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女が嘘をつくとき / リュドミラ・ウリツカヤ
女が嘘をつくとき
リュドミラ ウリツカヤ
新潮社 2012-05
(単行本)
★★

[沼野恭子 訳] 人気と実力を兼ね備えたロシアの現代作家、ウリツカヤの連作短篇集。 素朴でありながらウィットがあり、辛辣で温かく、真面目に受け取ればいいのか笑えばいいのか、独特の語り口から生まれる文章の呼吸が好もしく、すっかりファンになってしまいました。
必要に迫られ、状況を見極めてつく謀めいた建設的かつ実利的な嘘が男の嘘であるならば、女の嘘とは、“ひょいと、心ならずも、なにげなく、熱烈に、不意に、少しずつ、脈絡もなく、むやみに、まったくわけもなく”つかれるものであるとウリツカヤは指摘します。
天賦の才を持った女が奏でる嘘の、歌のような、おとぎ話のような、その厚かましくも無邪気な創造性に霊感を刺激された作家が、この問題を扱ったささやかな文学研究と称し、心に開いた空隙を埋める危うくも魅惑を秘めた女の嘘をテーマにした6つの短篇を編みました。
南ロシア地方の保養所で、モスクワのアパートで、チューリッヒのキャバレーで・・ その時々に出くわす嘘つき女たちの打ち明け話の聞き手となるのはジェーニャ。 第一話から最終話まで約20年の時間が経過し、ジェーニャ自身については、一度目、二度目の夫との間に一人ずつ息子を設け、破綻しかけるも二度目の結婚生活をなんとか立て直し、二人の息子と夫とモスクワで暮らしながら、研究職からテレビ、出版の仕事へとパワフルに転身を重ねていく・・といった大筋の歳月を遠景で捉えています。
“うまくいかない私生活”の悩み事を抱えている局面で、決まっていつも法螺話を聞かされるというシチュエーションなのですが、嘘だと知って大変なショックを受けるウブな20代から、30代、40代と歳を重ねるうちに、部分的にしろ嘘を見分けたり、騙されたことを笑い飛ばせたり、騙された者の慰め役になったり、観察者の目線を持ったり、人間的成熟に伴う反応の変化が見て取れます。
トータルでジェーニャの人生を見据えた一つのストーリーが淡く紡がれていると言ってもいいのですが、何かしら警句を得ようと法螺話がジェーニャに与えた影響などを短略的に推し量ろうとすることに意味がありそうな感じはしなかったです。 ジェーニャ自身が主役となって前面に押し出され、一気に単調なパターンが破られ奥行きが広がる最終話の位置付けが、まだ自分の中で定まっておらず、作品の全体像がぼやけているからかもしれないのだけれど。
リーリャの夢の話を聞いたジェーニャが、一種のカタルシスを得て生きる気力を取り戻したとするのは、どうもあまりしっくりこなくて。 嘘(虚構)の力を肯定するためのこじつけ的解釈程度にしか思えないというか。 それよりも、リーリャやハーヴァが封印してきた嫉妬心を吐露し、ジェーニャに対して本心で向き合ったことが、また彼女の心をも解放へと導いたのではないかと、シンプルにそう思ってしまった。 最後の一篇だけは、嘘から反転する合わせ鏡のような“本心”の物語だった気がしたのだよなぁ。
しかしながら。 この、乾いた心に染み込む慈雨のような物語こそが、ウリツカヤの拵えた嘘(虚構)に他ならない事実。 小説家の紡ぐ素敵な嘘を、読み手をチャームするスペシャルに真っ赤な物語を、自分はやはりどうしようもなく欲しているのだとしみじみ思ったり。
停滞の70年代からペレストロイカを経て、ソ連崩壊後の新生ロシアまで、約20年の輪郭が時代背景として溶かし込まれています。 社会情勢、経済、宗教、ロシア文学、伝統、気風、生活スタイル・・ 日常の光景の中に簡素でありながら力強く民族的な鼓動が脈打っていて、“風俗作家”という形容がとても似つかわしいものに感じられました。
偽善なんていう概念の生っちょろさが尻尾を巻いて逃げ出しそうな。 西洋の古風な小説にしばしば登場する意固地なまでのハイパーお人好し婦人の衣鉢を継いでそうなジェーニャの人間味が好き。
