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気になる部分 / 岸本佐知子
気になる部分
岸本 佐知子
白水社 2006-05
(新書)
★★★

岸本さんが会社勤務から翻訳家へ転職してまだ間もない頃のエッセイ。 これが初エッセイ集かな? たぶん。 1993年から1999年に雑誌掲載されたものが集められている。 バリバリ90年代で意外と昔なんだけど、らしさに溢れていて全然古さを感じない。
岸本さんが何十年にも渡って“なかったこと”にして心の底に押し込めてきた結果のドロドロの発酵物を集めたのがこのエッセイであるとのこと。 しっくりこなくても腑に落ちたように無理やり呑みくだし、日々の暮らしに支障がないよう、誰もが少なからず無意識に自分を制御しながら生きているものだと思う。 それがあまりに常態化していて、“ドロドロの発酵物”があったとして目を向けることができないし、感じることもできなくなってしまうんだろうと思う。 普通はもう。
一章の「考えてしまう」は、目のつけどころに感服するような身辺雑記風で、日常の些細な違和感やこだわりや人間観察など、ときどき、ん? とか、ふふって妄想が混じるくらいのテイストなんだけど、そこから遣る瀬ないような人生の悲哀が立ちのぼってくる。 あとはやはり、“言葉”に向けられる鋭敏な眼差しが異次元。
二章の「ひとりあそび」は、回想を中心とした現実と虚構の境界を行き来するような領域のエッセイ。 脆い地盤の上に立つ自分という存在の曖昧さが際立っている。 子供の頃の奇妙な体験や不思議だったこと、孤独だったこと、岸本さんはなんでこんなにも覚えているんだろう。 ある種の才能(異能?)だと思う。 自分にも似た感覚が確かにあったような気がして、そんな残滓を刺激されて、どうしても思い出したくなって、泣きたくなるような気持ちになっても、やっぱり思い出せない。 あまりにも特殊でグロテスクすぎる記憶は、俗事にかまける大人の頭で破棄しちゃうんだろうな。 自分が壊れてしまわないように辻褄の合わないこと、受け入れがたいことは記憶を修正して、修正したことすら綺麗に忘れて生きている。 そう考えると現実(と思っていること)の方がよっぽど虚構なのかもしれない。
三章の「軽い妄想癖」は、もう完全にエッセイの域を出た文芸作品。 岸本さんは本格的に小説をお書きになる気はないのだろうか。
四章の「翻訳家の生活と意見」は、言葉と言葉が交感する最前線の景色の一端に触れるような得難い興趣を味わせてもらった。 ブックガイド的エッセイも収穫。 特に日本人作家の書評は新鮮だった。 巻末には、川上弘美さんとの架空の思い出の中に遊ぶuブックス版ボーナストラックも。
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鍵の掛った男 / 有栖川有栖
鍵の掛かった男
有栖川有栖
幻冬舎 2015-10
(単行本)


中之島にある小さなホテルに5年間住み続けた男が自室のスイートルームで死んだ。警察は自殺と断定したが、居合わせた女性作家は納得がいかず、火村&アリスに捜査を依頼する。 謎に包まれた孤独な男のベールが一枚また一枚と剥がされていく・・
次々にバンバン殺人が起こることもなく、あっと驚くようなトリックがかまされるわけでなく、1人の死んでしまった世捨人に焦点を絞り、その謎にじっくりと向き合い、破綻のないよう解き明かしていくいぶし銀のような本格ミステリでした。 人間ドラマとしてはやや大味感が否めなかったかなぁ。 今のところ作家アリスシリーズでは最長編とのことでなかなかに長い。
中盤までは、ホテル界隈の歴史的地理的景観を交えながらコツコツとしたアリスの単独捜査(材料集め)が続くのですが、中盤以降参戦の火村先生ペースになると、俄然、展開の速さ鋭さが増して、切り替えスイッチが鮮やかです。
館系ではないけれど、都会のこじんまりとした清閑なホテルが舞台で、いい感じに唆られるものがありました。 有栖川さんの街情(?)的な道草と、地味だけど丹念な謎解きがお好きなら、夜長に悠々緩々と読むのが吉です♪

