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フランス民話 ブルターニュ幻想集 / 植田祐次 & 山内淳 訳編
フランスの中でも特異な文化的背景を持つブルターニュ地方の精選された民話を収めた小集成といえる一冊。 カエサルがガリアを平定してから、現フランスの多くの地域ではローマの神々が奉じられるようになった中で、辺境のブルターニュでは、ケルト人たちの土着宗教だったドルイド教が依然として信仰の対象だったそうですが、五世紀半ば頃になり、既にキリスト教信者となっていたブリテン島のケルト人たちが移住して来るようになり・・という流れなんですね。
へぇ。内陸からじゃなく海からキリスト教が伝わったんですねー。 ローマからの激しい伝道攻勢を受けなかったため、“キリスト教がドルイド教に接ぎ木されるように”両者が混在した風土らしい色彩が民話からも感じられました。
勧善懲悪風の教訓話が多い中、「悪魔のメンヒル」の存在感がいい^^ ブルターニュがまだ異教の地でアルモリカという古名で呼ばれていた遠い昔の、聖人と悪魔が“まだけっこう仲良く”暮らしてもいた頃の話。 聖人が聖人過ぎす、悪魔が悪魔過ぎない大らかさと取るべきか、辛辣な寓話と取るべきか。 契約に忠実で臨機応変さに欠ける悪魔が狡賢い聖人にカモられて可哀想の図・・からもややスピンオフしていて、聖トレフェールがダメダメ聖人なのに澄まーして聖人顔してるところがなんともユーモラス。
↓だってこんな感じ。
聖人 「神様、礼拝堂造って!」
神 「奇跡いっぱい起こしてあげたからもうダメ」
聖人 「悪魔さんは造ってくれる?」
悪魔 「一晩のうちに造るよ。ご褒美に教区の人間の魂ちょうだい」
聖人 「う、うん。わかった」
え〜〜ww 結局、悪魔が最後の一個の石を運ぶ途中で雄鶏が鳴いて聖人セーフなんですが;; で、今もハリエニシダの草地の中に、この時悪魔が落した“悪魔のメンヒル”という巨石が建ってるんだって。
ドルメン(巨石墳墓)の下に棲んでるコリガン、そのコリガンに遭遇しないために上着を裏返しに着たり、農家の守り神だった小妖精たちのためにミルクやバターを置いておく習慣や・・ “ドルメンとメンヒル”のセクションは、わたしの知ってるケルトっぽさが如実に感じられて個人的に好みでした。 巨石文化とケルト人は全く別物なのが実体なんですが、異教の遺物としてケルト文化と親密に語られてきた長い歴史が民話の世界には息づいていますよね。
そして、大好きだったのが“イスの町”の伝説。 かつてはパリに並び立つ権勢を誇った享楽の町“イス”が海の底に沈み、長い呪縛の中で救いの日を待ち続けている・・というロマン掻き立てられる言い伝えを、ロマン派の作家が放っておくはずがないと思うわけで、現に、ここに紹介されている「イスの町」と「イスの町のクリスマス」は、民話というにはあまりに洗練された美しさと詩情を湛えた名編です。
ちょっと異色作の「寒がりやの男」は、こんな事があったのかもしれないと思わせる現実的な怖さが、生者と死者が近接していた基層から仄見えてくるようで、ついと胸を抉られる話。 死神のアンクーはブルターニュ地方のオリジナルなのかな。 本編では「食事に招かれた死者」と「夜の洗濯女」に登場しています。 アンクーが出てくるだけで雰囲気が格別。
あと印象的だったのはリンゴ。 葡萄酒よりも林檎酒が庶民には一般的だったんですね。 話の中にリンゴが頻出していて、時に霊光があったりもする。 ケルト人が西方の楽園をアヴァロン(リンゴ)と呼んでいたことと無関係ではないのかな。 ブルターニュの人々がきのこを“ひき蛙の玉座”と呼ぶというのにも擽られた^^
殆ど単純に物語性を楽しんだり、情景を愛でながら読んでいたんですが、最後の解説では、ケルトとキリスト教が時に折り合い、時にせめぎ合う独特の世界観に対する深い考察に触れさせてもらい、こんな読み方ができるのか!と目鱗ポロポロ。 緩やかな融合といっても、キリスト教が異教に対して異例の寛容さを示しただけであり、ドルイド教がキリスト教に敗北したことには変わりなく、その事実を勝者の側から暗喩的に物語っている話が少なくないのですよね。 ブルターニュ地方に伝わる人魚伝説の祖となったといわれるダユーに象徴されるように“人魚”には、ケルト落日の面影が色濃く滲んでいる気がしてきて、「人魚と漁師」の話にもう一粒の輝きが加わるようでした。
「アーサー王伝説」と親和性を示す「うすのろのペロニク」。 円卓の騎士ペルスヴァルの聖杯を思わせるベロニクの皿には、キリスト教の教義からは少し道を外れたケルト人たちの不死への信仰が現れているというのも興味深いです。