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遠く不思議な夏 / 斉藤洋
遠く不思議な夏
斉藤 洋
偕成社 2011-07
(単行本)
★★

[装画:森田みちよ] 上野から普通列車で二時間、そこからバスで一時間くらいの場所にある母の郷里の村で過ごした遠い夏のモノローグ。 昭和30年代頃、幼少年期にあった“わたし”が、一夏一夏の記憶の底から掬い上げる思い出の数々。 意識の鮮明化と引き換えに失ってしまう儚い瞬きのような不思議に満ちた体験が、入学前から5年生までの時間の流れに乗せて連作長篇形式で描かれていきます。
先に「K町の奇妙な大人たち」を読んでるんですが、これは姉妹篇と考えていいのだと思う。 東京の東端、K町での日常を綴った“わたし”ど同一人物の“わたし”が綴る夏休みの田舎ステイ編。
夜になると川で魚釣りをするお地蔵様、増築を重ねて迷路のようになった本家の古い屋敷、彼方と此方の境界人のような“きっつぁん”という不思議な男、松明と提灯に照らされて昔ながらの面と衣裳で踊り狂う夏祭りの“にとこ踊り”、軽んじられていると腹を立てて悪戯をする小さな杜の神様、村道の街灯の下で捕まえるカブトムシ、泥の中からにゅっと顔を出すヌマメ、本当のことと響き合ってしまう祖父の可笑しな作り話、本家から分家に揚々と引っ越す座敷わらし、リヤカーの心地よい振動、水田の中に浮かぶ人魂、神社の木々から溢れ出る蝉の声・・
神秘的な土壌の力が薄れつつあるものの、東京のK町にもその名残りが十分に感じられた時代。 田舎の村では、まだまだ怪異が悠然と日常に溶け込み、物の怪が自然現象と隔たりなく受け容れられていて、更に強い地場の力を感じます。
そこには時間をかけて培われてきた人々の無意識の集合体のような氏神という呪縛があって。 現金やそれに代わる物品の授受が社会生活の重要な基盤になっている狭い共同体での神様とのかかわり方が、評価を持たない子供の透明な目に晒されてもいて、古き佳き郷愁のみを賛美する小綺麗な世界ではないところに読み応えと深い味わいがありました。
大人の顔色を敏感に察知する少年であることに違いはないのだけど、K町での“わたし”よりは大人とのコミュニケーションが保たれている印象があり、大人社会の謎めいた背景事情がK町の時より生々しく透けて見えます。
母親の実家は分家ながら近頃は羽振りが良く、落ち目の本家に代わる地位と名誉を虎視眈々と狙っている様子。 そこにはどうやら“わたし”の父からの援助があるらしい。 “わたし”には家庭教師をつけられている異母兄たちがいるらしいことも判明。 案の定、“わたし”の家庭環境はナゾに満ちています;;
かぞえ年で十二歳に達し少年期を終えた5年生の夏。 最終話はきもだめし大会での武勇伝で締めくくられますが、その楽しさの裏で、怪異が何も起こらなかったことに一抹の寂しさが広がります。
わたしはポケットから木のイヌを出して、そっときっつぁんにかえした。
だからこそ・・ その前年の最後の思い出の眩しさが、縁側で交わし合った他愛ないやりとりが、氷ったスイカの味が、胸に応えて泣きそうになる。
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探偵術マニュアル / ジェデダイア・ベリー
探偵術マニュアル
ジェデダイア ベリー
東京創元社 2011-08
(文庫)
★★

[黒原敏行 訳] アメリカの新進作家による2009年発表のデビュー長篇。 うっすらSF風味の幻想探偵譚。 アメリカで認知されているらしい都会小説(B級ハードボイルド的な?)を踏まえての変奏ヴァージョン風なのかなぁーと想像しながら読みました。
もっともこちらはソフトボイルド。 ファンシーでメタフォリカルで、主流文学に通じる個性もほのかに感じさせてくれる似非B級な作品でしょうかね。 事件捜査的な真理探求のプロセスから逸脱することはなく、この世界のルールに則して謎は解かれます。 浄化作用のあるラストも程よい娯楽性を保ちつつ、何かとてもシンボリックで素敵だった。 久しぶりに上々吉のエンタメに出逢えた気分
