解せなかったり、理屈は解せても何かが引っ掛かったり、それらの混合物だったり・・と、読後に一揺らぎの謎めきを覚える一群も取りまぜられています。
全般に諷刺的で理知的で、語り尽くさぬのが華といった風な洗練性が漂う感じ。 刺激を受ける作品が多かったです。
主に19世紀後半から20世紀前半の小品を揃えている。 この中で既読だったのは「茶わんのなか」と「七階」。 「七階」はシュールなSFホラーで、社会に存在する個々人の漠とした不安が、戯画化されたプロットに投射されていて何度読んでも色褪せない。
「茶わんのなか」は、ハーンの再話よりもむしろ「新著聞集」の原話の方がよいんだよね・・ということを以前、赤江瀑さんに教えてもらった。 今回「八雲が殺した」を再読してみたけど、やっぱり・・ 一抹の殺伐とした怪異といった風情のハーン版にも妙味を感じつつ、“小説の切れはし”として紹介したハーンに対して、“原話は(暗に)完結している”と反論する赤江流解釈に軍配を上げざるを得ないなーと思った。
「女か虎か」は、ちょっとしたミステリ好きなら、読んでなくても小耳に挟んだことのある有名な古典。 もともとはパーティの余興として考案された小咄みたいなものだったらしい。 それが社交界で話題となり、のちに小説化されたのだとか。
「恐ろしき、悲惨きわまる中世のロマンス」や「指貫きゲーム」も読者に二択を迫るリドル・ストーリーなんだけども、背景にシリアスな社会性が垣間見えるのでデカい重石がある感じ。 背景が“半未開人の国”の一語の中に言い尽くされているような「女か虎か」の、ゲーム感覚に特化した身軽さがリドル・ストーリーには相性がいいように思えた。
「三日月刀の督励官」は、“答え教えて〜”とせがむ熱心な読者をおちょくるために書いた続編としか思えないよ。  「女と虎と」は、提示された謎に対する一つの答えであり、オマージュなんだろう。 アイデアに連携するタイトルが巧妙だし、愛と裏切りのサスペンス風ストーリーも面白く(でも真っ黒;;)読めたんだけど、「女か虎か」の地の文を否定している?と思えなくもない解釈もあるので、半ば反則的な解答編なんじゃないか?と。 でも数ある続編の中では傑作と言われる一篇であるらしい。
一番好きなのは「野原」と「穴のあいた記憶」と「園丁」かな。 「野原」の、一粒の真珠のような詩情にふるふると心が震え、暫し帰ってこれなかった。 「穴のあいた記憶」は有栖川有栖さんがお薦めしてた一篇で、これが聞きしに勝る面白さ! ミステリの枠組みを活かしつつも、肝心の部分がすっぽりと空白のままという・・ まさに「46番目の密室」とコンセプトを共有する皮肉の効いたメタミステリだと思う。
「園丁」は、“信用ならざる語り手もの”の白眉。 ラストに、あっ、と声が出そうになった。 主人公との同化が解けて、自分の思い描いてきた物語空間が一瞬で瓦解する。 けれど、反転した苦しく切ない心象世界は、敬虔な光の余韻にいつまでも静かに照らされているよう・・ 初出が1925年とあります。 戦場となったフランスの地に行方不明の息子を探していたキプリングの境遇を想うと、この魂の巡礼のような物語にどうしても作者の影を重ね合わせてしまいます。
「謎のカード」もよかった。 物語を支配する謎の正体が最後までおくびにも出されない端正でクールなリドル・ストーリー。 で、「続・謎のカード」が謎の種明かし篇というわけなのだが、これがね、いきなり壮大かつB級な伝奇色を帯びる。 神秘趣味的な19世紀末の芳香炸裂で、違う次元へぶっ飛んでしまったよう。 正続のコントラストに唖然となったw さぁ、プリマーブックス版も読むぞー。

