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黒猫/モルグ街の殺人 / エドガー・アラン・ポー
[小川高義 訳] もの凄く久しぶりにポーを読みました。 先ず(訳者の好みによって)「黒猫」を選び、そこから連想の働く作品を繋げていったという8編構成。 目次をざっと眺めると、何となく偏ったラインナップに感じたんだけど、なるほど、そういう意図があってのことだったんですか。 端的に言ってしまうと、善悪の相克と生き埋めモチーフが頻出しています。 でも、正常値を逸脱したかのような自意識の世界を内側からと外側からと完璧に描き分ける情熱的な狂気と冷たい頭脳の二面性や、如何なるものが魂の原動力になり得るかを探ろうとする深刻な衝動といったポーを特徴づける性質は、しっかり伝わってくるものがありました。
「黒猫」は、怨念譚のようなイメージとしてしか記憶に残ってなかったのですが、明らかに誤読だったのだなぁーと。 自己への復讐ではあるわけだけども。 黒猫は“良心の権化”であり“魔物”ではないことが「告げ口心臓」「邪鬼」「ウィリアム・ウィルソン」と合わせて読むことで、自ずと浮かび上がってくるように配慮されています。 「アモンティリャードの樽」も、死を目前にしての告解であるとする解釈によって、「黒猫」の系譜に連なる作品と捉え直すことも可能なんですね。 物語がガラッと生まれ変わる驚きを体験しました。
掌篇エッセイ「本能vs.理性 黒い猫について」のみ未読だったけど、これ「黒猫」の後に読むと妙に和む。 講釈じみた筆致なのだが、動画サイトに上がってるウチの猫自慢とどれほどの違いがあろうかと。 ひょいと映像が脳内再生されてしまいました^^ 猫好きポーの横顔を伝える編者(=訳者)さんの粋な計らい!って違う?w
「早すぎた埋葬」は、ここで初めて理性が恐怖に打ち勝つ話として登場し、最終話の「モルグ街の殺人」への橋渡しをしているようにも感じられます。 でもやはり、グッドエンドにも拘らず、結語の切迫感がただならない印象を残す辺り、ポーらしいなぁーと思う。
そして掉尾を飾る「モルグ街の殺人」は、鋭利な知性で恐怖を完全に払拭する手法としてポーが考案した“探偵小説”の第一作。 でも、オーギュスト・デュパンにしたところで、一種、病的に鋭敏な精神の持ち主という意味では、他の主人公と同工異曲なのかもしれない・・と、ふと思ったり。
精緻な演繹的推理作法、奇人であり、鼻持ちならなチックでもある叡智の名探偵と、引き立て役となり、語り手を務める忠実な助手、そこに香る腐心擽り系の微妙な感触、間抜けな警察、猟奇趣味、密室趣味・・エトセトラエトセトラ。 探偵小説のなんたるかを理解するようになってから読んでみると、慣れ親しみ続けている鉄板のフォーマットが、創始にして華麗極まりなく打ち立てられていることに空恐ろしさを覚えるくらいの感慨を抱きます。


黒猫/モルグ街の殺人
エドガー アラン ポー
光文社 2006-10 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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死都ブリュージュ / ジョルジュ・ローデンバック
死都ブリュージュ
ジョルジュ ローデンバック
岩波書店 1988-03
(文庫)
★★★

