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いちばんここに似合う人 / ミランダ・ジュライ
[岸本佐知子 訳] 岸本訳の本は今まで相性よくって結構な信者になってたんですが、この短篇集はどうも・・う〜ん;;合わんかった;;; というか、正直、読み方がよくわからんかったに近いかも。 どう? わたしの感性すごいでしょ? って、鼻をツンと尖らせた小娘みたいな物語たち・・と思った。 自分の中の何かが取り返しのつかないくらい鈍磨してるからこんな感想になってしまうんだとも思った。
でも読み終えて一息ついてみると、現代社会の生き難さのようなものが滲み出ていた気がしています。 足りないというよりは過剰であることの息苦しさや歪みのような。 人は人を求め、繋がりたいと渇望する生き物なのに、心はあまりに繊細で複雑で微視的で・・ 繋がることで更なる孤独の深みを覗きこんでしまう、不器用で冴えない主人公たちの(墓穴掘りのような)16の物語です。
壊れかかっているようで壊れていません。 最後の防衛ラインで、自らを見つめる冷静な眼に守られている。 自覚があるんです。 みんなマトモなんです。 ちゃんと自分で自分を一番可哀想と思ってあげられてるから、読んでるこっちの出る幕じゃない気がしちゃったのかな。
正体は、その辺に転がっていそうなありふれた孤独なのに、毒やら滑稽味やら気色の悪さやらに装飾されてオブジェのようなアーティスティックな孤独になる。 中核にあるセンチメンタルで平凡な(ゆえに汎用的で普遍的な)痛みと、それをコーティングする前衛的なドギツさが、なんか・・ちぐはぐ。 各々がバラバラに個性を主張し合って、互いに手を取り合うことを拒んでいるようにさえ感じる。 要所要所では煌めいているのに。 どういう気持ちでこの作品集と向き合ったらいいのかわからなかった。
独特の青臭さが、ティーンネイジャーを描いた時に、これでもかってくらいフィットしてオーラを放ちまくっていたから、「何も必要としない何か」の少女たちや、「子供にお話を聞かせる方法」のライアンが魅力的に映りました。
あと、印象に残っているのが「モン・プレジール」のフレンチ・レストランのワンカット。 これもなー。 やや感傷的ではあるんですけども、映像美を感じさせる出来すぎた情景に酔って、ズキンと心が疼きました。 たとえそれが幻影でも、妄想でも、錯覚でも、同じ波動を分かち合えた一瞬の耀き、その眩しさと儚さをエキストラという道具立てが見事に表象していたと思います。
どうなんだろうか・・ 読み返したら段々馴染んでくるというタイプなのかなぁ。 実際、何篇か読み返してみた中で、初読時には全く掠りもしなかった「動き」が意外と名編なことを発見できました。 意味のない前進にすら何か意味がある。 そこに意味を見出そうとする美学と、グロテスクなくらい悪趣味なユーモアとが綺麗に融合していて、例えようのない哀愁のハーモニーを奏でて見せてくれていたのを危うく見落とすところでした。 あぁ、きっと、こういうものを目指していたのかなーと思えるようなビジョンが記号的なくらいシンプルに伝わってきて・・ (ちょっと恥ずかしいが)マイ・ペストだなこれ^^;


