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ねじの回転 / ヘンリー・ジェイムズ
[副題:心霊小説傑作選][南條竹則・坂本あおい 訳] 巨匠ジェイムズの心霊怪奇譚を集めた選集。 表題作含む中短篇、五篇を収録。 イギリスあるいはアメリカ(ニューイングランド地方)の19世紀終盤という時代性を如実に映している観のあるスピリチュアルな雰囲気や、上流階級の人々が暮らすお屋敷の重苦しさに、しっとりとねっとりとまとわりつかれた気分。
ジェイムズは難解な文章の書き手だったそうだから、この、読み口のよい滑らかさは訳者さんの資質に負うところが少なくないのかもしれないけど、滲み出てくる品位や格調は、ジェイムズならではの肌触り・・なのかな。 「ねじの回転」のみ既読でしたが、いやもう、何度読んでも凄いね。 これ一篇なら自分のなかの溺愛度は五つ星。
今回読んでみて前回以上に頭をめぐったのは、歪んだ愛がもたらす昏い甘美な淫楽・・のようなものだった気がする。 ヴィクトリア朝期らしい“性の抑圧”が、ほとんどテーマと言っていいくらいに迫ってくる感じがして、眩いばかりの美しいパノラマのなかに隠秘された悍ましさに魅入られてしまったのだった。
天使のような子供たちを(猥りがわしさを体現しているらしい)邪悪な幽霊の魔の手から守ろうとしていたはずの女家庭教師自身が、結局は子供たちを蠱惑し、虐げる亡者に他ならないという、分身譚、トランスフォーム譚っぽいイメージなんだよなぁ。 もしかしてフローラは、マイルズを取られた嫉妬による憎しみ(ブラザー・コンプレックス)で女家庭教師に対抗したから毒牙に落ちず命拾いをしたのだろうか・・などとつらつら考えてしまった。
少なくとも、女家庭教師はそうした自身が抱えているエゴイスティックな支配欲に対して終始一貫無自覚なんだよね。 で、わたしの脳裏を、質朴で善良なるグロース夫人陰謀説が掠め通るのである。 女家庭教師の禍々しい欲望をそれとなく助長させ、自己破壊をアシストしているように思えてならなくて。 前任者も彼女に仕向けられて破滅に追い込まれたのかも。
マイルズとダグラスの相似も気になるところで、もしかすると二人はイコールなのであって、手記のラストは朗読者たるダグラス(=マイルズ)が自身の“心象”を表すためにアドリブで改竄したのかも・・ いや、それをやった者がいるとすれば一番外側の“私”なんじゃ? 女家庭教師が書いた手記をダグラスが読み聞かせている光景を記している“私”、という多重構成の、どこにどれだけの主観(信用ならざる要素)が混在しているだろうか、いないだろうか・・
合理性に拘ろうとすると必ず何かしらの反証に阻まれるし、詮索を始めたらきりがなく、そもそも初めから答えなど用意されてはおらず、とどのつまりどんな想像をも許容する不確かさこそを狙った作品なのだと理解しています。 しかも、符丁やら暗喩やら伏線らしきものを意味ありげにちらつかせて、辻褄の合う種や仕掛けを求めて探りを入れたい衝動を抑えられなくさせる超絶妙技が、長きに渡り解釈をめぐる論争へと読む者を駆り立ててきた決め手なんじゃないかということも。
表題作が抜きん出ていて他が若干霞んでしまう向きもあるんだけども、どれも心理の迷宮へ分け入るような香しさがありました。 その中では、飄逸洒脱なラストがいい味出てる「本当の正しい事」がお気に入り。


ねじの回転 −心霊小説傑作選−
ヘンリー ジェイムズ
東京創元社 2005-04 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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○○○○○○○○殺人事件 / 早坂吝
