スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - |
銀座幽霊 / 大阪圭吉
海野十三や渡辺啓助、小栗虫太郎や木々高太郎らと共に、日本探偵小説第二の隆盛期と言われる昭和十年前後の探偵文壇を彩った若手作家の一人、大阪圭吉の二冊組ベスト・コレクションの一冊。 ちなみに第一の隆盛期は江戸川乱歩や横溝正史が登場した大正末期とのことです・・乱歩曰く。
ちょっとした謎の掬い方、光の当て方が凄くいい! 鮎川哲也に“論理派ミステリの先駆者”と評された圭吉は、戦争に取られ早世した、謂わば永遠の若手作家であることが惜しまれてならないのですが、でもむしろ、この純粋性や手練れていないプレーンな感じは、どうしようもなく得難いものでありました。 わたしにはとても好もしく、こういうミステリが読みたかったんだよーと思った。
解説の山前譲さんは、“異彩に乏しい”とか“物足りない”とか“地味だ”とか、なにもそこまで・・と思えるほど、同時代人のネガティブ評価を引き合いに出しておられるんだけども^^; 後出しジャンケンの卑怯を承知で言わせてもらえば、人物描写や物語性が薄く、その分、謎解きに腐心しているミステリは、一つの方向性として間違ってなかったし、後世の作家ほど宿命的に書けなくなっていく“シンプルな潔さ”が、この短篇集の中には横溢していて、眩しいほどだった。 そして、装飾ではなく、在りのまま仄かに漂う時代の匂やかさ・・という付加価値。 現代とは少し違う倫理観の中に生きる人々の呼吸音。
人間消失、密室、暗号、ダイイング・メッセージなど、“型”が確立し、発展していく間際の原石のような光芒・・なのだろうか。 確かに、今からこれをやりますよ的なお約束系アピールが弱いので、ストーリーに起伏が乏しいという向きもあるかもしれないのだが、勿体付けた仰々しさがなく飄々としているところが自分とは相性よく感じられたし、あれこれ詰め込まないため、論理展開がすっきり整理されていて破綻がないから、とにかく読んでいて気持ちがよかった。 佳いミステリに出逢えた。 初出誌の挿絵で味わえたのも喜びでした。
パズラーのお手本のような「三狂人」や、暗号モノのお手本のような「大百貨注文者」、クリスマスをモチーフにした謎の提示が魅惑的だった「寒の夜晴れ」や、鯨の祟りという怪奇が物語構成にマッチしていた「動かぬ鯨群」、最後の一文にセンスを感じた「花束の虫」のモダーンな雰囲気もよかった。 林檎の皮むきのナゾナゾ大好き^^ というか、全て何かしらキラっとしていました。


銀座幽霊
大阪 圭吉
東京創元社 2001-10 (文庫)
大阪圭吉作品いろいろ
★★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
ミステリアス・ショーケース / アンソロジー
[早川書房編集部 編] 新鋭からベテランまで、バリバリ現役で活躍する現代米国人作家8人の競演。 近年の注目株といいましょうか、かなりホットどころがセレクトされているという印象です。 ミステリーか怪奇幻想系なのかと思って手に取ったのですが、こりゃ、到底そんな範疇では括れません。
が、しかし、受賞歴を拝見する限りでは皆さんミステリ作家っぽいです。 てか、これボケミスの一冊ですから当然です。 むしろ、最近のアメリカン・ミステリというのは、こんな風に進化しているのだと捉えた方がいいのでしょうか。 1人も読んでいないのが恥ずかしい;; 密室!とか、館!とか、うつつを抜かしている隙に、すっかり時代に取り残されてしまいました・・orz
とはいえ、デイヴィッド・ゴードンは「二流小説家」の、デイヴィッド・ベニオフは「卵をめぐる祖父の戦争」の著者なんですよね。 どちらも読みたいリストで長らく熟成させてる本なので。 ここに採られている短篇は、それら長編と気脈を通じる作品でもあるようで、予習さながら読めたのはちょっとラッキーでした・・と思うことにしよう。
人の内面を穿っていくような渋味のある作品群で、一言で表現するならばハイクラス。 でも無駄に難解というのではなく、文学チックな風味と、確実に読者の心に届くバラエティ感覚との調和が取れているからこその吸引力なのかもしれない。
自分は非日常下の3篇が特によかったな。 1927年のミシシッピ大洪水に材を得たという「彼の両手がずっと待っていたもの」は、泥臭く哀愁の香る作品で、ブルースの弾き語りを聴いているような心地。 静かに力強く、希望を奏で始めるラストに痺れます。 「悪魔がオレホヴォにやってくる」は、雪深いチェチェンを行軍するロシア兵の疲弊感や戦時の無慈悲さを、感情的な物語にすり替えることなく描いた眼差しの確かさに打たれるのです。 南北戦争末期の一家族を描いた「ライラックの香り」は傑出した名編。 人の尊厳とは・・そんな想いが胸を熱くする・・ 卑劣漢に制裁を施すことは容易いけれど、それをしないことがこの物語を輝かせている何よりの根拠のように思えてならなかった。
デイヴィッド・ゴードンの2作は、どちらもナイーブな屈折感と、実体と影とが逆転するみたいなイメージがあって、最もポストモダン風味。 「ぼくがしようとしてきたこと」は、崇高な亡霊と卑俗な実体の狭間で揺れる小説家をユーモラスに描きながらも、人の内面のデリケートな領域を覗き見てしまった的なゾクリとくるものがありましたし、少年の心に映る日常が、社会に対する違和によってグロテスクに歪められていく「クイーンズのヴァンパイア」は、自らが創り出した意識の世界で自家中毒を起こしているかのような痛ましさ、切実さを、止めどない詩的美文調の独白で綴っていく、この、子供とは思えないチグハグさが、ミスティな雰囲気をいっそう撹拌しているように感じさせるのでした。
ある意味、物語性を否定する物語を描いたレトリック・・のようなものが斬新だった「この場所と黄海のあいだ」や、暗いリリシズムを湛えたストリート小説の趣きの「彼女がくれたもの」、構成や仕掛けが最もミステリ的であった「四人目の空席」の洒脱な底巧み・・ 満遍なく心の襞に食い込む間違いのないアンソロジー。