フランス民話 ブルターニュ幻想集
植田 祐次/山内 淳 訳編
社会思想社 1991-07 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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あの薔薇を見てよ / エリザベス・ボウエン
[副題:ボウエン・ミステリー短編集][太田良子 訳] ボーエンの短篇の中から20篇を選んだ本邦オリジナルの短篇集。 副題に“ミステリー短篇集”とありますが、いわゆる“ミステリアス”の方です。
辛辣な表現をさらりと優雅に綴る理知的な文章、そこから立ちのぼる冷酷で甘美な恐怖ときたら、それはもう至妙の域で。 一篇としてハズレがなかったです。 胸の奥に仕舞われた仄暗い熱を感知する触手が尋常でない。 概ね、現実の範疇に収まっていますが、薄っすらと幻想の釉薬が塗されて、日常からほんの少しだけ遊離した間合いを保つ物語。 その裏側には冷たい磁石のように張り付いて、時代を生きた人々の人生の実相が刻印されていて・・
湿った樹木の幹の匂いや草いきれ、茨の茂み、荒れ果てた空き家、古い果樹園に囲まれた屋敷、客人たちとの遊惰な団欒、ドレスの衣擦れ・・ 本書に収められている短篇群が執筆された20世紀前半当時であっても、既にやや古色がかったスタイルだったのではないかと想像するのですが、イギリスのカントリーサイドを舞台に、そこに暮らすアパーミドルに照準を当てた、(少し色褪せた)クラシカルな気品を特色とする作風には全くプレや迷いが感じられません。
全体的に列強植民地主義や階級社会の崩壊に象徴されるような斜陽の気配を色濃く写し込んでいるのですが、懐古趣味ではなく、退廃美ともまた違う。 形骸化しつつある旧世界のモラルは心地よい拘束力なのか、それとも自縄自縛の重荷なのか。 退屈で平穏で分別くさいフォーマリティの中の居た堪れない調和、そこから否応なく仄見える疲弊感。 そんな端境にいる人々の揺れる生き様に立ち会うような・・ 幾多の感情、感覚が擦れて立てる音をつぶさに聴く思いがしました。
停滞のままではいられない変化の契機を切り取るような場面が多いのですが、心を構成していた観念が撹拌され、一度ばらばらに解けて再構築されたら何かが少し変わっていた・・そんなイメージに近いかも。 変わらざるを得ない不条理に晒されたとしても、変わることが人の世の定めであるか・・と、つらつら思う肌触り。
ガヴァネスや、お雇い裁縫師、帽子店の経営者などの職業婦人が謎めいた背景を纏い登場したり、二度に渡る世界大戦の影も落ちています。 社会構造や社会情勢がもたらす理不尽な暴力に拳をあげることもなく、安易に感情と結びつけることもなく、ただそこにある真実として見つめる透徹した眼差しにこそ、共振音を内在する計り知れない力が宿るのだと、改めて感じ入ってしまう。
ボーエンは少女らしさの秘密の様式を熟知していますね。 感覚を異様に活性化させた少女期特有の防衛本能や攻撃性が残酷な輝きを放ったガーリッシュ系の物語が結構多くて(寄宿女学校とか大好物♪)楽しめましたし、少年の成長の一断片を描いた「泪よ、むなしい泪よ」や、醒めたユーモアが圧巻だった「段取り」なんかも好みでした。 西洋の小説を読んでいると、偽善、お節介をとことん突き詰めて、図らずも人が目指すべき到達点のようなところに行き着いてしまったかのような超絶パワフルな女性が時々出てくるんですよね^^ 「林檎の木」のミセス・ベタスレーもその典型のような人物で、わたし、こんな人間の描き方がとても好き。 「猫が跳ぶとき」の二人のハロルドがシンクロする怖さも白眉でした。 でも一番忘れられないのは最終話の「幻のコー」。 目蓋の裏の残像を何度も呼び起こしてはそっと溜息・・


