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牡丹灯籠 / アンソロジー
[副題:ホラーセレクション1][赤木かん子 編] 随筆に芝居に落語に・・日本の近世怪談文芸史に華々しい足跡を残した「牡丹灯籠」ですが、その系譜を整理するのに佳き本です。 江戸の怪談話は好きなんですが、ちょっと遠ざかっていると「牡丹灯籠」も「四谷怪談」も「真景累ヶ淵」も記憶の中で混ざり合ってごっちゃになっちゃうんだよね;; ここで一回ちゃんと分離できたのは物怪の幸い。 ついでに「番町皿屋敷」もラインナップしてくれたらよかったのに。
「牡丹灯籠」がメジャーになったのは円朝の功績によりますが、円朝の「怪談 牡丹燈籠」(の一部)は、そもそも浅井了意の仮名草子「伽婢子」所収の「牡丹灯籠」を下敷きにしたもので、さらにそのルーツは中国明代の怪異小説集「剪燈新話」所収の「牡丹燈記」に遡ります。
原典の「牡丹燈記」はなかなかに凄味のある話なんですが、了意版は、ドギツイ部分をバッサリ削りつつ、微かに中華風味の幽玄さを残して、男の寂しさが沁みる甘美な怪異譚に仕立て直したんだなーと感服します。 円朝まで来ると、もう完全にジャパネスクですね。
了意と円朝の間にも、山東京伝が翻案して「浮牡丹全伝」という読本を書いていて、そのモチーフを南北が「阿国御前化粧鏡」の狂言で使い、その芝居を再び京伝が「戯傷花牡丹燈籠」という合巻に仕立てたとか・・ 「牡丹灯籠」は、円朝以前にも着実に引き継がれていたことがわかるし、江戸でも案外と馴染んでいたんだろうか。 それにしても・・ 今回、改めて読んだけど、南北の「四谷怪談」のド悪っぷりスゲー! 子供向けでこれかw
今日、例のカラ〜ンコロ〜ンの“幽霊譚”として流布しているのは「怪談 牡丹灯籠」の一部分なのであって、全編を読むと、むしろ円朝が“アンチ幽霊譚”を描こうとしていたことが仄見えるらしい。 「真景累ヶ淵」の“真景”も“神経”に掛かっていて累ヶ淵のサイコバージョンほどの意味合いが込められているようです。 生れは江戸でも、円朝はやっぱり文明開化を肌で感じた明治人なんだなーと思う。 同時代の黙阿弥もまた、狂言「木間星箱根鹿笛」で、神経から幽霊を解明する試みをしているそうである。
綺堂が寄席で聴いたという円朝の“柔らかな、しんみりした”話し口は今となっては窺い知ることもできないのだけれど、速記本の中にそのよすがを求めて忸怩をもてあそぶのも、また一興かもしれないと自分を慰めてみる。 “円朝は円朝の出づべき時に出たのであって、円朝の出づべからざる時に円朝は出ない”という綺堂の言葉が深い。
江戸から明治期の文化の変遷を知らず知らず感じ取れてトテモ甲斐のある読書タイムでした。 “トテモ”って、昭和31年当時、今どきの流行詞だったんだって^^

収録作品
牡丹の灯籠 / 浅井了意 (藤堂憶斗 訳)
牡丹灯籠 −お札はがし− / 五代目 古今亭志ん生
随筆(高座の牡丹燈籠・舞台の牡丹燈籠・怪談劇) / 岡本綺堂
怪談 牡丹燈記 / 中国の民話 (鈴木了三 訳)
四谷怪談 / さねとうあきら (鶴屋南北 原作)
随筆(真景累ヶ淵 解説) / 久保田万太郎