雨の降り続くとある都市(まち)が舞台。 とにかく、オリジナルにデザインされた風物や風俗成分を遺憾なく注入した都市のジオラマが、読みながら頭の中に広がり、定着していく時の世界酔い的体験というのは、ハイ・ファンタジーを読む醍醐味なのだと存分に思い知るくらい堪能させてもらいました。
北には碁盤目状の新市街地を、南には旧市街が入り組む港町を配し、その境目に見張り台のように聳えるのは〈探偵社〉。 複雑に組織化され、社員にすら全貌が公開されていない巨大な〈探偵社〉に勤務するアンウィンは、都市随一の名探偵シヴァートの専属記録員として長年報告書を整理し、脈絡をつけ、正確無比な記録に仕上げてきたと自負している。
そんな事務方気質のアンウィンは、ある日、唐突に探偵への昇格を言い渡され、かつての人生から追い立てられるように、都市で発生している不可解な進行形の混乱に放り込まれてしまう。
行方不明の探偵シヴァートを捜し、〈カリガリサーカス〉の千と一の声を持つ魔術師ホフマンの企みを追い、敵か味方か“一枚噛んで”いそうな謎めく女性たちに翻弄されながら、シヴァートを指揮していた監視員レイネック殺害の謎に迫ります。
“探偵術マニュアル”を携え、醒めきらない夢の都市を駆け抜ける探偵(になりたくない)アンウィン。 見えない暴力の支配下で腐敗し、荒廃しかけた都市を救うことができるのか・・?
〈探偵社〉は秩序を、〈カリガリサーカス〉は無秩序を体現していますが、同時に、知と未知、可視と不可視、昼と夜、現実と夢、覚醒と眠り、構築と破壊、記憶と忘却、保守と冒険、内と外など、いくつもの概念が重なり合って対照されています。
ただ、ここに優劣や善悪は含まれません。 むしろ、そう思われがちなイメージを払拭すべく、互いが互いの抑止力となって自律的に機能し合えることの意義や、そのための複眼的認識力の大切さ、全てを一義的な意味の場に回収することの危うさが物語られています。 内部へ沈降し、外部へ踏み出す作業を通して、偏った暗黙の物差しを盲信して真の問題を見過ごしてはいないか自己検証を促します。
筆記用具がタイプライターだったり、帽子の着用がステータスだったり、切符にパンチを入れる車掌や、レバーを動かしてエレベーターを操作する係員や・・ ちょっとレトロな空気が良いんです。 捨てられた産業廃棄物が放置され、石畳に赤錆の筋をつける路地、朽ちた廃駅のホームに滑り込む探偵専用の地下鉄、旧市街の暗い片隅の酒場”四十回のウィンク”、うら寂しいサーカスの廃墟、双子の番人が乗る赤い蒸気トラック、時計を持った夢遊病者が集う丘の上の屋敷“猫と酒”、細い路地が入り組み何層にも重なった夢の中の煉瓦道・・

<備忘メモ>
なお、“われわれは眠らない”をスローガンに掲げ、目の図柄をトレードマークにした〈探偵社〉のモデルはピンカートン探偵社、〈カリガリサーカス〉の元ネタはドイツ表現主義映画の古典的名作「カリガリ博士」、巨大な半円筒形の屋根と、中央ホールに四面の時計をとりつけた案内所がある〈セントラル駅〉のモデルはニューヨークのグランド・セントラル駅、また、著者が最も影響を受けた作家と語るカルヴィーノの幻想小説「見えない都市」の中の「精緻な都市 4」に描かれる都の話は、本作の世界観の発想源になっているかもしれず、ボルヘスとの親近性においては、特に「伝記集」収録の「円環の廃墟」、「エル・アレフ」収録の「アベンハカン・エル・ボハリー、自らの迷宮に死す」からのインスピレーションが感じられるとのこと。 訳者解説より。
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領主館の花嫁たち / クリスチアナ・ブランド
領主館の花嫁たち
クリスチアナ ブランド
東京創元社 2014-01
(単行本)


[猪俣美江子 訳] 本邦初訳なのかな? たぶん。 児童書も手がけたらしいのだけど、ブランドというと毒のある犀利なミステリってイメージしか持ってなくて。 しかも前知識なしで読んだから、あんぐりという感じだった。 紛うことなきノン・ミステリ。 幽霊譚と双子奇譚を絡ませたクラシカルなゴシック・ロマン。
