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物語の魔の物語 / アンソロジー
物語の魔の物語
−異形ミュージアム2 メタ怪談傑作選−

アンソロジー
徳間書店 2001-05
(文庫)


[副題:メタ怪談傑作選][井上雅彦 編] 物語そのものをモチーフとした物語であるメタフィクション志向の怪談を選りすぐった精華集。
メタフィクションの悪魔的なメカニズムについて触れた編者による解題も興味津々。 恐怖を排除する結果をもたらすと同時に、恐怖への防波堤をも撤去してしまうメタ怪談の自己言及的な特質を、“悪夢の中で、これが悪夢だと気がついても覚めることのできない状態”と喩えておられ、“現実が怪談を解体し批評する面白さと、怪談が現実を解体し批評する怕さ”と評しておられます。 確かに、被書空間と直に対面させられていることに気づいた時の、はっとするような得体の知れない感覚というのがメタフィクションを読む醍醐味なのだよなぁ。
しかしまぁホント、洒脱でレトリカルで、摩訶不思議な読後感を体験できる一筋縄ではいかない作品ばかりでした。 “魔の物語の魔”、“魔の物語の物語”、“物語の魔の魔”という三つのセクションに分かれていて、これだけで既にグルグルと頭が混乱してしまうのだけど、まず最初の二編が“語られるべき物語の中身が不明瞭な話”で、メインの九篇が“語るべき者と語られるべき物語の中身が干渉し合う話”で、最後の二篇が“語るべき者が不明瞭な話”といった三系統に分類されているのではと察せられます。
トップバッターの「牛の首」は、メタ怪談の金字塔だろうと思う。 既に半ば都市伝説化している節さえありそう。 とても怖いらしいが誰も内容を知らない『牛の首』という怪談話を巡る怪談なのだが、著者の創作が元祖なのか、著者が古い巷説を作品化したのかさえ、この先どんどん有耶無耶になってしまうんじゃないだろうか。 「死人茶屋」も同種の話なのだが、こちらの元ネタは正真正銘かつて存在した上方落語の演目らしい。 継承者がいなくなり、タイトルだけは記録に残っているが噺の中身は失われてしまった演目の一つだという。 タイトルの不気味さも手伝ってか、この噺を演じると怪現象が起こり、あまりの怖さに誰も演じたがらなくなったという都市伝説が実しやかに流布しているらしく、本篇はその認識を踏まえたSF作品で、禁断のコマンド的な薄ら寒さが結構好き。
人の好奇心によって育っていく“生きている怪談”系の話として「牛の首」や「死人茶屋」と同類なのだけど、中身のみ伝承されて作者がわからないという逆タイプなのが「何度も雪の中に埋めた死体の話」。 一番のお気に入りかも。 読みながら自分もどっかで聞いた話だぞと思って、“見えざる語りべが人々の夢の中で伝えていく異次元のフォークロアではないだろうか”の心境を共有しながらゾワゾワさせてもらったのだけど、初出の「奇譚草子」を既読だったという(笑) 物語が秘める魔性について語るエッセイと読むべきか、そういう体裁を採用して書いた確信犯的な物語と読むべきか、見分けのつけようがないところが小面憎いのです。
怖さというより、ショートショートとしてのウィットを愉しんだのが「ある日突然」や「残されていた文字」。 「殺人者さま」も巧いなぁと唸りました。 「読者が犯人」と銘打ったミステリを何冊か読んだことがあるけれど、本篇を越える効果はないと思えるくらい、その一点における鮮やかさは究極的です。
あと好きだったのが「丸窓の女」。 モダン情緒と底の見えないハイブローなヤバさの余韻がいい。 この「丸窓の女」や、ある種寓話的で諷刺的とも取れる 「鈴木と河越の話」は、語る者と語られる者の関係性をドッペルゲンガー的に描いたサイコチックな趣きです。 「五十間川」は「登場人物と作者が入れ替わる」趣向にチャレンジした非常に実験的な作品ですが、円環を成す構造や内在する批評性の観点からも「怪奇小説という題名の怪奇小説」を連想しました。 作中作として埋め込まれた百けん調の掌篇の、一篇一篇もその集合的雰囲気も美味。 美味といえば昭和初期風怪奇小説の小暗いロマン香る「猟奇者ふたたび」もまた、それ自体が怪奇小説への批評性をそなえた作品。
本編は二冊しか出てない異形ミュージアム叢書の一冊なのですが、もうこれで打ち止めなのかな。 シリーズ名には、既存の銘篇を陳列したコレクション空間としての“博物館”的意味合いと、虚構の遊戯芸術に値する絵のない騙し絵を収めた言葉の“美術館”的意味合いという二重の編集意図が込められているそうです。 因みにもう一冊の方は時間怪談傑作選。 そちらも読んでみたくなりました。

収録作品
【魔の物語の魔】
牛の首 / 小松左京
死人茶屋 / 堀晃
【魔の物語の物語】
ある日突然 / 赤松秀昭
猟奇者ふたたび / 倉阪鬼一郎
丸窓の女 / 三浦衣良
残されていた文字 / 井上雅彦
セニスィエンタの家 / 岸田今日子
五十間川 / 都筑道夫
海賊船長 / 田中文雄
鈴木と河越の話 / 横溝正史
殺人者さま / 星新一
【物語の魔の魔】
何度も雪の中に埋めた死体の話 / 夢枕獏
海が呑む〈1〉 / 花輪莞爾
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グリム童話より怖い マザーグースって残酷 / 藤野紀男
グリム童話より怖い マザーグースって残酷
藤野 紀男
二見書房 1999-05
(文庫)