牡丹灯籠
アンソロジー
ポプラ社 2006-03 (単行本)
ホラーセレクションいろいろ
★★
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大きな森の小さな密室 / 小林泰三
クセモノな探偵たちが様々なバリエーションの事件を解決するイロモノ系ミステリ連作集。 あー、これはファンへのご褒美作品ね。 過去作に登場した濃いキャラが探偵役で再登場スペシャルみたいな。 小林泰三さんはアンソロで1〜2作読んだ程度の身なもので;; 過去のエピソードを肴にしたニヤリポイントらしき小ネタが感知されるも反応できない寂しさはありましたが、そんなことは捨て置きたくなるくらいギミックが蠱惑的。
まず、この短篇集の面白味は、犯人当て、倒叙、安楽椅子、バカミス、日常の謎・・など7つのお題にそって7つの短篇を揃えたところにあります。 企画萌え性分としてはホイホイされずにいられない趣向の魅力に加え、なんていったらいいんだろう、リアルを異化した空間そのものが作家の作品みたいな。 インスタレーションアートでも眺めているような感覚が味わえて楽しかったです。 物語世界と読者の距離を保持する作風なので、全体的にメタっぽいクールさが漂います。 ノヴェルとしての肉付けを削ぎ落とし、小咄や寓話めいたスマートな骨組み上で、ツイストの効いた小気味よさを際立たせているのも特徴的。
練りに練ったトリックというのではなくて、周囲をなぎ倒していくような強引なロジックが映える空間演出とストーリーのブラックさ・・ もうね、論理というよりハイパー論理^^; これをやりたいんだなっていうメリハリが圧巻です。 マッドサイエンティストやら殺人犯やら、どいつもこいつも作法と品行と然るべき感情が欠如した探偵揃い。 偽悪的な面々が、傍迷惑な論理で絡んできた時の、ちょっとしたズレが発電する皮肉な笑いは独壇場ですね。
ホームズをデフォルメしたようなΣがお気に入りです^^ 「更新世の殺人」のバカさ加減が大好きw あと、思考回路がスパークしちゃっいましたが「正直者の逆説」も好み。 人で無し的には誰が最強だろう・・ 礼都かな? Σかな? 丸鋸先生かな? などと秤に掛けつつ読んでいたんですが、最後、ジジイの悪趣味に持ってかれたー。 「路上に放置されたパン屑の研究」の徳さん・・優勝ですw コメディと狂気が綯交った奇態な光景や、読むうちにどんどん快感になってくる毒気がちょっとヤバい作家さん・・ うぅーむ、癖になりそう。


大きな森の小さな密室
小林 泰三
東京創元社 2011-10 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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逃げ水半次無用帖 / 久世光彦
根津から上野界隈を縄張りにした新米御用聞きのお小夜と、捕物の最中に足腰を挫き、お小夜に十手を任せた佐助。 この父娘宅に少年の頃から預けられ、今も離れに同居している絵馬師の半次。
半ば狂言回しといった役どころのお小夜が情報を持ち帰り、半次と佐助がお小夜の後ろ盾となって絵解きする趣向の時代ミステリ連作集です。 が、短篇は最終章で鮮やかに長篇へと転じます・・
捕物というよりも、どっちかというと安楽椅子っぽい判じ物でした。 久世さんはミステリ書きではないのに、これがどうして、想像以上にミステリパートが楽しめたー。 俳句を捩った暗号系アナグラムなんか嬉々として練られたんじゃないかな^^
お白州裁きまではいかず、岡っ引きの裁量が物を言う、市井の営みの中の割と小さな面倒事が糸口なんですが、包囲殲滅戦はせず、“日陰の花をお天道さまに曝すようなまね”をしない決着の優しさ・・そこに混じり合う名付けようのない悲しさ。
夜叉か童女か淫婦か慈母か・・燃え惑う憐れな女の情念や、母の影に縛られ続ける半次の憂いは、彼岸と此岸をさすらう逢う魔が刻の薄明かりや、可哀想な心が忍び歩く夜のしじまに滲んでいるようなイメージ。 濡れた闇と花鳥風月の妖しい瞬きに塗り込められた耽美な作品です。
(後期の)江戸情緒には違いないのだけれど、昏く艶めかしいのに、あえかでキンと澄んだ世界のそれは、唯一無二の和モダン情緒といった方がしっくりきそうな独特の色香を醸しています。 半次たちが日々ほっつき歩くテリトリーも、蛍小路、暗闇坂、帯解け池・・といい感じにそそるんですよねぇ。
夢みたいにきれいで、とりつく島がなく、女たちが追っても追っても届かない逃げ水のような半次を、時に戸惑いながらも生娘らしく恋い慕うお小夜の初々しさが、物語に真昼の光を注ぎ込むコントラストになっていたように思います。 気楽な夜鷹稼業に酔狂で身を落しているとしか思えない辻君のお駒がまた、さばけた好い女風情で、お小夜とは別の角度から温かな春の日差しを半次に灌いでいます。 やがて娘ばかりではない、そっと半次へ向けられた眼差しの縁と因果が紐解かれ・・
真の虚無は虚無でしかないのだから、半次の胸に巣食う古井戸の底の水色の石は、どこか拵え物めいた柔弱な匂いを発散させている。 男のこんなナイーブさが、ぞっとするぼど甘美な色気へのトリガーになるんだろうな。 遊民然と水色の石を転がしていられたのは、守られてきたからこそだったんじゃないのかなって。 その証しのような半次の色気。
長篇としては、因果を浄化する“縁”のロマンを感じました。 すごく感傷チックで華のあるクライマックスなので、知っちゃいないのに歌舞伎の舞台を勝手に思い描いてチョットときめいてしまいました。 胡粉まみれの摩耶夫人像の極彩色や、無数の絵馬が鳴子のように音を立てる両国回向院の絵馬堂が焼きつくほど印象的。