収録作品
恐ろしき、悲惨きわまる中世のロマンス / マーク・トウェイン (大久保博 訳)
女か虎か / F・R・ストックトン (紀田順一郎 訳)
三日月刀の督励官 / F・R・ストックトン (紀田順一郎 訳)
女と虎と / J・モフィット (仁賀克雄 訳)
謎のカード / C・モフェット (深町眞理子 訳)
続・謎のカード / C・モフェット (深町眞理子 訳)
穴のあいた記憶 / B・ベロウン (稲井嘉正 訳)
ヒギンボタム氏の災難 / N・ホーソーン (竹村和子 訳)
茶わんのなか / 小泉八雲 (平井呈一 訳)
指貫きゲーム / O・ヘンリー (紀田順一郎 訳)
ジョコンダの微笑 / A・ハックスリー (太田稔 訳)
野原 / ロード・ダンセイニ (原葵 訳)
宵やみ / サキ (中西秀男 訳)
園丁 / ラドヤード・キプリング (土岐知子 訳)
七階 / ディノ・ブッツァーティー (脇功 訳)
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半七捕物帳 六 / 岡本綺堂
全六十八話の最終六話に、半七の養父であった吉五郎親分の探索行を描いた中篇「白蝶怪」を加え、これで完結です。 本編の中には半七自身が探偵を務めない聞書き調の話も度々出てきますが、「白蝶怪」に限っては、もとより語り手である半七老人が登場しないので外伝のような位置づけになるのでしょう。
もうね、ここまで来ると“推理小説”を書くことを辞めてしまったようですね^^; 完全に半七の“勘”が事件解決の糸口になっています。 科学捜査の発達しない旧幕時代には、“眼の捷いのと根の好いのが探索の宝”であったと、半七老人がしばしば追想する通りのモットーで書かれた作品だったのだなーと、読み終えてそんな感慨が湧いています。
怪異を隠れ蓑にすれば申し訳が立ち、都合の悪い事は万事、闇から闇へ葬ってしまう因習がまかり通っていながら、その一方では、神仏やモノノケの存在が良心の呵責と深く結び付いていて、道を外さないための抑止力として意識下で強く働いている・・ そんな小ぢんまりとした不思議な調和が根ざしていた江戸社会の情緒を、素肌に触れるような感覚で賞翫させてもらった「半七捕物帳」。 わたしの鍾愛本になりました。
第六巻の中では「廻り灯籠」がお気に入りです。 “石が流れて木の葉が沈む”喜劇風味の軽快な筋立てが愉しかった♪ 半七危うし?!の場面が拝めるのはこの一篇だけじゃないかな^^
「川越次郎兵衛」では、江戸城本丸を小馬鹿にしたような・・ 幕府の弱体化を裏書きし、暗い先行きを予兆するかのような珍事が描かれていて、商家の後継ぎ息子たちの頽廃ぶりがそこに輪を掛けて時代の終末を感じさせてくれます。
綺堂小説の最後でもあったという「二人女房」に出てきた“天から魚が降ってくる”という伝承を、何かの昔話で読んだ記憶が残ってたんですが、ちゃんと根拠のある現象だったんですねぇ・・ということにワクワクしたり、六所明神の闇祭りにゾンゾクしたり。 本巻は破戒僧の話がいろいろ目を引く中、疑心暗鬼が“肉付きの面”の昔話の不思議を呼び起こしてしまう「夜叉神堂」がよかったな。
全篇おしなべて出来すぎ感を敢えて出さず、小説未満に抑える淡泊さが実録(風)の昔語りという体裁に首尾よく馴染んでいますが、自分は特に仰々しい事件よりも、岡っ引きの裁量の埒内にあるような、しょっぽい事件にことさら強く惹かれました。
綺堂は「半七紹介状」という随筆で、半七のモデルとなった(と思しき)人物について語っており、縁の初めとなったエピソードを披露しているそうで、その一幕が解説に取り上げられています。 これが実に「広重と川獺」の導入部、若い新聞記者(=綺堂)と半七老人が花見日和に浅草で出逢う情景へ引き写されていたんですね。 しかし、この“紹介状”も、どこまでが事実なのか定かでないらしいのです。 また、丸屋という絵草紙屋をやっていた“半七”という岡っ引きが実在していることを承知で一切触れず、その要素もさり気なく借用しているんですねー。 そんな往なし方がなんとも粋。
書生から綺堂の養嗣子になられた岡本経一氏(先代の青蛙房主人)は、綺堂の人品に触れる段で、歳が過ぎ、半七老人と綺堂老人とが渾然一体になり、何も無駄を付け加える要がないと仰りつつ解説の筆を置かれています。

第六巻収録作品(七篇)
「川越次郎兵衛」「廻り灯籠」「夜叉神堂」「地蔵は踊る」「薄雲の碁盤」「二人女房」「白蝶怪」


半七捕物帳 六
岡本 綺堂
光文社 2001-12 (文庫)
岡本綺堂の作品いろいろ
★★
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