<追記>
作中にも言及がありますが、本作は、ホテル暮らしで半生を過ごしたアメリカ人作家、コーネル・ウールリッチを意識した作品になっています。
ウールリッチは代表作「幻の女」を遺した“サスペンスの詩人”と呼ばれる作家で、1968年にホテルの一室で急逝。 死後、巨額の富を遺していたことが明らかとなりますが、遺族は一人もなく、葬儀に参列したのは5人だったそうです。

<後日付記>
この本に触発されてウールリッチの「聖アンセルム923号室」を読みました。 凄くよかったです!
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怪奇小説日和 / アンソロジー
怪奇小説日和
−黄金時代傑作選−

アンソロジー
筑摩書房 2013-11
(文庫)
★★

[副題:黄金時代傑作選][西崎憲 編] 1992〜93年に刊行された「怪奇小説の世紀」全3巻から13篇を選出し、さらに訳しおろし含め新たに5篇を加えて再編集した文庫版。 姉妹アンソロジー「短篇小説日和」と同じく19世紀後半から20世紀半ば頃に発表された、主に英国作家の作品を軸としたセレクト。 西崎憲さんのボリューム感ある巻末エッセイも健在。
一時代に花開いて散っていった、いわゆる“怪奇小説”あるいは“ゴースト・ストーリー”と呼ばれる一種独特のジャンルには、えもいわれぬ味わいがあります。 怖さというよりクラシカルな雰囲気を堪能するものだよなぁーと、しみじみ感じ入ってしまう。 とは言え怖いとなると底無しに怖い。 そういう一面を隠し持つような洗練された作品ばかりです。
正統的なゴースト・ストーリー、心理主義、モダニズム、ロマン派チックなものから、ワン&オンリーな個性派まで実に粒ぞろい。 ガツガツ読んでしまったのが悔やまれます。 忘れた頃に一篇だけ読み返したら、どれもこれも更なる輝きを放ってそう。
「岩のひきだし 」と「遭難」は、それぞれノルウェーの海とスイスの山の怪異。 ノルウェーの民間伝承に材をとったとおぼしき「岩のひきだし」は、漁師と海の精霊(魔物)との異種結婚譚めいた話で、土着的な息吹きがよかったです。 海の岸辺に切り立つ岩壁が家財道具の詰まった抽出しになっていて、その抽出しを引っ張って開けるための壁面の小さな輪が指から抜けなくなり、その指輪が異界との逃れられない契約になってしまうという初耳のモチーフにワクワクしました。
伝承といえば「妖精にさらわれた子供」は、炉辺話のような素朴さといい、アイルランド貧村地域の自然風土といい、ケルト民話の世界そのものでした。 ただし民話を短篇小説へと昇華させた哀切な余韻が流石。
余韻の半端なさにやられる作品が圧倒的な中で、白眉だと思ったのが「失われた船」。 結末の謎めきが醸す遣る瀬なさは言葉にならないなぁ。 この一篇をラストに持ってくる辺りが憎い。
物語の構成力と詩美性が完璧なエレガンスを奏でる「墓を愛した少年」は、こちらもまた、第一話目として序曲に相応しい佳篇。
構成力と言えば、怪異の小道具として“旅行時計”の存在感を見事に際立たせた、その名もズバリなタイトル「旅行時計」も外せない。 ラストのささやかなウィットがお洒落で好き。
一番のウィット系は「ボルドー行の乗合馬車」でしょう。 著者は実話怪談の収集家だそうなのだけど、もっと広い意味で巷談の収集家でもあったということなのか。 だってこれは・・ まぁ、不条理で不気味な小話なんですが小話は小話だもの 笑 どこで仕入れたものか、めちゃめちゃ既視感あるんだよなぁ。 落語の「馬のす」のオチなしヴァージョンぽくもあります。
もう一篇、ウィット系なのが復讐する気のない幽霊に居座られちゃう「がらんどうの男」。 こちらも落語を思わせる人を食ったようなところが無きにしも非ずで、オチのオチまでついてる格好ですが、逆に幽霊の虚無性にゾワリとさせられる一抹の怖さがあります。 古典落語の「三年目」に取材した山本昌代さんの「居酒屋ゆうれい」をちょっと思い出したw 
「陽気なる魂」が何気に一番印象深いです。 3回読んでしまった。 誰か解説してください・・orz 語り手を含めた登場人物(登場しない人物の影も含めて)の誰もかれもの得体が知れない。 読解を支える拠りどころがどこにもないというのか、いや、あるのだろうけど全く掴ませてもらえない怖さに魅入られてしまった感じです。
同様にハイブロー系なのが「列車」。 タイトルが示す通りに、“列車”という一つのイメージによって鮮烈に染め上げられた怪異。 こちらの恐怖の実体はそれなりに掴める感触があるので置いてきぼりにはなりませんが、ラストの反転感にグラッとなり、戦慄を伴う眩暈に襲われます。
「真ん中のひきだし」は正統派の中の正統派の趣きで、自分が思い描く古き良きゴースト・ストーリーど真ん中なイメージ。
「フローレンス・フラナリー」や「ターンヘルム」は魔の顕現が圧巻で、ロマン派寄りの香り高さと濃密な気配が美味でした。
「七短剣の聖女」もロマン派っぽいと言えなくもないのですが、ドン・ファン伝説異聞というのか、もう一人のドン・ファン伝説というのか・・ 17世紀のアンダルシアを舞台とした中世古譚風の騎士物語に神話やお伽噺モチーフがふんだんに鏤められていて、このラインナップにあってはひときわ異彩を放っています。 カトリックとイスラムが綾なすバロック?な映像美に惑溺しました。
巻末エッセイでは、怪奇小説が隆盛だった19世紀後半から20世紀前半(通史的にはゴシック小説とモダンホラーの間の期間)を黄金時代と位置づけ、その前後でどのような移行がなされたか、宗教観や社会観や人間観の変化といった精神史的な観点から恐怖を扱う物語の変遷を紐解く考察がなされていて、勉強になりました。
批評研究の歴史も興味深かったです。 ゴシック小説の膨大な研究の成果に対し、怪奇小説の研究たるや片々たるものであるという。 そもそもというか未だにというか、研究対象としての関心が薄い分野なんですね。 誠にさみしい。
怪異や奇蹟が当たり前だった時代が終わり、科学進歩の黎明によって教会万能主義が崩れると、信じる信じないの間で大きなエネルギーが生じ、怪異がより身近な好奇心として改めてクローズアップされたのが黄金時代だったんだろうなぁ。
二十世紀中葉以降の科学妄信の時代を迎えると、居丈高な批判にさらされたり、そっぽを向かれ打ち捨てられたであろうことは想像に難くありませんが、もうそういう時代でもなかろうし、無知を知る境地に近づきつつある(と思う)現代では、むしろ怪奇小説を読み返す土壌が回復しているんじゃないかと、願いも込めて。
まぁ、コアなファンがいる分野なんでよもや忘れ去られることはあるまいが、この先、学術研究が盛んになってくれると嬉しいなぁ。