逃げ水半次無用帖
久世 光彦
文藝春秋 2002-02 (文庫)
久世光彦作品いろいろ

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ひらいたトランプ / アガサ・クリスティー
[加島祥造 訳] 危険な道楽を好む悪魔的な人物として定評のあるシャイタナ氏の客人として、8人の人物がトランプゲーム・パーティに招かれた。 うち4人は、発覚を免れた過去の犯罪にかかわる秘密をシャイタナ氏に握られているらしい容疑者グループ。 残り4人は、私立探偵、警視、諜報局員、推理作家と赫々たる属性の揃った探偵グループ。 獲物とハンターを引き合わせ、高みの見物を決め込もうとした残酷趣味の悪ふざけは自業自得の惨劇を呼び込むことに。 客人たちがブリッジに興じる最中、一人、暖炉の端の椅子に座っていたシャイタナ氏は、何者かにひっそりと刺殺されるのだった。
4人の容疑者と4人の探偵とが対峙する図式が興を唆るのと、作品全体を演出しているトランプゲームのコントラクト・ブリッジが推理のプロセスとも有機的に関わってくるのが特徴的。 ブリッジの得点表から犯人候補たちの性格を分析したり、隠された犯罪心理を探ったりするポアロの捜査法が読みどころになっています。 ルールを知らなくても入っていけるのだけど、ざっとでも把握している方がより楽しめるのではないでしょうか。 あとがきで簡単なルール説明がされているので先に目を通しておけばよかったなぁと。 まぁ、どんな勝負の時に誰がダミーだったか・・ 結局、決め手はそこなのだけど。
あれ? この既視感はなんだなんだ? と思ったら「ABC殺人事件」の中で、ポアロが“こんな事件を解決してみたい”と夢想してヘイスティンズに語っていた筋書きそのものなんだね! なんだかまるでポアロが未来を引き寄せたかのような面白味が添えられた格好。 犯人ではなさそうな人物を疑えばよいという常套からの脱却を意図した作品で、意外性のクリスティーが、怪しい複数の犯人候補の中から一人に絞るタイプの、いわゆる本格志向の強い地味なミステリにチャレンジしてるという意外性・・と言えなくもないのだけど、本人が序文で宣言しているように、犯人を導き出すためにクリスティーが用いるのは、人間観察を踏まえた心理的手法なのであって、証拠や手がかりや仕掛けを駆使し、物理的にこれしかないというロジックを導き出す手法ではないので(むしろその部分は大胆に切り捨てている)、この手のタイプの醍醐味が元来、推理の堅牢さにあるのに対して憶測で終始する印象となり、その辺が推理小説としては幾分か物足りなくも感じてしまった。 無論ミスリードやどんでん返しなど、クリスティーらしいアトラクションで補強されていたりはするのだし、言い方を変えれば心理要素を重視した別種の興味が付加されているわけで、ガチゴチ本格にはない読み心地を見出すことができるというもの。
ポアロを中心とした探偵グループのキャスティングが凄い! 未読なのですが、バトル警視は他シリーズから、レイス大佐とオリヴァ夫人も他作品からの友情出演者。 特にクリスティー自身のカリカチュアとおぼしき人気推理作家のアリアドニ・オリヴァ夫人の造形が魅力的。 今後のポアロシリーズで準レギュラー化していくキャラみたいです。 ベルギー人ならぬフィンランド人の探偵を主人公にしたシリーズものを発表している彼女の言動には、クリスティーの本音が見え隠れしているところがありそうでニヤッとさせられます。 女性でありながら、客体化した鋭い観察眼で辛辣にユーモラスに女性を描くことができるのは、クリスティーの大いなる才能であり、美徳だなぁと思います。