「嵐が丘」や「ジェーン・エア」や「高慢と偏見」辺りの正統派少女小説と、脈々たる系譜を持つイギリス怪奇小説の香気を漂わせつつ、細部の辻褄はかなり強引というか、大時代的な様式性に徹した趣き。 愛に破れた者が手にする憎しみと、それを断ち切り浄化する甘美な自己犠牲・・といった由緒正しいドラマチックな運命悲劇的テーマが踏襲されている。
亡霊も亡霊とは思えないほど“人間”として描かれていたりするのだけど、ひんやりとした優雅さや入れ替えモチーフなど、随所にブランドの面目は躍如していたと思う。 最後の長篇、そう思って味わうことに意義がありそう。
1840年、ヴィクトリア朝初期の荘園屋敷が舞台。 ウェールズ北部に広大な領地を有する高貴な一族に、かつてエリザベス一世の御代、とある呪いがかけられ、末代までの祟りが宣告された。 一族子々孫々・・未来永劫・・もう二度と・・
低い丘の谷間に佇立し、餌食をその壁の中に囲い込む古い屋敷。 亡霊たちの冷たい手が、暗黒の闇へと、悪意の深みへと手招きしている陰鬱なマナーハウスに、一人の若い女家庭教師がやってくるところから物語は動き始めます。
聡明で薄幸そうな(そして何かいわくありげな)ガヴァネス、無邪気でこの上なく愛らしい双子姉妹(母親を亡くしたばかり)、上の空の父親(Sirの称号を持つ紳士)、屋敷を牛耳る意地悪な小母様、変わり者で謎多き領地の管理人(離れた小屋に一人で住んでいる)など、もうこれだけでご飯三杯いけそうな黄金設定。
設定だけじゃない。 幽霊を隠れ蓑にした推理ものでも、双子を素材としたアイデンティティにまつわる心理サスペンスでもなく、愛をめぐって沸き立つ感情の大仰な振り幅や、“受け継がれる呪い、降りかかる悲劇”を地でいく中世色濃厚なストーリーが、混じり気なしのゴシック感を掻き鳴らしています。 クライマックスなんてオペラの舞台でも観てるみたいな(観たことないけど)気分になったし、それと、やはりジュブナイル・レーベルな印象はあったかな。 どうだろう・・
小さな差でしかなかったのが、成長とともに助長され、増幅されていく双子の個性。 良からぬ方向へ導き伸ばすことに加担してしまう何気ない振る舞いの積み重ねは、それがほとんど無自覚であるがゆえに根が深い。 亡霊たちの冷たい手、その不吉な力を遠い破滅へと繋がりかねない悪しき習慣のメタファーと読むならば、子育てへの警鐘のようなものを孕んでいたのではないかと、大人として読むと、実際その部分が一番こたえた。
お屋敷の外観や内装や調度、令夫人の服装、社交の慣例、使用人の実情といった文化風俗のあれこれや田園地帯の自然美など、物語を支える美術が熟達していて、伝統的英国のパノラマにどっぷりと身を浸すことができます。 19世紀半ばにおける田舎の上流社会の諸相を詳らかに写しとった質の高い時代小説の印象も強いです。
にしても、お屋敷ものを読んでると、“なぜかドアの前でばったり会う”というシチュエーションが、ほとんど(盗み聞きの)慣用表現のように出てきて笑える。 英国お屋敷ものにおける一つのお約束ネタなのかな^^
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スペシャリストの帽子 / ケリー・リンク
スペシャリストの帽子
ケリー リンク
早川書房 2004-02
(文庫)
★★★★

[金子ゆき子・佐田千織 訳] 2001年に刊行された第一短篇集。 やっぱり良いな〜。 リンクほんと好き。 文学が窮屈だと言わんばかりのはみ出しっぷり。 理由も背景も与えられないまま脈絡もなく唐突に現れ転がるような物語にもかかわらず、変幻自在に筆を操り、感性と妄想力の炸裂する世界へすんなり引き込んでくれる。
慣れ親しんだ愛着深い匂い、ポップでビビッドな色彩、キュンとなるような可笑しみ、リズミカルで瑞々しい言語感覚・・ どこか人懐っこく憎めない肌合いを基調としていて難解な顔はしていないのだ。
なんだろう、おとぎ話を分解して再構築した万華鏡的オプジェのような奇天烈な有機体・・ いや、おとぎ話の諸断片を作者の坩堝に投入して溶融し再生させた現代の寓話とでも言うべきか。