あの薔薇を見てよ
−ボウエン・ミステリー短編集−

エリザベス ボウエン
ミネルヴァ書房 2004-07 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★★
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刑事ぶたぶた / 矢崎存美
今回は刑事バージョンです。 (都下に近い長閑なとある区の)春日署に配属された新米刑事の立川くんと先輩刑事の山崎ぶたぶたコンビが活躍するお話です。 長編なので刑事一筋のぶたぶたさんです。 長編といっても、銀行強盗の立てこもり、宝石泥棒、スーパーの針混入など単発事件を連作的に絡めながら、赤ちゃんの誘拐事件をメインストリーに据えている筋立て。
ぬいぐるみ特性を活かした、ぶたぶた刑事ならではの仕事ぶりが、いろいろ考案されていて楽しめます。 “ぬいぐるみの振り”で潜入捜査とかね^^ と同時に、人間の器では到底受け止めきれないような、攻撃的で理不尽な負の情動を従容として吸収するぶたぶたの“ぬいぐるみ性”にキュンとなってしまいます>< 投げつけられた後でパンヤが移動しちゃって一生懸命に足を揉んでたりとか健気すぎ!(でもゴメン!笑えるし!)
「あぁ、良かった。憶えてたんだね。そういうことしてもみんなすぐ忘れちゃうんだよねぇ」
ぶたぶたの発したこの言葉がちびっと胸に刺さってジーンとなってしまった。
ストーリー的には定番のリリカル路線なんですが、やっぱりぶたぶたの立ち居振る舞いがこの上なく可愛くて、この可愛さからは離れられません。 ゴールデン・レトリバーに騎乗して町を歩いたり、うさぎの着ぐるみを着せられたり、いろんなシチュエーションのぶたぶたに、いろんなポーズをとらせようとノリノリの作者さんが目に浮かぶのが嫌じゃないです。 ブラック入りつつも、やっぱり愛を感じるからなんだと思う。 あくまで三次元の特撮っぽく脳内再生するのが魅力の作品なんだろうなぁ。
異質なものが日常と同居している様子を、自然さと不自然さの中間くらいのバランス感覚で描いているのがミソなのかもしれない。 ドラえもん風でもE.T.風でもなくて、当たり前に溶け込んでいるのとも、社会がパニックになったりするのとも違くて・・ ファーストコンタクトの衝撃を乗り越えると、うんうん、まぁ、そういうこともあるよねって気分になって、呆気なく順応しちゃうんだけど、時々は、その奇妙な存在の本質や処世について、ちょっと控えめに(申し訳なさそうに)思い廻らさずにはいられない人々。 そこら辺からなんとも言えないシュールさが生れていて読んでるうちにツボってしまうんだよ^^; 鼻をぷにぷに押す癖が大好きー。