アウトドア派フリーライターのブログに集う常連メンバーたちが、毎年恒例のオフ会にやってきた小笠原諸島の孤島で繰り広げる“ベタ仕立て”のクローズドサークル・ミステリ。 ラノベ風味でコーティングしてるけど新本格マニエリストの手になる賢しらなミスヲタ向けの書と言っていいと思う。
説明するまでもないかもしれないが、タイトルの“○”は伏せ字。8文字のことわざなのだ。 冒頭の(曲者感アリアリな)読者への挑戦状曰く、犯人当てでも、トリック当てでも、動機当てでもなく、前代未聞の“タイトル当て”ミステリであるという。 またまたー、whoとhowが見せどころなくせに、このこのー。ふふ。
全体に自分で自分をいなしてる空気があって、謙虚なのか不遜なのか判然としないような拗れ加減に(決してマイナス面ではない)若さを感じる。 タイトル当てはちょっとした照れ隠し芸的な? 言ってみればオマケのオチなのだけと、本篇を本篇たらしめる犯行の珍奇さを上手く揶揄ってるからクスッとなる。 確かにこれ、伏せ字にしなければ核心突き過ぎ。 惜しむらくは答えをズバリ書かないで、文章でニヤッとさせてくれてもよかったような気も。
お下劣エロとキラキラ青春の取り合わせが無性に気持ち悪くて良いね良いね。 趣味じゃないけどw しかも犯人特定の切り札に導入された叙述トリックで眩ませている隠し符が、その両者の抱き合わせ的イメージさながらなのが振るってる。 ミステリマニアを語り手に、王道を弄びながら展開する自己言及的な超(?)本格だけど、この世界観(オェー;;)を踏襲したくだらなさで帳尻り合わせができてるんだよなー。 “仮面男”と“針と糸の密室”という旧套ギミックはパロディ化した下ネタ仕様で捻られ、歯車としてきちんと機能しているから古典を足蹴にするようなイヤらしさがなくて好もしかった。 しかしアレだね。 プライスレスの下衆な笑撃ウェルカム〜♪ てな“南国モード”ではっちゃけ読みできたもの勝ちな作品。 生温かい寛容の心でニラニラしてるような自分は負けの読者。


○○○○○○○○殺人事件
早坂 吝
講談社 2014-09 (新書)
関連作品いろいろ

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火曜日の手紙 / エレーヌ・グレミヨン
[池畑奈央子 訳] 第二次世界大戦下のフランスに生きた男女4人の静かで濃密で残酷な愛憎心理劇。 フランス人若手女流作家のデビュー作というから恐れ入ってしまう。 作者は“戦争という特殊な状況でのラブストーリーを書いてみたかった”という。 ミステリとサスペンスの趣向を凝らした愛と秘密の物語。
母を亡くしたばかりのカミーユのもとに舞い込んだ一通の長い手紙。 初恋の少女アニーと過ごした幼い日の思い出に始まる手紙は、ルイという見知らぬ男性の独白調で綴られており、それから毎週一通ずつ火曜日になると届くのだった。 まるで連載長編ででもあるかのように。
手紙で語られる過去と、パリのアパルトマンに暮らす主人公カミーユの1975年現在とが並走し、やがて一つの物語に収斂する構成。 さらに作中作となる手紙は、ルイを含めた3人の人物による語りで構成されており、それぞれの思いによって歪みを抱えた3視点が、補完し合うことで次第に立ち現れる真相は、そこはかとない“揺らぎ”を秘めている。
唐突な場面転換に戸惑ったりすることもあったけど、その唐突なリズムがむしろ魅力になっていたと思う。 書く人によってはベタベタやギドギドに流れ、やり過ぎかねない素材を、絹のヴェールをさらっと纏ったような“お洒落な大人の小説”の雰囲気に仕上げている。
