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謎のあの店 1 / 松本英子
謎のあの店
松本 英子
朝日新聞出版 2012-08
(単行本)


近寄りがたい空気、来るものを選ぶディープな気配を発散させている“怪しい店”二十軒の敷居をまたいで、その謎めく佇まいの内側をレポートする実録コミックエッセイ。 東京下町の街角や路地裏や古い商店街を中心に、時には銀座界隈や温泉地や地方の田舎町などを交えつつの、昭和レトロ趣味満載なテイスティングに大変興をそそられました。 的確な観察眼で細大漏らさず描写された店の内観や街の景観を舐めるように観賞しつつ、ひと時のノスタルジックなトリップ感に浸り、上々の気分です。
柳原商店街、立石仲見世、浅草観音温泉、銀座青汁スタンド、立岩バーガー、ドイツビアレストラン・ゲルマニア、鷹匠茶屋、鉄オタの集う立ち呑みバー・キハなど、有名スポットの通な楽しみ方系や、噂に名高いマニアックな店への潜入系も面白くないわけじゃないんだけど、そういった世間の興味に応えるリサーチ趣向よりも、追憶と分かち難く結びついた超プライベート領域の、特別な私だけの感溢れる名も無き(比喩です)店に積年の思いを成就させるべく、意を決して踏み入る生活圏内に密着した話の方が好みでした。
そこだけ時が止まっているかのような・・ 営業しているのかさえ定かでないほど鄙びた外観。 しかし醸し出す雰囲気がなぜか気になって仕方ない店のあれこれ。 そういう店っていざ入ってみたら不思議のヴェールがすっかり剥ぎ取られて、拍子抜けするくらいどーってことなかったり、残念感よりの気持ちに押し寄せられるのが関の山だったりするものなのだけど、そんなところもひっくるめて素敵なのだ。 というのは、行動によって得たどんな結果も楽しんでしまおうとする著者の心意気が、この本の隅々にまで行き渡っているからに違いなく、白茶けた感慨が一つの“物語”になってしまうだけの強度を有し、そこに捨てがたい風情が生まれているからに他ならず。 店主さんとの束の間のとるに足りない交感が淡くて濃密で。 ほっこりと、しっぽりと、きゅんと、クスクスっとさせてもらったり。 自分の記憶を引っ張り出して二、三軒の店を思い浮かべずにはいられなくなるんじゃないかな。 今はもうない懐かしいあの店やこの店までも・・
ケーキ屋、美容室、占い屋、レストラン、旅館、小料理屋、ラーメン屋辺りの回がマイベスト。 特にお気に入りは「あのレストラン」。 上質な掌篇のように読ませる作品で、甘やかな痛みにまだ心が疼いています。
しかしほんと、松本英子さんは男前なチャレンジャーですわ^^; 自分なんかそもそも行動派じゃないし、どうしようもないビビリだから絶対ムリで、一回きりの人生、どんだけ損してるんかなぁーって、こういう無駄な情熱(の満喫っぷり)に触れると遣る瀬ない憧憬と嫉妬で身悶えしてしまいます。 この二十軒の中で自分がなんとか入れそうな気がしないでもないのは青汁屋と喫茶店くらいか;; 一人となるとどちらもムリかもわからん。
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10の奇妙な話 / ミック・ジャクソン
10の奇妙な話
ミック ジャクソン
東京創元社 2016-02
(単行本)
★★