刑事ぶたぶた
矢崎 存美
徳間書店 2001-06 (文庫)
関連作品いろいろ

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三幕の殺人 / アガサ・クリスティー
[長野きよみ 訳] コーンウォールの田舎町で優雅な隠遁生活を送る元舞台俳優が主催したホームパーティの最中に、カクテルを口にしていた教区牧師が頓死するも、他殺と結びつけられることはなかった。 しかし、ほぼ同じメンバーが集まった別のホームパーティで、状況の酷似した悲劇が再び起きて・・
本篇はイギリス版の邦訳。 創元推理文庫の「三幕の悲劇」はアメリカ版の邦訳なのだとかで、それぞれ犯人の動機が違うらしい。 「エッジウェア卿の死」も然りだったけど、イギリス(固有?)の法律が動機に絡んでいるので、アメリカ版ではその点を回避させたってことなのかな?!
探偵小説というのは表紙の折り返しに“登場人物一覧”が載っていたりして、本来、非常に作りものめいた香りがするけれど、元舞台俳優が小説上の探偵を気取って現実の事件の調査に乗り出す(ポアロは顧問となって助演に徹する)という趣向を採用した本篇は、さらに輪をかけた舞台劇仕立て。
当然ながら芝居の約束事に惑わされず、最終局面で舞台の外から舞台を俯瞰できるのはポアロただ一人です。 “探偵がいるから殺人事件が起こる”或いは“結論から推理を導き出している”など、探偵小説世界における本末転倒的な不文律へのツッコミとでもいうべきアプローチにもなっていて、現実と探偵小説の二重性を意識させられる作品です。
「エッジウェア卿の死」の異様な犯人心理と「オリエント急行の殺人」の芝居性とを抱き合わせたような・・ 前々作、前作と順番に読んで来た者には、傾向と対策が見えてくる感じがあったかもしれない。 意外性の観点で言えば「探偵が犯人」の一系譜であり、(クリスティーと承知で読めば)whoの難易度は低めかなと思いましたし、(whoの見当さえつけば)大仕掛けのhowは伏線ありありなので見破れる楽しさが味わえましょう。 ただwhyは予想だにしなかった。 ちょっとマイナスの意味で。 メインの方は知らんがなといった感じだし、サブの方は特異性を顕示した発想自体は面白いのだけど「リハーサル殺人は、被害者がたまたま健康に不安を抱えた無害な愛すべき老牧師だったから見過ごされた」のであって、これでなんで「本番OK」の判断が得られるのか、どうにもこうにも計画の段階で破綻してるよなぁとの思いが捨てきれず。
それより実はポアロって完璧な英語を話すことができたんですね・・ってのが何気に一番の衝撃だったw いや、ことわざや慣用句や俗語の言い間違いとか、絶対わざとだ〜!って薄々は感じてたんだけど^^; 非イギリス人であることを誇張し、期待に応えてコメディを演じる。 無邪気な自負心や滑稽なまでの唯我独尊ぶりも相手を油断させる道化のポーズなのだよね。 しかもそれが癖になって止められなくなったという悪趣味ぶりまでポアロの口から聞けてニヤリでした。 いやなにしれっと言ってくれてますが、どこまでホントかウソか。 この人を喰ったようなところ、底知れない役者なのだよねぇ。 因みにそんなポアロのカムフラージュを見抜いて指摘する芸術家のパトロン、サタースウェイト氏は、連作短篇集「謎のクィン氏」からの友情出演者。 と、後で知りました。 稀代の第三者(傍観者)の目線を持って舞台を眺める役どころ(観客役)として登場し、ほぼこの人物の三人称一視点で運ばれていく構成。 本篇にももれなくパパ・ポアロ要素あります♪ 恋の駆け引きにまつわる人間観察眼も真相看破の必須条件です。 ラスト一行のサゲが大好き^^


