スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - |
おはなしして子ちゃん / 藤野可織
グロ可愛くて、おもしろ悲しくて・・ 発想の泉から吹きこぼれる水飛沫を浴びまくった。 なんて弾けてるんだ。 “ポップ&ダーク”の惹句にそそられて手にしましたが、大満足♪ 黒い笑いも眉毛が八の字になっちゃいそうな懐っこさを隠し持っていて、どす黒いわけじゃない。 描かれているのは、後ろに“(笑)”マーク付きの“人生の悲哀”に近いんだけど、同時にそれは悩める人々へのエールでもあったような、底明るいものを蔵していた気がする。 閉じた関係の甘美さも印象に残るのだけど、破滅的な暗さは薄い。
「美人は気合い」がマイベスト。 “私は壊れかけている”と自己診断している宇宙船が語り手の遠未来の話なんだけど、自己言及のパラドックスの中で出来ることをやり続け、ブログラムのコマンドから外れたことをしていると自覚しながら、遠い昔、人類から託された胚盤胞に、美しいよと囁き聞かせ、いつか開かれるかもしれない未来のために“美しさ”の胚を育てている・・胎教のように。 ひたむきな機械の静かな意志を壊れてるなんて言えなくて。 このイメージから誘起される切なさが好き過ぎてつらい。
「アイデンティティ」も切ない系の名篇。 この元ネタ、人魚伝説の歴史の一頁に存在したノンフィクションなんですよね。 レクイエムのようだった。 マイルズの“工芸品だね”のところで泣きそうになって・・泣いた。 「ある遅読症患者の手記」の切な色も好き。 本が無機物じゃない平行世界の話。 ラストは“ぼく”の書いた文章が生命を得た証し。
「今日の心霊」は偏愛度マックスな一篇で、メチャメチャ心擽られました。 評伝調のしかつめらしい語りが擽りに拍車を掛ける。 「ピエタとトランジ」も不条理ナンセンス系で、青春小説らしき眩しさがいいなー。 これ、さり気なく探偵小説の純文学的パロディみたいな味もあってセンスを感じる。
「ハイパーリアリズム点描画派の挑戦」もよかった。 巨大キャンバスに描かれたハイパーリアルの点描画って、じっくり考えたら恐ろしく狂気じみてた;; その異様さが瘴気のように漂う美術館内の狂想曲的光景にぐわんぐわんした。
どの主人公も、“私”や“ぼく”や仮の名で出てくるんですが、名前が剥奪されることで、場所や時代から少し浮いた独特の世界に、普遍的で寓話的な質感が与えられていた気がします。