[窪田般彌 訳] フランドル出身の象徴派詩人であり作家であったローデンバックの代表作。 世紀末の幻視者が紡ぐ仄暗い夢の世界に誘われてまいりました。 クノップフの「見捨てられた街」が、この小説に触発されて描かれたことを知ってから、ずっとしぶとく気になってたのです。
ベルギーの古都ブリュージュは、今でこそ“北のヴェネツィア”の異称もある風光明媚な世界遺産の街ですが、“黄金都市”と讃えられた15世紀の繁栄は遠く、運河は機能を失い、観光客にも見放され、19世紀には“永遠の半喪期”の趣きを極めた忘却の街さながらだったらしく、そんなブリュージュの厚い霧に閉ざされた憂愁を、悪意とも愛惜ともつかない沈鬱な調べにのせて謳いあげた、なんとも甘美な作品でした。
妻を亡くした傷心のままに夕暮れのブリュージュを彷徨う主人公ユーグの前に、妻に生き写しの女性が現れます。 人も街もそれぞれの役割に向かって真っ直ぐ突き進んでいく運命悲劇的な色調を帯びた、不安と陶酔とを同時にもたらす寓話的な物語。 惨劇のクライマックスは卑俗な修羅景色であるにもかかわらず、どこか神話のように厳かで、詩美性とでもいうべき翳りある光芒を放っているから不思議。
ベギーヌ会修道院をはじめ、数多の教会、聖堂、礼拝堂、鐘楼・・ 歴史を刻む建築物も、降り注ぐカリヨンの音色も、切妻屋根の家並みも、運河に架かる石橋も、岸辺のポプラも、水に浮かぶ小舟も白鳥も、滑るような足取りで黙々と通り過ぎる修道女や老婦人も、何もかもが喪章のように存在している。
それは、ユーグの明度に露出を合わせた心象風景のようでありながら、むしろブリュージュの街そのものが律動し、中世のままの硬直したへブライズムの呪縛で、社会の淵をうろつく余所者のユーグを脅かし、絡め取っていくという感覚の方がしっくりきてしまう。 この物語の神経であり心臓であるのは、ブリュージュであるというほかない気配を漂わせているのです。
死の中に永遠に生き続ける愛によって照らされているばかりの幻影ようなユーグの人生と、重い時間の堆積を充満させた過去が眠る壮大な霊廟のような街との交感、共鳴、同化・・ 聖性と魔性を渾然一体と大気の中に溶かし込む妖しい熱を秘めた灰色の都の魂に魅入られました。うっとり・・
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奇譚を売る店 / 芦辺拓
“――また買ってしまった”で始まる六篇の古書幻想譚・・とは言ってもミステリでもあり、ちゃんと仕掛けが用意されていました。 芦辺さんがミステリ書きだということを忘れていたわけではないんだけど、一篇一篇が面白く、何も勘ぐらずに真っ直ぐ読んでしまい、あっけらかんと驚かせてもらいました。 予備知識なしの読書を強くお勧め。(ってこれが既に予備知識なんだげど;;)
うらぶれた街の片隅の古本屋に通い、撓んだ書棚に並ぶ色褪せた本や冊子をためつすがめつ、一期一会の掘り出し物を探さずにはいられない小説家の“私”。
“私”の運命は手に入れた一冊の古本によって狂わされていきます。 時を重ねた書物の業が“私”を絡め取り、自らの物語空間にゆらりゆらりと曳き込んでいく悪夢的な展開が美味。 幻惑の彼方に誘われ、帰って来れないような危ういことになるんだけど、次の章では何事もなかったかのようにリセットされて、“――また買ってしまった”に舞い戻る、この不合理なループが読んでるうちに段々癖になってくるんです。 寸止めで踏み留まったり、破滅の刹那に悟りを得るパターンよりも逝っちゃってるのが好きだわ^^; でもストーリー的には「こちらX探偵局 怪人幽鬼博士の巻」が一番気に入ってたりする。 キュンと来る成分がいい♪
一篇目に、“私”の親戚として“蘆邉”姓の人物が登場するので、“私”と作者を近似値として印象づける狙いがあったかも。 でも、作者と物語の間には適度な距離が置かれていて、“私”の書痴たる性や妄想癖を、ちょっと突き放した目線で描いているところに冷めたユーモアが滲んでいます。
・・と思って読んでました。 五篇目まで。 うわぁー 油断した。 メタ・マジックにすっかり翻弄させていただきたした。 最終篇の「奇譚を売る店」は、表題作という単純なニュアンスではない、とだけ。 そして今更ながら、“はじめに”が非常に意味深だったことを知り、この独特なフォントが本書に採用された理由に思い至る。 読み終わって全体を眺めると底無しの虚しさが茫々と立ち込めている感じ。 それが全然悪くなかった。 古書愛の魔性的愉楽の、禁断の裏側を見せられたようで。
戦前戦後のサブカルやカルトな活字文化の薀蓄あれこれ、レトロ趣味てんこ盛りな芦辺さんらしい濃さがやっぱいいなー。 特に前半の、巨大な西洋建築を誇る異形の脳病院、人目を憚るいかがわしさを売りにしたカストリ雑誌の三文作家、良いものも一緒くたに打ち捨てられて忘れ去られた少年向け漫画雑誌など、往年の怪奇趣味や探偵趣味のエキスを存分に吸い上げて、超マイナー&ディープな匂いを発散させていた辺りが惜しみなくツボりどころでした。 全篇に渡って計算づくのネタをどれだけ仕込んでいるのか、種明かし本があったら読んでみたい。 イニシャルの人たちは誰なんだろう・・というのもそっと気になっている。