[田内志文 訳][デイヴィッド・ロバーツ 挿絵] 現代イギリス人作家による2005年刊行の短篇集。 原題は「Ten Sorry Tales」だそうで、まさに“奇妙”と“sorry”が表裏を成すが如き小品が並んでいます。
舞台となっているのはロンドンだったりウェールズだったり、間違いなくイギリスのどこかであり、おそらくは現代(少なくとも戦後)なはずなのに、なんともヴィクトリア朝風の古色をまとっていて、御伽噺と類縁関係の強い慣れ親しんだ素朴さを際立たせているのが特徴的。 イギリスの伝統風土に身を置くような、旧世界の残像を感じさせるアナクロニックな雰囲気が好きです。
悪人ではないのだけど共感力がない人たちの犇めく“世界”から孤立してしまう主人公たち。 往々にして因果が作用しているため不条理な印象は薄く、ロマン掻き鳴らす荒唐無稽でファンタスティックな展開の、その内部に反響し木霊する悲哀や痛みに寄り添える余地があります。 意識下に抑え込んでいた渦まく感情が閾値を超えた刹那、ある“境界”に立たされている主人公たちの心の在りようが描かれており、作品の核にヒューマニストとしての視点があるのは確かなのだけど、洒脱さで覆い尽くし、屋台骨をおいそれとは露呈させません。 優れた悲劇はその喜劇性に支えられているという一つの真実を、こよなく理解している作家だと思います。
道徳律の枠内を逸脱するもの、しないもの、魔法的事象が出来するもの、しないもの、こちら側の秩序へ回帰するもの、しないもの・・ コンセプト志向の作品集ですが、ヴァリエーション豊かでそれぞれに温度差があって飽きが来ません。 もっと読んでいたかったなぁ。
「ピアース姉妹」がマイベスト。 山姥ならぬ海姥伝説、あるいは青ひげ伝説風モチーフを継承したシンプルな筋書きなのだけど、平凡な日常を狂気へと反転させてしまう“境界”が最も鮮烈で。 この「ピアース姉妹(The Pearce Sisters)」は、アニメーションでの映像化作品をネットで観ることができたのですが、そちらも素晴らしい。 大絶賛したい。 原作の上質さを損なわないまま、視覚効果によって本来の笑いと悲しみがよりシャープに表現されています。 なんだか原作の意図を再確認させてもらえた気がします。
ランタンを下げたボートが点々と音もなく漂う地下湖の映像美が、半永久的に忘れられそうにない「地下をゆく舟」と、悪趣味ギリギリのイギリス的ユーモアにとどまらず、落語張りの落とし話になっていてテンション跳ね上がってしまった「川を渡る」もお気に入り。 憎々しくてふてぶてしい老馬とのマジ勝負(笑)な物語「ボタン泥棒」もチャーミングで好きでした。
ちなみに、古物店や博物館や秘薬秘法モチーフが魅惑的な「蝶の修理屋(The Lepidoctor)」も映像化されているのですが、こちらは実写版。 幾分か脚色されてて、めっちゃいい話になってた。 これはこれで全然悪くない。 「もはや跡形もなく」は西洋の民話世界における“森”の寓意を見事に体現していたと思いました。 「眠れる少年」も非常に寓意的。 自分の人生の漠とした心許なさと共鳴してしまう作品。 この両者が醸し出す“大人になる”と“大人になれない”の暗示的コントラストが印象深いです。
モンタギューおじさんの怖い話」と同じデイヴィッド・ロバーツが挿絵を描いてます。 ティーンズから大人まで楽しめる系でゾゾっと怖くてクラシカルな雰囲気で・・的な持ち味の小説と相性いい絵だよねぇ。 ティム・バートンぽくてゴーリーぽくて大好きなのだ。 表紙では各短篇の主人公たちがお揃いで記念撮影しちゃってます^^ セピアトーンがまた素敵。 裏表紙はジャック坊やかな・・?
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ゴースト・ハント / H・R・ウェイクフィールド
ゴースト・ハント
H R ウェイクフィールド
東京創元社 2012-06
(文庫)
★★★

[鈴木克昌 他訳] 1996年に国書刊行会から刊行された短篇集「赤い館」の増補版で、十八篇を集成した決定版というべき傑作選集。
M・R・ジェイムズ流のゴースト・ストーリー作法を受け継ぎ、その小説形態を現代的な一つの完成の域に高めた“最後の正統派英国怪奇作家”と位置づけられるウェイクフィールドですが、二十世紀半ばから後半には長らく“忘れられた作家”状態にあったといいます。 そのころから平井呈一氏は、“恐怖・怪奇の孤塁を敢然と守り続けている現代作家”と、高く評価し、繰り返し言及していたらしい。 まさに目利きの面目躍如ですね。
今なお玄人ファンやマニアに根強く愛されるのも宜なるかなと頷けてしまう神秘霊妙なる佳篇が揃っています。 名手が極めたシックでモダンな様式美の、咽せるような芳香とシルキーな肌触り。 視野の縁の暗い影が隠微に蠢くような・・ 薄霧のまといつく嫋嫋たるゴシック調の怪異と狂気のアトモスフィアを味わい尽くせたと思います。
関わり合いにならない以外に決して避けられない災厄、得体の知れない“何か”に対する本能的な畏れ、魅入られずにはいられない魔性、汎神主義的概念、連綿と引き継がれた名づけ難い恐怖の感覚・・ そんなエッセンスが濃縮されています。
人を不安に陥れる過去からの反響音を発し、余所者を疎外する不吉で謎めいた建物、山、谷、庭、湖、畑など、忌避される場としての“魔所”、特にチューダー朝様式やエリザベス朝様式、アン王女時代風やジョージ王朝風といった古い瀟洒な館に塗り込められ、秘められた暗澹たる邪悪な記憶を扱う幽霊屋敷ものが多数。
概ね発行年代順に並べられているとのこと。 ウェイクフィールドが実際に訪れたことがあるという邸で自らが遭遇した幽霊体験をもとに書き上げたという最初の小説「赤い館」が筆頭に配置されており、これが凄く好きでした。 反復し輻輳するイメージのコラージュ、その幻視的ヴィジョンの錯綜感には“本物”の怖さがあり、複眼的で分裂的で。 恐怖も然ることながら極上の幻想小説といった香しさがひとしお。
「目隠し遊び」や「ゴースト・ハント」のエレガントな軽妙さは言うに及ばす、個人的にはチェスをモチーフにした「ポーナル教授の見損じ」や、演劇をモチーフにした「中心人物」の(やや毛色の違う?)ディープな熱病感も美味でした。 「“彼の者現れて後去るべし”」や「暗黒の場所」は、悪霊退治的で日本風には陰陽師ストーリーを連想させるものがあるのですが、“鬼も人、人も鬼”的な概念は介在せず、破壊的な力をふるう幽霊(天国に行けずに彷徨う死者)は完膚なきまでに暗黒面に堕ちた悪魔であり、正邪の曖昧さがないのが古式ゆかしい西洋の幽霊観だなぁと、そんなことを思わされたり。 実体のない脅威なるものと生者との間に因果や抒情の余地がない(もしくは希薄)なのも日本の怪談と比較できる点です。
ウェイクフィールドは最後まで幽霊の存在を信じる者の立場から執筆を続け、“科学がゴースト・ストーリーの機能を奪い、陳腐なものにしてしまった”という決別の辞を残して筆を折ったといいます。 生前最後の短篇集からピックアップされている終盤の四、五篇は格別なものがありました。 鈴木克昌さんがあとがきで“ゴースト・ストーリーにかける老作家の情念の残り火のよう”と形容しておられる通り、科学の徒への昏い挑発を孕むような・・ 何かもう、万感の風情が漲り、密度の濃い読み応えでした。
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グルブ消息不明 / エドゥアルド・メンドサ
グルブ消息不明
−はじめて出逢う世界のおはなし スペイン編−

