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失踪者たちの画家 / ポール・ラファージ
失踪者たちの画家
ポール ラファージ
中央公論新社 2013-07
(単行本)
★★

[柴田元幸 訳] 何が本当で、何はただの物語なのか・・? もんやりとした空虚、淡い喪失と孤独が揺曳する都市奇譚です。 さざ波のように拡張し収縮し、解き明かしようのない何かが潜む、目の前にあって、かつ恐ろしく遠い“都市”は、生者と死者と失踪者と人形とが質量を変えることなく流動し循環し続けるエーテル的世界みたいなイメージ。
田舎育ちの青年フランクは“都市”へ出てきて死者の写真家プルーデンスに恋をする。 或る日そのプルーデンスが失踪する。 失踪者の画家となってプルーデンスの行方を捜し続けるフランクは何故か警察に目をつけられ投獄される。 投獄中に革命が起きて体制が変わる。 解放されて新しい人生が始まる。 新しい恋人もでき将来の見通しも立ち始めるがプルーデンスを忘れらない・・ 超約するとこんな感じになってしまい、決して複雑な筋立てではないし、一貫して連続する時空間に支えられているにはいるのです。 が、しかし。
神話のような、おとぎ話のような、夢物語のような・・ 様々な語り手が紡ぐ綺想に彩られた“物語”が点綴するように挿入され、コラージュを成してメインストーリーを幾重にも覆っていき、交換可能な等価性や異化作用を呼び覚ましながら現実と虚構を撹乱します。 物語の小さな水滴に映し出される“都市”の豊穣さは無限の多様性をはらみ、単線的なプロットに読者を縛りつけてはおかないのです。
プルーデンスはどうも恐怖政治に加担するような仕事をしていて、フランクと出会ってからはそんな自分を恥じていたのかなと思える節もあり、当局に抹殺されたか隔離された(或いは亡命した?)かなんかして生死があやふやになった者らが“失踪者”の正体ととれなくもなく。 “人形”というモチーフも意味深で。 過去を捨て、与えられた役割を生きる仮面をかぶった別人となってプルーデンスは戻ってきたってことなのか・・
キワキワの現実サイドで逞しめの妄想を膨らませることもできるのですが、その“現実”にしたところで極めて寓意的で、修辞や比喩表現なのか本当の出来事なのかさえ曖昧模糊としたまま展開していくありさま。
拠りどころのなさが見せる幻影なのか、フランクの視点で捉えられているのは物理的現実を自由に出入りする相当な超感覚的現実なのだけど、フランクと読者の間に思考や感情のズレがさほどないためか意外にも読みやすく、興趣が最後まで全く途切れませんでした。
どこでもなくて、どこでもありそうな。 大聖堂広場があって、港があって、市場があって、工場があって、美術館があって、様々な居住地区があって・・ 歴史の蓄積だけが醸し出せる文化風土の香気をまとった西洋の古都を想わせる“都市”。 その全容は、何というか、読者が作中の現実やら物語やらを組み合わせながら肉づけしていくカスタマイズ性があるというと変なんだけど、イメージの蔓が交錯し繁茂する混沌とした“都市”は、画一化された視点で捉えることはできず、“都市”を語る者の数だけ“都市”は存在するし、真実とは誰かにとっての真実でしかないのだと思わせられる。 それと同時に、昔話が人々の心の象徴であるように、連綿とした命の営みの欠片を写しとった語りはそれ自体、不思議な普遍性を有してもいるのです。
月との親密性や煌めく詩情は「絵のない絵本」を、荒唐無稽でとんちんかんな理不尽さは「不思議の国のアリス」を、何となくなのだけど想起させられたり。
新体制になっても依然、透明な壁は存在し。 ラストはそこはかとなく厭世的な雰囲気を帯びて、 酩酊した男の束の間の現実逃避に付き合っていただけなのか? いやいや物語の結果が酩酊なわけだから・・と、何とも悩ましい円環にはまり込み、いなされてしまうのです。