収録作品
ぼくがしようとしてきたこと / デイヴィッド・ゴードン (青木千鶴 訳)
クイーンズのヴァンパイア / デイヴィッド・ゴードン (青木千鶴 訳)
この場所と黄海のあいだ / ニック・ピゾラット (東野さやか 訳)
彼の両手がずっと待っていたもの / トム・フランクリン&ベス・アン・フェンリイ (伏見威蕃 訳)
悪魔がオレホヴォにやってくる / デイヴィッド・ベニオフ (田口俊樹 訳)
四人目の空席 / スティーヴ・ハミルトン (越前敏弥 訳)
彼女がくれたもの / トマス・H・クック (府川由美恵 訳)
ライラックの香り / ダグ・アリン (富永和子 訳)


ミステリアス・ショーケース
アンソロジー
早川書房 2012-03 (新書)
早川書房編集部の本いろいろ
★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
雪姫 / 寮美千子
[副題:遠野おしらさま迷宮] オシラサマは東北地方に伝わる家の神とか、女(め)の神とか、子供の神とか、馬の神とか言われる土着信仰の神様ですが、「遠野物語」の中でもその由来譚の悲壮美は強く印象に残っていました。
本編はその遠い続編のような物語。 感嘆したのは、別解釈を与えられた八百比丘尼伝説とこんな形で融合するなんて! ということでした。 民話の持つ自浄作用が、ゆかしく物語に還元されています。
冷たく澄んでキンとした空気、囲炉裏や竈の炎で際立つ座敷の奥の濃い闇・・ 借景となる「遠野物語」の質感を丹念に写し込む眼差しや、哀しい伝説をそのままにしておくに忍びなかった作者さんの優しさにも触れるような心地がして、キュンとなりました。 脳内ではアニメーションのイメージで映像が膨らんで、ずっと二次元で再生されていました。 アニメ化したら綺麗だろうなーと思ったり。
施設で育ち、都会の託児所でパート勤めをしている雪姫(ユキ)は、かつて祖母が暮らしたという遠野市土淵町山口の土地と、“南部曲がり家”造りの古民家を、或る日突然、相続することに。
真っ赤な小紋の縮緬で拵えてある母の形見のお手玉や、か細い絹糸のような声で耳の底に聴こえてくる童唄・・ 深層領域に刻まれた魂の故郷の残響に導かれるように雪深い冬の遠野へ招かれていく雪姫。
ジュブナイルに分類される作品でしょうか。 来歴否認の主人公の自分探しストーリーなんですが、ありふれた平板なテーマを愚弄したり茶化したりせず、平明かつ的確な文章で怯むことなく凛然と描いている清らかさのようなものが感じられるのです。 ひょっとすると大人が真っ正面から読んだらこそばゆいかもしれませんが、おとぎ話と割り切れたら呆気なく場の磁力に引き込まれてしまいます。 「宇田川心中」がお好きな方にお勧めしたいなー。
「銀河鉄道の夜」のモデルになった岩手軽便鉄道を前身とする釜石線に乗って、新花巻から遠野に向かう車中、賢治風の紳士とボックス席に乗り合わせるところから、物語は徐々に“フォルクローロの圏内”へと運ばれていきます。 窓外の雪景色と宇宙が、猿ヶ石川と銀河が、水力発電所とアルビレオの観測所が唱和し、幻影が日常の枠内を埋め尽くし始めると、“銀河鉄道”を降りた遠野、そこはもう雪の迷宮。 辿りついた古民家は“マヨイガ”だったのです。
蝋燭の灯火の中、夜な夜な炉端で語られるのは“どんどはれ”で終わる昔話。 語り部は家の守人(まぶりっと)であるイタコの婆さまです。 赤い顔の河童や餅が好きな山人(やまんど)、サムトの婆や座敷童子など、原典に忠実な属性で登場しますし、主人公自身が鮭に乗ってやってきた旧家の宮氏の末裔というのも、しっかり根拠のある設定になっているという念の入れよう。
ひと連なりの宝石のように多彩に輝く「遠野物語」モチーフを歯車のように組み合わせ、まるでその世界観が自己増殖していくかのよう・・ 虚実の被膜を縫うように現れる相似形のエピソードの数々。 クライマックスのロマンチックな展開も、そのプロットが原典の逸話より提供されているからこそのベタさがいい。
閉じた時空に踏み迷い、命の源に触れる異空の旅は、自身を見つめ直す内省の機会でした。 マヨイガでの束の間の日々は、ふと“繭”のような時間を想わせます。 「遠野物語」の中でもマヨイガは吉兆(よいシルマシ)ですし、オシラサマは養蚕の神でもあるんですよね。
前世と祖先の傷痕が共鳴するように暗く蟠って結ぼれた想念の連鎖が八百比丘尼のスピリットによって断ち切られ、解放され、救済される流れの妙味。 民話世界の体験は、微かな温もりを宿す熾火のように雪姫を内側から照らす強さになるのでしょう。
下は「遠野物語」の一節ですが、ここにも符丁が隠されているかもしれない。
小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出て遊ぶともいふ。童子をあまた引き連れて来るといへり。
その昔、市の立ったころの遠野郷の賑わいを、雪姫とその子供たちの世代に託したい・・ そんな未来への願いが込められていた気がして。
惜しまれるのは、南蛮渡来の紅絵のお皿や、ツキとホシ姉妹の伝説にも(この分だと)下地があるのではと思うのですが、自分がそれを知らないことです。