収録作品
墓を愛した少年 / フィッツ=ジェイムズ・オブライエン(西崎憲 訳)
岩のひきだし / ヨナス・リー(西崎憲 訳)
フローレンス・フラナリー / マージョリー・ボウエン(佐藤弓生 訳)
陽気なる魂 / エリザベス・ボウエン(西崎憲 訳)
マーマレードの酒 / ジョーン・エイケン(西崎憲 訳)
茶色い手 / アーサー・コナン・ドイル(西崎憲 訳)
七短剣の聖女 / ヴァーノン・リー(西崎憲 訳)
がらんどうの男 / トマス・バーク(佐藤弓生 訳)
妖精にさらわれた子供 / J・S・レ・ファニュ(佐藤弓生 訳)
ボルドー行の乗合馬車 / ロード・ハリファックス(倉阪鬼一郎 訳)
遭難 / アン・ブリッジ(高山直之・西崎憲 訳)
花嫁 / M・P・シール(西崎憲 訳)
喉切り農場 / J・D・ベリズフォード(西崎憲 訳)
真ん中のひきだし / H・R・ウェイクフィールド(西崎憲 訳)
列車 / ロバート・エイクマン(今本渉 訳)
旅行時計 / W・F・ハーヴィー(西崎憲 訳)
ターンヘルム / ヒュー・ウォルポール(西崎憲・柴崎みな子 訳)
失われた船 / W・W・ジェイコブズ(西崎憲 訳)
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ねむり姫の謎 / 浜本隆志
ねむり姫の謎
−糸つむぎ部屋の性愛史−

浜本 隆志
講談社 1999-07
(新書)