三幕の殺人
アガサ クリスティー
早川書房 2003-10 (文庫)
関連作品いろいろ

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エッジウェア卿の死 / アガサ・クリスティー
[福島正実 訳] 今をときめく美貌の大女優ジェーン・ウィルキンスンは、裕福な、しかしエキセントリックな噂のある(嗜虐癖のある)エッジウェア卿と結婚するも愛想を尽かし、現在は別の大貴族との再婚を望んで別居中の身。 離婚を承諾しなければ殺してやるわと公言して憚らなかったその矢先、エッジウェア卿が自邸で何者かに刺殺され・・
本篇はヘイスティングズ大尉の手記です。 ポアロ自身が我が名を出すことを望まず、事件解決の名誉を得たがらなかったため、ポアロの名が公表されずに今日に及んだ事件であると前置きされていて、“ポアロの考え方によれば彼の失敗の一つ”であったと綴られています。 手こずるものの最終的には解決しているのにどこが失敗談なのかというと、ポアロが得意とする心理の解明重視の捜査法そのものが仇となる事件だったという意味において、美学の敗北であり、より精神的屈辱感が大きかったんだろうな・・と想像されます。
前々作の“パパ・ポアロ”モードを引きずった前作でしてやられて懲りたのか(或いは硬質な雰囲気の訳も影響してたのか)かなりシニカルでシビアな一面が際立つポアロでした^^; まぁ今回は、上流階級やら大スターやら鼻持ちならなげな濃ゆい人たちが相手だったからね。 準レギュラーのジャップ警部が“愚鈍な警察”ぶりをいつになく果敢に発揮し、ヘイスティングズとともにポアロの引き立て役として葉っぱを添えています・・が、あれれ「(結果だけなら)ジャップ警部の勝ちじゃ?」みたいな一抹の皮肉も盛ってあったかな。
クリスティーのあの手この手の意外性探求は衰えを見せず、一作ごとに楽しくて止められなくなってる。 これは「最も怪しい人が犯人」の類型と言ったらいいか、一回転ツイストしたかのような裏の裏をかいた意外性は、案外と初心者ほど分かりやす!ってなりそうな拗れた捻くれ方。 その意味では「スタイルズ荘の怪事件」に通ずるものがある気もするのだけど、犯人の人間的な特異性に重きが置かれ、ポアロが標榜する“犯罪の背後に隠された心理学”へのアプローチ自体が謎解きの鍵(というか盲点というか)になっているところに新味を感じます。
メイントリックはヒント全開だし、シンプルだし、序盤の段階で直感的に気づける人はいるかと思うんだけど(自分はダメだった)、ポアロの推理過程に密着させられるうちに複雑怪奇な深読み迷路に無理やり連れ込まれてしまうのだよね。 手紙トリックの(これはポアロが看破する)物理的技巧や、登場人物の一人が真相に気づきかける手掛かりの心理的技巧など、冴えのある仕掛けもセットされている一方、真相に導く決め手としてポアロに与えられるのは“偶然”であって、推理関係なし。 謎の濃霧を晴らし真実に導いてくれる唯一の案内役であるはずの小さな灰色の脳細胞が、どうも茶化され気味の筋立てなのだ。 悄気るのもわかるわー。 今作のクリスティーはやけにポアロを苛めてますw 動機にまつわるトラップや殺害方法の特殊性などは、はぁ?そんなん知らんわ;;って感じで拍子ぬけ要因が無いこともなかった。(注:前者にはイギリス人ならわかる伏線があったみたい。 後者の伏線も気づけてないだけだったらあしからず)