いちばんここに似合う人
ミランダ ジュライ
新潮社 2010-08 (単行本)
関連作品いろいろ

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オリーヴ・キタリッジの生活 / エリザベス・ストラウト
[小川高義 訳] ニューイングランドの海辺に位置する架空の田舎町、クロズビーを舞台に、そこに暮らす人々の生き様に触れる連作短篇集。 町そのものに、こぢんまりとした美しさ、静けさが感じられるし、登場人物も中高年世代が多く、一見、長閑で穏やかな印象を落とす生活風景なのですが、ここに描かれているのは、他ならぬ、生きる激しさでした。
達観や諦観をまとった老成タイプの中高年は、読んでいて心地が良いものですが、そういった人物は殆ど登場しません。 愛を模索し、孤独に怯え、みんな切実で必死です。 老いてなお、人は飢えている・・ そんなことをふと思う読後感。 錆びついた後悔や濁った執着に押し潰されそうになりながら、居場所があり、必要とされることを我武者羅に求めずにはいられない。 前に向いて伸びている時間の短さにたじろぐ日々の浮き沈みの中で、時には、裂けた破片のような痛みが身体を刺し貫ぬき、生々しい傷痕を残してもいくし、千々に心は乱れても、移ろいゆく時を止めることはできないという鈍い疼きに絶え間なく押し包まれてもいる。
町の中学校で数学を教えていたオリーヴ・キタリッジという、気性の激しい女性が13篇全てに登場しますが、彼女が主役の時も、脇役の時も、噂にのぼる程度の時もあります。 中年期から老年期のオリーヴを追う時間軸と、オリーヴを様々な方向から切り取った多視点軸の相乗効果なのか、徐々にクロズビーという町の一体感が醸し出され、人々の営みに奥行きが生じ、読み終えてみれば長編小説のような充足感が得られます。
愛の関係があるから人は沈まずにいられる。 そこにはしかし、うっかりすると足を取られそうな底流もある・・ 人間模様は起承転結で語ることなどできないこと、人は百パーセントで繋がり合うことなどできないこと、そして、身体に沁み込んで、沁み込み過ぎて、もう、一定の成分だけを分離、抽出できないような深い懊悩を見事に描出した作品だったと感じました。
わたしは3作目の「ピアノ弾き」が好きで、アンジーの弾くカクテル・ミュージックに、いつまでも心の底の静かな水面を揺らされていたいような心地でした。 ことのほか抒情的な作品で、哀しみに寄り添い易かったからかな。 単に波長が合ってしまっただけなのかもしれないけど・・お気に入りの一篇です。


オリーヴ・キタリッジの生活
エリザベス ストラウト
早川書房 2010-10 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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レーン最後の事件 / エラリー・クイーン
[鮎川信夫 訳] 悲劇四部作のラストを飾る精華というべき作品。 結末の着想から逆算してシリーズを構築したに違いないと勘ぐりたくなるような用意周到さに喝采を送りたい。
虹色の髭を持った異様な風体の怪紳士が、サム元警部の探偵事務所にやって来て、“百万の値うちの秘密”の手掛かりとなるらしい一枚の封筒を曰くあり気に預けていく。 なんとも調子っ外れな幕開けなのだが、実に、シェイクスピアの稀覯書をめぐって愛書家たちの思惑が錯綜する殺人事件への序曲なのだった。
おとぎ話の中にでも転がり落ちたみたいに珍妙で、ユーモラスないきなりのシチュエーション。 謎要素の盛り方に並々ならぬ稚気を発揮した本格風デザインに血が騒いでしまいました。 愛娘ペーシェンスと青年学者ゴードン・ローの急接近にヤキモキするサム元警部の図など、スラップスティック喜劇調とさえ言えそうな軽快さで進行していく中盤、古文献探求のロマンを孕みながらも、どことなく地に足つかぬような浮遊感と、ヴェールのかかったような朦朧感。 全ては音を立てずに忍び寄る抗し難い終局のための麻酔薬だったのかも。
緻密なパズルミステリのパートはもれなく今回も堪能できました。 謎解きに用いられる二連発の五感系推理で、前者を後者の暗示のように働かせているのが秀逸。 確信の二発目は犯人の特定に及ばないと思うのだけど、限界を心得て読むに足るインパクトの勝利。 余談ですが、サム元警部による暗号解読、“からしつきハムネット・セドラー三人前”がお気に入り♪
なんだか・・ まるでシェイクスピアその人がレーンに憑依したみたいな。 裏ストーリーが実はシェイクスピアの復讐譚だったのではないかと思えるほどの、狂気の、迫真のカタストロフ。 あの数瞬、レーンはシェイクスピアのマニプレーターだったのでは・・ まぁ、自分流の願望的解釈なんですけど。 犯人像が浮かび上がった時、鳥肌が立ちました。
戯曲ではないのに、戯曲を読んでるみたいな不思議な感覚にとらわれるのは、レーンがシェイクスピア悲劇の主人公と同化して、現実が舞台に見え始めるからなんでしょうね。 X、Y、Zと順を追って輝きを失ってきたレーン。 穿った読み方なんですが、シリーズ通して往年の探偵小説の斜陽が描かれていたんじゃないかと、“悲劇”の正体を想うとき、どうしても頭の隅を過ってしまうのです。 本編は明らかに、ロマンスあり、サスペンスあり、ハードボイルドありの、新時代探偵への国譲りを意識させる作品だったと思う。 叡智のレーンは自分が“探偵役”であることを知っていたのかも。 誇り高き全美の“名探偵”が現実社会という舞台で生きられる存在ではなくなりつつあったことも。 彼は、過渡期に差し掛かり黄昏る名探偵像を一身に具現して去った“名優”であり、時代が課した運命の毒盃を陶然と飲み干したのだと、そんな余韻が残った。