不条理な夢を見続けているようなシチュエーションの面白さ、言葉を超えて飛翔する比喩性や登場人物と読者のあいだの感覚のズレがもたらす揺らぎ、身の回りの普通をグロテスクに異化してしまう誇張法の冴えがそれは見事で、解読困難な迷宮さながらの現実社会を、また別の遠近法で映し出しているかのよう。
自己と他者、生と死、あるいは幸福と不幸の間の幽暗な境界や、名前が含意するものとは何なのか、その辺りの謎めきにインスパイアされてそうかな。
異様な観念に取り憑かれたり苛まれたりする人々の意識下で、不明瞭な数多の感情が擦れて立てる音、それは紛れもなく聞こえてくる。 肌の下に隠し持つ孤独、孤独への不安、無力感、壊れやすさ、愛の欠乏感、寄る辺のなさ、希薄な現実感・・は、不透明な時代を生きる魂の受難に他ならないのかもしれず。
登場人物から距離を置く観察者の立場を保ちながらも、決して断じたり突き放したりする目線ではなく、微かに滲む共感の成分が客観描写に微妙なニュアンスを綾なしているのを感じる。
豊かな文芸性に裏打ちされながらも、ファンタジーの煌めきをぎゅっと詰め込んだ作品ばかりで全てがお気に入りなんだけど、やはり「スペシャリストの帽子」は振るってた。 古いお屋敷の不気味な伝承をモチーフにしたオールド・ファッション全開のビターな童話めいた幽霊譚。 いったい・・ 双子はベビーシッターに連れ去られようとしているのか、救われようとしているのか、父親に脅かされようとしているのか、守られようとしているのか。 最愛の母を亡くし、死を夢想して遊ぶ子供の途方もない虚無が行き着くラストの、あの空気感は他にちょっとない。
「ルイーズのゴースト」も大好き。 当然、感じ方はいろいろあると思うのだけど。 分身が幽霊に悩まされるという冗談のような話・・と読んだ。 しかもそのゴーストのゴーストが! これはコルタサル的円環・・なのか? タイトルの二重性はもとより、エクリチュール効果を細かく計算し尽くした機知にやられた。 とぼけた筆致で一個の精神が崩壊する過程を余すところなく描き出しているかのようにも読める。 剥奪された悲劇性は一層の哀切を帯びて胸に迫る。
生から死へ向かうモラトリアム領域を幻視した「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」は、過剰な感傷と自己愛の権化のような物語なのに、抒情詩のような美しい響きと疼くような甘い痛みの奔流に抗えず身を沈めてしまった。 暗示どころか“自慰小説”であることが堂々と明示されてるんだよね^^; 作者はわかってやってるんだなとクスってなる。
「靴と結婚」の、“幸せに関しては得意”な占い師の言葉。
あなたたちは一緒に年を重ねますよ。仲良くやっていけるわ。私が約束する。信じてちょうだい。未来のあなたたちが見えるの。庭に座っているあなたたち二人の姿が。爪に泥が入っちゃってるわね。レモネードを飲んでるわ。それがお手製のものかどうかはわからないけど、とにかく絶品ね。甘すぎない。私がこう話したことをあなたたちは覚えているでしょう。私が話したことを覚えておいてちょうだい。あなたたちはほんとに幸運よ、互いに見つけられて! 古い一足の靴みたいに、あなたたちは仲良くやっていくわ。
幸福の見つけ方の一つの深い示唆だと思った。 あんまり素敵だから何度も読んでしまった。
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壁抜け男の謎 / 有栖川有栖
壁抜け男の謎
有栖川 有栖
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-04
(文庫)
★★

新聞、雑誌、機関紙、オリジナル・アンソロジーなど、様々な媒体に寄稿した16篇のノンシリーズ短篇が集められています。 「ジュリエットの悲鳴」的な感じ。
単行本に収まれなかったあぶれ者たちの詰め合わせですが、全体にアイデア・ストーリー的な通底感があって、とっ散らかってる印象はなかったです。 しかも本格ミステリ→オマージュ→奇想→SF→恋愛みたいな緩やかな流れに乗せて読者を運んでくれる仕掛け。 楽しかったです!