エッジウェア卿の死
アガサ クリスティー
早川書房 2004-07 (文庫)
関連作品いろいろ

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邪悪の家 / アガサ・クリスティー
[田村隆一 訳] 舞台はコーンウォール地方の海岸沿いの町セント・ルー(モデルはトーキーみたい)。 風光明媚な保養地に休暇で訪れたポアロとヘイスティングズ大尉が怪事件に遭遇します。 二人の前に現れた女性ニック・バックリーは、岬の上に佇む荒れた古い邸エンド・ハウスの所有者。 何度も危険な目に遭いながら辛うじて命拾いをしている小妖精のようにチャーミングなマドモアゼルを救うべく、まだ殺人の起こっていない未然の調査に乗り出すことになったポアロ。 既に探偵業は引退していて、積極的に依頼を引き受ける気はないものの、窮地に陥っている女性を目の前にして放っておけずに・・という成り行き。
この種のアイデアの場合、読者が直感的にピンと来る宿命を免れないと思うのですが、その点が他でもないミスリードなのか、そうじゃないのか・・ 疑問を薄っすら持ち続けつつもすっかり術中にはまりながら読みました。 隠れたストーリーとミステリ的仕掛けが綺麗に融合した佳篇。 気づけなかったとはいえ、伏線がきちんと張られていたから種明かしの段でなるほど!と納得がいくし、ポアロが真相を看破する手掛かりにも唸らされる。 目眩まし的にならざるを得ない人物造形もギリギリのところで説得力を保てていたと思う。 犯人以外の容疑者たちが張り巡らす不可解な言動も物語の歯車としてきちんと処理されるところが好もしい。
順番に読んでるんだけど、こんなに行き詰まり、途方に暮れて憔悴してるポアロは初めてかも^^;  これねぇ、殆ど“パパ・ポアロ”モードになっちゃってたからなぁ・・もごもご。 前作「青列車の秘密」との対比も読みどころと言えるかもしれない。 今回、ヘイスティングズはわりかし大人しめ。 霊媒師にはクスってなったけど^^
まぁそんなこんなでポアロが皆を集めてさてという終盤で、ヘイスティングズが霊媒師を務める(?)こととなり、お芝居のような舞台が実際に演出されるんだけど、これが軽妙洒脱で頗る振るってるのだ。 一段階のトラップが喜劇的ないい味出してるんだよねぇ。 最後のピースとしてとある登場人物の×××人らしさをオマケのオチに持ってくる辺りの大らかなウィットが好き。 逆にポアロを通してイギリス人の習慣や気質をさり気なくも面白おかしく客観視する描写など、クリスティーは(侮蔑的でない)エスニックジョーク風の味わいを作品に取り入れるのが本当に巧いと思う。 このシチュエーションで、陰鬱な古い屋敷の怪奇的な雰囲気作りといった方向には全然向かわないというのも面白いね。
「青列車の秘密」の翌年だと明記されてるし、田舎でカボチャ作りをしていた時の「アクロイド殺し」も回想されてるし、あまり厳密であろうとはしていないようだけど、一応は時系列で進んでたんだね。 因みに、ベルギー警察時代の失敗談をヘイスティングズに語った短篇「チョコレートの箱」のエピソードが持ち出されたり、“マントルピースの上の飾りものをまっすぐに置き直す癖のおかげで有名な事件を解決した”なんて某作への言及があったり、スコットランドヤードのジャップ警部を交えて思い出話に花を咲かせたり・・ クリスティーの心境が影響してるのかどうか、来し方を振り返るような叙述の多さが印象に残ります。