残酷童話ブームの継承本で、マザーグースの特色としてしばしば言及される“残酷さ”にスポットを当て、その一面的な闇の世界を案内する知的エッセイ。 興味を持てる刺激的なところをさらっと掬った入門編という趣き。 自分はビギナーなので得るものが多かったですが、もっと幅広く収められていたり、もっと奥深く考察されている本への、更なるステップアップのための足掛かりに適してるかなと思います。 マザーグース関連の原書から味のあるイラストが数多く採られているのが嬉しい。
聖書、シェークスピアと並んで引用の宝庫といわれるマザーグース。 “唄”は生きた伝達手段であり、その担い手の主体が子供であったため、体裁よく整えようとする大人の手を免れ、童話以上に豊かな残酷性や支離滅裂さを残したまま伝承されたという経緯があったようです。
民俗的な風土を培う伝説や史実の水脈が、他愛なげな唄の底に静かに流れ、人の本性や社会の実相を痛切に射抜いていたりするからドキッとします。 詩独特の短いセンテンスが持つストレートな力強さや単純さ、意味を超越しどこまでもナンセンスにシュールに謎めく抽象性は、改めて接してみてやはり魅惑的でした。
何度も壊れ何度も架け替えられた歴史の裏に密かに囁かれてきた人柱伝説が「ロンドン橋落ちた」には暗示的に唄い込まれているとする解釈(これは割と有名?)や、「リング・リング・ローゼィーズ」にはペストの惨状が織り込まれているとする根強い風説や・・ いかようにも人の心を捉えてしまう稀有なイメージの源泉でもあるのだよねぇ。
可愛らしさから一転するラストの唐突さにゾワッとさせられる「オレンジとレモン」はお気に入りなのだけど、見せ物として公開されていた斬首刑の、その執行の合図が鐘の音であり、借金を返せないほどの罪で死刑にされかねなかった時代の不条理感が滲んでいるのかもしれないと、想像を掻き立てられてしまいます。
そうは言っても、中には忘れ去りたいに違いない奇習、蛮習の類いをあっけらかんと披露しちゃってる唄なんかもあるわけで、後々になって大人が意図的に詩句を変えようとしたであろうヴァージョンが混在してるのも宜なるかな。
二十世紀初めごろまで黙認するかたちで継続されていたという“妻売り”に言及する唄の詩句が、“妻を買いに”から“妻を貰いに”にトーンダウンしてたり、犬の動物裁判に言及する唄の詩句が、“絞首刑”から“鞭打ち刑”に減刑されてたり^^
“私”目線が不気味で印象深い「おかあさんが私を殺した」は、グリムの「ねずの木の話」をはじめ、イギリスの民話にも類型的モチーフ(私を母親が殺し、父親が食べ、兄弟姉妹が骨を拾ったり埋めたりする話型)が散見されるらしく、似た詩句が徐々にまとまって独立し、マザーグースに加えられたと考えられているそうです。 「フェヒ ホ フン」も「ジャックと豆の木」や「巨人退治のジャック」に出てくる類型フレーズを抽出したイギリス民話出身の食人モチーフの唄。
曜日唄の「イズリントンのトムさん」は、妻を亡くして悲しむバージョンと、妻を亡くして喜ぶバージョンと、妻を殺して喜ぶバージョンと、いろんなバリエーションがあって面白いのだけど、最後には絞首刑にされてしまう続編(後日談?)のような更なる曜日唄があるのも面白い。
宴席での余興(切ったパイの中から小鳥が飛び出すというパフォーマンス)のために、その昔、生きた小鳥を封じ込めたパイが作られていたらしきことが想像される「六ペンスの唄」は、パイが出てくる唄の中でもっとも親しまれているという。 実在するレシピとか眉唾なんだけど本当なのかなぁ? 得てして焼き上げてからこっそり入れてたとみたよ 笑;; ちがう?
スコットランド民話の「小鳥の話」には、母親が小さな娘を殺し、パイの中に入れて焼き、父親に食べさせる場面があるらしく、スウィーニー・トッド伝説にも連なるパイの中に焼き込む系の話型の一種であると同時に「おかあさんが私を殺した」型のヴァリエーションっぽくもあるね。
天上の清らかさではなくて地上の穢れをサバサバと唄っている凄みがあって、その明け透けな無邪気さが怖い「骨と皮ばかりの女がいた」や、自分の死体の整理整頓もできないのかとバラバラ死体にダメ出ししてる扱いぶりが妙に笑ってしまう「だらしない男がいた」や、実際の事件との絡みではリジー・ボーデンやガイ・フォークス・デーの唄などもざっくばらんに紐解かれています。
人気ベストテンの常連らしい「ジャックとジル」は、石切り場の丘で逢い引きしていた若い恋人たちを見舞った十五世紀の悲劇伝説を下敷きにしているという言い伝えがあるそうです。
ミステリーやサスペンスやホラー作品との相性の良さがクローズアップされており、マザーグースを用いた様々な作品が紹介されている中に、P・L・ハートリーの「遠い国からの訪問者」(私が読んだのは「豪州からの客」)を見つけて小躍り。 「木の実拾い」の遊戯唄(日本の“花いちもんめ”に近い遊び唄)が、異様な恐怖を喚起する佳篇で大好きな作品なのだけど、仕組まれたマザーグース効果の全てを味わい尽くせてなかった気がしてきて、今、再読したくて堪りません。
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