レーン最後の事件
エラリー クイーン
東京創元社 1959-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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Zの悲劇 / エラリー・クイーン
[横尾定理 訳] 四部作を起承転結になぞらえるとすれば、まさしく“転”に位置づけできそうな三作目。
X、Yの事件から十年の月日が流れています。 ともに事件を追ってきたサム警部はニューヨーク刑事局を退職して私立探偵に転身ているし、ブルーノ地方検事はニューヨーク州知事に栄進し、広く人望を得ています。 レーンはといえば、壮年と見紛うばかりだった若々しさは見る影もなく、“びっくりするほど年をとった老人”へと変貌しています。
特筆すべき点は、探偵実習生的ポジショニングでサム元警部の娘ペーシェンスを起用し、老探偵レーンとコンビ組ませたところ。 本作は、この、狂言回し的役割を演じる若く利発で生意気な小娘ペーシェンスの回想録という体裁を成しています。
舞台となるのはニューヨーク北部、丘の上に灰色の巨像のような州立刑務所が聳え立つ小さな田園都市リーズ。 上院議員選挙が間近に迫ったある日、悪評高い候補者が何者かに刺殺されます。 出所したばかりの元囚人の冤罪を晴らし、真犯人を突きとめて死刑執行を回避できるのか・・ タイムリミット・ミステリ。 “Z”は犯人の残した手掛かり解読キー。
謎解きプラスアルファが求められていることを意識しての作品なのではないかと思います。 サスペンスタッチのスピード感や、ドラマ的要素が取り入れられ、良くも悪くも現代的エンタメの手法。 新時代のフェミニズム感覚を前面に押し出している辺り、当時なら、今とは比べものにならないくらいには新鮮味を持って受け入れられたのではないでしょうか。 その一方で、冤罪者にはどこか、封建時代の名残りであるところの悲しいほどの無知を連想させられたり、思わぬ結末に対するペーシェンスの感慨に露呈するような人権思想の未成熟さが意図的に盛り込まれていたり、時代の光だけではなく影をも色濃く刻んでいます。
とは言っても、見せ場はやはり真打ちレーンの謎解き。 老いてなお名探偵の座を明け渡すことはありません。 行動的ウェイトをペーシェンスにシフトした分、確かに一歩奥へ退いたように映るんだけど、存在感が薄らいだ印象はあまりないんだよね。 推理の進捗は小出しにされずキリギリまで韜晦趣味を利かせ、事実の裏付けが出揃うラストで一気にたたみかけるやり方はこのシリーズの(あるいはクイーンの?)特徴のようで、バラバラのピースが瞬く間に一つの絵を作り出す、その手品のような鮮やかさは時の磨耗を超越し、今なお愛好家を魅了してくれます。 ただ、今回は仮説の証明にとどまったというか、その域を超えてはおらず、確証を自白に頼ってしまったところがイマイチとされる要因の一端なのかもしれません。 でも、クイーン自身自覚していて、その弱点を補うと称し、劇的な舞台作りに利用しているところが巧妙ですし、あるいは完全無欠とはいかない推理が生気を失っていくレーンを表現する織り込み済みの作戦といった含みがあるのだとすれば魂胆が深いですね。
レーンの(外見の)衰えに触れて、ペイシェンスがいみじくも、“十年の歳月が如何に過酷なものであったか”と、想像しているのですが、Yのあの結末から十年、レーンが何を思い生きてきたか、本当は何を考え、どんな心境でいるのかが、ペーシェンスの一人称による手記のため、全くわからなくて、なんとなく不安になるのです。


