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永遠の一日 / リチャード・ビアード
[青木悦子 訳] 現代英国人作家による1998年発表の第二長篇。 著者は邦訳刊行の2004年当時、東京大学で教鞭を執っておられたらしい。
“違う時間軸の中で、繰り返し巡り会う恋人たち”という内容紹介から勝手に思い浮かべていた多次元的SFロマンスとは若干ニュアンスが違いました。 それよりは一つの時間軸を蛇腹のように折りたたみ、現在時制の中に圧縮させているイメージ。
1993年11月1日、二十四歳のヘイゼル・バーンとスペンサー・ケリーが共に過ごす時間刻みのロンドンの一日をメインパートとし、その合間に、誕生から子供時代、思春期、成人期と、イギリス内を転々と引っ越しながら育ち、時に重なり合う二人の運命的な来し方を断章形式で挿入していくという、一見よくある構成なのですが、どの断章も“過去”ではなく“今”、つまり、1993年11月1日の出来事として描かれているために、なんとも摩訶不思議な感覚を抱かせる物語でした。
1993年11月1日は、折しもEU発足の日。 変化と無変化が同居する“今”に読者を接近させる契機として、この象徴的な日が選ばれたのかなと感じます。 1993年11月1日のタイムズ紙ロンドン版に掲載されている名詞を作中に散りばめたとは新聞大国の作家らしい。 もしかしてこれがやりたかったのかな^^; なるほど確かに、時事、世相、生活様式、トレンドが其処此処の刹那に詰め込まれ、店、映画、テレビ番組、著名人、車、食料品など、膨大な量の固有名がひしめき合い、何もかもを1993年11月1日に集中させ“今”の稠密さを描出することで、人生のすべての瞬間が“今”であり、“今”にしかリアルはないのだということを際立たせる意図が感じられた気がします。
新聞に材を得ているだけあって、熟年離婚や若年僧の犯罪や神経衰弱など、社会の諸問題が色濃く投影されているのですが、日本の1993年といえばバブルは弾けたとはいえ、未だ余韻をいくらか引きずってる時期でもあり、タイムズ紙にも金満国へ辛辣な皮肉を浴びせる記事が載ったりしてたんですかねぇ。 ミツイ親子のキャラが強烈にネガな日本人像なので淡い屈辱感w それと混同するつもりはないのですが、どうも・・アレンジ版赤い糸系ラブ・ストーリー以上に響くものはかったなぁ。 技巧を弄した読み物としての面白みは理解できるんだけど。
縋り、逃避し、逆らい、求め、折り合い、待ち、信じ、諦め、夢を見、疑い、気づき、躊躇い、踏み出し・・ 分岐点でもあり結節点でもあり通過点でもある“今”をもがく群像ものといった感じだったろうか。 強いて言うなら。 意味に憑かれることからも、無意味に慄くことからも距離を置き、どちらにも振り切れないことが、生きていく分別というものなのだと、結局、そんなあたりが着地点だったような・・