邪悪の家
アガサ クリスティー
早川書房 2004-02 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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青列車の秘密 / アガサ・クリスティー
[青木久惠 訳] フランスを縦断中の豪華寝台列車ブルートレイン(青列車)の一室で起こった殺人事件の謎を、たまたま乗り合わせたポアロが解決します。 アメリカの大富豪を父に持つ年若い夫人の絞殺死体が発見されると同時に明らかになったのは、彼女の所持品だったモロッコ革の赤いケースの消失。 その中には父親が闇経由で買い与えた“火の心臓”と呼ばれる高貴な歴史を持つルビーの宝飾品が入っていました。
現在は優雅に世界を旅行して楽しんでいる身のポアロ。 旅先のリヴィエラへ向かう途中での事件遭遇です。 何年も前に探偵業を引退し、2年前からはイギリス人執事のジョージ(ポアロは“ジョルジュ”と呼ぶ)と暮らしているらしい。 初キャラなんだけど今後も登場するのかな? ヘイスティングズより頼りになりそう^^
ポアロもの初の三人称助手なしスタイル。 「アクロイド殺し」は、まぁネタ仕込みだからアレだけと、ついにヘイスティングズがクリスティーに見限られた感のある本篇。 「ビッグ4」であれだけド派手に弄り尽くしたら、そう易々とは使い回せないよなぁ。 ヘイスティングズをトラップに利用するパターンは、キャラの確立と同時に役割の固定化にも繋がってしまうから、この辺でそろそろ限界を感じたりし始めるのも自然の成り行きだったんだね・・というのが順番に読んでると分かる気も。
自分の場合、細かい論理の追求には全く熱心ではなく(と言うかそこまでの頭脳がなく)、納得できるだけのエレガントさやノリがあれば充分なので、謎解きに関して非常に甘々な読者なんですが、それでもやはり本作のミステリ面は世評通りのイマイチめな印象が拭えなかったかなぁ。 クリスティーだから当然面白くないわけではないのだけど、犯人にはもっと簡単な目的達成法がいくらでもあったんじゃないかと思えてしまう(思わせてしまう)点と、犯人キャラの造形が意外性追求のあまり強引過ぎた(内面の連続性がしっくりこない)ように感じられた点が影響して、推理披露の段で気持ちよく説得されることができなかった。 もしかして再読すれば伏線に気づくのかな。 あとね、お父さんったらそんな怪しげな宝石を愛娘に持たせちゃ危険だってわからんのかい;; 襲われておきながら。
煎じ詰めれば、パパ・ポアロに癒されたい(ちょっと自信を無くしかけた)女性読者のための書・・かな。 作中では、若さを無くしかけたジア、美人じゃないレノックス、そして真面目で奥手のキャサリン、三人のマドモアゼルにポアロの愛が届いてます。 特に、“今度の事件をわたしたちの探偵小説(ロマン・ポリシエ)として一緒に解決しましょう”と、ポアロに言わしめた本篇のヒロイン、期せずして多大な遺産を相続することになったコンパニオンのキャサリン・グレーは、事件に巻き込まれつつ人生の表舞台へと踏み出していきます。 でもパパ・ポアロぶりが大発揮されるのはレノックスへ向けたラストの素敵な台詞。 ヘイスティングズ弄りで見せる子供のような意地悪っ子ぶりとの二面性が、ポアロをポアロたらしめる魅力になってることをしみじみ思った。
まだほとんどポアロものの初期しか読んでないのですが、冒険譚の匂いを残している作品が多いからでしょうか、イギリス人だけで完結している話が意外と少ないのよね。 端役ながら日本人すら出てきたことあるからね。 本篇の主要登場人物も、そもそもポアロが亡命ベルギー人ですし、イギリス人、アメリカ人、フランス人、ユダヤ系ギリシャ人と賑やか。 まぁ舞台もフランスですし。 お国柄や民族性を反映したそれらしい役作りでストーリーを豊かなものにしていくあたり、クリスティーは達者です。

<追記>
キャサリンが、気難しい老婦人のお世話をしながら十年間暮らしていたセント・メアリ・ミード村は、なんとミス・マーブルシリーズの主舞台となる架空の村なんだって。 未読なので完全スルーでした;;
一瞬、あれ?こっちが先?って思ったんだけど、のちに短篇集「火曜クラブ」としてまとめられる短篇の幾つかは既に書かれているんだね。 何にも起こらない牧歌的な田舎の小さな村で、キャサリンとミス・マーブルは顔見知りだったのかしらん? ふふ。


青列車の秘密
アガサ クリスティー
早川書房 2004-07 (文庫)
関連作品いろいろ

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マシューズ家の毒 / ジョージェット・ヘイヤー
[猪俣美江子 訳] 主としてヒストリカル・ロマンス(リージェンシー・ロマンス)とリアルタイム・ミステリの両輪で活躍した作家さんのようです。 そのうちミステリにカテゴライズされる本作は、ハナサイド警視シリーズの2作目に当たるとのこと。 前作を読んでいませんが特には支障なかった(と思うの)です。 多くの作品は1930年代頃に発表されていて、本編もそんなミステリ黄金期のエッセンスがムギュっと詰まっている感じです。
ロンドンの郊外、ヒースの風が煙るグリンリーのポプラ屋敷で起こったニコチン毒殺事件。 被害者の家長は、横暴で意地の悪い嫌われ者の実業家。 その死をめぐり種々の不和が蔓延って、軋轢が充満する容疑者だらけのお屋敷・・ スコットランド・ヤードのハナサイド警視は、決め手のない多すぎる動機に翻弄されながら難事件の解決に挑みます。
戯画化された登場人物たちが繰り広げる芝居のような舞台なのですが、鋭い人間観察に裏打ちされていて、辛辣で滑稽な会話劇として一級品の輝きがありました。 ロマンスの要素も盛り込まれていて、これがまるで、エリザベスとダーシー卿の別時代バージョンみたいな趣きがあり、解説で“ジェーン・オースティンに近い感じの作風”と紹介されていたのが頷けます。
名探偵ものとしては変則気味であるのと、名誉が重んじられていた時代ならではといった解決スタイルが印象的。 状況からして論理派なのかな? と思って読み進めていたのですが、どちらかというと意外性派。 それにしてはやられた!とまで昂ぶれないのがなんともかんとも。 でも、こう収めるためにあの挿話が必要だったのね・・みたいに、紆余曲折な物語の筋立て、運びが理にかなっていて巧者だなーと唸りました。 悪目立ちぶりも華やかな容疑者たちと、しごくマトモで何とも影の薄いハナサイド警視との落差が、独自の面白味を醸していたように思います。