開戦直後の“奇妙な戦争”時代、ドイツの進軍を控えての“大脱出”、そしてナチス占領下へと続くパリの世相がストーリーと溶け合い、時代のコードを巧みに捉えながら進行していくのだが、その根底には、世俗的な体裁のためにどうしても子供が欲しいと願う、願わざるを得ないところまで追い詰められていく既婚女性の苦悩があり、そこを出発点とした悲劇と言っていい。 女性作家ならではの生々しく鮮烈なにおいを放つ作品でもあるので、万人受けするわけではないかもしれないけど、心の読み違いや誤解や思い込みを重ね、ボタンをかけ違えるように狂い始めてしまう人生の哀切さを見事に描き切ったと思う。 作中作の手紙の中でも、読まれてしまった手紙、読まれることのなかった手紙が、運命の分岐点となる重要なアイテムとして機能していたりする。
受け取った思いをカミーユが切なる願いを込めた夢想で補い、完結させたかたちを取るラスト。 静かな贖いの時を経た罪の物語は、救済の色調を帯びて、皆に愛されたカミーユだけが包むことのできる優しさの中に昇華される。 悲しくも澄んだ余韻を響かせて。 次作が翻訳されたら絶対読みたい。



火曜日の手紙
エレーヌ グレミヨン
早川書房 2014-06
(単行本)
★★
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小村雪岱 物語る意匠 / 大越久子
小村雪岱 物語る意匠
大越 久子
東京美術 2014-07
(単行本)
★★★

[埼玉県立近代美術館 監修] モダーンですねぇ。 典雅にして斬新。 日本の伝統と近代の美意識が溶け合って、魅力的な文化が花開いた大正から昭和初期は、連載小説を目玉にした新聞や廉価な雑誌が発行部数を伸ばし活況を呈した大衆文芸の隆盛期であり、また、 出版社が美術家たちを登用し、意匠を凝らした美装本を競うように世に送り出した時代でありました。
装幀、挿絵の分野を中心に目覚ましい仕事を成し、洗練された感性で人々を魅了した小村雪岱は、そんな気風の中を駆け抜けたデザイナーの先駆的存在です。 生涯に手掛けた装幀二百数十冊、挿絵およそ二百作の中から選りすぐりを集めた他、数少ない肉筆画も紹介する解説つき名品集。
写生や写実には興味が向かず、人の手で拵えられたものが好きだという言葉を残している雪岱は、根っからの“意匠家”であり、“描く”こと以上に“造る”ことを目指した人なのだろうなぁと実感させられます。
日本画を特徴づける構図の大胆さや装飾性を受け継ぎながら、よりフォルム化、形象化することによって突き詰められた先鋭的表現は、同時に、読者を物語の世界に引き込んでいく感覚的な舞台装置にもなっていて、淡々とした余情を孕んでいる。
計算し尽くした工夫が凝縮されているんですよね。 一見簡素でありながら実は凝りに凝っていたり、意味深長だったりして、気づいた者だけをほくそ笑ませるような企み、ハッとする驚きを与えようとする心が尽くされていたりする。
泉鏡花を敬愛し、鏡花が描く世界の清澄なロマンチシズムに深く共鳴していた雪岱を、大正3年の新作「日本橋」の装幀者に抜擢した鏡花。 以降、雪岱が最も多く“鏡花本”を手がけることになったそうで、その工芸品のような造りは、今もマニア垂涎の人気なのです。 画号は、“小さな村から見える雪の泰山(岱山)”ほどの意味。 授けたのは鏡花なのだとか。
挿絵家としての雪岱の名を一躍高めたのが、昭和8年に連載された邦枝完二の新聞小説「おせん」。 春信の錦絵がブロマイドの役割を果たして評判になった江戸明和期の実在の人物である“笠森お仙”をモデルにした小説で、“おせん”に春信の世界観を投影した作者の意向に寄り添うべく“春信調”の造形を追及して描かれているようです。 “昭和の春信”と言われる所以はそこにあったのですね。
完二と雪岱のコンビは続いて翌年、明治期の稀代の毒婦をモデルにした「お伝地獄」でもヒットを飛ばし、こちらは国貞風の仇っぽい絵柄(それでもどことなく春信を想わせるそっけないほどの品の良さが漂う気がするのだが・・)、和洋が混在する風物を織り交ぜた画面構成と構図の冴えで、代表作とされる仕事をこなしています。