雪姫 −遠野おしらさま迷宮−
寮 美千子
兼六館出版 2010-09 (単行本)
著者の作品いろいろ
★★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
アリとキリギリス ドレの寓話集 / ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ 原作
[挿画:ギュスターヴ・ドレ][翻案・解説:谷口江里也] 古代ギリシアの時代から語り継がれ編み継がれてきたイソップ寓話をベースにして、17世紀のフランス詩人ラ・フォンテーヌが著した寓話詩集に、ヨーロッパ古典文学の世界を丸ごと描いたと言われる19世紀の木版画家ドレが圧巻の挿絵を施した有名な版が存在します。 本書はドレの挿絵をそのままに、ラ・フォンテーヌが詩の形式で書いた個々の物語をもとにして、谷口さんが新たに文章を書き起こしたもの。 寓話は時代と寄り添いながら緩やかに変化するものであるという観点から、今という時代に合わせ、あえて新しい解釈や表現に書き換えることで、大切なことを見つめ直そうという試みがなされています。
ドレの挿画で西洋の古典が復活するシリーズの第七弾に当たるようで、116点もの挿絵が収められています。 ドレはそれまでの挿画本の常識を超えて、大きな版型の緻密な版画をたくさん用いたそうですが、本書には丸々1ページを費やす版画も多数掲載されていて、比較的安価な割に紙質もよく、ドレの挿絵目当てということでも、その美しさを十分に堪能できるかと思います。
ラ・フォンテーヌの寓話詩からは80点が取り上げられています。 オオカミ、キツネ、ネズミ、ロバ、ヒツジ、ライオン、カエル、鳥や虫・・ 様々な動物を中心に、時には村人や王様、植物や風などに仮託した人間生活の諸相は、寓意に富んだ知恵の宝庫です。 ルイ14世の絶対王政下を生きたラ・フォンテーヌの原作には、帝王学的な価値観への嗜好が見られ、やや権力的で批評性が強いところがあるそうなのですが、谷口さんは、現代人の感覚や価値観を重視して教訓のニュアンスを少し変えるアレンジをしておられ、風刺やブラックユーモアの利いたショートショート風、縁起譚や報恩譚、滑稽ながら哀愁ある話、シニカルだけどクスッとしたくなる話、滋味深い話、頓知話という概念では括れないくらい考えさせられる話、余韻がたまらない話・・などなど、どの物語も違和感なく心に響きました。 恐らくは翻案のなせる業なのでしょう。
どぎつい嘲笑や糾弾の払拭、その矛先の逆転や、救済の余地や、両義的な印象への改変など、なんとなく手入れの跡は窺えるのですが、なんせ原作を読んでいないもので正確には比較できず、原作を知りたい気持ちと、優れた翻案もいいなぁと思う気持ちとが、どっちつかずになって、少々落ち着かない心地は正直ありました。 イソップ寓話の21世紀ヴァージョンと割り切って読むべき本かと思います。
各寓話には解説ページもあるのですが、どちらかというと随想のような感じに近いかも。 潤いあるしなやかな思索によって、今と未来を見据えた考え方や生き方のヒントが示されています。 ただ、本来のテーマ性からは少しピントがズレているようなところもあったり、学術的な考察本ではないので、そこを求めて読むと少し物足りないかもしれません。
表現技術にうっとりしてしまうのは勿論なのですが、挿絵の中にさりげなく自らの思いを込めるのもドレの優れた特徴の一つ。 時には動物たちを擬人化し、逆に社会の中の人間のシーンに置き換えてみたり、また、寓意的で多様な解釈が可能な描き方をしてみたり、豊かな視覚的広がりを通してインスピレーションを与えてくれる印象的な絵も多く、感性の鋭さが垣間見えます。 ドレの卓越した場面や人物描写は後の映画作品にも多くの影響を与えたそうです。 ドレが第一回印象派展の開催に尽力していたことは知りませんでした。 解説に挟まれるドレ情報のあれこれが嬉しかったです。