Zの悲劇
エラリー クイーン
新潮社 1959-10 (文庫)
関連作品いろいろ

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Yの悲劇 / エラリー・クイーン
[大久保康雄 訳] 「Xの悲劇」に次ぐドルリー・レーン四部作の二作目。 ワシントンスクエアの大富豪、“マッド・ハッター”と揶揄される悪しき血に呪われたハッター家に襲いかかる惨劇。 ニューヨーク市警のサム警部とブルーノ地方検事の要請で事件解決に乗り出すレーンを待ち受けていたものは・・ タイトルの“Y”はイニシャル。
代表作に推されるくらい評価が高いらしいんだけど、うーん;; Xの方が好き。 こういうセンチメンタルな幕引きは嫌だなぁ、と重い後味を引きずるくらい、推理の楽しさに集中できなくなる雑音が多くて、自分には不向きな作品でした。 ただ、レーンのダークな解決法に思いを馳せる時、現在とは科学的に異なる見地に立つ時代の道徳観をそのまま現在に引き写して論じることはできない、と、そこは熱烈に擁護したいです。 むしろ精神疾患と犯罪の問題に一石を投じた一つの寓話として価値を見いだせる素地を持った作品ではないかと。
純粋推理ものだったXとは違い、“探偵の心情”というところにもかなりのウエイトが置かれ、社会派を先取りするような問題意識さえ内包している分、Xのような本格ミステリらしい外連味や茶目っ気は抑えられています。 でも、論理のジグソーパズルのような推理パートは健在で、そこは十分に満喫できました。 館ミステリであると同時に見立てものの変形ヴァージョンですが、この趣向は今日でも様々派生しながら進化し続けてるんじゃないかな。 二重三重に張りめぐらされ、複雑に縺れた腑に落ちない疑問や矛盾を解き明かし、一本の道筋をつけていくレトリックには、ならではの冴え冴えとしたキレを感じます。 論理ミステリで“意外な犯人”を導き出すという高いハードルを確実にクリアしています。
はー、それにしても。 犯人に対して下したとある決断が、レーンに深い闇を背負わせてしまいました。 クイーンが本格ミステリで“人間の苦悩”をどこまでやりたいと思っているのか知らないけど、この悲劇四部作をシェイクスピア悲劇とシンクロさせる狙いあってのシナリオなんじゃないかと推測したくなります。 Xでは無慈悲なほど超然とし、“神のごとく”完全無欠だったレーンが、法と正義の狭間で“人間として”呻吟し、自問自答し、霧の奥深くへ迷い込んでしまいました。 役ではなく実世界そのもので、レーンはだんだんシェイクスピア悲劇の主人公じみてきてるんですよね。 シェイクスピア劇の名優=往年の名探偵として、暗に名探偵の在り方を論じている節もあり、推理天国から論理では解読できない不条理な地上へ引き摺り下ろされつつある名探偵の宿命を投影しているシリーズなのかも・・と感じたりしている。
舞台人としての名声の絶頂にあったとき、彼は、おびただしい賛辞と、それと同じ程度の嘲罵を浴びた。“全世界を通じて劇壇の第一人者”といわれるかと思うと、“この驚異に満ちた現代で、なお虫食いのシェイクスピアにとりついている敗残役者”ともいわれた。しかし、彼は、これらの賛辞と嘲罵を、いずれも平然と聞きながし、行くべき道を知り、いるべき場所を知っている芸術家としての態度を崩さなかった。彼の不動の抱負と貴い天職を果しつつあるとする無言の信念とは、新興芸術に毒されたいかなる批評家の毒舌も、これをゆるがすことはできなかった。では、なぜ彼はその名声の頂点でふみとどまらないのか? なぜ余計なことに頭を突っこむのか? 悪を追及し、悪を裁くのは、サム警部やブルーノ検事のような人たちの仕事ではないのか。悪? 純粋な悪というものがあるだろうか。悪魔でさえ天使とはいえないだろうか。いるのはただ、無智な人間と、ゆがめられな人間、それから不幸な運命の犠牲者だけではないのか。
そうした疑問に責められながらも、彼は真実を探求し真実を確認するために、そうした疑問を頑固に払いのけて、死体公示所の階段を、力なくのぼっていった。