ひらいたトランプ
アガサ クリスティー
早川書房 2003-10 (文庫)
関連作品いろいろ


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メソポタミヤの殺人 / アガサ・クリスティー
[石田善彦 訳] オリエントを舞台にした最初の長篇。 解説では“生涯の伴侶となった考古学者、マックス・マローワンとの出会いが生んだ記念の一冊”と紹介されていましたし、冒頭の献辞も、“イラク、およびシリアの遺跡調査に携わっている多くの友”に捧げられており、私生活が充実してそうなクリスティー。
チグリス川近郊の砂漠の丘で古代遺跡を発掘している調査隊の宿舎が舞台となる殺人事件です。 たまたまシリアでの一仕事を終えてバグダッドを観光しようとしていたポアロに事件の捜査が依頼されます。 心理の地層に分け入り、秘められた過去を蘇らせるポアロのパフォーマンスは、考古学者顔負けといったところ。
様々な職業や国籍の人材が集まった発掘チームの隊長、ライドナー博士に同行している妻ルイーズの、不可解なパニック状態の兆候や、かつては和やかだった宿舎の雰囲気を蝕む異様な緊張と気詰まりの元凶は一体何なのか? 強迫観念に苛まれる夫人の付き添い役を依頼された看護婦エイミー・レザランが今回のゲスト・ヒロイン。 第三者の立場にありながら事件にずっと関わることになったレザランが、公正な証人として手記を綴り、ポアロの助手も務めています。
なぜ殺され、誰が犯人なのかについての捜査は、“被害者の人格だけを出発点とした”とポアロが豪語するように、プロファイリング的要素が強く、ルイーズがどんな人間なのか、そのモンタージュ作りに重きが置かれていた気がします。 絵解きはあくまで、“事実を整合性ある場所に位置づけるための可能な限りの正しい結論”なのであって、具体的な証拠がないまま犯人の自白で落着します。
殺人の手段も確実性が薄いと言わざるを得ない方法ですが、込み入ったことをやって破綻しているパターンとは違って綺麗にまとまっており、自分としては素直に楽しめました。 被害者、犯人、容疑者たちの人間性(とそのせめぎ合い)に着目し、これは一種、ファムファタルものとして読むことをお勧めしたいなぁ。 ドラマチックな真相のおとぎ話的外観と、狂気的なまでに熱を帯びた内面性のギャップを愛でてしまいました。 犯人の破滅こそが何よりルイーズの魔性を物語っているのかもしれなくて。 さらっと描いてるんだけど実に芳醇な一面を秘めた作品という印象。
春日直樹さんによる解説で、“書き手の持つ力”のテーマが隠されていると指摘されてもいた通り、記録者であるレザラン看護婦の(文脈上の)個性も恐らくは読みどころだったんじゃないかと思うんです。 クリスティーは言わずと知れた“語りの技法”の名手だし、登場人物が同じような喋り方になっては個々の持ち味がなくなってしまうと言って、原稿に手を入れられる(文章を文法的に正しく直される)ことさえ嫌がったと、どこかで読んだ記憶もあるし。 レザラン自身が気づいていない融通の利かなさ加減にクスッとさせられる感じなんかは伝わってくるものがあったんだけど、“稚拙な手記としての面白み”は、翻訳されてしまうと正直いまひとつわからなかったのが残念。
レザラン看護婦の記述によると、事件解決の一週間後、オリエント急行で英国に帰る途中のポアロが、また新しい殺人事件に巻き込まれたとのこと。 時系列的には「オリエント急行の殺人」の直前に位置する話なわけですね。 発掘遺跡から聞こえてくるアラブ人労働者たちの単調な歌や、かすかな別世界を想わせる水車の軋る音などは、きっとクリスティーが経験した中近東の肌触りそのままなのでしょうねぇ。 発掘隊ならではの道具立ても盛り込みつつ、これ見よがしではないエキゾチシズムが上品で軽やかな読み心地を残します。


メソポタミヤの殺人
アガサ クリスティー
早川書房 2003-12 (文庫)
関連作品いろいろ

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海に住む少女 / ジュール・シュペルヴィエル
[永田千奈 訳] 1931年刊行の第一短篇集の全訳に、1938年刊行の第二短篇集から二篇を加えた短篇コレクション。 詩的痕跡を随所に残した美しき結晶の首飾りみたいな小品たち。 現実と幻想のあわいにあって、仄かに明滅している孤独が奥ゆかしげに疼くような・・孤独というほども輪郭のはっきりしない、舫い綱の外れた小舟のような心許なさが、条理というフックを欠いた夢を見続けてでもいるかのような御伽話めいた佇まいの中に溶かし込まれている。 それでいながら、くすくす笑いがこみ上げる可愛らしさ、人懐っこさが隙を狙って顔を覗かせ、いい具合に腰を折ってくれるところが素敵なんです。
シュペルヴィエルの作品は複眼的視点が特色なのだそうですが、この作品集にもそれは顕著に表れていました。 自己の檻から離れて世界を眺める視点、その仮初の存在は、他ならぬ自己の投影なのではなかろうか。 亡霊や幻影や動物、波の上や海の底や天空から逆照射するように“現し世に生きる人間”に光が当てられていた印象を強く持ちました。 存在感を喪失した影絵のような魂は、それでも虚しさに押し潰されず、寂しさをやり過ごすためにもがいている。 正解はおろか答えがなくても諦めるという選択肢を持たないいぢましさが、読む者の心を波立たせるのかもしれない。 あなたは何処に向かっていますか? そんな問いに答えられる人間がどれだけいるだろうかと、胸に手を押し当ててしまう・・
名もなき人々の、墓石もなく埋もれてしまうようなちっぽけな(けれど切実な)哀しみの一粒一粒を神様はちゃんと見ていてくれているの? 神通力がなくなりつつある世界の寄る辺のなさの中で、懸命に形を保っている信仰心の一端を読みとることもできるのではないかと思うのですが、そんな希求の想いは、作品の地下水脈を静かな祈りのように貫流していて、浮上してくることはありません。
一話目の「海に住む少女」と最終話の「牛乳のお椀」が、シンメトリックに響き合っているのが見事で、静止した時間に幽閉された情調でサンドする構成が実に憎い。 やはり自分は「海に住む少女」のこの上ないポエジーな輝きにやられました。 「飼葉桶を囲む牛とロバ」も好き。 イエス生誕の一場に材を取り、その断面を拡大した物語。 大切な人を傷つけたくない・・ そんな気持ちを拗らせて、甘やかな内省の中に閉じてしまった牛の姿が哀しくて。 “静かな狂気”めいたお話なんですが、だからこそラストの救済が奏でる予定調和の音色がとても甘美で、まさに一幅の絵のように心に残りました。