おはなしして子ちゃん
藤野 可織
講談社 2013-09 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★★
| comments(0) | - |
夜の底は柔らかな幻 / 恩田陸
日本の中にありながら日本の国家権力が及ばない“途鎖国”が存在しているパラレルワールド。 特殊な能力を持った“在色者”の聖地であり、重なり合わない世界が同時に存在し、見えないものが見え、未来と過去が交差する途鎖国。 お盆と似て非なる“闇月”を迎えた神秘の国で、禁足の地“フチ”を目指して山深い無法地帯に集う悪党どもの狂乱の祝祭が始まり、殺戮の嵐が吹き荒れる。
以下、ネタバレに当たるかもしれませんが、短篇集「図書室の海」に収録されていた「イサオ・オサリヴァンを捜して」の姉妹篇なのだそうで、理解不能な別次元の力を持つ生命体が、太古の昔から世界各国の“奥地”に棲息し、ひっそりと人類の進化に働きかけているという、コズミックホラー的な世界観を共有しているフィールド上の物語、の日本篇。 因みに「イサオ・オサリヴァンを捜して」は、構想を仄めかしておられた「グリーンスリーブス」(ベトナム篇か大穴でアイルランド篇? お蔵入りなのかな?)のバイロット篇でした。
途鎖犬、沈下橋、お遍路・・ 地理的にもですが、途鎖のモデルが土佐なのは明らか。 ただ、土佐固有の伝承や風習とどの程度までリンクしているのかいないのかは知識が乏しく感知できなかったので、むしろ「地獄の黙示録」をやりたかったという恩田さんの初志を、少しばかり心に留め置きながら読みました。 あるいは更にその元ネタの「闇の奥」。 ま、それのB級版といったイメージで。 単に “闇の奥”という言葉の響きに、物理的、心理的、観念的・・ いろんな意味の重層を読んでもいいかもしれない。
ぬるいヒロイズムと酷薄さが綯い交ぜされたガキっぽさや、歪なロマンスが発散するリリカルな色合いが、作りものめいた伝奇的世界と見事に調和していて、アニメやコミック風のライトな映えを見せる。 正直、途中まであまりの茶番臭にしらけモードだっんだけど、根源的な“闇”の香りを隠し持っていて侮れない趣きがあった。 ぷっ壊れた連中の嗜虐的でキャッチーなゼロサムゲームを逸脱し、徐々に底知れない暗黒が支配する理智の外側に足を踏み入れていく不気味さ、マッドサイエンス絡みのサスペンスアクションから超スケールのダークファンタジーへと変貌していく制御不能なストーリーのうねりに惹き込まれました。
悠久の時の底を流れる郷愁に縁取られ、限りなく極楽浄土に似た地獄と同化する即身成仏の夢想を湛えたラストシーンは、禍々しくも神々しい密度の濃い静寂に包まれて・・ 四国八十八箇所霊場の密教的側面をモチーフに、日本篇に相応しい異形の生命体像を捻出してくれたなぁーという感慨も深いです。


夜の底は柔らかな幻 上
恩田 陸
文藝春秋 2013-01 (単行本)
関連作品いろいろ

| comments(0) | trackbacks(0) |
お一人きりですか? / アンソロジー
[副題:同時代フランス短篇ベスト10][クリスティーヌ・フェルニオ編,芳川泰久 訳] 1988〜89年に発表されたフランス(語)の短篇の中なら10篇を精選した作品集。 訳者あとがきによると、とりわけ短篇が商業ベースに乗らないフランス出版事情にあって、その傾向を打破しようとするムーブメントが昂まったのがこの時期であるらしい。 フランスの現代短篇はここから始まるのだと言っても過言ではないくらいの気概が込められたコレクションのようなのです。 そうなんだ・・
四半世紀経ち、既に“同時代”とは言い難いのですが、時の試練にびくともしていないのは流石というか当然というか。 にもかかわらず、ここに編まれた作家たちがその後、どんな活躍を見せているのかミシェル・トゥルニエとディディエ・ダナンクス以外、邦訳本がほぼ検索不能なのが少し残念。 “ベスト”と銘打たれながらも、全体にどこかマイナー・ポエットな雰囲気を漂わせていて、秘めやかな香気と光沢をまとったビターな作品が並んでいたのが印象深い。
個人的一番の好みは、詩人の夢想から生まれ落ちたような「アルベルグの歯」です。 ボトルシップをモチーフに眩惑と戯れる洒落た童話のようなシュールさ、妙なる粒子が煌めく空間の魔法にかかってしまいました。
「お一人きりですか?」は、現代日本において特別な響きを持つ、例の“お一人様”がもろにテーマ。 (殆ど被害妄想の域まで膨らんだ)見えないヒエラルキーに圧される主人公の狂気じみた滑稽さが虚ろな熱を放っていて巧い。
南仏の田舎町の婚礼風景を描いた「ラマチュエルでの婚礼」もよかった。 逞しく粗野で陽気な、ドタバタ風習喜劇の様相を呈した色濃い時間は、いつの日か、甘苦い郷愁に変わり、愛される資格を持つのだろうな。
好んで使われるテクニックではありますが、異形の古美術仲買人が虚実の境界を行き来する幻想小説「仲買人ドゥロネー」も美味でしたし、日常のあわいで熟れていく孤独や、不意に剥き出された喪失感を、短い場面で鮮やかに描く「キャビン34」、「チェロキー・ブルース」辺りも捨て難い。
ラストのエッセイ風テクスト「短いテクスト」の、無味乾燥な箇条書きとは思えない作品感は“羅列の文学”のそれでしょう。 インテリタッチの神妙さで短篇の猛プッシュ(時代は短編だゼ!みたいなやつ)をやらかしている(ように感じる)仄かに人を喰った味わいが堪らなくいい。 この一篇によって、全ての短篇が収斂され、構成原理を持ったアンソロジーとして引き締められている。