Yの悲劇
エラリー クイーン
新潮社 1958-11 (文庫)
関連作品いろいろ

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Xの悲劇 / エラリー・クイーン
[大久保康雄 訳] バーナビー・ロス名義で1932年に発表された作品で、言わずと知れた悲劇四部作(これもシェイクスピアへの目配せなんでしょうね・・)の一作目。 同時期、エラリー・クイーン名義では国名シリーズを執筆中。 評価の高い初期に書かれたパズル指向の傑作です。
ニューヨークを走る満員の路面電車内で発生した、ウォール街の株式仲買人毒殺に端を発する一連の事件を、元シェイクスピア劇の名優にして頭脳明晰なドルリー・レーンが鮮やかに解き明かします。 路面電車で幕が上がり、渡船、鉄道列車と、大都市の交通網を舞台に設えた殺人劇。 ニューヨークの活気が極上の背景を提供しています。
ハドソン河畔の断崖に聳り立つ城郭のような大邸宅、エリザベス朝の荘園を模した舞台美術さながらの“ハムレット荘”に隠棲し、失った聴力を補う驚異の読唇術を発揮しつつ、シェイクスピア戯曲の深い理解に基づく人間観察力やセリフに込められた警句の引用で周囲を瞠目させる、このペダンティックな老探偵キャラも然ることながら、犯人の狡智っぷりがこれまた至妙の域。 変装対決までかましてくれるサービス精神がさまになっちゃうんですよねー。
クイーン初読みでしたが、古典本格爛熟期のマニエリスム的な色艶がなんとも。 外連味を醸しつつも実社会と半ばコミットし、真正面から書かれた本格ミステリの最後の宴のような突き詰めた輝きを感じます。 一見変わらないようでありながら、いわゆる新本格というのは、ここから360度ツイストされて斜め上的異次元世界で繰り広げられているんじゃないかと、そんなことを思った。 と同時に、日本の新本格の作家さんたちがクイーンの血を色濃く受け継いでいることを疑う余地なく実感したり。
ストーリー構成と推理の展開が歯車のように噛み合った謎解きの醍醐味をお腹いっぱい味わいました。 タイトルの“X”は、被害者の一人が遺したダイイング・メッセージに依拠しているんですが、推理的にはあくまで傍証として(余興として)採用された趣向であるところが小洒落ています。 パロディとしてしか使いものにならないとかバカにされるけど、創始にしてこのウィット♪ また、一説によると、陳腐に感じられるまでに追随され普及したフーダニットのとある手法(本編では一応メイントリックになるのかな?)が初めて用いられている作品でもあるらしい。
だけど本領が発揮されているのはそこではないのです。 推理の突破口となる目のつけどころや、そのヒントとなる手がかりの提示の仕方や、アンフェア回避のための周到な手回しや、論理の破綻を防ぐための予防線の張り方など、だからこうしたのね! といちいち納得できる筋道の緻密さ、論拠が恣意的であったとしても呑み込んで腑に落として余りあるだけの確固たる演出力と語りの巧妙さ・・ それらが形造る総合的パズルの完成度こそが傑出しているのです。
シリーズの結末を訳者解説でバラされてしまいました・・orz いっそ一気に読みたくなったので、ま、いいや。 新潮文庫の旧版ですがお気をつけください。 ってまぁ、改訂版や新訳やいろいろ出てますので今更手に取る人も少ないのでしょうけど、これ、訳者さんが特別ヒドイんじゃなくて、昔は昨今のようなネタバレマナーがなく、総じて無頓着だったんですよね。 古いミステリ本の解説は用心するのが鉄則です。 豆知識。