海に住む少女
ジュール シュペルヴィエル
光文社 2006-10 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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ABC殺人事件 / アガサ・クリスティー
[堀内静子 訳] Aで始まる地名の町でAの頭文字の人物が殺害され、続いてB、Cとアルファベット順にイギリス各地で犯行が繰り返されていく。 その都度、ポアロのもとには常軌を逸した犯人から殺人予告の挑戦状が届けられ・・ 目的の定かでない没個人的な外部からの無差別連続殺人に初めて遭遇するポアロが、全イギリスを震撼させるシリアル・キラーの正体に迫ります。
超久方ぶりに再読しました。 現在進行形の緊迫感を伴ったサイコ・スリラーの草分けであり、また、ミッシングリンク・テーマの代名詞と目される本作。 「狂人の犯行に見せかけた悪賢い正気の人間の犯罪」ということだけは辛うじて記憶に残っていたので、折々に示されるポアロのプロファイリングの中に伏線的な示唆が散りばめられていることを意識しつつ読めたのと、にもかかわらず犯人が誰なのか肝心なところをけろっと忘れていて危うくミスリードに引っかかりそうになったのと、いろいろ想定以上に楽しめてしまった。 シンプルで尚且つ大胆なプロットは前作に比べて見違えるほど破綻がなくエレガント。 クリスティーは辻褄合わせに頓着する気が失せるほどの趣向の冴えを持つ作家で、そこが決まると驚くべき跳躍力を発揮するなぁとしみじみ思う。 犯人(つまりはクリスティー)の着想、創造性が屈指の魅力を放っていて、やはり紛れもない傑作。 本格推理の緻密なデザインに向かわない方が、クリスティーはむしろ良いのだという気がする。 何より本作が優れているのは、法月綸太郎さんが解説で指摘されている通り、表と裏、二重のテーマを相互補完させ合って一体化し、説得力をクリアできる端正なストーリーを構築している点に尽きる、と再認識。
クリスティーは実験の場であるかのように「エッジウェア卿の死」や「三幕の殺人」で、殺人者の特異な性格造形に踏み込んで来た感があるのですが、時好に投じた心理学や精神医学への関心を、犯人の意外性追求に援用しようとする一連の試みがあったとすれば、本作はその流れの一つの到達点なんじゃないかなと感じます。 特に「三幕の殺人」における犯行計画の未熟さを大いにカバーし改良した、同種のアイデアの発展形であることは疑う余地がないように思います。
相変わらずロンドン暮らしのポアロですが、四角張った現代建築の最新式フラットに住まいを移したらしい。 食事や清掃サービス付きとな。 執事のジョルジュは何処へ?? “これが最後だと言いながら何度も引退興行を繰り返すプリマドンナ”状態で、いまだ探偵業から身を引くことの出来ないポアロの小さな灰色の脳細胞は錆つく暇もない様子。 つやつやと健康そうで全く年を取らないかのように見える若々しいポアロに対して、南米から一時帰国中のヘイスティングズ大尉は、頭のてっぺんが些か寒々しく老け込み気味。 久々の登場なのだけど、どことなく過去の人”扱い。 私がこれから書く物語にあなたの居場所はないのよと、そんなクリスティーの心の声が聞こえて来る気配さえ若干してしまいました。 でもやはり、事実を見て同時にその解決法を口にしながら、自分がそうしていることに気づかないタチ(笑)のヘイスティングズは、ポアロの“幸運の神”なのですね。 頭髪の頼りなさに神経質になっているヘイスティングズに対して無神経なジャップ警部と腫れものに触るようなポアロ。 両者とのやり取りがちょっとしたツボりどころ^^