都市の中にフランクがいるのか、フランクの中に都市があるのか・・ 幻惑の渦に身を委ね、朧々たるメランコリックな想念とともに漂泊する・・ そんな遣る瀬ない余韻が美味。
文学作品の装画を手掛けるというスティーヴン・アルコーンによる影絵のような切り絵のような版画は、嬉しいことにアメリカ版原本がそのまま使われてるようです。
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サム・ホーソーンの事件簿 6 / エドワード・D・ホック
サム・ホーソーンの事件簿 6
エドワード D ホック
東京創元社 2009-11
(文庫)


[木村二郎 訳] シリーズ最終巻。 これで全72篇、読み尽くしてしまいました。 どんな風に幕引きをするつもりだったのか、そんな予定があったのかなかったのかもわかりませんが、大外枠としては、“過ぎし日のミステリ黄金期を懐かしむ”という居ずまいが感じられるシリーズでもあったので、このフィニッシュは巧まずして鮮やかと言えるかもしれない。 ホックはまだ書く気でいたのに・・と思うと寂しいのは大大大前提なんですけどね。
1941年春から1944年秋まで。 最後の12篇には第二次大戦直前から末期までの、ほぼ戦時下の背景が織り込まれた格好です。 銃後活動としての戦争債権募集イベントや屑鉄回収運動、若者たちの徴兵などが、実際、ストーリーと絡めて描かれていたりもします。 特に初期は先の見えない重苦しさが暗い影を落としていますが、戦況が好転していくに連れて、徐々に黒雲が晴れるように明るい空気が勝っていく様子など、ニューイングランドの小さな町に暮らす庶民の心境が、それとなくしみじみと伝わってきます。
人口が増え、機械の普及が生活や仕事の様式を劇的に変え、医学や犯罪捜査が進歩し、一巻目、サム先生が赴任したばかりの1920年代前半とは大きく様変わりしたノースモント。 高級なステーキハウスや宝石店もできました。
サム先生史的には、隣町シン・コーナーズとの町境に動物病院を開業した女性獣医アナベルとの結婚、娘サマンサの誕生という大イベントが用意されています。
レンズ保安官は7期目にして最後の保安官選挙に出馬しますが、対立候補の選挙参謀が殺害され、容疑をかけられることになり、これがなかなかの窮地。
サム先生が鹿撃ち帽にインバネスケープ、パイプに虫眼鏡のホームズ・コスチュームを披露するシーンも一興。 そういえばサム先生、前巻でひょんな成り行きから仔猫のワトスンを飼うことにならなかったっけか? あれれ?まぁいいや。
全盛期に比べるとトリック自体のレベルダウンは否めないのですが、味つけの仕方で充分に読ませる作品が多いですね。 「黒修道院の謎」は摘発できない犯罪もので、心理的アプローチが見事でした。
「巨大ノスリの謎」はメインの事件よりもなぜ棺の中身が違ったのかの真相に惹かれました。 サマンサ誕生回の「自殺者が好む別荘の謎」は、サスペンスタッチな展開とラストのコメディ&ハートフル感が特別な一篇。 最終篇の「秘密の患者の謎」は、とある実在人物の歴史秘話ものとしてキラリと光る作品です。 「羊飼いの指輪の謎」がトリックのクオリティも含め、一番の仕上がりだったように思いました。
それにしても、ノースモントの町は最後まで驚異の不可能犯罪発生率を維持し続けてくれましたね^^ 呑んべえの法螺吹き爺さんに聞き手は一杯食わされてるんじゃないのか疑惑も同時に薄っすらと醸し出されている辺りが、また楽しかったんだよね。 若き日の武勇伝(?)を披露するサム老人は、寂しいやもめ暮らしなんじゃないかと半ば勘ぐってたのですが、そうじゃなかったー!っていうトリビアが挿入されててなによりホッとしたっ♪