[副題:糸つむぎ部屋の性愛史] ヨーロッパの中世から十九世紀にかけて、“糸つむぎ部屋”は女性たちの仕事場であると同時に、若い男女の会合の場でもありました。 その糸つむぎ部屋の、特に農村社会における習俗と絡めてグリムの「いばら姫」を紐解く試みがなされています。
民衆文化を掘り起こした性愛の風俗史と「いばら姫」のルーツや成立事情、どちらもそれはそれとして非常に興味深いのだけど、両者の絡め方がやや強引な気がしないでもなかったかなぁ。 そこは当時のグリム童話ブームを意識してのアプローチだったのかな。
冬の期間、娘たちが紡錘や糸車を持ち寄り、暖炉のまわりでくつろぎながら亜麻から糸を紡ぐ恒例の共同作業を行ったのが“糸つむぎ部屋”。 当然の成り行きでそこへ青年たちが訪れるようになり、これまた当然の成り行きでおしゃべりや歌やダンス、艶っぽい悪ふざけに興じる社交の場へと発展していったという。
この“糸つむぎ部屋”の冬の夜の集いは、地縁にもとづく仕来りやルールのもと、民衆文化として深く根を張り定着していたことが窺えます。 教会に風紀紊乱の温床として目をつけられ、度々規制の対象とされながらも、習俗が途絶えることはなく、産業革命により“糸つむぎ部屋”そのものが本来の役割を終えるまで、共同体を活性化させる一つの役割を長年にわたり担ってきたようで、その事実は、淫らであけすけな男女の愛の戯れが“糸つむぎ部屋のお祭り騒ぎ”と形容されるくらい認知されてもいたみたいです。
古来から糸つむぎは女性の仕事であり、紡錘は女性のシンボルだったと言います。 ルーツはギリシャ神話の運命の三女神に探ることができ、一人が糸をつむぎ、一人が割り当て、一人が断ち切るという、元々は運命を司る役割りとしての意味合いが強かったようだけど、時代が下るとともに女性の結婚と結びついて一般化していくんですね。
「いばら姫」の原型とも言える古フランス語で起草された十四世紀の古譚「ペルセフォレ」で、王女の運命を予言するのは三人の女神であり、ギリシャ神話の名残りを色濃くとどめているように感じられます。
この「ペルセフォレ」と、十七世紀前半にイタリアの詩人バジーレが著した「ペンタメローネ」の中の一話「太陽と月とターリア」、十七世紀末のペローによる「眠れる森の美女」、そして十九世紀初頭のグリム兄弟による「いばら姫」の四作が、“眠り姫”モチーフを継承する類話として比較検証されているのが面白かった。
大雑把に言うと「ペルセフォレ」は前半のみ(性的要素あり)、「太陽と月とターリア」は前半〈性的要素あり〉+後半(人食いモチーフあり)、「眠れる森の美女」は前半〈性的要素なし〉+後半(人食いモチーフあり)、「いばら姫」は前半のみ(性的要素なし)となる。
時代背景や作者の社会的立場などの違いによる変遷の跡が如実に表れているのですね。 「ペルセフォレ」は、中世の騎士道精神に基づく愛のかたちが貫かれているのと、凍てつく冬の眠れる大地である女性と種を蒔き大地を芽吹かせ蘇らせる男性のメタファであるかのような性的関係が、どこか神話めいた色合いを感じさせもします。
「太陽と月とターリア」は、なんとまぁ人間臭いことか! どうしてこんなにも即物的でえげつないのか、バジーレについて、「ペンタメローネ」について、もっと知りたくなってしまいました。
「眠れる森の美女」は、以前に少し詳しく学びましたが、バロック時代のフランス宮廷文化風エスプリが味噌。
そして「いばら姫」はというと、熱心なカルヴァン派だったグリム兄弟が、産業革命以降の市民社会が目指したブルジョア家庭に育つ子供たちを啓蒙するための“童話”として書いたのだから、教育的に不健全と判断した性的要素がカットされているのは自明の理、というものでしょう。
その「いばら姫」のテキストからグリム兄弟が消し去ろうとしても完全には消し去れず、テキストの奥に埋もれている性的要素を掘り起こすことが本書の目的だったのですが、まぁ、女性の恋愛や通過儀礼と関わりの深い糸つむぎモチーフが、暗示的な痕跡をとどめていそうな気配は薄っすら感じることができたかなぁとは思います。
ルーツである「ペルセフォレ」や「太陽と月とターリア」がもともと性的要素を含んでいるのだから当然と言えば当然ですが、時期に合致した運命の王子だけにいばらの道が開かれ、その選ばれし王子だけが塔の中の姫のもとへ辿り着けるというストーリーは、確かに妊娠のプロセスを想起させますし、“糸つむぎ部屋”の習俗を知った後では、国王が国中の糸つむぎの道具を廃棄させようとしたこと、それでも廃棄し尽くせなかったことが意味深に思えてきたりもします。
でも基本的に一番の疑問符は、紡錘に刺される≒性交渉とする点。 だとしたら、よからぬ男に純潔を奪われて死ぬ邪悪な呪いをかけられたけど、(なかったことにはできないが)やがて傷は癒えて新たな男と幸せになれるよう呪いを軽減してもらったという解釈になってしまわないか? それともそういう物語だったのか??
あと、グリム童話はゲルマン神話をルーツとした純粋なドイツの民話であるという“グリム神話”が、1975年まで信奉されていたのだそうで、そのことにちょっとした驚きがありました。
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変愛小説集 日本作家編 / アンソロジー
変愛小説集 日本作家編
アンソロジー
講談社 2014-09
(単行本)