ABC殺人事件
アガサ クリスティー
早川書房 2003-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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雲をつかむ死 / アガサ・クリスティー
[加島祥造] パリからロンドンへ向けて飛び立った定期旅客機プロメテウス号の機中で、上流階級相手に金貸し業をしていたパリのマダムが殺害される。 その首には針で刺されたような傷痕があり、周囲からは毒針、吹き矢、蜂が続々発見され・・ いかにも“へぼ推理作家が考えつきそうなデタラメな筋書きによる馬鹿馬鹿しい手口”のごとき犯罪が、誰にも気づかれずに成就するなんてことが“現実に”あり得るものなのか・・?
乗客の一人だったポアロが飛行機酔いに見舞われて情けなく眠りこけている最中、大胆不敵にもその鼻先で完遂された殺人。 空中の小さな密室というクローズド・サークルな状況下、ポアロ自身も容疑者の一人という不名誉を被ってしまいますが、無論、そんなポジションに甘んじているポアロではありません。
めっちゃ既視感あります。 ってこれ、もろ、アレの飛行機ヴァージョンです。 同じ乗り物ミステリってだけじゃなくて、ストーリー使い回しじゃありませんか;; 陸と空、あえてツインとなる作品を書いてみたかったのかなぁ。
なわけで。 まさか犯人、こ奴じゃないよね・・って悪寒が的中。 ここまで「内面描写がなされてる人物」が犯人って・・ないよなぁ。 それって普通は犯人候補から外していい人物ですよという作者から読者への合図だったりするんだけど、クリスティーはけっこうそこを逆手に取るんだよね。 本音を言えば「内面描写」をやるからには、叙述トリックの超絶技巧をもっと大胆に徹底的に駆使して “都合の悪いことは思わない”という不合理を完璧に払拭し、瞠目させて欲しい。 自分が気づけてないだけだったら恥ずかしいのだが;; それより最も腑に落ちなかったのは、トリックのシンプルさとは裏腹に、突っ込みどころなく作る方が無理な気がしてしまうくらい全体のパズルが複雑すぎて、実際あちこちに辻褄合わせの杜撰さやご都合が目立つ点だったと思う。
勘違いの可能性もありますが、「スチュワードが、彼女の前にコーヒーを置いていった」の一文がもしかして鍵・・? この重要な冒頭シーンを再読してみても、(この文章の流れだと)“彼女”はシェーン以外考えられなくて、ポアロの推理と整合してないじゃん! って、悶々としてたのだけど、しばらくして、あれ? もしや会心の叙述トリックになってるのか? と、ふと思ったりして。 だとすれば正確には“コーヒー”じゃなくて“コーヒースプーン”なわけだけど、この部分、原文はどんな風な扱いになってるんだろう。 もっと二重の意味の曖昧感が出てるんじゃないのかなぁ。 違うかなぁ。
いろいろ難癖つけてしまいましたが面白かったのは確かなのです。 軽妙なウィットが冴えてるし、ユーモア基調のいい味が出てました。 英仏海峡上空の殺人事件であり、搭乗していた人々、つまり容疑者もイギリス人とフランス人ということで、両国の警察による合同捜査が始まります。 今回、フランス側の捜査を担当するフルニエ刑事は、ポアロの天敵であるジロー刑事の同僚だけど、やる気満々の人間猟犬派(笑)ではなくて憂鬱そうな顔をした心理重視の頭脳派で、ポアロのお弟子さんタイプ。 ゲスト・ヒロインとなる美容院の助手ジェーンは、アイリッシュ・スイープで馬券を当ててフランス旅行を楽しんだ帰り道、不運なプロメテウス号に乗り合わせてしまった庶民派のマドマァゼル。 パパ・ポアロによる恋愛成就のキューピッド要素は、ほぼこのシリーズの慣例なのだね。 そう思うことにしたわw
相変わらずの野次担当ぶりを発揮してくれているジャップ警部や、バナナがトレードマークの探偵を起用した推理小説を書いているエキセントリックな作家、クランシイ氏などは、揚げ足への予防線や言いづらいことの代弁要員でクリスティーに利用されてる感がありますね^^ しれっとした洒脱さで推理小説と現実のギャップを巧みにさばいている辺り、ニヤニヤさせられます。 ジャップ警部による推理作家評は以下の通り。
「大体、始終、犯罪だとか探偵小説の筋だとかを考えて、そんな事件のことばかり読んでいるなんて、不健全だ。どうしたって頭の中にいろんな犯罪手段が生まれますよ」
に対してポアロは・・
「作家が頭の中に、いろいろとアイデアを持つのは、大変必要なことでね」
と、全面擁護w ジャップ警部にはこんな台詞も言わせています。
「探偵小説家なんてものは、いつも警察を小ばかにして、それにいつも序列なんかいい加減に扱いやがる。小説の中で警部が警視にいうようなことを、もしも私が上役にいいでもしたら、たちまち警察から追ん出されちまう。大ばかのへぼ作家めが!」
ジャップ警部を推理作家(≒クリスティー)の被害者みたいにすり替えて、賢しらな読者の矛先をかわす辺りが巧妙。 そして推理作家のクランシイ氏にはこんな台詞まで。
「あんたをワトスンと呼んでも構わんだろうね・・・べつに、悪気はないんだよ。そういえば、あの間抜けな友人を使う技法がじつによく用いられるとは面白いね。私個人としては、シャーロック・ホームズの物語は、少し過大評価されていると思うがな。あの話の中には誤謬・・・じつに驚くべき誤謬があるのだよ。ええと・・・私は何をいおうとしていたんだっけ?」
そんなクランシイ氏に対してポアロは・・
「あなたは、作家という有利な立場をお持ちですな。あなたは印刷した語句を並べて自分の気持ちを慰めることができるのですからね。あなたは敵を打ち伏せるペンの力を持っておいでなのですから」
幾分かはクリスティー自身のカリカチュアなのかもしれないクランシイ氏を、ポアロによって(自己)肯定してる感じがいじらしいというか、クスっとなりますね。 それと、考古学者の親子が登場するのですが、ポアロが彼らを評してこんなことを。
「たぶん、あなたは考古学者をあまりご存知ないようですな。 もしこの二人が何か夢中になって議論しているとしたら、それ以外のことにはまったく気づきやしないのです。彼らは何しろ紀元前五千年も前の世界に頭をつっこんでいて、西暦一九三四年などは、存在しないも同じなんですからね」
考古学者の夫マローワンの生態なんでしょうかね。ふふ。 考古学者と推理作家に向けられるポアロの眼差しには、クリスティーの影が濃厚に重なるようで、そんなところもこの作品の読みどころだったかなと思います。
って、この両者も容疑者なのに、これでは犯人じゃないよって書いてるも同然ですか? いやいやわかりませんよー。(白々しい)