収録作品
熱情(アパシヨナータ) / ジョゼフ・ペリゴー
お一人きりですか? / クロード・ピュジャード=ルノー
アルベルグの歯 / ノエル・オデ
仲買人ドゥロネー / ジョルジュ=オリヴィエ・シャトーレノー
キャビン34 / パスカル・ガルニエ
チェロキー・ブルース / アニー・ソーモン
鈍い父 / アニー・ミニャール
テオバルドあるいは完全犯罪 / ミシェル・トゥルニエ
ラマチュエルでの婚礼 / マリー・シェ
金魚 / ディディエ・ダナンクス
短いテクスト / ポール・フルネル


お一人きりですか?
−同時代フランス短篇ベスト10−

アンソロジー
筑摩書房 1993-09 (単行本)
芳川泰久さんの翻訳本など
★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
サム・ホーソーンの事件簿4 / エドワード・D・ホック
[木村二郎 訳] 日本独自編纂のシリーズ第4短篇集。 第37篇から第48篇までの12篇と、西部探偵ベン・スノウものから「フロンティア・ストリート」がボーナス併録されています。 年代としては、大恐慌の余波に加え、第二次大戦の兆しが垣間見える1935年春から1937年晩夏まで。 スポーティなロードスターを好んだサム先生も、最近乗るのはビュイックのセダン。 そろそろ四十路に差し掛かろうとしています、が意外にもまだ独身。 世界を揺るがす出来事とは無縁のニューイングランドの田舎町ですが、ノースモント仕様の不可能犯罪は安定供給されております^^
この巻の(物語的な)ハイライトは、エイプリルの後任を探すサム先生と、利発な看護婦メリー・ベストとの出逢いを演出する「黒いロードスターの謎」、サム先生が第一容疑者になってしまう「重体患者の謎」、エイプリルの赤ちゃんが洗礼式の最中、忽然と消えてしまう「田舎教会の謎」、ベン・スノウ老人と、サム先生が共演する「呪われたティピーの謎」辺りになりましょうか。
ベン・スノウは、20世紀間近の旧西部の町を舞台に活躍した、早撃ちのガンマンで、ホックが生み出したシリーズキャラクターの一人。 ビリー・ザ・キッド生存説から想を得たキャラクターなのかしら? 人物紹介も兼ねた実質的なシリーズ一篇目がボーナス篇の「フロンティア・ストリート」に当たるそうで、当然なからこちらの主役は若きベン・スノウ。 ミステリではありますが、砂埃舞うアリゾナの開拓地での、ウエスタン全開なカウボーイ・アクションが光っていました。
で、本筋に戻りますが、今回、サム先生ったら仮説形成の段階で下手な鉄砲撃ちすぎw エイプリルまで傷つけてヒドス;; 一、二巻ほどのキレはないのですが、しかし、よくもまぁ、満遍なく楽しませてくれるものです。 思うに、伏線の張り方が綺麗なんだよね。 プロット的に一番良かったのは、ピルグリム記念病院の開院8周年を祝う式典パーティでの黒人ミュージシャン密室殺人事件を扱った「グレンジ・ホールの謎」だったかな。 19世紀の伝説の放浪者が再来する「革服の男の謎」はツイストされたアイデアが良かった。 通電フェンスと番犬に守られた鉄壁の家で、親ドイツ派の男が殺害される「要塞と化した農家の謎」は、このシリーズには珍しく動機に創意がある作品。
新しい看護婦のメリーは、謎解き方面でも積極的にサム先生をサポートしていて、いい雰囲気生まれそうなのに。 結末知ってるのよねぇ。 これを無粋と言わずして。