永遠の一日
リチャード ビアード
東京創元社 2004-10 (単行本)
関連作品いろいろ

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御書物同心日記 / 出久根達郎
御家人の三男坊で冷や飯食いの身の上だった丈太郎は、古い書物をいじるのに目がなく、市井の古本屋からも頼りにされる本道楽。 縁あって、跡取りのいない御書物方同心役、東雲栄蔵の目に留まり東雲家の養子に迎えられ家督を相続することに。
御書物方同心とは、御書物奉行の配下、天下の奇本珍本がひしめく徳川将軍家代々の蔵書を納める紅葉山御文庫の管理保護を行うお役目。 城内紅葉山の御書物会所へ出仕(二班交代性の隔日勤仕)して、同僚の白瀬角一郎とともに鼠にかじられた本の残骸と顔をつき合わせ、修復作業に精を出す日々。 諸大名から献上された古書を入庫する際の照合点検作業や、重複本や傷本を貸本屋に払い下げる際の入札の立会い等臨時仕事も経験するうちに、夏の土用入りから始まり、およそ六十日にわたって実施される年に一度の最大の行事、“御風干し”の時節を迎えます。
著者らしい古書への愛好目線が濃厚で非常に楽しめました。 紅葉山御文庫を中心にすえた古本蘊蓄の江戸編といった趣きもあるのだけど、実は御文庫に蔵書印はないそうです。え〜〜っ! つまり商いを禁じられた廃棄印のない不法帯出本なんていう存在もそっくりそのまま出久根さんの創作なのだと巻末の著者による解説「附・江戸城内の書物」で知って、そ、そこがガセ? と軽く狼狽した;; かなり真に受けて読んでたので。 全体、考証から少し距離を置いた想像以上に自由な物語空間が広がっていたのかもしれない。 化かされるとこだった・・あぶないあぶない。 一の蔵(歴代将軍の手沢本を所蔵する最も古く重要な書庫)に棲みついている“ヌシ”に供物を捧げる慣わしとか、まさかね・・orz
人擦れしていないウブな好青年風情の丈太郎と、いつか何かをやらかしそうでヒヤヒヤさせる危なっかしい遊び人風情の角一郎との新米同心コンビの友情や、情欲の煩悩に乏しい本の虫の丈太郎に甲斐甲斐しく見合いを仕組む良きタヌキ風情の養父、栄蔵との父息子関係など、深々と描くわけではないのにしみじみする。 上野のお山の桜見物、莨屋の裏商い、暑気払いの泥鰌鍋・・ 江戸情緒を背景に綴られる進展や決着もおぼろな物語の、飄逸洒脱な味わいがふくふくと心地よかった。


御書物同心日記
出久根 達郎
講談社 2002-12 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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蘆屋家の崩壊 / 津原泰水
再文庫化された“幽明志怪シリーズ”の一作目。 随分前に集英社文庫版で読んだ・・はず。 内容は忘れ果ててたけど、そうそう、この飄々としたユーモアと耽美でおぞましい愉楽を併せ持つ空気感が好きだったんだ。 集英社文庫版所収の「超鼠記」が外されて(シリーズ2作目の「ピカルディの薔薇」へ移行)、代わりに書き下ろし新作の「奈々村女史の犯罪」が加えられた八篇編成。 単行本に収められていたらしい著者による各短篇の覚書き「跋」が、今回、復活収録されています。
三十路を過ぎたフリーター猿渡と、怪奇小説家の伯爵。 無類の豆腐好きで意気投合した食い道楽コンビが、足を伸ばす津々浦々で、幽明おぼつかぬ異景の数々に遭遇する連作短篇集。
怪異がストーリーとして理知的にコントロールされており、言ってみればミステリーとホラーの中間くらいのスタイルで、非常に読み心地の良いエンタメ度。 同時に正統派怪奇幻想譚の風合いを漂わせていて美味なのです。 流暢な擬古風(?)調で綴られる猿渡の一人称スタイルが、男の美学というのか、色気というのか・・ 苦い女難の杯を陶然と飲み干すような、ある種のダンディズムを醸すんだよねぇ。 物語の底に流れる異形への憐憫、昭和ロマネスク的世界観を想わせる気怠い哀愁、不意に突き落とされる暗闇の香気、そのギリギリのラインで往なしてくる素知らぬ愛嬌・・
一話目の「反曲隧道」は短いながらインパクト大で、これだけしっかり記憶に残ってました。 伯爵と猿渡の出会いエピソードに通ずる一篇でもあります。 「埋葬蟲」の気持ち悪さは格別で、しかもホラーとしてのツイストが秀抜なのに・・なんで記憶にないんだろう;;
既にタイトルで一本! な「蘆屋家の崩壊」は、蘆屋道満と八百比丘尼の父娘説をモチーフにした民俗学ベースの作品。 安倍晴明が狐の子とされた由縁にまつわる猿渡の持論は、そのまま津原さんの考察なのかしら?
「猫背の女」は、異常な自己意識の持ち主は相手なのか自分なのかというサイコチックなプロセスを踏みながら、ラストで「かちかち山」の猿渡流解釈に帰結させる辺り、洒脱だなぁと。
寂れた村落の土着信仰とギリシャ神話の幻獣を融合させた「ケルベロス」のラストは、怖気と寂寥を孕んだ謎オチと、 “スクリームクィーン”で首尾照応する滑稽味とが相俟って名状し難い機微があった。
各短篇は比較的ランダムに時系列を行き来し、あまり厳密であろうとはしていないのですが、それでも少しずつ“現在”は更新されていきます。 内界の相克を鮮やかにイメージ化した最終話の「水牛群」で、猿渡の再生を予祝しています。