雲をつかむ死
アガサ クリスティー
早川書房 2004-04 (文庫)
関連作品いろいろ

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百物語 / 杉浦日向子
年寄りの侘住は退屈でならないから・・と、百本の伽羅の線香を百物語の勘定に見立て、訪れる客人に一話ずつ奇妙な話を所望する閑居暮らしの御隠居。 客人から御隠居への口頭伝承という体裁をとって巷説の趣きを引き立たせた九十九話の江戸怪異譚。
“不思議なる物語の百話集う処、必ずばけもの現われ出ずると・・”という趣向で、百物語の恐怖は佳局を迎える手筈なんですが、日向子さんの百物語ときたら、そんな気配を全く発していなかったというのが個人的な感想です。 九十九話を読み終えた時は逆にパンドラの箱のようで。 怖いものは出尽くし、ほっこりと優しく、慈しみ深い温もりが最後に残された・・そんな印象で締めくくられていたんです。
おそらくオリジナルではないのでしょう。 江戸の随筆に取材した再話集じゃないかと思います。 丹念な渉猟と真摯な凝視の跡が窺え、時代相を完璧なまでに再現しつつ構築した民話的世界は悠揚と広がり、そこに、絵でなくては伝えられない滋味もしっかり描き込んでいる。
いわゆる鳴り物入りのヒュードロの怖さじゃなく、中にはゾクっとくる話もありますが、因果律も及ばぬような取るに足りない瑣末な一風景にすぎません。 市井の暮らしに溶け込んで、ふとした隙間にぽっかと浮かぶ普段使い(?)の怪異です。 叱ったり、なだめたり、あやしたり、あれらはそういうもんだよ・・といった寛容の中に居場所を分け与えられているとでも言ったらいいのか、ちょっと手の焼けるご近所さんのような扱いなんですよねぇ。 解決できない実現象を消化するツールとして、怪異は人々の精神衛生に深く寄与してしたんだな・・ そんな想いが心の古層に響いて取りとめのない懐かしさをさざ波立たせる。
人情話に落ちるかな? と極め込んでいると呆気なく裏切られ、薄情にも(笑)さらっと終わってしまう心地よさ。 泣けるような話でもないのに、素っ気なさと可笑しみに紛れた不思議な切なさにやられて、十話くらい涙ちびっちゃいました^^; 飾り気もなく飄々としているようで、どこか放っておけない繊細さが滲んでいるんだなー。 好きな話がいっぱいで書ききれないんですが、「狢と棲む話」がマイベストかな。
「猫と婆様の話」は、森銑三さんの「新編 物いう小箱」にも採られていて大好きなんです! 絵で賞翫できる悦びに浸りました。 別の時空に囚われ彷徨う「旅の夢の話」や、時空が交錯する微かな甘酸っぱさの匙加減が絶妙な「竹林の再会の話」のように短いながら馥郁と物語のエッセンスを香り立たせていた話も佳いし、人が堕落する寓話のような「地獄に呑まれた話」などは、芥川が小説にしていてもおかしくないような茫とした輝きを放っていて印象深いです。
何故かしら「鰻の怪の話」の、人間に化けた鰻の小さな笑顔の一コマが忘れなれなくて・・クソッ、こんなところで><