サム・ホーソーンの事件簿4
エドワード D ホック
東京創元社 2006-01 (文庫)
関連作品いろいろ

| comments(0) | trackbacks(0) |
聖なる酔っぱらいの伝説 / ヨーゼフ・ロート
[池内紀 訳] オーストリア=ハンガリー帝国の辺境に生まれ、第二次大戦目前のパリで客死した、放浪のユダヤ人といわれるドイツ語作家の短篇集。 表題作の他、「四月、ある愛の物語」と「皇帝の胸像」の二篇が収められています。
「聖なる酔っぱらいの伝説」は、セーヌ川の橋の下に暮らす一文無しの呑んだくれが、行き当たりばったりの奇蹟に身を委ね、ふらりふらりと心地よく生きて、最後に(本人にとっての)幸せな死を迎える・・要約すると、こんな話が成立していいのか!? みたいなことになってしまうんだけど、万言を費やしても語れぬ深い趣きがあるのです。
流離いながら、変わらぬものに焦がれている・・その苛烈さが哀しい。 “聖なる”とは、限りなく信じることの高貴さと愚かさであったろうか。 その二面性をメルヘンの調べに乗せて、詩情豊かに、軽妙洒脱にうたいあげている。
「皇帝の胸像」にもまた、卑屈さを駆逐するような同種の観念が脈打っているんだけど、民族主義に傾き、急速に硬直していく時代性を、苦いユーモアで痛打する色合いが濃厚に刻まれていて、新秩序の否認という小説観が端的に表れています。 裏を返せば、はみ出し者の異邦人が帰れる場所、多言語・多宗教・多民族国家たる唯一の故郷を喪失した著者の慟哭に他ならず、その絶望にノーガードで対峙しているような佇まいが読む側の心をざわつかせずにおかないのです。
「四月、ある愛の物語」は、詩情溢れる空間の美しさが一際でした。 他の二篇に比べて主人公の精神の純度が低いような・・ その分、地上の住人として俗世に踏みとどまれている生命力を感じた気がします。 でもこれは、書かれた時期の違いから余計な勘ぐりをしているだけかもしれません。 もっともっと読んでみたい・・


聖なる酔っぱらいの伝説
ヨーゼフ ロート
白水社 1995-08 (新書)
関連作品いろいろ
★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |
チマチマ記 / 長野まゆみ
飼い主のマドモアゼル・ロコとはぐれて放浪中、寒い早春の夜に拾われて、宝来家の一員になったチマキとノリマキの兄弟子猫。 翻訳業の傍ら、フリーペーパーに人気コラム“コマコマ記”を連載している小巻おかあさんの真似をして、兄猫のチマキが書き始めた“チマチマ記”。 という体裁の本です。
朝ごはん、昼ごはん、飲茶パーティ、おやつ、ピクニック、お楽しみ会・・ 早春に始まり真冬までの一年に渡って、ちょっと複雑な家族構成の宝来家の様子が、ソーセキの「猫」風に猫目線で綴られていきますが、ごはん係りを務めるカガミさんの四季折々の賄いと、家族の食風景に特化したレポートです。
何かとフランス風味でコーティングされた、アーティスティックでクリエイティブな、少しばかり調子外れで優雅な一家。 世田谷辺りのお宅かなーと勝手に想像した。 こういうスローフードなお洒落ライフ・・ 憧れるけど自分には無理だわー;; でもたまに取り入れるくらいになら手間暇かかるほどでないメニューも色々紹介されていたし、シラス干しを炒って作る出し汁、バルサミコ酢×粒マスタード、ネギ油あたりの万能感は是非とも参考にしたい。 “にゃんごはん”の献立も侮れないよ。
普段使いの小食堂やキッチンというミニマム・スペースで、ほぼ食材や調理方法の話題のみで進行していく話なんですが、美味しくてヘルシーな料理が日々の暮らしの中にあることの有り難さと、家族への想いやりが一つになった、健やかでハッピーな陽だまりのような空間。 (子猫バージョンの)兄弟ものですし、(心は女子の)カガミさんと居候の桜川くんとのニアミスなどは、長野さんお箱のシチュエーションですが、ほんの味付け程度であり、ほっこりした雰囲気を補強する絶妙の匙加減。
チマキの筆なるノリマキの可愛さにメロメロなのは勿論、庭のクロウ夫婦とジュニア(親離れ子離れできないカラス親子)がお気に入りw ジャン=ポールの正体は最後まで仄めかしだけの方が素敵だったと思ったり。 キウイってマタタビ科なんだー。 ふふ。 ガールハントの季節もすぐそこだね、チマキ♪