タイトルに惹かれ期待を膨らませていたのは表題作でした。 言及はどこにもなかったけど、架空の画家が描いたとする美しく幻想的な“絵”は、紛れもなくマルセル・エイメの小説「壁抜け男」のラストシーンなのでした。 琴線をさらっと撫でていく韜晦趣味が粋。
表題作と「ガラスの檻の殺人」は、“作者からの挑戦状”を挿入する犯人当てなぞなぞタッチ。 読者参加型として入門編のような間口の広さ。 特に「ガラスの檻の殺人」なんて、ひねくれまくってねじくりかえって読んでたから、清々しいほどプレーンな正攻法に憑き物が落ちる心地がして、なんかよかった^^
「下り“あさかぜ”」は、鮎川哲也さんの鬼貫警部シリーズ「下り“はつかり”」と「王を探せ」と「憎悪の化石」をリミックスしたパスティーシュらしい。 調べたらみんな鉄道アリバイトリック系なんだね。 しかも鬼貫警部が挑むのは、“彼をモデルにした推理小説が何十冊もベストセラーとなっている敏腕刑事、保津川警部の殺害事件”という懲りっぷり。 時刻表ミステリへの熱いトリビュートなのです。 「王を探せ」との“亀”繋がりにウィットを感じます。 犯人も被害者も“モデルとなった実物”なのであって“十”や“井”じゃないですから 笑 ぎりぎりセーフラインなスパイシーパロディでもあるねコレ。
「キンダイチ先生の推理」は、横溝正史ゆかりの地、岡山県真備町の“正史散歩コース”に置かれた耕助石(散歩途中に正史が座って休んだという触れ込みの石)って眉唾じゃないのか疑惑を払拭する小ネタが効いてます。 「ミタテサツジン」も正史もので「獄門島」の現代版もどき。 これはブラックコメディと読むべきか。 古い芸道小説張りのエモーショナルな空気とナンセンスなオチが化合したシュールさが稀有。 とはいえ、“物語の出で来はじめの祖”以来、ダジャレ(掛け詞)オチは日本人の伝統芸なのです 笑
堂に入った文体模写で描かれる「彼方にて」は、中井英夫に捧げ切った世界観。 「虚無への供物」を読んだ時、内閉調的美学の中に壊れそうなほど犀利な社会派意識を隠し持っているのではないかと感じた記憶が蘇りました。
「天国と地獄」はミステリ系のショートショート。 小咄みたいにスマートでお気に入りなのだ。 「Cの妄想」もショートショート風だけど、こっちは奇妙な味系。 一番ニヤニヤした。 ネタ的にはありがちな被書空間を扱ったメタだけど一幕劇の緊密さが鮮やか。 考え出したら帰って来れない深みにハマりそうでゾクッとさせられる感覚が堪らん。 「迷宮書房」も同種のメタ小説なのだけど、これ「注文の多い料理店」の主客転倒モチーフをパロってなかなかの展開を見せてくれます。 暗号系の小技が可愛い。 文字の苦手な山猫ネタ入ってるよね^^ 山猫さん幾つお店持ってるのかなw
「怪物画趣味」はまさかの密室くそ喰らえ展開。 グーでぶん殴られる覚悟の渾身ギャグ? いやいやどうして、この短篇集になら余裕で溶け込めてます。 蒼い輝きの如き「ジージーとの日々」と、白昼の夢の如き「恋」は、ちょっと別格。 並び立つ甘やかな抒情のコントラストが水際立っていて、まさに短篇集の華でした。
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