蘆屋家の崩壊
津原 泰水
筑摩書房 2012-07 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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月の部屋で会いましょう / レイ・ヴクサヴィッチ
[岸本佐知子・市田泉 訳] 現代奇想SFの書き手、ヴクサヴィッチの初邦訳作品集。 2001年刊行の第一短篇集で三十三の短篇と超短篇が収められています。 岸本佐知子さんセレクトの既刊アンソロジーで読んだ三作「僕らが天王星に着くころ」「セーター」「ささやき」が、どれも好きだったので、否応なく期待値が跳ね上がってましたが裏切られなかった。 凡打なし。 概ねポテンヒット級なのだが、その“ポテン”感に偏愛心を擽られ、作者の術中に落ちまくった。
価値観の隔絶がもたらす孤独や、理不尽に対する静かな叫びを、数奇な秩序が支配する空間の中で奔放にイメージ化して見せてくれる手並みの確かさ、そらとぼけた味で緊張の腰を折りつつも、笑いの影に戦慄を隠し持つ油断のなさ、ロマンとアイロニー(ときどきグロ)がダンスを踊るような叙情性、疑似科学や観念論的な理屈っぽさのちょっとしたアクセント・・ それら配分の調合が作家独特の個性を生んでいます。
皮膚が少しずつ宇宙服に変化していく奇病が蔓延してたり、手に被せた靴下が意志を持って動き出したり、乗り物と人間が一体化した種族が生息してたり、小さな相棒を肩から生やした異星人が向かいに住んでたり、人体内にナノピープルがコロニーを作ってたり・・ イマジネーションの陳列ケースのように、突拍子もなく出し抜けなシチュエーションがつるべ打ち状態で現出するんですが、次々気持ちをリセットし、手っ取り早く順応するのが勿体無くてガツガツ読めなかったです。
自分の一部が異物に乗っ取られてしまうモチーフの多さ。 その根底には個の連続性にかかわる問題が横たわっていたように感じました。 自己(或いは世界)の輪郭の不明瞭さは、認知のブレとなって他者との齟齬を際立たせずにおかない。 そこから生じる悲喜劇が主人公の心理衝動として刻々と記録されていくのですが、自分の中にもある看過できない一面を、拡大鏡を通して見せられているような、歪みのあるところへ刺さってくるような、キュッと胸が締め付けられるような、でも気づけばクスクス笑いがこぼれていて・・ 気持ちを絞りきれないざわざわ感覚に占拠された。
マイベストは「バンジョー抱えたビート族」だったかな。 苦い感動と切ない痛みにやられました。 人はわかり合えなくてもいたわり合えるという哀しい慰安に満ちた認識に、綺麗に昇華されていたと思う。 結文がふるってる作品が多いのだけど、本篇のいなし方は白眉。 結文的には、変なギア入っちゃう主人公がヤバ可愛い「ピンクの煙」もお気に入り。 「最高のプレゼント」の底無しの不毛さが怖くて哀しくて心を去らない。


月の部屋で会いましょう
レイ ヴクサヴィッチ
東京創元社 2014-07 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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