アリとキリギリス ドレの寓話集
ジャン ド ラ フォンテーヌ 原作
宝島社 2012-06
(単行本)

| comments(0) | - |
夜毎に石の橋の下で / レオ・ペルッツ
[垂野創一郎 訳] 16世紀後半から17世紀前半、ヨーロッパの中心都市として繁栄を極めたプラハの一時代が、物語を司る神たる作者の秘法で、幻想歴史絵巻として召喚された・・そんな形容をしたくなる魔都的ロマンに満ちた傑作。
19世紀から20世紀への変わり目(オーストリア・ハンガリー二重帝国時代)に、当時まだ少年だった“わたし”に医学生の家庭教師が語ってくれた“ギムナジウムでは教わらない”遠い古のプラハの街の千夜一夜物語。
先生の下宿するユダヤ人街に通った日々を半世紀後(第二次大戦後ということでしょう)に追想する大外枠を配置した二重のノスタルジーを演出する三重構造の枠物語の体裁(「半七捕物帳」みたい!)になっています。 と同時に、中世を舞台にした個々の作中短篇は、時空を往還しつつ、互いに補完し合いながら、徐々に目に見えない摂理の作用を浮かび上がらせ、長篇を炙り出していくという趣向。 必然と偶然と、それらを超越した魔術が渾然一体となって織り上げていくタペストリーのような世界観と、この重層的な仕掛けとの相性が抜群でした。
芸術を愛好し、オカルティズムに傾倒する数奇者にして政治的には至って無力だった神聖ローマ帝国皇帝でありボヘミア国王のルドルフ二世が統治するプラハ。 汚職、腐敗、富と貧困、罪と徳・・に彩られたヴルタヴァ河周辺のユダヤ人街や旧市街や宮廷・・ 人種や地位を越えて右岸と左岸を繋ぐ石の橋を象徴的に冠したタイトルに魅入られずにいられない。
倦んだ街の濃厚な気配が夜気に溶け込んで、仄白い月明かりに照らされているような・・密やかな遣る瀬無さ。 そんなプラハの街とそこに暮らす人々への愛惜にも似たウィットと諧謔が一篇毎に灌ぎ込まれていて、単純に短篇として読むだけで満足度が半端なかったです。
実在の人物であるルドルフ二世と、ユダヤ人の豪商モルデカイ・マイスル、高徳のラビ・レーウの三人が、作者の創造した“麗しのエステル”を巡り、伏流する因果律に導かれ光と影のように綾を成していきます。 人の背負うもの、孤独や寂寥が愛を呼び寄せ、その愛ゆえに苦しむのがまた人なのである・・
侍従や宮廷道化師、錬金術師、ボヘミア青年貴族、ユダヤの婚礼楽師や芸人、無名の絵描き、田舎者男爵、尨犬らに加え、宮廷天文官を務めるケプラーや、若き日のヴァレンシュタインが、一本の糸として物語を支え、要所要所の歴史や伝説を縁取っていきます。
神聖ローマ帝国とボヘミアとユダヤ教徒・・ 緊張を孕んだ中世プラハの三者の共存は、形を変えて近代のエピローグに投影されています。 歴史は繰り返すというけれど、人の世の普遍や無窮の時を感じさせられ、それでいながら、古きものが消滅していく無常観と郷愁に包まれてもいるという・・ 万物照応の魔術に嵌りつつ、悩ましくも満たされた吐息と共に本を閉じました。


夜毎に石の橋の下で
レオ ペルッツ
国書刊行会 2012-07 (単行本)
著者の作品いろいろ
★★★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |