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ペナンブラ氏の24時間書店 / ロビン・スローン
ペナンブラ氏の24時間書店
ロビン スローン
東京創元社 2014-04
(単行本)
★★

[島村浩子 訳] デビュー作となった本書で2013年度アレックス賞を受賞した著者は、情報社会の未来を予想したFlashムービー「EPIC 2014」を、2004年に共同制作して話題を呼んだ人物なのだそう。
サイバーパンクと冒険ファンタジーと暗号解読ミステリを組み合わせたジャンル混成型の作品で、ギミックがてんこ盛り。 デジタルとアナログがせめぎ合い、溶け合い、化学反応を起こす、そんな時代ならではの雑駁な躍動感のようなもの、未来はわからないけれど、まだ決してコンピュータが万能とは言えない“今”の混沌を映し出すライブ感が秀逸。 ちょっとくたびれたし、想像してた内容と思い切りかけ離れてたけど、極上のエンターテイメントを楽しみました。
ITイノベーションの聖地、サンフランシスコが舞台。 シリコンバレー界隈で生きる上昇志向の若者たちが日常の中で繰り広げるリアルRPGゲームのような世界といったらいいか。 まるで、ファンタジーを描くのに特殊な舞台なんかいらないぜ!とばかり。
“ぼく”ことクレイ・ジャノンのフレンドリーでご機嫌な語りに乗って軽快に進行し、どうやらティーンズ向けの作品だったりもするようなのだけど、ソフトにしろハードにしろ最先端知識の不足が甚だしいゆえ虚実の皮膜に安心して遊べない。 ところがそんなフリーダム感がいつの間にか存分な魅力に思えてきてしまう。
主人公の青年クレイは不況の煽りを受け失業中の元デザイナー。 ある日、目に止めた求人ビラに釣られ、ふらっと入った風変わりな24時間営業の古書店で、夜間店員として働き始めることになる。
くらくらするほど天井が高く、ありえないほど細長い店舗の手前半分のエリアはいかにも普通の古書店なのだが、貸本屋システムが適応されているらしい奥半分のエリアは鬱蒼とした森のように暗く、見果てぬ上方まで伸びる梯子の架かった書棚には、Googleの知る限り存在しない美装丁本がぎっしりと並んでいる。 そして、浮世離れした奇妙な学者風の老人会員たちがぽつんぽつんと訪れ、携えた一冊の蔵書を返却してはまた新たな一冊を借りていく。
店主を務める青い目の老人ペナンブラ氏には、“奥の書棚の本を決して開いてはいけない”と念を押されていたものの、好奇心に抗えずページを開いたクレイが目にしたのは、びっしりと埋め尽くされた無秩序な文字の羅列。 いったいこの暗号で書かれた本は何を意味しているのか? 店主のペナンブラ氏は何者なのか? 顧客の老人たちは? この書店とはいったい・・??
真相究明に向けてのアクションがスタートし、長い時間をかけてひっそりと受け継がれてきた禁断の謎の中へと足を踏み入れていくクレイ。 彼自身には突出した才能があるわけでなく、読者が感情移入し易い普通人的に造形されたキャラなのだけど、ある種、ネットワーク作りに才能があるというか、クレイ自身が“リソースフル”な存在というか。
“生気のきらめき”を友達作りのフィルターにしている彼の周りに集うのは、奇人と天才のあわいを縫うような逸材たち。 『ドラゴンソング年代記』の愛読者だったことから絆を深めた幼馴染みの親友ニールは、ソフトウェア会社の青年CEOを務めるベンチャー起業家、人間の脳の潜在能力を強く信じているクレバーなガールフレンドのキャット(真賀田四季と同じ思想を持った子だ)はGoogle本社の社員、ルームメイトのマットは特殊効果アーティスト、ペナンブラ書店の午後の部勤務のオリヴァーは考古学マニア。
時にハッカーヒーローも味方につけ、難題をクリアし、目的を達成するための特殊作戦部隊たるパーティが編成されるような格好で、仲間たちの友情とそのコネクションがスケールメリットへと繋がっていくシュミレーションモデルさながらの展開が繰り広げられていく。