[岸本佐知子 編] “変な愛”を集めた翻訳アンソロジー「変愛小説集」の日本作家バージョンです。 変愛小説愛好界のカリスマである岸本佐知子さんが選者を務めた十二篇。 全てこの企画のために書き下ろされた作品らしい。
恋愛とは、その純粋な姿をつき詰めて描こうとすればするほど、グロテスクな、極端な、変てこなものになっていく・・ 変愛を集めてみたら“変愛=純愛”の図式が成立していることに気づいてしまった的な、確かそんなニュアンスだった翻訳アンソロジー。
今回、日本版の執筆依頼にあたっては、“愛について”というシンプルなテーマ以外、あえて何の注文もしなかったそうです。 しかしそこはやはり現代日本を代表する変愛小説の書き手として変愛通の選者が白羽の矢を立てた精鋭の競作となれば推して知るべし。 恋愛至上主義へのカウンター的意思表示ででもあるかのような一筋縄ではいかない妙篇揃い。
“愛”の範疇そのものが漠としていたためかもしれないのだけど、もんやりと複雑な気持ちを呼び覚まされはすれど、安易な共感を超越した境地に突入している作品が多く、どうにもわたしの中では、“純愛”という肌合いに直結しなかったのだよなぁ。 海外編の純愛度の方がより鮮烈に思えたのは、それだけすんなり感情移入ができたから・・なのか。 自分勘違いしてるけど、そもそも純愛がテーマじゃないからねw
結局のところ恋愛とは人それぞれに帰着するものなのだ。 日本編を読んで一番感じたのはそんなこと。 人の恋愛なんてわからないのが当たり前なのだとすれば、ここにこそ逆説的に真の“純愛”が描かれていたかもしれない? とも(強引に)思ったり。 いや“純愛”から離れろてw
大丈夫。真弓は清らかだよ。きっと、真弓も、お母さんも、友達も、三人とも清らかなんだ。だから他の人の清潔な世界を受け入れることができないんだ。それだけだよ。
「トリプル」の作中の言葉は、この本を読むわたし自身に跳ね返るものがあったかもしれない。 心に留めておきたい、おかねばと感じた言葉。
まぁそれでも、馴染みのある作家さんはそれぞれに“らしいなぁ〜”と思いながら読みました。 これダメでしょ、ってくらいぶっ飛んでたのが「天使たちの野合」で、告白すると一番好き。 アイロニカルな視点で見下ろされる矮小な男どもに、作者の私刑が炸裂するラストの突き抜け方が気持ちいいほどバカバカしくて。
そして「韋駄天どこまでも」の超絶技巧に痺れた。 この縛りの中で、何たる闊達自在な筆さばきだろう。 言葉遊びをふんだんにしでかしてる小説が海外にはざらにあるわけですが、訳者さんがどんなにご苦労くださっても完全には味わい尽くせてないんだよなぁーという常日頃の鬱積を帳消しにしてもらえた気分。 人の営みと文字そのものとが響き合う漢字の特質を活かし、漢字文化ならではの言語遊戯を駆動力にしたこんな稀有な小説が日本語の文章で書かれている喜び。
擬古風チックで独特な饒舌体が読者を圧伏する「逆毛のトメ」も気に入りました。 ファンキーでパンクなおとぎ話みたいだった。 初読みの作家さんでしたがマニアックな作品集を過去に一冊だけ出してるらしいので要チェック。
遠未来の神話世界的イメージが静謐で美しい「形見」は、唯一ストレートにキュンとくるものがあった。 なんとはない日常の中に潜む夫婦間の危うい均衡にズキッとなる「藁の夫」、ひんやりとしていながらフェティッシュで物狂おしい「男鹿」あたりにより強く嵌りましたが、特異な構築力とイマジネーションを満遍なく見せつけてくれる濃厚な一冊でした。