ちょっと和風ウィリアム・モリスっぽい図案系も素敵。 ブックカバーあったらいいのに、と思ったら「龍蜂集」は立派なのが販売されてるんだ。 自分は「亜米利加紀念帖」「島の娘・月夜鳥」辺りが欲しい。 もちろん雲母摺りや膠摺り風の光沢つきで
余談だけどカバー後袖の肖像写真の隣の飾り絵(?)も雪岱の作? 何気に可愛くて栞にしたい 本書の表紙には、雪岱が好んだモチーフ、つがいの蝶と芽柳の銀の箔押しが。 この本自体の装幀も凝っています。
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謎解き「アリス物語」 / 稲木昭子 & 沖田知子
[副題:不思議の国と鏡の国へ] ナンセンスの中に秩序を、秩序の中にナンセンスを孕み、“八歳から八十歳までの子供が楽しめる本”とさえ言わしめる「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」を、主にテキストベースで紐解くガイドブック。 ペンネーム(Lewis Carroll)からして、本名の一部(Charles Dodgson)をラテン語表記にしてから順番を入れ替えて英語風に戻すという凝りっぷり。 作者の言語に対する度外れた拘りが詰め込まれていて、まさに翻訳家泣かせの作品なのですが、それは同時に、腕の振るい甲斐があり、競い甲斐があるという事にもなりましょう。 (こちら、質も量も素晴らしい→「アリス」邦訳ブックレビュー
薄い本なので当然キャロルの全企みが網羅されているわけではないのですが、要所はしっかり押さえてあったんじゃないかな。 語法や成句のお約束事を文字通りに解体することや、同音異義語を混入することで生じていく会話の食い違いの妙味など、訳本(数冊読んだ程度)で何となくは汲み取れていたことを思うと、翻訳家の方々の貢献に恐れ入る思いが致します。 ここをこう捻ったか!と。 それを今回、キャロルの(もはや魔術的な)言語遊戯癖を目の当たりにする原文に触れながら、厳密に理解させてもらったと言いましょうか。 もとより英語の微妙なニュアンスもわからず、原文にトライする気力もない身には、このくらいのボリュームと平明な解説が程よかった。
文理横断型の才能を遺憾なく発揮して、捩り、駄洒落、連鎖、掛け詞、逆成、換喩、折句、かばん語、屁理屈、矛盾、因果逆転、本末転倒・・ と、言葉と論理を手玉にとって畳み掛けてくる手練手管を直に感じることができたし、それに、言語の冒険を標榜したヌーボー・ロマンの半世紀以上前に言葉の制約へ切り込んでパラドクス領域を回遊してみせたこんな快書(怪書?)が存在したんだよなぁーと、また、新鮮な気持ちで向き合えた気がします。
本書の意図は、“ノンセンスの世界に止揚されたナンセンスを解読する”という切り口で「不思議」と「鏡」にアプローチすることにありました。 日常感覚からかけ離れたバカバカしいナンセンスを重奏させることで浮かび上がってくるバカバカしいが侮れない法則性をノンセンスと捉え、それは、実用性や適切さといった、習慣として身について疑問にすら感じなくなっている空気の調和を掻き乱し、摂理を根底から揺さぶる力を秘めるに至り、ナンセンスと区別されるものとなる・・とった感じだったろうか。 これからは少しばかり違いを意識してみたいものです。
Mock Turtleを生み出すことになったMock turtle soupや、dormouseとティーポットの関係や、Snap-DragonflyのもととなったSnap-Dragonなど、ヴィクトリア朝期の習俗を覗かせる小ネタが仕込まれていたり、Mad Hatterにはモデルがいて、その内輪ネタがいろいろ盛られているらしい背景など、パロディ的な芸の細かさの一端にも触れられました。 「不思議」の巻頭詩と「鏡」の巻末詩が、童謡“Row Your Boat”のイメージで照応し、二つの物語を優しく儚い詩情で包むヴェールの役割を果たしているんですねぇ・・