奇譚を売る店
芦辺 拓
光文社 2013-07 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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短篇小説日和 / アンソロジー
[副題:英国異色傑作選][西崎憲 編] 1998〜99年に刊行された「英国短篇小説の愉しみ」全3巻から17篇を抜粋し、新訳3篇を加えた文庫版。 主に19世紀後半から20世紀半ば頃に活躍した英国人作家のアンソロジーですが、評価の定まっている実力派から埋れてしまっている作家まで、ジャンルやテイストも含めて実に多彩。
現代において読むべき価値があるかどうかを念頭に編まれたそうで、退色を感じさせない佳篇が並んでいます。 異色をテーマにチョイスしたわけでもなさそうなんですが、全体的に何処となくマイナー・ポエットな雰囲気と幻想味が漂っていて、本質的に、伝統的に短篇が備えた属性と、編者の色というべき趣きが分かち難く融合したような不思議な統一感を保っています。
痛ましかったり、恐ろしかったり、不可解だったり、一見“愉しみ”とは無縁であるかのような短篇が、短篇というその小ささ故に愛される存在になりうるという編者の所感は、なんとも言い得ているなぁと、本編を振り返ると、まさにそんな感慨が湧きます。
「輝く草地」の暗示的な凄味が印象深い。 緊密な静寂の中のニューロティックな恐怖が官能的ですらあって心奪われました。 知恵の樹の実を食べなかったマイペースなアダムと神様の対話みたいな「ピム氏と聖なるパン」の、辛辣な皮肉では言い尽くせない一抹の乾いた情感がよかったし、最も謎めいていたという点で心惹かれたのが「花よりもはかなく」で、“命の底まで届くような何か”をめぐるどんな取引がテラスハウスでなされたのか、あまりの得体の知れなさにゾクリ。
「ミセス・ヴォードレーの旅行」の、それともわからないくらい上質なウィットも堪らなかったし、「看板描きと水晶の魚」の、唯美的な夢想を溶かし込んだような空気感も好み。
古代ローマの聖者伝説を象った「聖エウダイモンとオレンジの樹」と、暇と資産を持て余した初老の独身婦人の生活風景に英国チックな気味合いを唆られた「羊飼いとその恋人」は、奇跡的なロマン香る抒情性が素敵。 ラストの温もりが貴重な2篇。
「コティヨン」のような、夜会を舞台にしたモダンなゴースト・ストーリー、「小さな吹雪の国の冒険」のような中世騎士物語のパロディ風、「殺人大将」のような怖〜いお伽話風、「ユグナンの妻」のような世紀末感溢れる魔術的なダークファンタジー、はたまた「羊歯」のような自我の内と外の乖離が毒を吐くシリアスものや、「八人の見えない日本人」のような、ストーリー性ではなく、一場に凝縮されたシャープな洞察に目を見張る作品など、それぞれに確固たる手触りがあり、筆力があります。
巻末には編者の手になる短篇小説論考が付載されています。 短篇小説の起源と文化史的背景、短篇小説の確立にポーやチェーホフが果たした役割、英国文学の特徴、小説における永遠のテーマとも言えるリアリティ問題、短篇小説の定義をめぐる様々な見解、文学的ディスコースとエフェクトの関係などなど。 普段読みつけないだけに新鮮。
作者と語り手の明確な分離が小説の出発点なのだそうで、最近読んだスターンや、W・アーヴィングを思い出し、なるほどなぁと。 イマジナル・リアリティの観点からリアル小説と反リアル小説を論じた箇所は、常日頃、漠然と思っていたことを明文化してもらえた心地。 AIを用いたディスコース研究とか、まるで「ノックス・マシン」の世界がなまじ夢ではないような状況になってるのか? 作者の存在を完全に排除した究極のテキストのことを考える時、反発とも好奇心ともつかないスリリングな気分に揺さぶられるのは確か。 著者毎に添えられたプロフィールも濃いです。 充実した読み応えの一冊。

収録作品
後に残してきた少女 / ミュリエル・スパーク(西崎憲 訳)
ミセス・ヴォードレーの旅行 / マーティン・アームストロング(西崎憲 訳)
羊歯 / W・F・ハーヴィー(西崎憲 訳)
パール・ボタンはどんなふうにさらわれたか / キャサリン・マンスフィールド(西崎憲 訳)
決して / H・E・ベイツ(佐藤弓生 訳)
八人の見えない日本人 / グレアム・グリーン(西崎憲 訳)
豚の島の女王 / ジェラルド・カーシュ(西崎憲 訳)
看板描きと水晶の魚 / マージョリー・ボウエン(西崎憲 訳)
ピム氏と聖なるパン / T・F・ポウイス(西崎憲 訳)
羊飼いとその恋人 / エリザベス・グージ(高山直之 訳)
聖エウダイモンとオレンジの樹 / ヴァーノン・リー(中野善夫 訳)
小さな吹雪の国の冒険 / F・アンスティー(西崎憲 訳)
コティヨン / L・P・ハートリー(西崎憲 訳)
告知 / ニュージェント・バーカー(西崎憲 訳)
写真 / ナイジェル・ニール(西崎憲 訳)
殺人大将 / チャールズ・ディケンズ(西崎憲 訳)
ユグナンの妻 / M・P・シール(西崎憲 訳)
花よりもはかなく / ロバート・エイクマン(西崎憲 訳)
河の音 / ジーン・リース(西崎憲 訳)
輝く草地 / アンナ・カヴァン(西崎憲 訳)


短篇小説日和 −英国異色傑作選−
アンソロジー
筑摩書房 2013-03 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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