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コドモノセカイ / アンソロジー
コドモノセカイ
アンソロジー
出版社 2015-10
(単行本)


[岸本佐知子 編訳] 主に英米現代作家の“子供にまつわる短篇”を集めたアンソロジー。 イスラエル作家のケレットのみヘブライ語→英語からの重訳とのこと。 これまで岸本さんの紹介で何篇か触れたことのある作家さんもチラほら。 本編とあとがき情報で、また更に読みたい作家&作品が増えてしまった。
岸本印なので変てこな子供ばかり登場するのだが、彼ら彼女らが映し出す奇異な世界には、確実にリアルに繋がる回路があって。 まだ分析を知らず“辛い”が“怖い”と直結していた感覚や、通念を知らず渦巻く謎のように思えたあれこれ。 無秩序で不条理で未分化だった頃の、切実なのに整合性あるかたちに変換できない心象が、様々なタッチで浮き彫りにされていたと思う。
外向き、内向きとベクトルは反対なんだけど、自分にしか見えない敵と戦っている「追跡」や、自分の中にうとましい異物を感じる「弟」あたり、ひりつく痛みが鮮烈だった。 やはりとても孤独なのだけど、宇宙からの侵略者に怯える「まじない」には、なにかキュンとするような可愛らしさが漂っていたような。 同じく父と息子の隔たりをアイロニカルに描いた「ブタを割る」も、瑞々しい情感を滲ませる一篇。
「最終果実」のみ既読で、これが一番好きな作品だった。 再読して完全に愛着が湧いてしまった。 アリゾナの町が舞台なのだけど、ロシア(スラヴ)民話のババ・ヤガー伝説が下敷きにあるせいか、御伽話のようにビビットな映像を結び、異国への好奇と憧れがそこはかとなく感じられて。 甘苦しいような気持ちを呼び覚まされる初恋の物語。
あと「トンネル」の不気味なインパクトが忘れ難い。 説明がなさ過ぎて怖い。 いかようにも解釈を膨らませたくなる隠喩の化け物みたいな一篇。 読後しばらく悩ましさを持て余してしまった。
「王様ネズミ」や「ポノたち」や「薬の用法」は追懐調の作品で、子供時代の内省の部分に現在の大人の思いが混在しているので入り込み易い。 特に「薬の用法」は、残酷で滑稽で物悲しい“禁じられた遊び”の映像が脳裏に暗くきらめくのだった。 無為で無用な振舞いが、避けては通れなかった子供時代の碑だったことを想い、遠い痛みを手繰り寄せたくなる衝動に突き動かされる。
ほとんどが掌編の中にあって、掉尾を飾る「七人の司書の館」は、読み応えある長さと、由緒正しい物語小説の体裁を備えていて、安穏な気持ちでランディングさせてもらったように思う。 忘れられ、取り残されて、森に閉ざされた古色蒼然たる図書館を舞台に、子供の成長の道筋を辿るストーリーが密やかな夢のように紡がれていて、図書館ラヴァーにはご褒美みたいな佳篇。

収録作品
まじない / リッキー・デュコーネイ
王様ネズミ / カレン・ジョイ・ファウラー
子供 / アリ・スミス
ブタを割る / エトガル・ケレット
ポノたち / ピーター・マインキー
弟 / ステイシー・レヴィーン
最終果実 / レイ・ヴクサヴィッチ
トンネル / ベン・ルーリー
追跡 / ジョイス・キャロル・オーツ
靴 / エトガル・ケレット
薬の用法 / ジョー・メノ
七人の司書の館 / エレン・クレイジャズ
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ナイン・テイラーズ / ドロシー・L・セイヤーズ
ナイン・テイラーズ
−乱歩が選ぶ黄金時代ミステリー BEST10 −

ドロシー L セイヤーズ
集英社 1999-04
(文庫)