Xの悲劇
エラリー クイーン
新潮社 1958-11 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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特別料理 / スタンリイ・エリン
[田中融二 訳] 巧緻な傑作としてレジェンドを打ち立てた処女作「特別料理」他、全10篇を収めた第1短篇集にして、“クイーンの定員”に指定された珠玉作品集。 クイーンその人が序文を寄せていて、エリンにまつわる打ち明け話、こぼれ話を披露したりと名調子を振っているというプレミア付き。 奇妙な味のクライム・ストーリー的なジャンルや、EQMMでの活躍など、ロバート・トゥーイと重なる部分が多いと思うんですが、なんと対照的な。 トゥーイ好きのわたしは、こんなにも輝かしい栄光に包まれているエリンについ嫉妬・・><。
「特別料理」のみ既読でしたが、改めてこの香り立つノワールな空気を堪能しました。 一つ一つ緻密に計算し、吟味し尽くされた言葉から発せられる意味深長なニュアンスが、会話の端々に期せずして含蓄される皮肉となって否応なく読者を魅了する叙述の妙味・・ 何度読んでも素晴らしい。
根源的な発想も然ることながら、2人の紳士客とチェシャ猫のような異相の料理店主という人物設定まで・・ エリンはもしや何処かで触れる機会があったの? って勘繰りたくなるらい、無性に賢治の某作品が想起されるのですが、当然ながらこの類似性によって「特別料理」という作品が貶められる感覚は皆無です。 強いメッセージ性を宿した賢治の童話的色彩が、エリンによって都会的で洒脱なホラーへと蘇ったような・・ ま、そんな気がするだけなんですけども^^; だからこそ、その偶然の好対照をなんだか嬉しく感じたりしている。
全ての作品において、洗練された文章のセンスと、明晰かつ精緻なディテールがずば抜けています。 緊張の密度が濃く、完成度が高く、読み応えがありました。 特に、芝居とも現実ともつかぬカラクリの中に幽閉される「パーティーの夜」がお気に入りの一篇。
経済的、あるいは精神的安定への欲求に餓えた人々が、“社会的通念”の範疇を気づかぬうちに逸脱して、病的な執着や歪んだ生き甲斐に取り憑かれ、回避し難い結論に向かって盲進してしまう狂気・・ 社会生活の小さな歪みに虫眼鏡を当ててじっくり観察されるような怖さというのかな。 彼らのような特徴の一端は誰でも持ち合わせていることを突き付けられる不安や不気味さなのかな。 上質なサスペンスであると同時に啓示的な深みを感じる作品集でもありました。