百物語
杉浦 日向子
新潮社 1995-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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謎のクィン氏 / アガサ・クリスティー
[嵯峨静江 訳] 神秘の探偵ハーリ・クィン氏と、人生の観察者サタースウェイト氏のペアが登場する十二篇の連作ミステリ集。 推理小説と愛の物語と怪奇譚と舞台芸術とが響き合う、薄靄の世界で繰り広げられているかのような幻想味あふれる佳篇。 切ない願いと抜き取らない毒や棘のブレンドが大人ビターですねぇ。 古今東西、他に例があるだろうか疑わしいくらい探偵役の設定が独創的です。 クリスティー作品の中でもかなりマイナーな部類じゃないかと思うんですが、この異色テイストはめっぽう好みでした。
シェイクスピアが“物みな舞台、人みな役者”と表現したように、人間は本来、ペルソナをかぶり分けて生きているもの・・ クリスティー作品に見られる特徴の一つと言える戯曲のような空間が意図的に装置化されている非常に演劇チックな作品です。 この趣向を継承した「三幕の殺人」では、サタースウェイト氏とポアロの共演が果たされています。 そっか、こっちを先に読んでたら「三幕の殺人」の味わい度が増したのね。
芸術鑑賞者としての類い稀なる審美眼を持つ初老の紳士、サタースウェイト氏は、人生というドラマの熱心な研究者でもあり、人間たちが繰り広げる悲喜劇に並外れた興味を抱いています。 客観的な洞察力や認識力に秀でていても、“実践者”として生きてこなかった彼の役回りはといえば、良き聞き役であり、目立たない地味な“傍観者”に過ぎません。 観客席の見物人的立場に慎ましく自足してはいるものの、自ら一役買って舞台に上がりたいという淡い願望を秘めていたりもするサタースウェイト氏の、眠れるペルソナを開放させるべく登場するのが“全てを知っている”ハーリ・クィン氏なのです。
どこからともなく不意に姿を現わし、愛の試練を受ける恋人たちを救いへと導いてはまた忽然とどこかへ去ってしまう・・ 此の世の者か彼の世の者か、あたかも実体と影の領域を越境しているかのように謎めいているクィン氏。 彼の到来がスイッチとなって舞台の幕が上がると、必ず何か隠されたドラマが浮かび上がり、意外な真実に光が当てられるのです。 最初、安楽椅子探偵ものかな? と思ったのだけど、そう単純ではなくて。 クィン氏に不思議な霊感的冴えを授けられて、ものを見る目を研ぎ澄ませていくサタースウェイト氏が謂わば仮初めの探偵となり主役の座に躍り出て、思考し、行動し、看破し、愛の物語を成就させます。 クィン氏は示唆を与えるのみに特化した触媒のような存在といえるし、さながら舞台を外から俯瞰し、役者を動かす演出家といった具合。
(解説によると)クリスティーは少女時代、クリスマス・シーズンのパントマイムを夢中になって観ていたそうです。 その主役が道化師ハーレクインであり、そのハーレクインに触発されて本作の探偵(?)ハーリ・クィンは誕生したのだとか。 クリスマス・シーズンのパントマイムってなんだ? ハーレクインとクラウンやピエロはどう違うんだ? と思って俄かにネット情報を漁ってしまったのですが、もしかすると、古代に起源を持つ神聖劇が世俗化したかたちで名残りを留めている古典的なパントマイムにおける象徴性をことのほか汲み取った作品だったのかも・・ということがちょっとだけ分かった(ような気分に)。 こちらが参考になりました m(_ _)m
ハーレクインとクラウンの明確な区別が現代の西洋でも生きているのかわからないんだけど、元々は厳然とした違いがあったのだよね。 で、おそらくクリスティーは、クラウンのトリックスター的要素に加え、天上(それは死の領域でもありましょう)の霊を司る全能者としての伝統的なハーレクインを躍動させたかったんじゃないのかな。 人間を思いのままに操り、知覚を授けもし、取り上げもする“不可視”の存在である厳かなハーレクインを・・ どうなのだろう。
(以下、ネタバレ含みます) クィン氏あればこそ輝くことができたサタースウェイト氏。 魔法が解けるかのように幕切られる寂寞としたラストも素晴らしく、これら十二篇はサタースウェイト氏が見た束の間の夢だったのではないかと思わせられもする。 唐突に授けられた能力を唐突に失うサタースウェイト氏が痛ましくもあり、その後のメンタルが気懸りとも言えるのですが、消息は先に述べた「三幕の殺人」で窺い知ることができます。 持ち前の古風でセンチメンタルなヴィクトリア朝気質は健在だし、ポアロの真価も見抜けないほど真っ当な助手キャラ(?)の道へ無事に戻っていけたようでなにより。 “探偵になりたいというワトスンの夢が現実となったおとぎ話”とは、解説の川出正樹さんの言葉。 その通りだと膝を打ってしまった。 時々、手抜きとしか思えない物件が見受けられるクリスティー文庫の解説ですが、本篇は大満足のクオリティ。


謎のクィン氏
アガサ クリスティー
早川書房 2004-11-18 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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