[門野集 訳][副題:乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10] 登場人物一覧の長さと馴染みのない鳴鐘法とやらの衒学チックな難解さを前に、のっけから挫折しそうになったのだけど、勇気を出して読んでよかった。 芳醇な世界観を満喫できました。
ちなみにタイトルの“ナイン・テイラーズ”とは、死者を送る弔いの鐘の意。 このワードは物語のためのセイヤーズの創作なのか、一般的な用語なのか・・ そこがこんがらがってしまった(泣)
セイヤーズは、ディレッタントな貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿を創出した作家。 本作はそのウィムジイ卿シリーズの9作目に当たる長篇作品。
舞台はイギリス東部の小村。 低地に平野が広がるフェン(フェンズ)と呼ばれる沼沢地帯は、長い長い開拓の歴史を刻む水郷です。 個人的に大好きな舞台。 水路から立ちのぼる湿った空気の揺曳が印象的だったジム・ケリーの「水時計」にインスピレーションを与えた作品とのことで、いつか読んでみたいと思っていました。
1930年代のこの地方の風土、農村の牧歌的な生活が洒脱な筆で活写され、みるみる引き込まれました。 クリスティーもそうですが、類型的な人物の造形描写にウィットが溢れています。 そんな村の住人たちの個性をいっそう際立たせるためでしょうか、ウィムジイ卿はかなり没個性だった気が。
様々な謎が綾を成し、人々の思惑や衝動や時代の事情が連鎖して、ミステリが織り上げられていきますが、まだまだ精神的にも実質的にもコミュニティの支柱であった教会の佇まい、その敬虔さや揺るぎなさ、神秘性や畏怖性が物語の精髄だったと言っても過言ではありません。
終盤近くまで陽気な謎解きミステリの顔を振りまいておきながら、ラストで積み上げてきたものを瓦解させてしまうと言ったら言い過ぎでしょうか。 探偵小説愛好家には少々肩透かしと映る向きもあるかもしれません。 触れ込みの“奇抜なトリック”とはこういうことなのか・・と。 しかし真相から浮かび上がる象徴性は、これ以上ないほどに物語を成就させています。
解説によれば、このような構想は意図的であり、セイヤーズの意識は後期になるにつれ、“クロスワードパズルから風俗小説へ”とシフトしていくのだそうです。
中世から現代へ連綿と時を重ねながら、教会の鐘楼が西洋の人々の深層心理に如何に溶け込んできたのか、どのような集団的無意識を形づくってきたのか、とても理解することなどできないけれど、各々に来歴を有し、名を持ち、銘を刻む鐘たちの生身のような響き、人々の暮らしとともにあり続けた先の理を超えた奥行きに想いを巡らす機会になりました。
トレブル(最高音鐘)からテナー(最低音鐘)まで、一つの鐘を一人の鳴らし手が受け持ち、一揃いの鐘をある一定の規則に基づいて順番を変えながら鳴らしていく転座鳴鐘法(巻末に解説あり!)がギミックとなって全編を彩っています。

<付記>
転座鳴鐘法(転座鳴鐘術)による奏鳴の動画を見つけ拝聴しました。 ことに数学的法則による制約が厳しく、音楽的要素が薄いという本場イギリスの転座鳴鐘法は、何か宇宙の神秘めいたものを想起させ、少し怖かったです。 いや、本作の影響が大きいだけなのかも。 作中場面がフラッシュバックし、重なり合い、ゾクゾクと鳥肌が止まらなくなってしまいました。
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血染めのエッグ・コージイ事件 / ジェームズ・アンダースン
血染めのエッグ・コージイ事件
ジェームズ アンダースン
扶桑社 2006-09
(文庫)
★★