特別料理
スタンリイ エリン
早川書房 2006-07 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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九マイルは遠すぎる / ハリイ・ケメルマン
[永井淳・深町眞理子 訳] 収められている8篇の執筆には20年が費やされたという、なんとも悠々としたペースで纏められた、1967年刊行の連作ミステり。 英語・英文学教授のニッキイ・ウェルトを探偵役とするシリーズは、本篇が虎の子の一冊であるらしく、この希少さゆえか、お宝度が割増しする心持ち♪
探偵の特殊な能力や知識が介在することがなく、読者は探偵が得るのと同じ手掛かりを与えられ、謎は純粋な論理によってのみ解決される・・系? と言えるでしょうか。 論理に大胆な飛躍や断定が垣間見えるものの、構造的にとてもシンプルで削ぎ落とされた鮮鋭な印象を残す名品です。 古典的推理小説を折り目正しく継承した芳しさも堪りません。
ワトソン役を務める“わたし”が、法学部教授の職を辞して郡検事になって以来、かつての同僚だったニッキイ教授に、度々、難事件の解決を手助けしてもらうという手筈です。 間接的に伝わり聞いたデータをもとに、事件の真相を洞察するニッキイ教授は、俗に言う“安楽椅子探偵”。
奇妙な訳知り顔で人をイライラさせたり、わざと謙って興がってみせたり、皮肉っぽい薄笑いを浮かべて恩着せがましい態度をチラつかせてみたりと、なんとも食えない名探偵なんですが、出来の悪い生徒のように扱われる“わたし”は、そんな役割を甘んじて耐え忍ぶことが満更でもない様子・・ふふ。 表題作はあまりに有名ですが、読むのは初めてでした。
九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ
何でもないような一文から、可能な推論を組み立て、ゆくゆくは殺人事件を論破してしまうという^^ この“風が吹けば〜”的な強引さは、ミステリの極北的手法といっても過言ではないかもしれないですが、“論理は必ずしも事実とは一致しない”ことを証明するはずだったのに・・というオチがつくことで、推理小説としてのウィークポイントを見事にカバーしてしまう切り返しが秀逸だなぁーと思いました。
総じて、言葉の細部への拘りから物語が引き出されていく感じがします。 全篇もれなく楽しめましたが、チェスモチーフが美しかった「エンド・プレイ」や「梯子の上の男」がお気に入り。 でもわたしのナンバーワンは「おしゃべり湯沸し」かな。 表題作と構想が似ているんですが、こっちの方が上じゃない? と思っちゃった。
憎々しいほど頭の切れるニッキイ教授なのに、何故かチェスが弱いんですよw しかも負けると必ず口実を見つけたり、ぐちぐち根に持ったりと、負けっぷりの悪さがツボなんだ^^
犯罪捜査の常道ともいうべき、泥臭く地道にコツコツと事実を絞り出す捜査法を揶揄するような・・ あくまでも、椅子に座りこんで仮説をもてあそぶ、鼻持ちならない(笑)知的遊戯の娯楽に特化した読み物ですので、どちらかというとコアなファンにおすすめ・・かな。



九マイルは遠すぎる
ハリイ ケメルマン
早川書房 1976-07 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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物しか書けなかった物書き / ロバート・トゥーイ
[小鷹信光 他訳][法月綸太郎 編] メジャーな成功とは縁遠くも目利きのファンに愛されたという異才、トゥーイの本邦オリジナル短篇集です。 “悲運の作家”などと評されることがあるようですが、そんな異名もトゥーイにあっては眩しい勲章のように感じられてしまうのは何故だろう。
奇想に富んだ短篇小説のスペシャリストですが、その、ナンセンスでオフビートな作風の基軸をなすのはクライム・ストーリー。 作品ごとに意表を突く多彩な癖球を投げ分けてくれるのに、気がつけばあれ? どれもクライム・ストーリーを逸脱していないんだね。 そんなところにも、ふと、職人気質的な頑固さが垣間見える気がして。
どの作品にも不条理感がそこはかとなく漂います。 振り回される人々の徒労や葛藤や諦念が、ユーモアとペーソスで彩なされていく。
社会の底辺で苦境に立たされ、ドロップ・アウトの境界線上を綱渡りしているかのようなダメダメな登場人物たち。 孤独で荒涼とした、それでいてどこか滑稽な悲哀というのか、むしろいっそ、悲哀を剥奪された悲哀とでもいうのか・・ だけど、彼らによせる作者のさり気ない共感や愛着のせいか、そっと愛おしい肌合いが紛れ込んでいて、思わぬ瞬間キュンと胸熱に・・そんな場面が何度もありました。
一番好きだったのは幻想小説の趣きの強い「墓場から出て」。 収録作品中、最も陰鬱なホラーなんだけど・・惹き込まれました。 回復ではなく執行猶予のような息苦しさに曝されながら、トワイライト・ゾーンを揺曳する剥き出しの魂。 それでも生き延びているしぶとさと倦怠が、爛れそうなくらい沁みてきて。
あと、アル中の三文作家が書き続けているハードボイルド小説の主人公が、お払い箱にされないために必死に延命策を講じる「いやしい街を…」が大好き。 “ここ三作ばかり一粒の飯も口にしていない”とかボヤいてたり、クスクス笑いながら読んでるうちに、生き延びようとする健気さが段々切なくなってきて・・わたし的に胸熱度No1でした。 あっ、No1はやっぱ「八百長」かなー。悩む>< ツイストの効いた作品群の中にあって、巧まざる文芸として不滅だと思った。 素晴らしかった。 主人公へのシンパシーが訳もなく疼いて、ラスト、ふっと笑って、ポロポロ泣けて・・
ていうか、全ての短篇がレベル高すぎ! “偶然警報発令中”的な物語の拘束性をグロテスクに皮肉った「階段はこわい」とか、奇天烈な超感覚で小説家を揶揄ってみせた「物しか書けなかった物書き」とか、30年代黄金期探偵小説へのオマージュにして、EQMM編集部まで特別出演させてしまった「犯罪の傑作」とか・・
「支払い期日が過ぎて」もお気に入り。 杓子定規を振りかざしてずかずか踏み込んで来る法律や権威を手玉に取った言葉ゲーム(叙述トリックですね)が小気味よい超絶報復譚。 似た着想の名品がリッチーにもありますね。ふふ・・楽しい。