クレイが突き止めた愛書家カルト集団による秘密結社のような協会の、その教義の中心にあるのは、あらゆる人生の秘密が記されている(と信仰されている)一冊の古い暗号本。 彼らは中世から伝わるこの秘本の解読に五百年取り組み続けているらしい。
暗号本を遺したとされる人物はアルドゥス・マヌティウス。 商業印刷の父と言われるルネサンス期ヴェネツィアに実在した出版人なのです。 マヌティウスは史上初の古典集を作ったことで知られているのですが、その際、古典作家の研究を通じて人生の秘密を発見したのだと協会は信じている、という体裁。
キリストと第一の使徒ペテロと最期の審判を彷彿させる伝説がアレンジされ、協会の教義として設えられているのですが、マヌティウスたるキリストから“鍵”を託されるペテロに当たるのが著者が創造した架空の人物、グリフォ・ゲリッツズーン。 マヌティウスの親友にしてパートナーであり、デザイナーだった彼が作成し、今なお広く普及し続ける典雅にして優美な活字書体、ゲリッツズーン体(モデルはローマン体でしょうか?)が、大きな存在感を持って物語世界に潜んでいます。
デジタル化の盲点がトリックとして活かされる大詰めのミステリ部分に上手く絡んでいくのだよね。 クラーク・モファットという架空の作家が遺した『ドラゴンソング年代記』なるファンタジー叙事詩も謎解きの大事な要素として作中に組み込まれています。
ペナンブラ氏には何より仲間が必要だった・・ 煎じ詰めると分派によるクーデターと言えるストーリーだったかも。 一生かかってもやり遂げられなかった成果が、コンピュータの力を借りて一瞬で得られるようになった時代の変化に対応することを拒み、チョークと石板、インクと紙による研究に執着することがマヌティウスへの敬意と言えるのか? それは起業家だったマヌティウスの精神に返って忠実でなくなってはいないか・・?
そして今、時流に乗り成功体験を積んでいく若者たちだってめぐりめぐって歳をとり、アイデンティティを揺るがすような新時代のモデルに直面しなくてはならなくなる日が来るかもしれない。 その時どんな行動が取れるだろうか? 安直な若者賛歌ではない問いが投げかけられています。
ピカピカでツルツルな電子書籍と埃臭いアンティークな古書という、言わば真反対のモチーフがぶつかり合うかのようなストーリーなのだけれど、むしろ、現代のITテクノロジーと中世の活版印刷が五百年の時を越えて親和する感覚にワクワクしました。 “技術革命”と“情報革命”の最中の息吹き、まだ使い慣れていない新しい可能性を手に入れた昂揚感と戸惑いが発するその酷似性に。
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中国民話集 / 飯倉照平 編訳
中国民話集
飯倉 照平 編訳
岩波書店 1993-09
(文庫)
★★★

中国の諸民族のうち、人口の90%以上を占める漢民族によって語り伝えられる民話から、四十四篇が訳出されています。 口碑伝承を直に採集したような素朴なおとぎ調の昔話系。 有名どころと、あとは特に日本や朝鮮との比較研究の視点で集められているためでもあるのでしょうけど、馴染み深く、懐かしく、日本の昔話の祖型として思いを馳せたくなる空気が詰まっていました。
「トントン、カッタン、サラサラ」と「ヌングアマ」と「蛇の婿どの」は、中国で最も広く知られる子供向けの三大昔話であるらしく、どれも直接知らなかったとはいえ既視感が湧きますねぇ。 “話型”の組み合わせからあちこち無限に連想が及んでいく途方のなさは、民話や昔話ならではの醍醐味。
正直者の真似をした強欲者が痛い目に遭う“瘤取り爺”型を踏襲する話が多かった気が。 「小さなドラ」は、そこに「ジャックと豆の木」や「打ち出の小槌」要素がミックスした感じなんだけど、強欲サイド(兄と兄嫁)が妙に淡々としていて、結末もシュールでいい味出てます。 好き。 この話に出てくる“長い鼻”のモチーフは、中国ではわりに有名らしいのだけど、日本ではあまり聞かない?!
定番の異種結婚譚もいろいろと。 そしてその悉くがビターエンドなのが切ない。 まぁ、日本もそうなんだけど。 日本の「田螺の息子」は(例外的に?)ハッピーエンドだったなぁーと、ふと思ったのだが、その中国版とも言えそうな「蛙の息子」の蛙は神仙の領域に還って行ってしまいます。 当然ながらさまざまなサブタイプがあり、成長した蛙が武勲をあげて王女と結ばれるなんていう展開(国王と蛙が入れ替わる借着譚型)もあるらしい。 「蛇の婿どの」も蛇に嫁いだ末の妹は幸せになれないばかりか、蛇を横取りしようとする姉に繰り返し殺される(このあたりは「花咲爺」風です)痛ましさが際立つ話なのだけど、そこは最も有名な昔話の一つとあって、ハッピーエンド版もたくさんあるという。 まぁ、おそらくは子供向けに改変されたんだろうなって気はするけど。
本編に採られている牽牛織女伝説「天の川の岸辺」は、羽衣伝説と融合したタイプの、やはり異種結婚譚で、織女は牽牛が嫌で嫌で仕方ないヴァージョン。 天帝は離婚の調停役といった感じだし、年に一度会うにしても牽牛が一年間使った食器(わざわざ洗わずに溜めている!)を一晩かけて洗わなくてはならない織女なんて・・こんなん初めて知ったよ^^;
そうかというと「長靴をはいた猫」と「花咲爺」がミックスしたような「犬が畑を耕す」のラストはこんなオチでいいのか心配になるくらいお下劣でバカバカしいのだ。 これは笑話の一種なんだろうね。 “犬が畑を耕す”というのは中国特異のモチーフなのだそうで、犬が穀物をもたらしたとする古伝承と無縁ではないらしい。 この話や「蛇の婿どの」をはじめ、三人(二人も含む)兄弟や姉妹が登場する話はどれも末っ子良い子の法則が成り立っているものの、「トントン、カッタン、サラサラ」だけは逆で珍しいなと思った。
あと、西洋ではカササギというと不吉な鳥のイメージだけど、中国では(日本もそう?)逆に人の訪れを告げる吉祥の鳥なんだね。 “喜鵲”と呼ばれるらしい。
日本の「猿蟹合戦」は、前半部が「毛蟹の由来」、後半部が「ヌングアマ」だねこれ。 柿じゃなくて桃なのが中国らしい。 「毛蟹の由来」の他にも起源譚が沢山あって面白かったな。 中国の狛犬(じゃなくて獅子だけど)が片方だけ石の玉をくわえている訳を何気に説明しているのは「魚売りと仙人」。 「人を食う蚊」では蚊の起源が、「猿にさらわれた娘」では猿の尻尾はなぜ短いか(或いは猿の尻はなぜ赤いか) が、「かまどの神の由来」では竃神のダメダメ神様縁起が・・と枚挙にいとまなく紐解かれています。
“底に沈んだ臼から塩が無限に出続けているので海の水は塩辛い”という起源譚は、同じ話を日本の昔話として読んだこともあるし、北欧(だったかな)の昔話として読んだこともあって、ずっとモヤモヤしていたのだけど霧が晴れた気がする。 中国には“塩吹き臼”の類話がほぼ見当たらないらしく、本編収録の「海の水が塩からいわけ」は台湾の民話であり、これはむしろ統治期に日本から伝播している可能性を考慮した方がよいのではないかと。 そして日本においても古くからの伝承とは捉え難く、明治以後に入ってきたヨーロッパの話の翻案が定着したとする説が妥当なのではないかと。 なるほどーと思った。
気になっているのは小鳥前生譚の一つ「トンビになった目連の母親」。 この母子にはお盆行事の由来にまつわる有名な伝説があるけれど、こんなにも強烈なお母さんだったなんて! ちらっと紹介されていた「大根」の目連尊者も不憫すぎる・・orz でもお母さんには妙に惹きつけられるものがあったりして。 目連救母の伝承を集めた本とかあったら読んでみたいw
それと「十人兄弟」がお気に入り。 民話の中で秦の始皇帝は悪玉に仕立てられる場合が多いらしいのだけど、その流れを汲む話。 話型が備えたオチと始皇帝にまつわる“孟姜女”の逸話とを巧みに融合させたなんとも豪快な話。 甲賀三郎伝説の中国版といった趣きの「雲から落ちた刺繍靴」には話型やモチーフがわんさか散りばめられていて楽しかった。 まるで中華ファンタジーの原石みたい。
恩返しされてつけあがる者や、仲良し同士が一方の裏切りで仲違いするパターンや、“忘恩の狼”ものまであって、非人情で残酷だったり、善人が間抜けとして語られたりする世知辛い話も目立つ中で、仏教説話風の「幸せをさがしに」に心洗われ、癒されてしまった。 「手品師の娘との恋」も好き。 からりと陽気なピカレスク・メルヘン風でとってもチャーミング。
日本の「炭焼長者」型の話を、月の模様モチーフと結びつけて語っているのが「生まれつきの運」。 日本では餅をついている月の兎が、中国では薬をこねているのだとは聞いたことがあったのだけど、月には丹桂(薬の木)が生えているという言い伝えもあるのだよね。 治水事業の痕跡を感じさせる「“年”という獣」は、 水害に勝利した(或いは勝利したいと祈った)遠い昔の人々の思いに引き寄せられる心地がした。
日本の「腰折雀」に当たる「小鳥の恩返し」、「古屋の漏り」に当たる「“漏る”がこわい」、「犬と猫と指輪」に当たる「仲たがいした犬と猫」、「絵姿女房」に当たる「羽根の衣を着た男」、「俵薬師」に当たる「エンマ様をぶち殺した農夫」など、ほとんど直接に対応している話も少なくないです。 「十二支の由来」もその一つ。 運動会風は日本ヴァージョンなのかな? “猫とネズミ”は一緒。 “ネズミと牛”は日本ヴァージョンが健闘してる。 “雄鶏と竜(とムカデ)”のテーマは知らなかった。 解説によると竜王と鶏身の雷神との葛藤を反映しているのだとか。へぇ。
“竜宮に引き止められて暮らす”とか、“義兄弟の契りを結ぶ”とか、“みすぼらしい身なりをした物乞い老人が実は仙人”とか・・それとやはり虎が登場すると中国らしさが倍増します。 弱虫な虎やおバカな虎など、案外とコミカルに描かれる中、「木こりと虎」は伝説として見栄えのする報恩の虎のかっこいい話。 この民話が採集された湖北省における虎への信仰の深さとの関係が指摘されていました。 パンダ出てこない;; 人と交わることがなかったんだろうか。
中国内の地域性に根ざした類話の数々、漢民族以外の少数民族をはじめ、朝鮮や日本のみならず、モンゴルやインド、グリム辺りまでも含めてのモチーフの異同は非常に興味深く、その分岐点や交差点を探る巻末付載の「比較のための注」がとっても参考になりました。
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コップとコッペパンとペン / 福永信
コップとコッペパンとペン
福永 信
河出書房新社 2007-04
(単行本)
★★★

何が面白いのかさえよくわからない規格外れの面白さ。 前衛的な娯楽小説といった味わいの作品集。 プロットに対する鋭敏な方法意識や、“語り”をいかに効果的に機能させるかという問題意識が研ぎ澄まされているのを感じる。 ジャンル小説風のフォーマットを手馴れた道具のように使いながら、極めて合成的に、技巧的に、なにものにも収斂しないまま宙吊りとなった世界を構築(反構築?)しているような油断ならぬものがあって、それこそ物語だけが小説のエンジンではないことを物語ろうとしているみたい。
あからさまな省略や偏執的なディテール、無用さの残響、噛み合わない遣り取り・・ でも、暴走と制御が絶妙に共存しているのだ。 全体的に都市社会を漂泊するような浮遊感があって、真実性と虚偽性の揺らぎ、絶対性についての幻想を示唆しつつ、個人という輪郭の脆弱さを露わにしていく印象だけど、それは何も特別なことではないでしょと、しれっとしちゃってる気構えに映る。
表題作の「コップとコッペパンとペン」は、大胆不敵に繰り出される人生の予測不能性を、言語空間の予測不能性に軽々と溶かし込んでしまった快作。 取り敢えず曲がりなりにも三代に渡る一家系のサーガ?なのだが、叙事小説とハイパーモダンのハイブリッド感に擽られた。 タイトルは“三世代の繋がり”を言語的位相で揶揄ってるのかな。たぶん。 電線、赤い糸、三つ編み、ロープ、ブーツの紐・・ 繋ぎ、ほどき、結び、よじれ、縺れ合うモチーフが、記憶の指標となって意味ありげな合図を絶え間なく瞬かせるのだけど、それはイミテーションなのであって、実は意味性を徹底して茶化そうとしているのではないかと思われる。 サスペンス仕様でありながら、なんの着地もフィードバックもなく、読者を物語に深入りさせることをすんでのところで拒んでみせ続けるイケズぶりが癖になりそうだった。
一番引き込まれたのは「座長と道化の登場」。 いや、引き込ませてもらえたというべきか。 ジャンル小説のガジェット云々ではなく、もうこれは純粋にホラーだった。 A面とB面とでもいうべき二幕のナンセンス不条理劇。 不可知な他者との接触の中で生じる孤独によって、自分の信じるコスモロジーの不安定性が露わになっていく。 内部と世界の間に介在するどうしようもないズレ、断絶。 乾いた不気味さにぽっかりと覆われた白昼夢のような空間が痺れるほど怖い。
「人情の帯」は、加筆された書き下ろしの続篇「2」と合わせて読む方が断然いい! 「コップとコッペパンとペン」における縦の糸を横の糸に置き換えたような作品で、モチーフとなるのは“電話”である。 外側からの緻密な観察による視点でのみ展開し、見えない人間関係(とその不在)を表層だけで織り上げていく。 時代感覚とも無縁ではなく最も群像チックな一篇。 「コップとコッペパンとペン」がサスペンスなら「人情の帯」&「2」は推理小説を踏襲していると言えるのだけど、当然ながら一筋縄でいくわけがなく、まるで見事な反推理小説を成している。 似て非なるピースが大量に混在しているため、パズルを組み立てることができないもどかしさとでも言おうか。 “手掛かり”が読み解く鍵になるどころか迷宮への誘導灯としてのみ機能しているが如くであり、ペテンにかけられたようなトリップ感の快楽に浸った。 初読みの作家さんだったけど、なんかよかった!
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12星座小説集 / アンソロジー
12星座小説集
アンソロジー
講談社 2013-05
(文庫)


[群像 編] 12人の小説家が自分の星座をモチーフに12の物語を紡いだ競作。 文庫オリジナル。
物語の登場人物に星座的性格が与えられている作品、作品が作者自身の星座的影響を受けている(体裁の)作品、星座の形像をシンボリックに使った作品、星占いそのものを俎上にのせた作品、それらが渾然一体となった作品、などなどです。 その中に、ささやかなりとも作風や興味の矛先など、もしかしたら知らず知らず自身の星座に導かれて・・なんてことはあるのでしょうか、ないのでしょうか。
以前、「十二宮12幻想」というアンソロジーを読んだことがあるのですが、企画としては似ています。 確かあちらも鏡リュウジさんの解説付きだったはず。 あちらは全般ダークファンタジーやホラー系だったと記憶していますが、本編は特に縛りはなく、ザ・文芸!といった趣き。
鏡リュウジさんの巻末解説によると、各星座の持ち味はこんな感じらしい。↓
牡羊座 I am.
牡牛座 I have.
双子座 I think. I communicate.
蟹座 I feel.
獅子座 I create.
乙女座 I analyze.
天秤座 I balance.
蠍座 I desire.
射手座 I explore.
山羊座 I use. I endure. 
水瓶座 I solve.
魚座 I believe.
書き始める前、自分の星座に関する情報収集とかしたのかなぁ。 企画に寄せてる方と、けっこう奔放でそうでもないように感じる方とマチマチでした。 お気に入りは「安政元年の牡羊座」と「山羊経」と「美人は気合い」。
「美人は気合い」のみ再読。 “壊れてなかったら可能性というものはなかった” 絶望を奪われた人工知能の壊れてなお前向きな・・胎内の我が子を守る母のような姿が尊くて。 奇跡はイレギュラーから生まれるのだと信じたい佳篇なのだけど、なのだけど〜! 一方で思いっきり盛大に胎教をパロってるみたいなところが可愛くて。 たまらなく好きすぎる。
「山羊経」は、亡き父が大日如来になって現れてしまうというね(笑) 占いをおちょくり倒しているかのような(似非)御託宣?が笑えるのだが、幻を探し求め、なんとか“生”の意味を見出そうとしている主人公が痛々しいような虚しいような滑稽なような、でも無性に切実なのだ。 山羊経って穢土をさすらう生者に向けた経なのかな。
「安政元年の牡羊座」は、牡羊座の性格をちょっと茶化し気味に料理していて、めっちゃ企画に寄せてくれている作品。 恬淡とした文章の可笑しみと相まって、読後は得難い爽やかさ。

収録作品
安政元年の牡羊座 / 橋本治
クラシックカー / 原田ひ香
星と煉乳 / 石田千
二十六夜待ち / 佐伯一麦
サタデードライバー / 丹下健太
乙女座の星 姫野カオルコ
天秤皿のヘビ / 戌井昭人
いいえ私は / 荻野アンナ
夏に出会う女 / 宮沢章夫
山羊経 / 町田康
美人は気合い / 藤野可織
透明人間の夢 / 島田雅彦
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