[宇野利泰 訳] 欧米における“ネオ本格”の潮流に乗って1975年に上梓され、脚光を浴びた作品。 本格ミステリ黄金期の1930年代英国を舞台にした時代ミステリです。 長い熟成を経て、黄金期の本格ミステリが古臭い遺物からビンテージへと変容した時期の機運を捉え、的確に体現しているかのようなシンボリックな作品。
舞台となるのは第二次大戦前のヒトラー台頭期。 人里離れた貴族のゲストハウスが密かな国際外交の場として利用され、華やかなパーティーに紛れて密談が交わされた・・という、当時の事情を彷彿とさせる(?)設定が採用されています。
バーフォード卿が所有する田園地帯の閑寂として壮麗な荘園屋敷“オールダリー荘”には、中欧のとある公国の特使、イギリス政府の閣僚、銃マニアのアメリカ人大富豪、海軍を退官した物書き、放蕩貴族の青年、フランスの麗しい男爵夫人、没落貴族の娘・・といった多様な顔ぶれが集い、社交風景が展開されます。
そしてついに嵐の晩、失踪事件、盗難事件とともに登場人物一同が容疑者となる殺人事件が起こり、名探偵が登場し、混迷を極める事態を収拾し、みなを集めて真犯人を指摘します。 そんな王道中の王道パターンを斜に構えることなく愛情たっぷりに真正面からやってのけた清々しさ溢れる快作なのです。
雷鳴轟く真っ暗なお屋敷の中、滞在者がそれぞれの思惑で右往左往する状況は、まるで歌舞伎の“だんまり”を連想したくなるような外連味を有していて楽しい。 深夜に勃発したスラップスティック劇さながらのもつれたコンテクストの、その糸を一本一本取り外すように、客人たちの中に潜り込んだ怪しげな輩(国家の諜報局員、フリーランスのスパイ、天下の宝石泥棒など・・)を、誰が誰やら的などんでん返しの連続で暴いていき、殺人犯という最後の一本の糸を手繰り寄せる怒涛の終盤は技巧の醍醐味でした。
銃器室に飾られたロマノフ王家ゆかりの高価な拳銃、中世の伝奇物語張りの秘密通路、キッチンの食器棚の引き出しに一揃い仕舞われたエッグ・コージイ(茹で卵覆い)、食卓につくのは不吉な十三人、忠実な老執事、名刺を置いていく怪盗の出没・・ 古雅なお屋敷内の大振りな舞台美術も然ることながら、地元の刑事ウィルキンズという探偵役の、まるでポアロの模造品といった風態にニヤッとなります。
しかもその中身はというと、自信の無さを自認する冴えないキャラの真逆タイプw “最近のイギリスの上流階級では、この種の事件が何百と発生している”なんて言及があったりするし、現実というよりも本格ミステリ・ワンダーランドの出来事なんじゃないかな的な・・ 隠れメタの興趣をそこはかとなく滲ませてもいたり。 バカミス認定級の物理トリックがまたファンタスティック!
総じて登場人物は薄味なキャラ設定(与えられた役割に準じているというべきか・・)なのが特徴的で、ロマンスや復讐や陰謀や欲心など盛り込まれたドラマはウィットとして処理され、深刻さは皆無。 それらは推理小説の構図として練られた道具立てに過ぎません。 あくまでも推論を確証させていく道程を楽しみ、旺盛な遊び心を愛でるためのスマートでお洒落な夢のようなミステリなのです。 それでもヒロイン女性の逞しさがふとした印象とて淡く胸に残る読後感。
小山正氏による巻末解説の、“カントリーハウス・マーダー・ミステリ”を主軸に置いた本格ミステリ史概説がちょっとした保存版です。 本格ミステリ黄金期の1920年代から30年代頃には、カントリーハウスものが陸続と生み出されたそうですが、同時代を舞台にしていても必ずしも世相を反映していたわけではなく、凡そ十九世紀のカントリーハウス全盛期への郷愁に彩られていたんですねぇ。 その時点で既に。 わかっていそうでわかってなかった気がする。 黄金期ミステリの味わい方がまた少し広がった気分。
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