物しか書けなかった物書き
ロバート トゥーイ
河出書房新社 2007-02 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★★
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このペン貸します / ローラ・レバイン
[副題:ジェイン・オースティンの事件簿][石塚あおい 訳] 著者はテレビドラマの脚本を手掛けてきたコメディ・ライターだそうで、本編は彼女のミステリ作家としてのデビュー作に当たる長篇作品。 本国アメリカでは2002年に刊行されて以来、シリーズの続編が次々と生まれているみたいなのだけど、邦訳は今のところこの一作品のみ。
ビバリーヒルズの庶民エリアでフリーライターとして生計を立てる妙齢のバツイチ女性を探偵役に据えたミステリで、フェミニンな空気が濃厚に漂っています。 お分かり通り、かのジェイン・オースティンものではありません。 英国贔屓の母親(スペルが苦手)が、ジェイン・オースティンに因んで名付けたものの、本家の“Jane”ではなく“Jaine”になってしまったというオチの同姓同名アメリカ人現代女性がヒロインです。 こんな設定からも窺えるとおり、軽快で洒脱なユーモアが随所に散りばめられており、都会の自立した女性の日常風景が、必須アイテム的固有名詞をふんだんに混えながら活写されています。 本編のジェイン・オースティンは、18世紀から19世紀イギリスの平凡な日常を鋭く描破したかのジェイン・オースティンの現代版という文脈で描かれている節もありそうです。 個人的には現代版ジェインのユーモアは、けっこう毒がきつめというか、ちょいちょい辛辣だなぁと思った次第。
ジェインが代筆したラブレターがきっかけで殺人事件の容疑者にされてしまった非モテ系青年の無実を晴らそうと、素人なりのあの手この手で事件の真相を探り始めるものの、決め手を欠く怪しい人物が次々と現れーの、ロマンスありーの、愛猫かわいがりーの・・という感じで進んでいきます。 ミステリを読み慣れていると、なんとなく気づいてしまうかもしれませんが、真相へ至るまでのミステリとしてのプロットや物語としての経緯や、一人称の語りそのものが楽しいので飽きずにすいすい読めてしまいます。 でもやっぱ女性向けかなぁ。 わからん。 意外と男性にも需要あるのか?!



このペン貸します
 ― ジェイン・オースティンの事件簿 ―

ローラ レバイン
集英社 2005-02
(文庫)

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