<覚書き>
【リージェンシー・ロマンス】
英国の摂政時代を舞台にしたロマンスのことで、病身の英国王ジョージ三世に代わり皇太子のジョージがリージェンシー(摂政)として政務を執った時代を舞台にした歴史ロマンス小説のこと。 摂政時代は1811〜1820年までだが、ロマンス小説界では、1830年くらいまで(摂政皇太子が国王ジョージ四世になった時代)をリージェンシー・ロマンスの対象期間としている。
ジョージェット・ヘイヤーは、“リージェンシー・ロマンス”というジャンルの原形を作った作家といわれる。

へぇ。 ロマンス小説に疎いんですが、ヘイヤーが書いた作品なら読んでみたいなーという気にさせられてしまいました。


マシューズ家の毒
ジョージェット ヘイヤー
東京創元社 2012-03 (文庫)
関連作品いろいろ

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謎の謎その他の謎 / 山口雅也
謎が明かされないまま物語が“Fade Out”するリドル・ストーリーを取り揃えた短篇集。 2冊の「謎の物語」を読んで以来、すっかり虜です。 ただ自分の場合は、想像逞しく答えを追い求めるセンスがないもので、もっぱら奇妙な味わいの異色集っぽく楽しんでます。 目次を見たら“山口雅也訳”なんてのが混ざっていて、あらオリジナルばかりではないのね? と思ったら違いました。 騙されかけた^^;
どれも秀作ですが、一番星はやはり「異版 女か虎か」。 リドル・ストーリーの古典といわれるストックトンの「女か虎か」のみならず、そこへ「女か虎か」へのオマージュ作品であり、数ある続編や解答編の中でも屈指と言われるモフィットの「女と虎と」を被せて、二重の下敷きの上に構築した物語。 隙間のないほどに肉付けされた心理的背景が複雑に錯綜していて、各々の選択とその組み合わせ如何で、なんと悩ましい二者択一になってしまうのだろう。 これを読んでいたら、原作が凄くシンプルだったことに気づかされて、実はストックトンも(確信犯的に)サロメをモデルに書いていて、“女が、自分の愛する男が手に入らないからといって、殺すなんていうことがあるだろうか?”といった疑問符に表されるサロメの寓意性こそが答えを導き出すヒントだったのではなかったか・・そこを狙った(暗喩的な企みは深いが)明快な物語だったんじゃ・・ などと想像を掻き立てられてドキドキしてしまいました。
「見知らぬカード」も、こちらはモフェットの「謎のカード」から翻案されていて、カードを見せられた人々の反応がマチマチなのがいっそう刺激的です。 「群れ」は、どこかブッサーティを想わせるような肌寒くて薄ら怖い不条理感が好み。 唯一、「謎の連続殺人鬼リドル」だけは、頓知風な感触があって、作家からの挑戦状を受け取ったような気分にさせられて歯痒いんですが、いわゆる“ワニのパラドックス”を踏まえたストーリー。 2発の銃声というのが気になって気になって。 「私か分身か」は一瞬、エリンの「好敵手」が頭をよぎったんだけど、サイコというより怪奇SFテイストな展開なのもまた、もやっとした肌寒さが美味でした。
バラエティに富んだ謎の息吹きがてんこ盛りに吹き込まれていて飽きません。 リドル・ストーリーと括らなくても異色好きには玉手箱のような作品集だと思います。


謎の謎その他の謎
山口 雅也
早川書房 2012-08 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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