謎解き「アリス物語」
稲木 昭子 & 沖田 知子
PHP研究所 2010-04 (新書)
関連作品いろいろ
★★
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ノディエ幻想短篇集 / シャルル・ノディエ
[篠田知和基 編訳] フランス幻想文学の祖とされる小ロマン派(主流ではなくマイナーポエットなロマン派といった感じか?)の作家、ノディエの短篇ないし散文6篇を収めた精選集。
フランス革命とその後の混乱のさなか、狂気を抱えて生きたというノディエは、自身の感覚や意識の内的な働きだけが信じるに値する確かなものだと肯定し、揺るぎがないのです。 逃避と片付けるのは簡単ですが、現実社会への絶望からの極度の揺り戻しであり、反時代性が露わにされているからこそ、生き残る力があるのかもしれません。
夢、夜の幻、亡霊、妖精、恩寵に満ちた狂人や超俗的人間・・ そんなキーワードが浮かびます。 地上に生きる窮屈さや虚しさ、飛翔する魂への焦がれ、古典主義的権威や近代的合理精神に取り残され、置き去りにされたものへの郷愁が、切々と刻まれているように感じます。
とある貧しい藁ぶき小屋に棲みついた炉端の精霊と、その家に暮らす若妻の恋物語「トリルビー」は、バレエ「ラ・シルフィード」の原作なんですよね。 バレエは観ていないですし、粗筋しか知らないのでストーリーの単純比較さえ正確にはできませんが、印象としては別物くらい違います。 異種恋愛譚の鉄則どおりの美しい悲劇なんですが、原作では、地上の愛としてのカタストロフではなく、天上の愛の不滅性が謳いあげられていました。 既婚未婚の属性が変わってますし、性別の設定も逆です。 (原作の)いたずら小妖精トリルビーに対するジャニーの愛は、死産した我が子への思いに重なる含みがあったんじゃないかと感じました。 恋愛という狭い枠には収まりきれない愛のかたちが、悲しみを純化させる伏線になっていたように思えたのです。 また、異教に対する寛容派と排斥派の拮抗という構図を援用しながら、スコットランドにおけるキリスト教と民間信仰の関係を、民話(おそらくケルト?)の香りを濃厚に封じ込めたお伽話の中に展開し、アーガイル地方の自然美を幻想的詩情で包み込むように讃えた繊細優雅な世界観が本当に素敵。
「スマラ」は、眠りの神秘にまつわる物語で、複層構造のうえ、意識の主体が眩惑的です。 なんていうか・・ 混じり気なしの、それゆえに底無しにヤバい本物感があり、幻視の凄まじさを叩きつけられました。 “二重の存在の秘密”へのアプローチは、著作活動における一つの大きなモチベーションになっていたのではないかと。 全篇に何かしら通底するものがあったように思いました。 抜きん出ていたのは、やはり「トリルビー」と「スマラ」かなぁ。
実は、訳者解説に見つけたこんな一文に意表をつかれ、ときめいてしまった。
ノディエは失意をのりこえてこの年、フランスのみならず世界の文学の歴史の中にいまにいたるまで例をみない奇書である実験的な作品「ボヘミヤの王と七つの城の物語」を刊行、(以下略)
この題名で検索してもノディエとスターンしか出てこない・・ってことは、もしやこれって、ノディエはスターンを読んでいて「トリストラム・シャンディ」の作中に挿入されていた例の、いっこう始まらず終わってしまった話(笑)を自分で書いちゃったってことでOKですか? 内容からしてスターンへのオマージュなのかしら? わー、読んでみたーい!と思ったら訳本なくてガックリ。


ノディエ幻想短篇集
シャルル ノディエ
岩波書店 1990-03 (文庫)
関連作品いろいろ

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