収録作品
形見 / 川上弘美
韋駄天どこまでも / 多和田葉子
藁の夫 / 本谷有希子
トリプル / 村田沙耶香
ほくろ毛 / 吉田知子
逆毛のトメ / 深堀骨
天使たちの野合 / 木下古栗
カウンターイルミネーション / 安藤桃子
梯子の上から世界は何度だって生まれ変わる / 吉田篤弘
男鹿 / 小池昌代
クエルボ / 星野智幸
ニューヨーク、ニューヨーク / 津島佑子
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ヴィクトリア時代の衣装と暮らし / 石井理恵子 & 村上リコ
ヴィクトリア時代の衣装と暮らし
石井理恵子・村上リコ
新紀元社 2015-09
(単行本)


ヴィクトリア朝ものを読むときに、もっとイメージ喚起できたらなぁ〜と思い、手に取ってみました。 様々な職業や階級のヴィクトリアン・スタイルを身にまとった老若男女が、オールカラー写真で登場しています。 そしておおかたカメラ目線で微笑んでおられる。 まぁ言ってしまえば皆さん、テーマパークやミュージアムの役者さんやガイドさん、イベントのコスプレイヤーなんですね。
移築された建物もあり、調度品や内装、レプリカの衣装も本格的で再現度が高そうですが、出迎えてくれる人々に関しては“ビクトリアンに扮している現代人”感が出ちゃってるので、まぁそこは仕方ないですよね。
そもそも“見て楽しむもの”を目指そうという初心者向けのコンセプト。 ヴィクトリア時代を体験できるスポット巡りという感じで、ガイドブックとして良質な本です。
詳しく取材しているアトラクションは4つほど。 産業革命の歴史を伝える世界遺産アイアンブリッジ峡谷の地域内にあるブリスツ・ヒル・ヴィクトリアン・タウンと、広大な敷地にジョージ王朝時代・ヴィクトリア時代・エドワード七世時代と3時代の暮らしを再現したビーミッシュの2ヶ所では、主に労働者階級と下層中産階級の人々が働く街や農村の店々、田園地帯の貧しい農民が暮らしたコテージ、比較的裕福な農民が(領主に借りて)営む農場などが紹介されています。
もう1ヶ所は、伯爵家のカントリーハウスとその領地で、現在はナショナルトラストに管理されているシャグバラ。 主にヴィクトリア時代の使用人の様子(様々な仕事部屋とそれぞれの作業道具や服装)を伝える使用人区画(ミュージアムになっている)が紹介されています。
後半は、ヴィクトリア時代を代表する作家チャールズ・ディケンズの作品世界に登場する人物に扮したディケンジアンが集うイベント、ロチェスター・ディケンズ・フェスティバルの様子。 時代考証に拘った通好みの正統派(紳士淑女、各種制服、庶民やスラムファッションなど)から、古風で綺麗なドレスを着られる機会を楽しみたい派、レトロSF風コスチュームに身を包んだスチーム・パンクの愛好家グループまで、千差万別のようです。 ガス灯に梯子をかけてのぼる点灯夫はフェスティバルの名物なのだとか。
活字は少なめですが、写真の補足説明と13篇の短いコラムが付載されており、ファッションと生活スタイル周辺の歴史や文化の解説にもページが割かれています。 コラムは充実していて知識欲を満たしてくれました。 細分化された使用人の役割とそのヒエラルキー、流行のドレスの変遷や、社交場ごとのドレスコードなど、特に興味津々です。

<追記>
著者の村上リコさんは「英国メイドマーガレットの回想」を訳された方でした! もう御一方の石井理恵子さんは、ブログ「英国偏愛」で、取材旅行記や英国にまつわる情報を発信されていらっしゃいます。
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