チマチマ記
長野 まゆみ
講談社 2012-06 (単行本)
関連作品いろいろ

| comments(0) | trackbacks(0) |
冬虫夏草 / 梨木香歩
「家守綺譚」の続篇です。 章題の植物をワンポイントアクセントにあしらう超素敵センスな掌篇の連作構成は前作を継承していますが、こちらは長篇趣向。
待てど帰らぬ高徳犬ゴローの消息を追って、琵琶湖の疏水べりから鈴鹿の山襞深くへと愛知川を遡行し、仙郷茨川へ至る征四郎の旅路は、まるで冬虫夏草の子実体が菌糸体を辿ってルーツに触れる行為のようでもあり、空間軸と時間軸の混淆が物語に深みを与えています。
森羅万象を常しなえの大きな一つの生命とし、冬虫夏草を、その時々の状況によって生きる形状を変えていく命の逞しさと捉える発想から出発しているのだろうと思う一方、本来の意味の持つ暗さが押し秘められてはいなかったろうかと、薄っすら怖い気にもさせられました。 常に現在というのは蓄積された過去という養分を吸って変容した“子実体”なんだなぁと。 土の下(水の底)に朽ちた母体の存在を不意に衝きつけられた思いがして胸が痛くなった。
少しばかり反応過多になっていて、過激と言ってもいいくらいの諦観を読み取ってしまい、ラストは緩慢な心中ものか?ってほどの寂寥さえ醸されている気になって掻き乱されたのだけど、時間が経つにつれ、人の領分を知り、一被造物としての身の丈で粛々と生を全うする・・ それ以上でもそれ以下でもないことの強靭さ、厳かさがゆっくりと沁み渡ってきて、心がしんとなった。
前作の、中国古譚にも通づるような普遍的郷愁を揺り覚ます御伽噺にも似た肌触りが大好きだったので、今回、民俗学と真摯に向き合ってローカル色を打ち出した内容へと様変わりしていることに戸惑ったんですが、生きとし生けるものへのしみじみとした慈しみに何ら変わるところはなく、高堂をはじめ、ダァリヤの君、山寺の和尚、長虫屋、担当編集者の山内、隣りのおかみさん、みんな顔を見せてくれたのも嬉しい。 前作に“菌類が専門の友人”とだけ出てきた博覧強記の変人学者、南川(熊楠がモデル?)が新顔です。 征四郎が若干、大人っぽくなったか。 その分、高堂との差が増していく切なさ・・
尾根に続く街道から杣道へと分け入り、(後に永源寺ダム建設で水底に沈む)山里の村々を巡る征四郎の見聞録、道中記は、緊密に土地と向かい合って暮らす人々の生業を、その集落毎に丁寧に描き分け、さながら風土記のような趣きです。 氾濫の守護を託された川べりの無数の神社、太郎坊天狗、地蔵林、タノシ、蒟蒻屋、雨乞い、政所茶、識盧の滝、虫送りと虫迎え、ダマ踏、ズルツキ、カワセガキ、天湯河桁命、木地師・・ 八風峠付近のイワナの宿というのも土地の伝承なのでしょうか。 それとも竜神の眷属としての役割を担わせた創作なのか。 年老いた赤竜に想いを寄せたり、サラマンドラが何を意味しているのか考えあぐねたり・・ 野趣溢れる清廉な空気と瀬音の中に身を沈める宝のような時間でした。

<追記>
こちら。 検索していて見つけました。


冬虫夏草
梨木 香歩
新潮社 2013-10 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★★
| comments(0) | trackbacks(0) |