エドゥアルド メンドサ
東宣出版 2015-07
(単行本)


[柳原孝敦 訳] 2015年にフランツ・カフカ賞を受賞した著者は、ラテン文学ブームの後継者というべきポストブーム世代を代表するスペイン人作家だそうです。 本篇は1990年8月に新聞連載された小説。 メンドサ自身は、掲載されるごとに読み捨てられるのが当然という認識で書いていて、本にしようという気なぞさらさらなかったらしいのだけど、結果的に彼の著作の中でもっとも読まれ愛されている作品になっているというのだから面白い。
“ある特定の地方で、特殊で二度と繰り返されることはないし、他の場所に移して考えることもできないような時期に起こった突飛な出来事”を描いているから・・というのが、読み継がれるには不向きと思った一因らしいのだけど、むしろ他でもないその特異性が、何か途轍もなく輝いてる感じ。 それに、単行本化の際に提案された大幅な加筆修正を承諾しなかったからこそ、この即興文学(?)とでも言いたくなるような稀有な奔放さが生き残ったんだなぁーという感慨が湧いてならない。
地球滞在の任務を遂行するため、バルセロナにやってきた肉体を持たない純粋知性の宇宙人2人組。 部下のグルブがマルタ・サンチェス(当時のスペインポップス界を代表する歌手だそうで、お色気のシンボルのような女性っぽい)の姿を借りたまま着陸早々行方不明になってしまい(そりゃ人生楽しかろうて・・)、捜索に乗り出したボスの“私”が綴る日誌のような体裁のバルセロナ滞在記というか漫遊記というか。
オリンピックを2年後に控え、都市整備による目まぐるしい変化の只中にあった活気や混沌が、よそ者たる宇宙人の客観的視線で巧みに捉えられていて、ウィットや皮肉やユーモアや風刺が利きに利きまくった遊び心旺盛な筆致。 でありながら、なぜか自然に醸されてしまう寄る辺なき抒情が沁みたりもして・・
日々、グルブを捜しに街区をうろつく“私”が、その時々の状況判断や気分に応じて外観を取っ替え引っ替えしながら目立たないよう(言わせてもらえば悪目立ちw)立ち回ろうとするも、たまさか繰り広げてしまう地元民たちとのチグハグな交わりには、微異次元的ナンセンスと目から鱗の誇張法とのリミックス作用のごとき“当たり前”を揺るがす擽りが一杯。
しかしまぁ、モル・デ・ラ・フスタの屋台で一暴れして警察に連行されてしまったり、オスピタレットの流行りのバルで飲んではしゃいでつまみ出されてしまったり、なかなかにラテン系入ってる宇宙人なのだw 大好物はチュロスだし。ふふ。 夜はパジャマに着替え、歯磨き、読書タイム、お祈りが日課。 時々胃薬。 馴染めてるのか馴染めてないのか・・ 狙い澄まして誤手を打ってる訳じゃない真剣切実な迷走スパイラルは一つの芸の域に達しているかのよう。
バルセロナの社会風土を描くためにSFのガジェットを借用している点で、ジャンル小説としてのSFとは一味も二味も違います。 そもそも、ここまで大胆不敵なブレブレ設定をものともせずに突き進むSFなんてありません^^; 細かいことは気にせずに読み進もうの精神で、アクロバットな叙述をええぃままよ!とばかりにぐいっと呑み干すのが美味しい味わい方だろうと思います。
ここぞという状況で多用される、畳み掛けるような繰り返しのリズムが特徴的で、何より本作のチャームポイントであり、ツボりどころでもあるのだけど、これ、当時使い始めたワープロの文字複製機能に触発された試みだったんだって。 詩と文明の粋なコラボだなぁ。
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